日常編 第15話 恐怖を上回る胸の高鳴り
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俺の瞳に映る世界は赤一色だった。
「ど、どういうことだ……」
異質な空間に気圧され、体が一瞬だけよろめいた。
「……ウッ」
恐怖さえ覚えるその異常な光景に吐き気がした。
悪臭、刺激臭、鉄の臭い。目の毒。皮膚の痛み。
目の前に広がる赤色の正体に、脳みそが気づいたようだ。
「これ……」
その言葉を口にしようとしたが、俺は口を噤んだ。
「違う」
違う違う違う違う違う。
そんなはずがない。
コレがソレなはずがない。
「これはあれだ。トマトケチャップだ!」
現実逃避。
自分にそう言い聞かせて人差し指で赤い液体をなぞる。
ゾゾゾゾッ。
謎の液体に触れた瞬間、背筋が凍った。
触ってみて理解した。触らなくても理解した。
これは絵具でもトマトでも口紅でもない。
「この赤い液体の正体」
…………。
………。
「……血だ」
俺の玄関先が、真っ赤な血で覆いつくされていた。
確信へと変わった瞬間、世界が生々しい物へと変わる。
「入り口のアレも、ようこそマットの赤も、玄関の色も、ドアの向こうに広がっているこの光景も、全部が……血だ。誰かの血によって俺の家が汚されている」
気付いていながら、俺は目をそらしていた。
あり得ない。
違う。
そんなはずが無い。
きっと目の内出血のせいだ。
そうに違いない。
そう自分に言い聞かせて平静を装った。
だが部屋に入ってもう誤魔化しが通用しない。
「地獄絵図だ」
無表情だった俺の顔が絶望へと変わる。
混乱した。脳の処理能力が追い付かない。
冷静に考えて、なんで俺の家が血だらけなんだ?
「まるで殺人現場のようになっていた。……さ、殺人現場?」
まさか、俺の家で誰かが殺された?
誰が? 誰に? どうして? 俺の家で?
色々と考えた結果、頭の中がパンクした。
「な、なんじゃこりゃぁあああああああああああああああああああ!」
大声を上げる。
体勢を崩して後方へと転倒してしまう。
倒れた衝撃で手が地面に付き、両手に血が付着した。
「うわぁあああああああああああああああああ!?」
付着した血を必死に振り払う。
「うわぁあああああうわぁああああ!」
なんで床が血だらけなんだよ!
「なんで血!?」
なんで玄関が血だらけになってんだ?
ここは俺の家だろ。桜咲家だよな!!
処刑場でも事件現場でもない!
「だったらなんで!? こ、こんな地獄のような状態に……?」
なんで俺の玄関が血に染まってんだ?
パニックだ。視界が真っ赤で思考が真っ白。
「まさか俺の血!? 俺が誰かに刺されたのか!?」
勢いよく自分の体を見回したが、大量出血するほどの傷はない。
「俺の血じゃない?」
当たり前か。
今帰宅したのだから刺されている訳がない。
どこも痛くないし、血をぶちまける理由がない。
いや、どこも痛くないと言うのは少し違うか。
上流階級共に殴られた箇所はどこも痛い。
でもソレは打撃。こんなに血が出る怪我ではない。
「だとすると、誰の血だ?? ……まさか……」
ある人の姿が脳裏をよぎった。
「神崎姉さん?」
今日はなんの変哲もない普通の平日だ。
神崎姉さんが訪れる確率は極めて低い。
けれど、訪れないとも言い切れない。
「可能性としては考えられるパターンはこうだ」
彼女はたぶん俺の家に訪れる途中だった。
そしてこの近辺で何者かに襲われた。
理由はわからない。あくまでも想像だ。
血だらけになりながらも必死に逃げた。
そしてこの家にたどり着き、中に入った。
「つじつまがあう」
鍵がカギ穴に残されていた理由にも納得。
