さんのいち
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三章のスタートです。
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「キーナぁ!」
短く切り揃えた赤髪の女性が、メキナハに駆け寄り彼女を抱き込んだ。
「コリィ!よかった……。おかえり」
メキナハも安堵の表情を浮かべ抱き返した。
セヌリューバ、コリュモ、ガレシュの三人が騎士団事務所に帰ってきた。拍手で迎えられる三人を、招かれてその場にいたメキナハとシィトゥーハも共に出迎えた。
「キーナ、腕がよくなったんだな、よかった」
セヌリューバが目を細める。
「皆さんもご無事で何よりです」
一通りの歓迎が済んで人の輪が解けはじめると、久しぶりに騎士団の不味いお茶を嬉しそうに飲んでいたコリュモが、どこか恥ずかしがりながらメキナハに話しかけた。
「あの、あのねキーナ。報告があるの。私……」
メキナハは目を輝かせた。これは、もしや、まさかの!?メキナハはコリュモの手を取った。
「ど、どうしたの……?」
「うん。その、キーナには色々と心配かけちゃったけど、私、ルバイヤ先生とその……。結婚することになりました」
メキナハは歓声をあげてコリュモを抱きしめた。
「あー、やっとか!おめでとう、コリィ!よかったね」
いきなり結婚までひととびとは。いつの間にそんな話が進んでいたのかはさておき、親友が長年の想い人と結ばれることになったのは、本当に嬉しいメキナハだった。
「仕事はどうするの?結婚しても騎士を続けるの?」
「うんその……。しばらくは続けるけど、その……。もし、あの、子供、が、できたら……、考えようかなと思ってる」
コリュモは自身の赤髪よりも真っ赤になった。
「それで、お式はいつ頃になりそうなの?」
「えっとね……」
ルバイヤ医師は治療院を移転させるつもりがあるようだ。先だってのゲンの事件で、院内に暴漢の侵入を許してしまったことを重くみて、騎士団に隣接する場所に新しく自宅兼治療院を準備中なのだという。その件では護衛の騎士が一人重傷を負ったし、ルバイヤ医師も怪我をした。
しかし騎士団の隣なら警護もしやすいし、コリュモも通いやすいし、なるほど都合がいい。この新しい治療院の完成を待って、式を挙げるのだそうだ。
「じゃあ、半年くらい先かなあ?お式には是非是非、呼んでね!」
「なに言ってるの、あなた私の付き添い人になってもらうからね!」
「えっ!」
「ダメかな?」
「大喜びだよ!嬉しい!」
しかしあのルバイヤ先生ときたら、緊張のあまりコリュモの前ではまともに息すらできず、右手右足が一緒に出ちゃうような先生なのだ。その先生が一体なんと言ってコリュモにプロポーズしたんだろう。絶対聞き出してやらなきゃ!
そこへ、囲んでいた人々から離れて、ガレシュがやって来た。
「キーナ、見せたい物があるんだけど、いいかな?」
その言葉に反応し一気に緊張したのは、シィトゥーハと、なぜかコリュモだった。
「我が家の大事な大事なお姫様に、なにか用!?」
シィトゥーハの剣幕にガレシュは驚いたようだが、やがて苦笑いをした。
「そうだな、妹さんと少々話があってね。失礼するよ」
シィトゥーハは眉を跳ね上がるとなにかを言いかけたが、それより先にメキナハが口を開いた。
「お疲れ様でしたガレシュさん。ご無事でよかった。お怪我などされませんでしたか?」
「君が教えてくれた、身体の一点強化、あれは本当に助かった。あれのおかげで大怪我をしないで済んだよ」
「えっ!?」
「行軍中のことなんだが……」
二人で話を進めるガレシュとメキナハを交互に見ながら、シィトゥーハは唇を噛んだ。
「ところで、見せたいものって……」
ようやくメキナハが話を戻すと、ガレシュは心得顔でなにやら小さな籠を取り出した。
「これは、友人からの預かり物なんだけど、君、見たいんじゃないかと思ってね」
それはほんの小さなハネウサギだった。片手に乗る小ささの、綿毛のような小動物だ。メキナハの目が輝く。細い足と長い耳、小さな翼が以前飼っていたハネウサギとよく似ていた。
「ガレシュさん、この子……」
「この種類のハネウサギは触ってもいいそうなんだけど、どうする?」
「いいんですか!?」
「ただし、見かけによらず素早くて、翼も強いからここではだめだな。応接室に行こう」
