第十二話 対峙
彩花たちが洞窟のあたりで襲撃者をより一層拘束している時、炎巓は山道の入り口に程近い場所で苛立っていた。
(遅い)
それは自分が命令した男に対しても、暁綺に対しても当てはまる。
失敗していればとうに暁綺が戻っていてもいい頃合いだ。だが、戻ってこない。
かといって成功の報告も届いていない。
本来の計画であれば、暁綺を亡き者にした後、炎巓が暁綺が装具の一つを忘れていると言い山に入り、獣道から入山した“彩花”を『賊に襲われた皇后』に仕立て上げ、自分が助けたことにするはずだった。
だが、想定された時間を超えても何の反応もない。
(相打ちでもしたか?)
自分で確認に向かうこともできなくはないが、雨でぬかるんだ道が自分の衣服を汚すことは目に見えている。
この際多少の汚れは目を瞑ると言いたいところだが、祭典の会場から来たばかりのはずが、なぜ裾を汚しているのかと疑念を抱かれれば面倒だ。
特に暁綺が重用している、力のある家は自分のことを疑ってくることは想像できる。代わりが効く家もあれば、そうではない、技術や頭脳を司る家もある。
もともと良い感情は抱かれていないだろうが、決定打を与えなければ一族を苦労させてまで地位を捨てるような家ばかりでないだろうことは想像できている。
(兄上も生きてはいまい。だが、多少予定は変更するか)
暁綺の戻りが遅れている中、今更忘れ物を届けると言うのは不自然だ。
(ならば、遅れているからと何かあったのではないかと心配してみせればいい)
仲の悪さは周知の事実だが、暁綺に何かがあり、装具の宝剣が紛失する事態を危惧しているように振る舞えば納得もされるだろう。
(悪くない話が出来上がったか)
安否がわからないとはいえ、遅れているのだから手負の状態ではあるはずだ。
放っておいても助けがなければ死ぬだろう。
もっとも、炎巓とて死体を見るまでは本当の意味では安心しきれない面もある。そういう意味では、城に戻り自分が即位すると宣言した後すぐに遺体を探すという名目で山に入り、暁綺を探すべきだとは思っている。
万が一にも息があるのであれば、そこでとどめを刺せば良い。
実に良い考えだと自画自賛しながら炎巓はそばに控えさせている“彩花”に「行くぞ。お前は暁綺が死んだと思わせればそれでいい」と冷たく言い放った。
“彩花”には泥を被せ、命からがらに逃げ惑ったと思わせることができる風貌だ。
“彩花”は炎巓が拘束して以降、一言も声を発していないが反抗的な態度をとることもない。
(拾い子だと言っていたが、思いの外分別を弁えているようだ)
養女の“彩花”が行方不明になったと琇家が多少は騒ぐ可能性は炎巓も考えているが、元の身分を考えれば長い間騒ぐこともないだろうと思っている。多少の教養を身につけさせていたとしても、所詮は養女。替えが効く。
むしろ“彩花”には、本来関わることができない自分のような者に、“静花“の代わりとして使われることを当然の如く光栄に思うべきだと炎巓は思っていた。
予定とは少し異なるが、結果は同じ。
僅かに先に生まれたというだけで皇帝の座に就く兄を降ろし、相応しい自分がそこにつく。それは正しい状態になるだけのことで、今の状態がおかしいだけだ。
そう、炎巓は信じていた。
それを油断と言うのだと、忠告できる者はすでに炎巓の側にはいない。
だからこそ自らの脚本通りにことを進め、あとは山へ向かい死体を確認するだけだと思っていた、まさにその時。
「へ、陛下がお戻りになられました!」
そのような言葉を聞くことになるなど、一切想像できていなかった。
※※※
死んだと思われた者の帰還に玉座の間には安堵と困惑が入り乱れていた。
「……しかし、おかしな話だな。一体誰が私の死を告げたというのか?」
そんな言葉を、見せつけるかのようなわざとらしい態度で言い放った暁綺は深いため息をついた。
(誰が、なんて聞くまでもない話だものね)
彩花たちは事前情報で炎巓の仕業だということは予想できているし、この場にいるものたちも炎巓からそれを聞かされているのは明らかだ。
何せ皇帝の警護の者たちを勝手に帰還させることができるような者は限られているにもかかわらず、彩花たちが下山した時には足跡だけを残し帰還してしまっていた。
もっとも、山道ならともかく平坦な道であれば歩き慣れている彩花にとって実害はなかったが。
「お、恐れながら申し上げます。陛下のお戻りが遅いとご心配なさった炎巓様が、賊に襲われたという、皇后様を保護され、その折に……と、私は聞いております」
誰もが口を開きたがらない中発言した男の言葉に、彩花は思わず口を開きそうになった。
(“皇后”を保護した?)
