日常編 第2話 ノートに書かれた文字と呟かれたその言葉
伏見さんとの会話を楽しんでいた間も担任教師である丸井先生は話を続けていた。
ゆっくりと喋る人なので話が長く感じる。抑揚も無く、淡々と原稿を読み上げるだけの教師。これだからこの人の話は聞いていて退屈に感じるのだ。
この話が一向に終わりそうにないので、要点だけまとめた。
1:病気で学校に来れない生徒についてのお話。
2:先輩だからと言って先輩風を吹かせてはいけないお話。
3:これからの勉学や行事についてのありきたりなお話。
目新しい話題はなく、当然のことを皆に伝えている。
新学期最初のホームルームでも同じことを言っていた気がする。
所詮はただの教師。事務的なことしか言わない。当たり前か。
コレがノンフィクション。コレがリアル。
現実には金八先生もGTOもタイトスカートの女教師も存在しない。
いや、タイトスカートの女教師は、全国探せばどこかにいるかもしれない。
とにかく、この学校には若い美人教師はいないという話だ。
「であるからして~、そういうことだから、かくかくしかじかなんだ」
退屈だ。早くホームルーム終わらないかな。
正直既に帰りたい。積みゲーを消化したい。
学校とは本当に退屈な場所だ。
勉強して帰るだけの、とくに事件も起きない平凡な場所。
いきなり出入り口からテロリストとか入ってこないかな。
銃とか持ってさ、『動くな』とか脅迫してきたら最高。
そこで俺がテロリストと戦い、相手を格闘技でボコボコに。
などど、ありもしない妄想をして有意義な時間を過ごす。
「そういえば」
一時間目の授業なんだっけか?
「……」
まぁ、なんでもいいか。
一時間目がなんだろうが、俺は真面目に勉強するだけ。
学校は勉学をする場所、それだけだ。
頬杖をつき、眠そうな眼で黒板を見ている。
メモるまでもなく、記憶に収納できる発言の数々。
つまらない話過ぎて今にも睡魔に襲われそうだ。
「……??」
なんとなく隣の席に座る伏見さんが目の端に映る。
彼女は先生のどうでもいい話を、ノートを広げながら聞いていた。
真面目だなー。伏見さんはスゴイよ。一つ一つメモるなんて偉い。
でもこんなためにならない話をNOTEBOOKにメモってなんの役に立つ?
連絡事項なんてあとでプリントが配られるんだから、それを見てばいい話。
「……」
いや、変だな。
伏見さんの手の動きに違和感を覚えた。
彼女の手にはシャーペンが握られているが、文字は書いていない。
しかもなんだか心ここにあらずな、魂が抜けた表情をしていた。
「この表情って」
伏見さんは先週も二回くらいこの表情を浮かべた。
この表情の真意は分からないが、俺の勝手な解釈だと、これは考え事や悩み事をしているときに浮かべる表情なのではないかと思う。そしてこうなると、彼女は決まって何かを無意識につぶやく。大抵の場合、その言葉が悩みの種に関係する言葉だ。
アイス食べたいとか、宿題何から始めようとか、大概が些細なこと。
「さて、今回の伏見さんはどんなお悩みを抱えているのだろうか?」
見守る中、彼女が無意識な状態で何かを書き始めた。
「おお、今回は言葉ではなく、文字か?」
眉間に皺を寄せる。
彼女が書いている文字へと視線を向けた。
何を書いているのだろうか?
記号? ――のようにも見える。
【一
タ ヒ |こ十こ ||】
「んー?」
タヒ? タヒの上にある棒はなんだ??
タヒ。タヒ……? ネットスラングか?
「あ、タヒと言えば有名な……」
死?
え、死?
「……ん? え?」
見間違いかと思ったが、あながち間違いではないかもしれない。
カタカナの『タヒ』だけなら断言はできないが、上の棒が確信させる。
アレは……死、で間違いなさそうだな。
ノートに書かれていく文字は先生の話とは全く関係なかった。
むしろ真逆の物である。
これから始まる新しい学園生活を終わらせるような言葉だ。
仮のあの字が死だとして、なんで伏見さんが『死』なんて書く?