二人で応接室へ行こうとすると、シィトゥーハは血相を変えて付いて来た。眉を上げるガレシュを睨みつけている。剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、コリュモまで近寄って来た。
「可愛い……!」
手に乗せられた小さな生きものの温かさに、心までほぐれていく気持ちがする。
「わぁ、私も触っていい?」
コリュモが覗き込む。だがガレシュは渋い顔だ。
「ハネウサギは繊細な生き物だ。特にこいつは怖がりでね。コリュモはハネウサギに触ったことがあるのか?」
「ないけど……」
「ではだめだ。大声も出すなよ、怯えてしまう」
コリュモは口を尖らせたが、出していた手を引っ込めた。
「キーナは触ったことがあるの?」
指先でそっとハネウサギをくすぐるメキナハを見てコリュモは言った。どう見ても扱いに慣れている。
「実はね、子供の頃に飼ってたの」
「え!?」
シィトゥーハがあげた大声にハネウサギは反応し、メキナハの手の中で跳ね上がると脱走しようとしたが、間一髪でメキナハの手が包み込んで阻止した。メキナハは震えるハネウサギを休ませようと、ガレシュの持参していた籠に入れた。
「もう、トゥーハ兄様ったら。大声出すなって、言われたでしょう?」
「ごめん……」
シィトゥーハは青くなった。
「全然知らなかったから……」
「ハネウサギは、急な動きや大きな音に弱いんですよ」
「そのことじゃなくて……」
言いかけてシィトゥーハは下を向いた。
「この籠は外の音が聞こえにくくて、巣穴の中みたいにできてるんだ」
ガレシュが言うとメキナハは感心したように籠を持ち上げて、しげしげと眺めた。コリュモとシィトゥーハはそんなメキナハを困惑したかのように眺めた。
「ねぇキーナ、ガレシュのヤツとは、一体どうなってるの?」
今日メキナハは首都の自分の部屋へ帰る予定だ。コリュモと二人連れ立って歩いていると、彼女が囁いた。からかわれるのかと思いきや、コリュモは真剣だった。
「キーナが保留してるんでしょ?このまま返事もせずにうやむやにするのはよくないよ」
「……うん。そうだよね、わかってる。ちゃんとするつもり」
「……ど、どうするの?」
メキナハは答えなかった。悲しそうに俯く彼女を見て、コリュモはなんとなく答がわかった。
「いや、キーナ、私が先に聞いちゃダメか。まあ、何があっても、相談してよ。あんまり答えられる自信ないけどさ」
メキナハは微笑んで頷いた。あれだけ長年、ルバイヤ医師とじれじれを続けてきたコリュモだ。他人の恋愛相談をなんとかできるくらいなら、まずは自分のことをもっと早くどうにかしていただろう。励ましの言葉だけありがたく貰っておくことにした。
ヤデイニトコは兵を引いた。
ヤデイニトコの上層部は、自国の『落ち人』たちがこぞってカイレーに移住を希望したのは本当にカイレーが画策し拉致したものと判断していたらしい。
自国に『落ち人』が大量流入し匿われていたことに気付かなかったのはカイレーの手落ちだが、ヤデイニトコは一方的に国境侵犯した。双方に非があり、お互いにこれ以上の衝突は望まなかった。
カイレーの『里』代表のツダは解任されたし、『落ち人』たちは、やはり住み慣れた場所が暮らしやすいとほとんどが帰国することになった。迫害の噂に踊らされて軽挙をしたが、子連れや家財道具を持っての長距離での移動だけでも、『里』の者たちへは十分に堪えたことだろう。撤兵も完了し、補償問題や再発防止策などが協議中だ。
カイレーに留まることを希望する『里』の住人も少数だが存在した。逆にカイレーの『里』には共にヤデイニトコへ渡ることを希望する者もいた。釈放されたツダの長男、シュンだ。
彼は、自分の父親に利用された挙句に切り捨てられたことで思うところがあったのだろう。釈放後カイレーの『里』にも居づらかったに違いない。ツダは代表を退いたとはいえ、未だ大きな影響力を持っている。シュンはようやく反旗を翻し、父親の影響下から逃れていった。それすらヘッシガーキらの追求をかわそうとするツダの思惑なのかもしれないが……。
シュンが事件にどこまで関与していたかは結局わからずじまいだったが、ゲンが死亡している以上、限界があった。ただ、事件の数日前にエンザギーに声をかけてメキナハを庭に呼び出したのは彼と判明した。
つまり数日前までにはツダらは訓練の日時や場所、参加者らを把握していたことになる。シュンは全てゲンが手配したと供述しているが、そんなわけがあるものか。ゲンはハビからの脱獄者なのだ。ヘッシガーキですら知らなかった情報を、ゲンが知り得るはずはない。
