日常編 第17話 ドアの向こうにいる得体の知れない存在
一階から二階へと繋がる階段。
そろりそろりと上がっていき、廊下へと出る前に足を止めた。
木刀を片手に、そっと頭を出して廊下に敵が居ないか確認。
「誰も、いないようだ」
嵐の前の静けさ。
先ほどまで聞こえていたうめき声も今は聞こえない。
「……」
警戒しつつ、俺は再度二階の廊下を見回した。
この階には部屋が三つあるが、どのドアも閉ざされていた。
一番奥の部屋は物置部屋、その手前にかつて父が使っていた部屋。
そして階段から最も近く、俺の目の前にある部屋が俺の部屋だ。
「……廊下の血痕から見て、100%この中にいるな。――って、どうして俺は意外と冷静なんだよ……」
今までの人生の中で、これほどの血を見たことはない。
普通であれば吐き気を催したり、気絶するレベルだと思う。
だけどなぜだろうか、今の俺はわりと大丈夫なのだ。
アニメで見慣れているとか、映画で知っているとか、そんな話ではない。現実と作り物は別物。実際に触れてみて、実際に見てみて、俺は最初こそ恐怖したはずだ。なのに今は別にどうとも思わない。もしかするとコレが『慣れ』と言うモノなのかもしれない。こんな短時間でこの異常な環境に慣れてしまうとか、我ながら俺は頭が少しおかしいのかもしれない。
「そりゃ、こんな非現実的を目の当たりにしたら頭のネジの一本や二本飛ぶってもんだ」
誰に話すわけでも無く、俺は独り言を口に出していた。
「へへ、ドアの向こうにはどんなヤツがいるんだろうな?」
閉ざされているからこそ、向こうの光景を想像してしまう。
侵入者が殺人鬼だった場合、顔は狂気に満ち溢れているのだろうか?
泥棒だった場合、顔は黒ひげ危機一髪、背中には風呂敷を背負っている?
多少なりとも残った恐怖心からか、どうでもいいことを考えてしまう。
「相手が誰であろうと、不法侵入は立派な犯罪だ。この日光江戸村土産の木刀で成敗する!」
などど息巻て調子に乗るが――
「待てよ」
成敗すると簡単に言うが、それは強者にのみ許された言葉。
「俺の目的は、追い込まれた末に覚醒する力であって、死ぬことではない」
力が覚醒する前に殺されたら元も子もない。
「速攻で殺されるパターンってなんだ?」
例えば不法侵入している悪党が複数人だった場合。
部屋に入った瞬間、360度の角度から釘つきバットで袋叩きだ。
「痛いのはイヤだが、俺の防御力は極振りされてはいない。しかも装備品が木刀のみとか、コレがゲームの世界だったら初期装備もいいところだ……。いや、初期装備と言えば」
ゲームであれば初心者にはスタートダッシュキャンペーンがある。
経験値UPとか、特別ログインボーナスとか、お得な品の数々。
「……アホか俺は、コレは現実であってゲームではない」
どうやら俺の思考は、この異常な空間のせいで変になっているようだ。
当たり前か。自分の家が他人の血で染め上げられているんだからな。
今この瞬間も、俺の足下には知らない誰かの血が垂れていた。
踏みつける感触、ヌルッとした質感、血なまぐさい最悪臭い。
「早く力を覚醒させて、この空間から出たい」
であればこそ、悪党が複数人だった場合は好都合とも言える。
効率の話だ。一人よりも複数人の方がより多くの経験値を得られる。
それだけではない、一人よりも複数人の方が俺のピンチに繋がる。
「じゃあ、さっさと行けよ」
自分にそう言うが、俺の足を動かなかった。
未知なる未来に怯え、まだ見ぬ何者かに怖じ気づく。
人並みに恐怖し、人並みに震えている。
自分が異常な人間では無く、正常なことを再確認する。
「やっぱり引き返すか?」
あとは警察に任せて、一件落着させるか?
「……」
顔を俯かせ、自分に考える時間を与えた。
「……」
「いや、行こう」
こんなチャンスはもう二度と来ない。
ここで引き返したら、きっと俺は後悔する。
どうせもう失う者は何も無い。
だったらもう俺には進むしか道はない。
勇気ある一歩を踏み出し、廊下へと出た。
「……でも人じゃなくて、匹だったらどうしよう」
決意した直後に不安になった。
自分でも呆れるほどの心配性だ。
それほど俺は死にたくないのだ。
ピンチは欲しいけど死は欲しくない。
ノーリスク、ハイリターンを求めている。
「ドアを開けた瞬間、侵入者が『ポチ噛め!』とか叫んだらどうしよう」
犬が飛び出して来たら大変だ。動物は俊敏な動きをするし、手加減なく噛みついてくる。テレビとかで警察犬が犯人に噛んだりするときの本気度は半端ではない。一般人である俺が獰猛なドッグに頸動脈を噛まれたら死ぬ。生きていても、狂犬病とかになる可能性があるので普通に嫌だ。追い詰められる前に、大量出血で死んだら計画は台無し。
毒蛇とかコモドドラゴンと言う可能性も――いや、コモドはないか。
ここは日本。そんな大きな動物が二階に上がれる訳がない。
「んー」
土壇場でチキン。
部屋の前で立ち止まってしまう。
「やはりいきなり飛び込むのは無謀だよな。それはただの死にたがりだ」
小説におけるロケーションハンティング。
探偵におけるプロファイリング。
何事も下調べが必要だと言うことだ。
相手を知れば、こちらの動きも変わってくる。
「そうしよう」
ゆっくりとドアに耳を当て、静かに中の音を探ってみる。
「……」
女性の声は聞こえない。
動物の声も聞こえてはこない。
聞こえるのは、男のうめき声のみ。
それも複数人ではなく、一人だけだ。
声から分かる。男は弱っていた。
「なら好都合、行くなら今だ」
……。
………。
……。
…。
「……うん……」
頭では特攻しているのに、体が思考に追い付かない。
「……」
このドアを開ければすべて明らかになる。
だけど、俺はなかなか開けられないでいた。
このドアの先にはいったい何があるのか?
