第七話 回復
皇太后の症状は雲海の妾よりも軽かったものの、ある程度進行していることがはっきり見てとれた。
彩花は長期戦を覚悟したが、皇太后に仕えることは妾に仕えるよりも精神的に楽であった。
何せ皇太后は嫌なことはひとつも言わない。
積極的に看病を申し出たとはいえ、貴人ならば気難しいことも彩花は覚悟していたが、実にさっぱりとした女性であった。
身分が高ければ当たり前のように食べる白米を玄米に変えられようが、あまり得意ではない鶏肉類や葉物野菜を出されようが、文句を口にすることはなかった。
むしろ……。
「手間をかけて、申し訳ないね」
そう、彩花を気遣ってくれる人だ。
妃が調理することは普通ではないことではあるが、皇太后に仕えるのであれば本来進んで名乗り出る者もいるだろう。皇太后もそれはわかっているはずだ。
しかし彩花をそのような性格ではないと理解し、謝る必要がない立場であるのにあっさりと思いを口にする。
そのような相手であれば、本当に治ってほしいと心から思うまで、あまり時間は要さなかった。そしてそれが叶うよう、彩花もできる限り苦手な食材を食べやすいようにする努力を積極的に重ねた。
そして病のせいで訪問する人がほとんどいない皇太后のもとに畑の花を持参して飾ったり、暇つぶしをしてもらおうと楽器の演奏を聞いてもらったりと、色々と時間を取るようになっていた。
たまに暁綺もやってきていたが、皇帝は入り浸るなと皇太后に追いやられていた。
(……これは、感染る感染らないではなく、皇太后の死期が近いから見舞っているというような誤った噂を流されることを警戒なさってるからね)
貴人病も初期症状ではそこまで重篤なわけではない。
だが病が長期に及ぶと貴人病でなくとも治る見込みのない病だと想像される。
そうなれば面倒なことになるだろうし、仮に噂の発信源を特定したところで情報を沈静化させるのに苦労することがわかりきっている。
ただ、そうして短時間で追い払われていれば心配も募るだろうと彩花は暁綺に同情もした。
結果、夜に野菜茶を飲みに訪ねてくる暁綺に皇太后と話したことをいくつか伝え、安心してもらうという日課が新たに加わった。
人が人を心配する気持ちを解消する手伝いは手間だとも思わない。
むしろ、ぎすぎすした関係を感じない状態は心地よい。
一方で仕える期間が長くなれば、皇太后と彩花の関係を悪く言う者も現れた。
同じく星妃の座に就く者たちだった。
彼女らは彩花の位が上がったことで、逆に位を下げている。
たとえ彩花が手柄をあげずにいた場合は皆仲良く後宮から去らねばならなかったとはいえ、苛立ちが向かうのも当然といえば当然だと彩花も思う。
だがチクチクネチネチした話が直接聞こえてくるくらいで、実害はないので気にしないことにした。
ただしその件に関してはどちらかというと暁綺のほうが気にしていた。
「何かあったら遠慮せずに言えばいい」
「実力行使があればお願いしますね」
何度か暁綺に言われたものの、結局彩花が陰口に対して何かを願うということはなかった。
そして、それも皇太后の病状回復と共にぴたりと止んだ。
(半年か。思ったよりかかったけど、やっぱり治療法としては合っているんだ)
皇太后の回復に彩花が貢献したことは皇太后自身の口により証明された。
そんな彩花を悪く言い、皇太后の耳に入れば自分の立場が悪くなる。
彩花に聞こえるように嫌味を言っていた者たちはそう判断したのだろう。
(まあ、未だ裏で何か言っていても不思議ではないけれど)
ただ、もとより直接言われても気にしなかった彩花だ。陰で言われたところで、どうということはない。
何せ人として好きな皇太后が回復したことに比べれば、些細なこと過ぎた。
そして皇太后は回復した今も彩花を宮殿へ呼んでいる。
「おお、来てくれたか。今日は庭園を案内しよう。花が見頃だ」
「ありがとうございます」
「そうそう、そなたが作る野菜茶を私も煮出してみた。飲んでくれるな?」
「もちろんでございます、陛下」
「そのように堅い言葉でなくてもいい。そなたは息子の妃。いわば私の娘ではないか。母と思って接してくれて構わんのだよ」
そんな皇太后の言葉はありがたくはあるものの、妃だけなら後宮にはわんさかといる。
一人だけ義母に接するようにしていたらおかしいし、そもそも雲妃の上である月妃だってそのような対応はしていないだろう。
気持ちはありがたいが、さすがに人前では区別をつけざるを得ないと彩花は思いながら、皇太后と共に庭園へ足を踏み入れた。
すると、そこには暁綺の姿があった。
「おや、お忙しい皇帝陛下がなぜここに?」
「……お言葉ですが皇太后陛下、あまり琇星妃を連れ回さないでいただきたい。用件があってもこうして待ち伏せに成功しなければ、接触できないではないですか」
「なんだ、急ぎか? 急ぎでないなら夜で構わんだろう。私は昼しか会えんのだぞ。しかしわざわざ星妃呼びか。可愛らしいなぁ?」
「放っておいてください」
暁綺が少し拗ねたような表情を見せているのは母親の前だからだろう。
そう思うと彩花は皇太后の回復がより嬉しくなった。
ただ、皇太后の言葉は渡りのことを指しているのだろうと思うと、なんとも言えない状況ではあるのだが。
暁綺は時折彩花のもとを夜に尋ねるが、茶を飲み話をするとさっさと帰っている。
たまに暁綺が菓子や珍しい茶葉を持参してくれることなど、初めの頃から変わったこともあるが、相変わらず色っぽい話はしていないし、そういう気配にはならない。
彩花としてはそれこそ友人とはこういう関係をいうのだと思っていたが、改めて「夜に皇帝が訪ねている」という事実は寵愛を受けているように客観的には見えるのかもしれないと理解した。
(ずいぶん現実と乖離してるわね)
皇太后がそこまで把握しているのかどうかは暁綺に聞かねばわからないが、なんとも聞きにくい話でもある。
「……ということだ。琇星妃、わかったか?」
「……申し訳ございません、なんと仰いましたか?」
別のことを考えていたのでいつから話しかけられていたのかまったく把握していない。
皇帝相手にこの態度であれば周囲も呆れるかと思いきや、皇太后はにやにやとしているし、彼女の侍女たちも呆然として聞き間違えでもしたのかと思うような表情を浮かべている。
そして暁綺も、何となく言いにくそうな表情にも見えた。
「あの……?」
「だから。秋の大祭を前に、貴人病の対処法を発見した功を以て皇后に取り立てることが決まった、ということだ」
「どうしてそうなったのですか!?」
理由は説明されているが、彩花は叫ばずにはいられなかった。