カイレーの上層部に、ツダに情報を渡した者がいる。セヌリューバらを国境へと動かした者とおそらく同一人物だろう。
その人物の炙り出しには、ヘッシガーキやクダツーらが奔走しているはずだ。メキナハの手には余りすぎる件だ。
メキナハはティーハウスでガレシュを待ちながらぐるぐると様々なことを考えていた。これまでのこと、事件のこと、これからのこと。
どれも考えても考えても眉間の皺が深くなるばかりだ。メキナハは頭を振った。
とりあえず、ずっと先のことは今、思い悩むべきじゃない。もっと目先の、これから夜までの間にしなければならないことに集中しよう。
だが、その間に自分がしなければならないことを思うと、ますます皺が深くなるのだった。
「すまない、待たせたようだな」
ガレシュがやってきてメキナハの向かいに座った。騎士服の上に上着を羽織った姿で、文字通り駆けつけてくれたのだろう。メキナハは笑みを貼り付けて彼が注文をするのを見ていた。
しばらく雑談をしたところで、メキナハはガレシュからの「預かり物のお守り」、ガレシュの署名が入った婚姻届を取り出した。
「こちらをお返ししなければと思いまして……」
メキナハが遠慮がちに差し出した物を見て、ガレシュも眉をひそめた。
「その、ありがとうございました。こちらを預けていただいて、本当に心強かったです。これがなければ、あの時頑張れなかったと思います。改めてお礼申し上げます」
ガレシュは頬杖をついてメキナハを眺めていたが、無言で婚姻届をつまみ上げると中を確認し、たたんで胸の襟元へ入れた。
「キーナ、少し外を歩かないか?歩きながら話そう」
二人は店を出て歩いていたが、河岸に来るとガレシュは足を止めてメキナハに向き直った。
「以前俺は、返事がほしいわけじゃないと言ったが、これは、フられたということなんだろうか?」
メキナハは俯きそうになる自分を叱咤しガレシュを真っ直ぐに見上げた。
「ガレシュさん。お気付きかもしれませんが、私……、ガレシュさんには特別な気持ちを持っています。でも、その気持ちよりも、まだ怖い気持ちの方が大きいんです。
私、誰かを深く好きになったり、恋仲になるのがまだ怖いです。亡くなった方への罪悪感も拭えないでいます。だからもっと強くなってその怖さを克服したいです。
……でも、それがいつになるか、できるのかどうかもわからないのに、婚姻届を預かったまま私たちの関係をずっと曖昧にしておくのも、いけないと思ったんです」
メキナハが懸命に言葉を紡ぐのをガレシュは黙って見ていたが、ため息をついて近寄ると彼女の手を取った。
「いくつか確認したいんだが」
「は、はい?」
「俺のことを気にはかけてくれてるんだな」
「それは、そうです」
「他とは違って特別ではある?」
「それは、そうです」
「だがそう思うことが、怖かったり罪悪感があったりする?」
「……はい、そうです」
「わかった。……やれやれ、俺としては曖昧なままでも構わなかったんだがな」
そう言うとガレシュは握ったメキナハの指先に口付けた。
「ガ、ガレシュさん……!」
慌てて手を引くメキナハにガレシュは苦笑いした。
「確かにこのままじゃ、いつまでもこのままなのかもな。仕方ない、婚姻届は一旦、引っ込めることにするよ。
君が正直に話してくれたんで俺も包み隠さず言うが、俺は人間ができていない俗な奴だからな、いつまでも君を想って待っているとは言ってやれない。
しかし、すぐに切り替えられるほど器用な人間でもないから、積極的には切り替えずにしばらくは待ってるよ。
君が……。心を許せるようになった時……、それが俺にならいいと思うが、そうじゃない他のヤツだった時は知らせてくれ。俺だった時も、知らせてくれたら嬉しい。それだけは、頼むよ」
メキナハは戸惑いを隠せなかった。
「ほ、他の人って……、他の人……?……無理だ、いや、誰!?」
ガレシュは驚いたが、破顔して再びメキナハの手を取った。
「らしくもなく心の声が漏れてるぞ。野郎どもが列を成して君に申し込もうとしているのを知らんのか?俺がこいつを引っ込めたと知れたら、明日にも大挙してやってくるぞ。団長の息子さんに会っただろう?」
「息子さん……。ああ、はい、紹介されました」
「あの方に、君との関係を聞かれたよ」
「ええっ!」
メキナハが驚いてガレシュを見上げると、彼は悪戯っぽく目を輝かせた。