自分は暁綺と共にいた。
今日立后したばかりではあるので、たとえ別人であっても誤魔化し通せる可能性があることは理解している。
けれど、果たして炎巓がそのようなことをするだろうか。
彩花の顔を覚えている者がいれば、たちまち炎巓が疑われるのは目に見えている。半年もおとなしくしていた炎巓がそのような行動に走るとは考えにくいと彩花は思う。
しかし、その想定が当たっているのであれば……。
(もしかして、静花様が巻き込まれたのでは……)
そう思った瞬間、思わず彩花は口を開きかけ、ぐっと堪えた。
今日、この場で彩花は何も話さないことになっている。
理由はこのような断罪の場に見合う振る舞いが、まだ身についていないからだ。
もし自分が皇后らしからぬ振る舞いを行い、静花に迷惑がかかるようなことがあってはならない。
だからこそ暁綺と打ち合わせ、彩花は何を考えているかわからないように微笑むのみという形で合意したのだ。
だから急に口を挟むわけにはいかないが、静花に迷惑を掛けないための行動が足枷になるとは思わなかった。
表情は変えず、握り込む手の力だけが強くなったその時、派手な音を立てて扉が開いた。
そこに現れたのは炎巓だった。
「あ、兄上! 生きておられたのですか!」
驚きの表情からは一見憎しみは感じられない。
そう、思わせるような上手い表情の作り方だと彩花は思った。
「炎巓。状況を説明せよ」
「天候も悪い中、兄上のお帰りが遅れているようなので差し出がましいとは思いましたが、何かあったのではと入山しました。すると皇后陛下がひどい格好で立ちすくんでおり……。いかんせん泣くばかりで、詳しい経緯や状況は把握できませんでしたが、兄上に大事があったことは理解できました。ですが、兄上は無傷のご様子ですし、皇后陛下もご一緒だとは……あの者は、偽物だということなのでしょうか」
困惑の表情を浮かべる炎巓は、この話で誤魔化せると思っているのだろう。
腹立たしい。
そう彩花が思っていると、暁綺から視線を送られていることに気がついた。
「皇后。言いたいことがあるなら言ったらどうだ」
それは打ち合わせの変更を許容するということだ。
彩花は驚いたが、断る理由は何一つない。
「炎巓殿下は私のふりをした者が陛下がお亡くなりになったと述べた、と仰るのですね」
「ええ、その通りで……」
「ただ泣くばかりで話にならないような状況の者の言葉を、確認もせずに鵜呑みにしたと? そもそも、泣くばかりのものが説明できたと?」
捲し立てるように声を荒げれば、炎巓は一瞬怯んだようだった。
想像していた皇后像と大きく異なるのだろう。
「殿下以外にその者から陛下が亡くなられたと聞いたものはいるのですか?」
「それはどういう意味でしょうか」
「私は殿下がその者の名を騙り、陛下が亡くなったと虚言を広めたのではないかと思います」
堂々とした直接的な物言いに、周囲はざわついた。
彩花は皇族といえども元は違う。対して、炎巓は生まれながらの皇族だ。
しかし彩花に発言を許可した者が皇帝であれば、その差など埋められる。
だが、炎巓はそのように思っていない。
「な……何を言う!」
「では、殿下以外に聞いた者という方は誰でしょうか?」
「それは私も聞きたいな。誰が聞いたのか、名を告げよ」
「っ」
彩花の言葉だけでは反論していた炎巓も、暁綺の追撃に言葉を詰まらせた。
(もしかしたら自分の支持者を巻き込むつもりだったのかもしれないけれど…… 炎巓は、自分が何をしても許されると思っているからつめが甘い)
いくら炎巓を支持していても、誤魔化し難い状況で今上帝に対し虚言を述べるのは得策ではない。
何せ、当の炎巓が責められている現場だ。
炎巓の支持者たちも冷静になれば、立ち入りが禁止されている場所に入ってまで暁綺を探しに行った炎巓が“皇后”だけを連れ、暁綺を探さず戻ったことを説明がつけられないと思うだろう。
