第三話 人生の賭けは皇帝の命運と共に
(いや、これ、絶対何かの尋問に来ているでしょう!)
呼びかけは決して穏やかな挨拶ではなく、むしろ激しい威圧感がある。
彩花としては問題を起こした覚えがないので、押しかけられている理由がわからない。
唯一後ろめたいのは入れ替わりのことだが、それが原因ならばわざわざ皇帝自身がやって来る意味はない。宦官に問答無用で捕えられ、御前に前に引き摺り出されるはずだ。来訪の必要がない。
「おい。お前の主人がどこにいるかと聞いている」
先ほど彩花に声をかけた宦官が再度苛立ちを含む声で問いを重ねたことで、彩花は余計に緊張した。
しかし何かを怪しまれている以上、黙っているわけにはいかず、質問には答えざるを得ない。
「あ、あの。主人……というのは、陛下のことでございましょうか……?」
「は? 琇 静花のことに決まっているだろう」
「それでは、私のことをお探しでしょうか……?」
彩花の返答に、一堂が動きを止めた。
そして、その状況でようやく彩花は自身の格好が妃に見えなかったのだと理解した。
農作業で汚れるからと、使用人時代の簡素で落としきれなかった泥汚れのある服装でいたことも原因だろう。
「し、失礼した。てっきり侍女かと……」
「いえ。ここには私しかおりませんので」
なんとも言えない気まずい空気が流れたが、謝罪した宦官は皇帝らしき人物を見た。そして、頷き返されたことで咳払いをし、無理やり空気を変えようとしていた。
「中を改めさせてもらう」
そしてそう言うや否や、返答を待たずにあちらこちらに宦官が散らばった。
(って、結局許可を得るわけじゃないなら私が侍女でも一緒じゃない?)
片付けていないわけではないが、それでも他人に自分の生活空間を荒らされることは嫌である。
そもそも、あの様子から考えると片付けているものまで引っ張り出しそうな勢いである。
(そして私が皇帝陛下と並んで待つってどういう状況よ)
状況がわからない以上、下手に動けない。そもそも皇帝と推測できるだけで確定していない人物と無言で並ぶのは精神的にもなかなか辛い。
せめて状況説明がほしいところだが、わざわざ皇帝自ら説明などしてくれないだろう。
そう思っていたのだが……。
「朝早くから悪いが、これもあなたの潔白を証明するには必要なことだ」
そんな、想定外の言葉に彩花は驚かされた。
(“潔白”ということは……やはり入れ替わりの件で来ているわけではないわね)
それなら何を調べられようが潔白であることは確定するはずだ。
そう思うと、少しだけだが心も軽くなる。
「何があったかは存じませんが、この状況が私が何もしていないことの証明になるのですね」
「ああ。この畑の主人であれば絶対にしないだろうことはわかる」
「それはどういう……?」
「ああ、気にするな。早めに打ち切らせるよう伝えてこよう」
気にするなと言われても、気にならないわけがない。
しかし皇帝だ思われる相手を呼び止めるだけの身分はないし、入れ替わりの発覚を防ぐためにも極力近付きたくはない。
そう、思っていたのだが……。
皇帝の進路に水桶を置いていたことに気付き、彩花は慌てた。
「陛下、お止まりくださ……!」
しかし最後まで言い切る前に、水桶は派手にひっくり返った。
そして皇帝の靴は見事に水を被った。
(足元はきちんと見てよ!! ここは整備されている道ではないのよ!?)