いや、単語くらいは誰でも書くか。
死と言う概念はマイナスかもしれないが、死と言う単語がマイナスとは限らない。
誰しもが迎える最後を死と呼ぶ。世界には死をプラスと捉える人も居る。
それに決死の覚悟で戦うことを死闘と呼んだり、ある角度からでは見えない地点のことを死角と呼ぶので、死という単語自体が必ずしも悪と言うわけではない。
死に関連する商品のことを考えている可能性もある。例えば、角川書店から出てる吉本ばなな先生作の『死と再生を描いた小説【キッチン】』のことを考えているのかもしれない。はたまた、絵本の『100万回死んだねこ』について考えているのかも……。いや、あれは正しくは『100万回生きたねこ』だっけか?
「まぁ、いいや」
言いたいことは大体そんな感じ。
死と書いたくらいで焦る俺ではない。
「問題はその後ろの文字だ」
『死』の後にある『|こ十こ||』の解読を試みる。
「もしかして……」
すぐに解読できた。
あれは縦棒だ。
つまり『にたい』だと思う。
全てを繋げ、浮かび上がってくる文字は……。
死にたい。
「……」
死にたい?
「ちょっと待て」
夢なのではないかと錯覚する。
伏見さんらしくない言葉だ。
『死』だけなら動揺することはなかった。
だけど『死にたい』なら話は別だ。
どどどどど、どういうことだ?
なんで死にたいなんて文字を無意識に書いてんだよ!?
それが今の伏見さんのお悩みと言うことなのか!?
彼女は死にたいのか!? 死にたがっているのか!?
「いや、落ち着け俺」
先走るな。まずは冷静に状況を把握しよう。
冷静に、俺は伏見さんの方へと視線を向ける。
「――!?」
彼女は少し顔を俯かせ、瞳から一滴の涙がこぼれた。
たった一度、二度目はない。泣いている訳ではない。
でも確実に、その瞳から水滴がこぼれ落ちた。
そして彼女は――
無意識に――
呟いた。
「……たすけて……」
誰にも届かないほどの小さな声。
たった一人、隣の席の俺だけが気付いた。
その、一瞬の、一言だけの、短いSOS。
「伏見さん」
常に完璧を演じなくてはいけない学級委員。
誰にも本当にことを言えずに苦しんでいる――のか?
きっと今の文字、単語、涙が、彼女が押し殺している本音なんだと思う。
この彼女の悩みは、あまりにも重すぎる。
「……」
それを知ったからと言って、俺に何ができる?
俺は主人公でもなければスーパーヒーローでもない。
どこにでもいつただの高校二年生のただの人間だ。
ただの友達で、ただの近所の住む男で、ただの幼馴染。
「……」
彼女の異変に気付いている生徒はたぶん俺しかいない。
なぜなら伏見さんは背筋をピンッと伸ばし、顔をあげながら真剣な表情で先生の方を向いているからだ。傍から見れば、先生の話を聞いているただの優等生。
誰も彼女が、お悩みモードに入り、助けを求めているなんて思わない。
「いつから……?」
いつから彼女は苦しんでいた? 一年生の頃から? もっと前から?
でも、『伏見さんが死にたがっている』と言う噂は聞いたことがない。
以前の席にいたときは、助けを求めるほど状況が深刻ではなかった?
つまり最近になって、死にたいほど事情が悪くなったのだろうか?
それとも前の席にいたヤツは、SOSに気付かなかったとか?
正直俺も耳がめちゃくちゃ良い訳ではないので、意識して聞いていなかったら分らなかったかもしれない。それほど小さな声で呟いていたのだ。今回はたまたま伏見さんの方へと視線を向けていたので、言葉に気付いたようなものだ。でも気づいたからと言って俺に何ができる?
経験のない壁に直面し、俺は自分がどうすればいいか分からなくなった。