皇后は警護隊に預ければいい。炎巓は特に武術に秀でているわけではなく、一緒にいることで何かが利点があるわけではない。聞いていないことを聞いたと言ったところで、いつ、どのような状況でなどと細かく聞かれれば、矛盾が生じかねないと考えつくはずだ。
さらに暁綺は追撃する。
「一つ、良いことを教えてやろう。私を襲った奴はまだ生きている。殺してはいない」
「な」
「自決するつもりだったらしいがな。面白い話が聞けるやもしれないな」
暁綺の言葉は炎巓よりも、その支持者に向けたのだろう。
尻尾は捕まえていると言えば、無理に庇うと火の粉を被るだけとなる。
だが、炎巓が今更謝るはずもない。
「……どうしても私が言いふらしたと仰いたいのはよくわかりました。では、逆に偽の皇后が嘘をついていないとなぜ言える!!」
もはや逆上し演技などしなくなった炎巓は彩花に掴み掛かった。
だが、それは暁綺によって阻止され、炎巓は床に押し付けられた。
「貴様ッ」
「本性が出たか。私のことは兄上と呼んでいたのではなかったのか?」
暁綺の拘束が解けない炎巓はもがいているが、緩むことはない。
彩花は炎巓を見下ろした。
「私は、あなたの言う偽りの皇后が嘘を言っていないとは一言も言っておりません。ですが、目的がないことをする必要があるか、という点でお考えになったことはありますか?」
「は?」
「あなたは自分の罪を人に押し付けるよう考えているようですが、偽の皇后が陛下が亡くなったと言って何の得があるというのです。あまりに危険な賭けでございましょう」
尋ねられた意味が、炎巓には理解できないようだった。
そこで彩花はわざとらしくため息をついてみせた。
「では順序立ててお話しさせていただきましょう。殿下の主張は偽皇后が陛下の命を狙ったというものだと判断致しますが、皇后を装った上でそのようなことをすることに、どのような利点があると言うのでしょうか。立后当日、子もいない状況で陛下を失った皇后が行うだろうことといえば、出家して陛下を弔うことでしょう。ただ出家するだけなら、陛下を襲わずとも誰でもできることではございませんか?」
その彩花の言葉を炎巓は鼻で笑った。
「あなたは自分の価値をわかっておいでか? 実績を持っていれば、次の皇帝に良い条件で迎え入れられることもありうるでしょう」
その言葉から、彩花は炎巓が“彩花”を妃に迎えたいと考えていたのだろうと理解した。考えに嫌気もさすが、個人的な感想を言っている場合ではない。ひとまず、炎巓がどのようなつもりで静花を利用したのかわかっただけで、一つめの目的は達成された。
ならば、あとは追い詰める番だ。
「では、その偽の皇后は、陛下を圧倒できるほどの武術を会得していたと仰るのですか? そうでなければ、自分が倒したわけではないのに陛下がお倒れになったと虚言を伝えたことになりますが」
「なんだ、そんなことか。それは協力者がいればどうにでもなろう」
自分がそうしたように、伝手さえあれば他人もそうできる。
実際にその伝手がなくとも、あると言い切ればそうできるだけの自信が炎巓にあったのだろう。
だが、炎巓が“彩花”を利用していると誤解していると主張するのであれば、彩花には不可能だと言い切れる。
「……おそらく先ほどから殿下が仰っている偽皇后とは“琇 彩花”でございましょう? 私と間違えるほど似ている人物など、そういないと思いますから。ですが、彼女が協力者を得ることは不可能でございます」
「なんだ? 身内だから庇うと言うのか?」
炎巓はやってられないとばかりに身振りで示すが、よくそのようなことが言えると彩花は思った。想定内の言葉だと余裕を見せているのだろう。
だが、このような者であるからこそ、粗い見落としをそのままにしていたのだろう。
「身内だからという曖昧なものでは何の証拠にもなりません。ただ、もっと現実的に不可能であるということをお伝えすると、“彩花”に人を雇う金……それも、陛下を傷つけることができるほど武術に者を雇う金など、あるわけがありません」