一体どれほどの価値がある靴を汚してしまったのかと思い彩花は焦るが、逆に皇帝は硬直していた。
おそらく、本当に気付いていなかったのだろう。
そして、場所が悪い。
柔らかく耕した土の周辺は、すぐに濡れた靴にへばりつく。泥で汚れた靴を皇帝が履いて歩くのはようないだろう。さらによく見れば服も裾が濡れている。
「何か拭くものをお持ち……しても、間に合いませんね! 代わりのものを持ってきていただくよう宦官の方に依頼して参ります。陛下にはすぐお座りいただける場所を用意致しますので、こちらにお越しください……!」
そして、彩花は自分に声をかけた宦官を探した。
とりあえずあの中では身分が高そうなので、それは間違いないだろう。
先に走って皇帝の着衣が濡れた旨を伝えると、驚きと共に別の宦官に指示を飛ばしていたので正解だったようだ。
「陛下にはご休憩いただきますね」
その彩花の申し出と同時に捜索も中断された。
さすがに慌ただしくしているところで皇帝を休ませるのはよくないということなのか、それとも区切りがついたのかはよくわからないが、部屋が荒れた様子はない。
彩花は普段使っている一人用の卓にある裁縫道具を片付け、椅子を引いた。
「来客用のものを用意しておりませんこと、お詫び申し上げます。こちらどうぞ。靴は脱がれた方が良いでしょう。拭けば寒くはありませんでしょうから」
皇帝に勧めるには簡素すぎる椅子だが、ほかにないので仕方がない。
指摘を受ける前にと手ぬぐいを用意した彩花は、同時に茶の用意も始める。下級妃の住まいは中心部から遠いので、残念ながら使いの宦官が戻るまでには時間もかかるだろう。
しかし、やはり普段皇帝が口にするだろう茶はない。少し迷ったが、彩花は作り置きしている自分用の茶を温め直すことにした。
「……妙な匂いの茶だな」
出して早々、皇帝に怪訝な目をされた。
同じ器を使用しているものを二つ用意したのは毒味のためで、指定された方を彩花は飲むつもりだが、その説明の前に言われたことには驚いた。皇帝はずいぶん鼻が良いらしい。
「悪い香りではありませんでしょう? 私は好きです」
「何を使っている」
「ここの庭の野菜を煮出した、野菜茶です」
正確には野菜の皮なのだが、皇帝に対して説明するには少し憚られたので何事もないかのように平然と伝えることにした。
「体調が良くなるので、健康にも美容にもよいと思い、愛飲しております。お気に召されなければ、そのままで結構です」
「いや……せっかくだ。いただこう」
「どちらをお選びになりますか? 先に毒味いたしますが」
「不要だ。突然の訪問で毒を用意する暇もなかっただろう」
確かにその通りではあるが、意外でもあった。
皇帝というものは何重にも用心を重ねると思っていたが、案外そうでもないらしい。
「飲んだことのない味だが、悪くはないな」
「ここのお野菜は立派に育ちますからね。毎日野菜を変えているため、同じ味を作ることは滅多にありませんが」
正確には食べた残りで作るからなのだが、その説明は省略した。その日の気分で作る料理が代わり、使う野菜次第で味が変わるのだから嘘ではない。
「よろしければお茶受けもお召し上がりください。甘いものはございませんが」
「これは?」
「野菜の素揚げです。塩を振っております」
薄く切った揚げ野菜は塩で味付けるだけでもなかなか美味しい。
甘味も好きだが、自分で作るのであれば、この方が調整も効く。
「……なかなか個性的な茶請けだな」
「案外癖になりますよ。外の方々にもお茶は振る舞いたいのですが、茶器が足りなくて……。こちらだけでもお出しするべきかと迷っていますが、陛下はどう思われますか」
「量が必要になることには変わらない。気にする必要はないと思うが……宦官に茶か。気を使う妃だな」
その言葉に彩花は初めて普通は宦官には茶を出さないのかと理解した。しかし別に皇帝は気分を害したようでもないので、出してはいけないとなというわけではないらしい。
「まぁ、いずれにしても今は落ち着いて飲めないだろう。私も、落ち着いてはいない」
「何かあったのですよね?」
自分のところがこんなに騒がしくなっているのだ。何もないわけがない。
そう思いながら質問すると、皇帝は少し間を置いてから口を開いた。
「まぁ、お前にならば、言っても問題はなさそうか」
「はい?」
「宝花が無惨に切られた」
「こ……!?」
想像していなかった言葉に彩花は絶句した。
さらりと言われるにしては、あまりに大きい。
「それは皇后陛下が代々お世話される、あの花ですよね……?」
「ああ。五色の花弁を持つ、形は菖蒲に似た花だ」