気になるのに、その真相を知るのが怖かった。
「……」
このドアを開けたら、中の何かとご対面してしまう。
日常が大きく変化し、後戻りができないような気がした。
後戻りなんてしないと決めたはずなのに……煮え切らない。
人間は変化を恐れる生き物だ。
もちろん俺も平等に変化を恐れる。
変わりたい。でも変わりたくない。
「矛盾しているよな」
俺にも良く分からない。
とてもモヤモヤする不思議な感情。
警察に任せれば勝手に事件が解決されてしまう。
俺は明日からまた普通の日常に戻る。今日の出来事がなかったかのように暮らし――普通に生き続ける。そして俺は思うだろう。退屈だ。もったいないことをした、ってな。
見ないで後悔するのか、見て後悔するのか。
パンドラの箱は目の前だ。開けるも良し、開けぬも良し、すべては俺の選択。
「このまま、日常に戻ろうかな」
こんな日常に生きる価値はあるのか?
学校行って、勉強して、家に帰ってきて、アニメ見て、そして寝る。
また明日が来て、学校行って、勉強して、ご飯食べての無限ループ。
「やっぱり日常に価値はない」
今更、日常に戻らなくてもいいのではないだろうか?
戻ったところで、この世界には何がある?
超能力も存在しない世界になんの意味がある?
友達もいない世界で生きる価値はあるのだろうか?
ないな。
殺されたら殺されたでそれも悪くない人生だったと言える。
この世界に未練などない。
きっと転生とかして、死後には楽しい人生が待っている。
今更俺が死んだところで悲しむ人なんて――
『日々喜くん』
――と俺の名前を呼ぶ神崎姉さんの顔がよぎる。
違う。
神崎姉さんは優秀な人だ。
俺がいなくても生きていける。
むしろ俺がいなくなれば、あの人も救われるのではないだろうか?
もう従弟のことを気に掛けなくていい、と安堵するかもしれない。
もう彼の家を訪れなくていいのか。ああ、安心、となるかもしれない。
『桜咲君』
俺の名前を呼ぶ伏見さんの顔がよぎった。
「……」
違う。
伏見さんはきっと俺がいなくても生きていける。
俺なんて、この世界には必要のない人間なんだ。
「だから未練は――ない」
神崎姉さんや伏見さんには申し訳ないが、俺はもう戻らない。
「それに安心してくれ神崎姉さん、そして心配しないでくれ伏見さん。俺は無駄死にするつもりなんてまったくない。人生を懸けた大一番。だから――」
スッーと一度大きく深呼吸。一度目を閉じ、力強く開けて覚悟を決めた。
「大丈夫。これはあくまでも能力覚醒計画だ」
危ないと思ったら、死ぬ気で逃げれば問題ない。
それに木刀と言う保険も持っているし、護身術だって心得ている。
実のところ、俺はこう見えても小学校の頃、たまに桜咲家に遊びに来ていた伯父さんからサンボを教わっていた。サンボとはsamooborona bez oruzhiyaの略で『武器を持たない自己防衛』と言う意味だ。上流階級連中との戦闘では披露できなかったが、心に余裕がある今なら華麗に発揮できるはずだ。相手がこう来たら、俺はこうしてこうしてボコン、バコンだ。
「運動神経はそこそこだが、サンボを使えば自分の身だって守れる。サンボ(強い)+木刀(強い)=超強い。俺はサンボマスターだ。日々喜、舞い忍びます!」
全身に力を入れて部屋のドアノブを捻る。
こっから先は一方通行。考える時間はもうない。
前へ前へ前へ、振り向く暇もなく進むしかない。
「俺が来たぁああああああ!!」
勢いよくドアを開けた。
ドンッ!!!!!!!!!!!!
「ドンッ!?」
木刀を振り上げたが――その場で硬直する。
眼に入ってきた光景は、想像していたよりも真っ赤だった。
「おい、おいおいおいおいおいおい!! な、なんだこれはぁあああああ!」
恐怖のあまり腰を抜かす。
呼吸が乱れる。
見たことのない光景に目を見開く。
「あ……あ……」
たぶん、どんな人間でも怯えて声が出せなくなる状況だ。
ドアの向こうにいる得体の知れない存在。
それは間違いなく――
人間だった。