彼女は逃げるのに必至だったに違いない。
だから玄関で靴を脱ぐ暇すらなかったんだ。
「……神崎姉さん……」
従姉のことを邪魔だとか、煙たいとか、鬱陶しいとか思ったことはある。そのせいで、ときどき冷たい態度をとってしまうこともあった。だけど、それは素直になれなかっただけなんだ。ただのツンデレなんだ。本心は違う。本当は気にかけてくれる従姉の心遣いが嬉しかった。父も母も居ない俺にとって、あの人の存在は大きかった。あの人がいたから、俺は悲しまずに済んでいるとも言える。
「だから」
こんなところで神崎姉さんを失うわけにはいかない。
「警察か救急車を呼ぼう」
助けを求めることが最善の策だと思われる。
早速、カバンからスマートフォンを取り出した。
「うわ、電池残量が2%しかない。……あ、あの時か」
お昼休み、伏見さんとおもしろ動画を見すぎたせいだ。
放課後の段階で電池の残量が3%だったような気がする。
だけど、電話して住所を伝えるのには十分な残量だ。
「――って、ん?」
スマホには『未読メッセージ1通』という通知。
「姉さん?」
差出人は神崎姉さんだった。
「まさか」
嫌な予感がした。
助けて! みたいなメッセージだったらどうしよう。
「そうなった場合」
この血が神崎姉さんの血だという揺るぎない証拠になってしまう。
心配に包まれていく心。
早まる速まる鼓動を抑えつつ、神崎姉さんからのメッセージを開いた。
「……」
恐る恐る画面の方へを視線を向ける。
「怖い怖い……。……ん あれ?」
読んでみたが、普通のメッセージだった。
たまに送られてくる神崎姉さんの研究自慢のメール。
元気な神崎姉さんの自撮りの隣には研究の成果の写真。
『みてみて日々喜くん! 螺旋状の銅線と電池で電車作ったの!』
「メッセージは数分前に送られてきている。メールのあとに襲われたのか?」
俺はすぐに『これはいつ撮った写真?』と返事をした。
数秒後、爆速で神崎姉さんから返事が来た。
『数分前に撮った写真だけど、どうして?』
リアルタイムで返事が来るということは、神崎姉さんは無事だと言うことだ。
『深い意味は無い。ただ確認したかっただけ』
安否が確認でき、安堵した。
この血があの人のモノでは無くてよかった。
「待てよ。成りすましと言う可能性もあるかも」
俺は疑り深い男だ。
文章だけなら誰にだって遅れる。
なので『電話、してくないな?』と彼女に送った。
すぐに『変なの。別にいいけど』と言う返事が来る。
すると、♪大きく吸ってせ~の!♪ と着信音が耳に届く。
応答のボタンを押すと、スマホから神崎姉さんの声が聞こえてきた。
「あ、もしもし日々喜君? 元気?」
「あ、もしもし。神崎姉さん。今、どこにいる?」
「研究室だけど」
「そうか。ありがとう」
それが聞けて満足だ。
「それじゃあ、バイバイ」
「え!? もう終わり!?」
「すいません電池がもうなく――」
スマホの電池残量がゼロとなって強制終了。
残量が残りわずかだったから仕方がない。
だけど、嬉しい収穫はあった。
神崎姉さんは無事だ。
今日は研究室。東雲市には来ていない。
「だとすると……この血は誰の血なんだ?」
誰かの血であることに変わりはない。
おそらく、先ほど推測したシナリオ自体は間違っていないと思う。
近所で事件に巻き込まれた誰かが、血だらけになりながらも家に逃げ込んだ。
「いや、でも変だな」
その説が正しいとして、気になる点が一つだけある。
それが玄関に刺さっていたもう一つの鍵の件だ。
最初は俺が予備の鍵を取り出してさしっぱなしにした――と思っていた。
だけどそれがそもそもおかしい。この家に予備の鍵なんてあるのか?