唯一自分が絡まない祭典の花卉が切られたのは、彩花にとっても衝撃だ。
「春と秋、二度の祭典は宝花の見頃に合わせて行われる。花が建国を導いたとされることもあり、宮殿でもっとも重要なもののひとつともされている」
「それほど重要な花が切られるのは……非常にまずいのですよね」
「ああ。祭典に花を出さないのは国の滅びの始まりだと言われ、原因を突き止めねば帝位からの退位は確定だろうな」
「え!?」
想像以上に重大な状況であることに彩花は顔を引き攣らせた。皇帝は淡々と冷静になって言っているが、水桶を蹴飛ばしたのも余裕がない状況だったのかもしれない。
「過去、下級妃が皇后を妬み宝花を盗もうとしたことはあったそうだ。ゆえにお前にも嫌疑がかけられたが、まずあり得なさそうだから話をした」
「それはもちろん! ……ですが、なぜそう判断してくださったのですか」
「お前は私に興味がないだろう。客人としてもてなしはするが、それだけだ。そんな女が嫉妬から花を切るか? あの丁寧な畑を作っている、お前が」
「お、お褒めいただき光栄です」
確かに皇帝に興味はないが、そう思われるほどの態度をとったつもりもなかったので彩花も少しばかり驚いた。
「犯人が何者であれ、宝花を切る輩がいると想定していなかった私の責任でもある。私が退位すれば諸々が一新されるだろうが、国が滅びることはないだろう」
確かにそうかもしれないが、その諸々には後宮も含まれているだろう。皇帝が退位すれば妃の大半は出家すると聞いている。戒律の厳しさは場所にもよるだろうが、退位させられる皇帝の妃が向かう場所がのどかであるとは考えがたい。
(そうなると、私もこの楽園から離れなくてはいけないということよね……? そんなの、困るんだけれど!)
しかも信仰心がない彩花にとって尼寺での勤めは苦行以外のなにものでもない。
お手つきではない妃である故に実家に戻れる可能性もあるが、琇家が快く彩花を迎え入れてくれるかといえば、微妙な話だ。琇家は既に“彩花”を養女として迎え入れている。『本物が帰ってきたので入れ替わりを解消した』だけなら歓迎されるだろうが、同時に彩花に養女の待遇を与えなければならなくなることは本意ではないはずだ。
ならば、戻れる場所などない。
仮に静花に庇われたところで、彼女が心を痛めるだけだろうから。
「とはいえ、私も大人しく退位を受け入れるつもりなど更々ない。この状況では私の退位だけでは収まらず、不在の皇后に代わり花を育てていた燕月妃は一族と共に追放されることだろう。このような手で私の退位を迫り、自分を優位に立てようとする輩がいることは国政にも悪影響が出る。故に犯人を見つけねばならんと思っているが……切られた花だけは、どうしたものか」
「予備の花はないのですか」
「過去何度も増やそうとする動きはあった。だが、育たない」
「では……今から、花を作りましょう」
「は?」
皇帝の疑問符を無視し、彩花は牡丹と昨日作った椿の造花を引き出しから取り出した。両方ともまだ珠は一つも取り付けていない。だが、それゆえに本物に近い見栄えになっている。
「これは牡丹と椿だな。だが、花弁の手触りが……まさか、作り物か?」
「近くで見れば、偽物だと気付かれる可能性はございます。ですが、いかがでしょうか?」
「非常に精巧な花だ。布だとは思えない。色合いも自然だ」
そして二つの造花を見ながら、皇帝は唸った。
「宝花は祭りの際は巫女が私の元まで花を持ってきた後、私が祭壇に献上する。祭壇は大きく、一番近くに座る者との距離でさえ、ここからあの扉くらいはあるだろうか」
「では、気付かれにくいとのことですね」
「だが、危険な話だ。お前を巻き込むことになるぞ」
「全力を尽くします」
提案をした張本人であるのだから、巻き込まれるのは覚悟の上だ。巻き込まれるというのは、作成することに関してだろう。作り物だと発覚したからと言って、皇帝は主導したと罪をなすりつけることはしないだろう。
ただし人に気付かれずに作らなければ、作戦は水の泡だ。あとは他力本願ながら、造花を渡す巫女の手配も、皇帝ならばなんとかするだろう。
「話を合わせる必要もありますでしょう。何なりとお申し付けください」
「わかった」
「ただ、ひとつお願いしたいことがございます。うまく片付けば、私の願いをひとつ叶えてくださいませ」
「一つで構わないなら、約束しよう。花の部分を担ってもらえるのであれば、犯人がつかまらずとも最低限はどうにかなる。もっとも、捕まえる気しかないが」
その言葉に彩花は安堵した。
絶対に成功させ、身の安全を保障してもらう。
そのことを強く決意し、さっそく計画の相談を始めた。