「プロポーズの返事待ちをしていると言った」
「えええっ!!」
「微妙にやりにくいなと言っていたぞ。結果を知らせろと言われている」
メキナハは閉口した。頭を抱えたくなる。これ以上の厄介ごとなど抱えきれない。
「……し、知らせるんですか?」
「上司の上司の、そのまた上の雲上人のご子息だ。親父が気にしていてねと言われれば、答えざるを得ない。それで君にこうやって告げ口してるわけさ」
「告げ口ですか……」
「あの方が団長のご子息の立場を利用するなら、俺も君の……、君に、気にしてもらってる立場を利用させてもらおうかと思ってね。いい手だろう」
メキナハは驚くやら呆れるやら、感情が追いつかない。
「……。ガレシュさん。私から団長とご子息にはお話しします」
「なんて言うんだ?」
「……イジワルですね。また言わせる気ですね。……き、気になる特別な人、から、申し込まれて嬉しかった、けど、結婚はまだ考えられないって言います。今後のことは、これからゆっくり考えたいって」
恥じらって俯くメキナハに、ガレシュは微笑んだ。
「まあ、そんなところだろう。おそらく、君が何もしなくても、向こうから接触してくるんじゃないか」
「頭痛いなぁ……」
メキナハがついこぼすと、ガレシュは指先でメキナハの額を弾いた。
「たっ!」
「そんな風に言ってやるな、息子さん本人の気持ちは真面目かもしれないんだ」
「でも、一度しか会ったことないし、そもそも本人でなく親御さんが計らっている時点で私には無理です。シュンさんもそうでしたけど」
「……あいつもか。雲上人の世界ではそんなものなんだろう、君だってその一員とみなされてるのさ」
そう言うとメキナハの額を覗き込んだ。
「赤くなってしまったな、悪いことした」
言うや否や、メキナハの赤くなった額に口付けた。
「ガレシュさん!もう、やりたい放題ですね!」
「馬鹿言え、俺がどれだけ我慢していると思っているんだ」
メキナハはガレシュが触れた額を手で隠すようにしていたが、ガレシュの言葉にみるみるうちに真っ赤になった。
「それはそうと、君さ、」
それには気付かないふりをして、ガレシュは続けた。
「もっと強くなるって、君、今でさえ伝説の戦士って言われてるのに、それ以上強くなったら君に勝てるのは神話の中の神獣くらいなもんだ」
「神話の神獣なんて現実にはいません」
「そうさ」
つまりメキナハに勝てるものは存在しないということだ。意味がわかってメキナハは拗ねたようにそっぽを向いた。
「もういいです。どうせなら、この際ですから最強を目指します」
ガレシュは朗らかに笑った。ガレシュの笑い声を聞いて、メキナハはホッとしていた。
メキナハを送って後、帰路に着いたガレシュは荒れていた。メキナハには笑ってみせたが、そこは半ば意地だ。
「……クソ」
心を寄せてくれているとは感じていた。信頼し始めてくれていると感じていたのに、ガレシュにとってメキナハに対する拠り所であったこの「お守り」を返されてしまった。
メキナハは今や「モッパートのお嬢様」だ。政略とは言わないまでも、有力者との縁を望むのが、「雲上人」の、親として当主としての一般的な考えだろう。
ヘッシガーキがそれをしないのは、養女にして間もないメキナハの立場と意思を尊重しているからに過ぎない。そしてメキナハ本人はガレシュを意識してくれているが、それも将来を約束するものではない。
メキナハがガレシュを「気になる」のは、もちろん気が合うとか共に戦っている立場とかいった要因もあるが、何より「お守り」を預けるという行動に出たことが大きい。これを手元にずっと預かっていたからこそ彼女は自分を「気にして」いたのだとガレシュは思っている。
ガレシュは騎士団でも重用されているし、派遣先での実績もあり、また捜査官に抜擢されるのは優秀な人材であるとみなされている証拠だが、モッパートに釣り合うほど社会的に高い地位にいるとはいえない。ガレシュが縋れるのはヘッシガーキの公平性とメキナハの気持ちだけだ。自分の想いを預けるにはあまりにも脆い。
悔しい思いをガレシュは奥歯で噛み締めた。彼は、しばらくすると再度国境に派遣されることを、メキナハには伝えることができなかった。
メキナハがガレシュの国境行きを知ったのは、彼が既に出発した後に届いた彼からの手紙でだった。そしてガレシュからの手紙は、その後ふっつりと途絶えた。
ありがとうございました。また明日。
うう、糖分が、糖分が足りないー!