「ない」
じゃあ、あの鍵はどこから出てきたんだ?
「俺や神崎姉さん以外で鍵を持っている人物がいるとすれば……桜咲家?」
身内かもしれない。
「まさか」
祖父母は他界しているので、消去法で導き出される人物は一人。
「親父か?」
数年前に蒸発した親父が、ひょっこり帰ってきたのか?
しかも血だらけというお土産を添えて?
可能性としては十分にあり得る。
「いきなり消えたんだから、いきなり来ても驚きはしない」
もともと父は謎の多かった人物だからな。職業も年齢も不明。
記憶の中に残っている父は、自分について話さない男だった。
蒸発した理由も、謎の組織に追われたからかもしれない。
つまり俺の父の正体は、ヤバいヤ〇ザなのかも……。
「そして今、俺はなんらかの事件に巻き込まれている」
怖い。けど、陰謀や組織と言うワードで妄想がはかどる。
「うわっ、うわっ、うわっ……ヤベェ……やべぇ……」
全貌の見えない事件。
恐ろしい匂いがした。
一気に緊張感が増す。
間違いなくこの家には俺以外の誰かがいる。
「……」
その場で硬直し、全神経を家の中へと向ける。
聴覚、視覚、嗅覚。家の異変を全身で感じる。
異常な状況。
今までの人生の中で一番心臓がバクバクしてた。
興奮してアドレナリンが凄く出ている気がする。
引き返して警察に任せるか?
おとなしく救急車を呼ぶか?
出血の正体が神崎姉さんなら潔く救急車を呼んでいた。
だけど、これは彼女の血ではない。他の誰かの血だ。
そこで思う。では、おとなしくこの場から逃げるか?
そんな考えも思考の片隅には存在していた。
だが――
「お断りだね」
怖い。
すごく怖い。
「たのしい」
俺は笑みを浮かべていた。
恐怖の何十倍もワクワクしていたからだ。
恐怖を上回る胸の高鳴り。
待ちに待っていた人生初の特大イベント。
普通の人では経験できない特別な体験。
まるでドラマや映画の中にいるような感覚に陥る。
この事件を警察に丸投げなんてもったいない。
「これはチャンスだ」
非日常を求め続けた俺に、神が与えてくれた一世一代の出来事。
「こんなところで引き返す訳がない」
そうと決まれば、まずは分析だ。
仮に家にいる人物が親父だとして、彼を襲った人物はヤバいヤツだ。
ヤバいヤツは、つまり危険な人物。刃物を持っているかもしれない。
ガキのバタフライナイフではなく、大人が持つ本物の刀とか?
「武器を持った野郎は、きっと俺を追い詰めてくれる」
追い詰められた俺は絶体絶命になり、潜在能力が目覚める。
アニメや漫画と同じだ。追い詰められたときに覚醒する力。
しかもそれだけではない。犯人を逮捕すればウハウハ。
犯人を捕まえて、俺は警察に表彰されて、チヤホヤされる。
そうすれば、伏見さんに相応しい男になれる気がする。
「それだ。勇敢な戦士。新聞紙にも載って、有名になれる」
この事件で能力を手に入れて、しかも名誉まで手にいてる。
学校での階級も雑草から中流階級になれるかも……フフフ。
「楽しくなってきた」
最初は恐怖に打ち震えていたが、次第にこの状況にも慣れてきた。
事件の先には必ず真相がある。俺はそれを一人で突き止めたい。
真実に触れた結果が死だとすれば――それは運命。
突き止めた先にあるモノが生だとすれば――それもまた運命。
人生を懸けた大一番。一か八かの賭けに出ようじゃないか!
俺の人生は運命のゆくまま。生きるも死ぬも運命次第。
自分の人生がどこへと向かうのか結末を見てみたくなった。
「さて、行くか」
覚悟を決めた俺は、靴を脱ぎ捨て、恐ろしい事件へと足を踏み入れる。