「はっ、琇家に金がないと言うのか? あまり栄えているとまではいえない家であったとしても、それなりに蓄えはあるだろう。何人の使用人を雇っているか、お前も知っているだろう」
「琇家の懐事情が厳しいと申し上げているわけではございません。ただ、“彩花”は先日養女になったばかり。それまでは使用人でしたから、蓄えがあったとしても、微々たるものでございます」
彩花の指摘に炎巓の目が見開かれた。
(養女だからある程度自由な金銭があると思ったのかもしれないけれど……残念だったわね)
炎巓には金銭的に苦労をしたことがないのだろう。
そうであれば、使用人の賃金など知っているはずもない。
同時に、この計画は思ったよりも突発的なものであったのだろうという確信も得た。あえて“彩花”を利用すると考えていたのであれば、養女になった時期程度は調べているはずだ。
「いくら養女になったからとはいえ、迎え入れたばかりの娘に大金をねだられれば普通は警戒するでしょう。琇家が陛下の退位を企んでいるならともかく、娘である私が皇后となるのに、陛下を襲撃し別人が帝位に就くことを望む意味もなく、あえて協力する必要もありません」
彩花が堂々と言っているからという理由もあるのだろう。
徐々に周囲は炎巓に対し『やはり殿下が』という声を漏らし始めた。
その声は炎巓の顔を赤く染める。
(帝位を狙っていることは周知の事実だもの。決定的な証拠がなくとも、皆が怪しんでいる)
そして、今はついに本性を現したのかと思われていると言ったところなのだろう。
要は稚拙な計画を立てたが故の、情けないまでの自爆だ。
とはいえ、彩花もここで尋問をやめるわけにはいかない。
何せ、今はまだ“彩花”が皇帝を害せない理由を伝えただけだ。
「以上の理由により“彩花”が陛下が襲われたと伝えることは考えられません。仮にそのようなことを申したとしても、のちに陛下がお戻りになると普通は思うのでしょうから。殿下、何か異論はございますか?」
「ッ」
返事はない。
肯定など炎巓にとって絶対に認められるものではないし、かといって周囲を納得させるだけの反論が即座に用意できないのだろう。
ならば、この場は考える余裕を与えるわけにはいかない。
「陛下。ここは“彩花”にも話を聞く必要がございましょう。炎巓殿下のお話に、説得力があるものは感じられません」
「そうだな。ここにいる者のなかで炎巓の証言を裏付けるものがいたら今のうちに聞いておくが、名乗り出るものはいるか?」
暁綺の言葉に返答するものは、言うまでもなく誰一人としていなかった。
そのような状況に炎巓は叫んだ。
「なぜ、そのような女の言葉を信じる!? 私の生まれを知ってのことか!?」
もはやそのような言葉しか絞り出すことができないのだろう。
彩花は暁綺から引き渡され武官に拘束される炎巓を見ながら、呟いた。
「生まれがどうかなど、今のあなたを見ていると大事なことだと思えませんね」
「なっ」
「生まれがどうであれ、どのような自分になるか、なりたいか、それに見合う努力をするか。それが大切なのではありませんか? 身分はすがるためのものではありませんよ」
「わかったような口を利くな!!」
そう叫んだところで、炎巓は武官に引きずられ、その場から退出させられた。
そして残った彩花はぽつりとつぶやいた。
「あなたのことなど、知るわけがないではありませんか。あなたが、私のことなど知らないように」
もっとも、知られていたならこのような茶番で済んでいない。
だが仮に知られても問題ない身分だったとしても、炎巓とは分かり合えないだろうと彩花は感じていた。
ただし暁綺が心を痛めているのを知っているので、ただ今後かかわる必要がなくなっただろうことを喜ぶだけというわけにもいかなかった。
「陛下、大丈夫ですか?」
「……ああ。まあ、忙しくはなるだろうがな」
暁綺の返事は空元気というわけではなかった。
どちらかといえば決別の意を確かなものにした、というように彩花には感じられた。そしてそれは暁綺が皇帝で在る以上必要なことなのだろうなとも思わせられた。