零の章 第八話 踏み出す一歩
ハッピーな気分で歩いていた通学路。それが一転、学校に来た瞬間に絶望へと変わる。
朝から俺らは、とんでもない光景を目の当たりにしてしまう。
「屋上から飛び降りようとする生徒」
アレは演技でも、目立ちたがり屋でもない。
あの子の死にたいという意思が、俺らにも伝わってくる。
あの子の死が直前にまで迫っていた。
「……」
この状況に血の気が引いていく。
きっと他の生徒も俺と同じ心境なのだろう。
襲い掛かる非日常。足がすくむ。戦慄で声が出ない。
「まさか、自分の通う高校で飛び降りをしようとしている生徒がいるとはな……」
目の前で人が死んだら、人はどんな表情をするのだろうか?
目の前で人が死んだら、人の心にはどんな傷が残るのだろうか?
目の前で人が死んだら、俺の人生はどうなるのだろうか??
映像や映画ではない。今から起こることは紛れもない現実だ。
「――しみ、――み、さん、なんで……」
今にも泣きそうな声で、俺の隣にいた女子生徒が名前を口にする。
この流れから言って屋上にいる生徒の名前だろうと思われる。
「……え? 待って、今……なんて?」
聞き覚えのあるその名前に、俺は衝撃を受ける。
生唾を飲んだ。眉間にしわを寄せて目を凝らす。
その名前の生徒が、本当にその生徒であるなら……。
屋上に立つ黒髪の女子へと鋭い視線を向けた。
あの女子生徒は本当にそうなのか?
まさか……いや、気のせいだよな。
「……見間違いに……違いない。絶対に……ありえない……」
うん。そう。気のせい。
きっとこれは気のせいだ。
勘違い。別人。見間違い。
「違う違う。絶対に違う」
必死にそう言い聞かせた。
隣の生徒も勘違いしているのだろう。
アハハハ、変なことを言う生徒だ。
「……だけど……」
どうしてもある可能性が脳裏をよぎる。
「あの生徒……見れば見るほど……あの子に見えてしまう」
屋上にいた人物は、先ほどまで他人として認識されていた。
しかし名前を聞き、俺が興味を持った時点で他人ではなくなる。
モブだと思っていたあの子が、俺の中でモブではなくなった。
顔が、色が、雰囲気が、見れば見るほど鮮明になっていく。
「……」
俺の知っている人に雰囲気がすごく似ている。
ヒラヒラとなびく黒い髪。左のサイドポニー。
力なく垂れ下がる腕には、多分赤い腕時計が巻かれていた。
それにあの右腕にした腕章は……嘘だよな……。
この学園で腕章を持つ生徒は限られてくる。
――既視感――
あのサイドポニーテール
ずっと好きだった女の子の髪型と同じだ。
あの赤い腕時計
隣の席に座っている生徒の時計と同じだ。
あの腕章
生徒の憧れである学級委員が付けている腕章と同じだ。
悪い予感がした。
「……ぐ、偶然……だよな……」
黒髪サイドポニーの生徒なんて沢山いるだろう――きっと。
赤い腕時計をしている生徒なんて沢山いるだろう――たぶん。
腕章なんてしている生徒なんて沢山いるだろう――おそらく。
絶対に俺の知り合いではないと思いたい。
なのに、見れば見るほど、同じクラスのあの子に見えてしまう。
きっと違う。同じ特徴のある生徒なんて沢山いるはずだ。
「でも……」
もしあの生徒が、俺が想像している生徒だとしたら……?
それはとっても不幸で、悲しいことなのではないだろうか?
「……いや……いや。違う。違う違う違う。そんな訳ないだろ……」
俺は一度顔を下げ、口元を隠した。
考える時間がほしい。気持ちの整理が必要だ。
「あの子が自殺をする? バカげた妄想だな。そんなはずがない」
だけど……悲劇が思考を支配する。
違うと思えば思うほどその生徒の顔がしつこく映る。
「……」
再び顔を上げた。
あの子のことをもっとよく見たかった。
「――!?」
その瞬間、屋上にいたそのこと目が合った。
数十メートル離れた位置にいるその子が俺を見ている。
多くの生徒がいる中、彼女はどうして俺を見てんだ?
「……嘘、だよな……」
確信する。
あの眼、あの顔立ち、間違いなく……あの子だ。
毎日見ているのだから、見間違えるはずがない。
毎日どころか、何年も前から俺は彼女のことを目で追っていた。
そりゃそうだ。好きな子の顔を忘れる訳がない。
何年片思いを続けていると思ってんだよ。
ずっとだよ。ずっと。ずっと。ずっと。
隣の席で、面白動画で笑いあって、一緒に七夕祭りに行く予定の子。
学級委員で将来を約束された優等生。クラスの人気者で友達は沢山生徒。
両親はお金持ちで、父は社長、母は有名人、約束された未来。
「そんな君が――」
どうして柵の外側にいるんだ?
そんな危険な場所に……なぜ君が立っている?
一瞬で死ねるような位置に……どうして君がいるんだ?
分からなかった。あの子がそこにいる理由が分からない。
だけど運命は、何も分からない俺を待ってはくれない。
こちらを見つめる彼女の表情が、少しだけ微笑んだように見えた。
そして次の瞬間、そばにいた女子生徒が悲鳴を上げる。
彼女が悲鳴を上げた理由。
屋上にいた生徒が、一歩、足を踏み出したのだ。
つまり――
飛び降りた。