第一話 身代わりは恩返し故に
池の氷に舞い落ちる雪が重なる、特に冷え込みが厳しい日。
彩花は琇家当主である雲海からとんでもない命令を受けることになった。
「妃の一人として指名された静花に代わり、後宮に入れ」
了承の返事以外が許されないのは理解している。
しかし言葉に彩花は即答できなかった。
もし自分が静花の姉妹等親類であれば、この話にも納得できただろう。
静花はあまり身体が強くない。静かなところで療養するほうが良いに決まっている。
致し方ない理由がある上で姉妹が代わるのであれば、説明もできる。
しかし彩花は静花と顔が瓜二つというだけの、琇家に仕える使用人である。
仕えるきっかけとなったのは自身とよく似た顔を持つ幼女がいるという噂を聞いた静花が、みなしごだった彩花に手を差し伸べたからである。
『彩花』の名も当時名無しだったことから静花に与えられたものである。
(そんな庶民が後宮入りなんて、何を考えていらっしゃるの……!?)
庶民が妃となって後宮に入ることはない。
その前提がある限り、『代わり』というのは『静花に成り代われ』ということになる。
「お嬢様の体調については重々承知しております。ですが、恐れ多くも皇帝陛下を欺くことになるのではございませんか? 雲海様は、それでよろしいのですか?」
「私は陛下よりあの子を大事に考えている。静花への恩義も忘れたか?」
命令されている時点で、雲海の考えは定まっているだろう。
だから断ることは許されない。
ただ、念のために確認をしておきたかっただけだ。
(恩については言われるまでもない。私はお嬢様のために働いている)
しかし雲海の言う恩義は静花に対するものだけを指しているのではないだろう。
幼い頃より静花は教養の学習を彩花と共に受けたいと雲海に願うことが多かった。
雲海は非常に娘に甘いため、その願いを叶えていた。
しかし雲海は非常に身分に重きを置く考え方をする人物だった。ゆえに『下賎な者』に分類される彩花に教育を施す事自体には分不相応であり嫌悪、やがてはその存在自体を強く忌み嫌うようになった。
(もっとも、その教養があるから後宮入りにも耐えうるとお考えなんだろけれど……)
いくらなんでも早計ではないかと思わずにはいられない。
実際本来なら得られない待遇を受けていることのは理解している。
ただ、それだけでは懸念はある。
「私がお嬢様に扮して後宮入りし、お嬢様が私として残ったとき、お嬢様は今まで通りお過ごしになれますでしょうか?」
いかんせん、彩花の身分は使用人だ。
残った静花の暮らしもどうなるのか気にかかる。
「ああ、その心配は不要だ。養子縁組をして再び私の娘とすれば問題ない。今までと変わらぬ生活を送らせる。屋敷の者たちにも、事情を説明すればなんとでもなる」
さすがに雲海も愛娘のことで抜かりはないらしい。
そしてその返答を受け、彩花は腹を括った。
(お嬢様が日陰者にならなくて済むのであれば、それで構わないわ)
屋敷の者の密告で入れ替わりが発覚する可能性も考えられるが、皇帝を欺けば一族郎党どうなるのかはわからない。
密告者の命もどうなるのかわからない以上、わざわざ告げ口する者もいないだろう。
もっとも、使用人の言葉が公に信じられるかもわからないが。
それに静花は体調の関係もあり対外関係もあまりないので、外から発覚する恐れは限りなく低い。
「では、お前は琇 静花として陛下の雲妃第二十席の位を授かる。付随して国花を除く祭典用の花卉や野菜など献上物の栽培を担う。詳しくはこの通知を読んでおけ」
「かしこまりました」
そうして投げるように渡された勅命書を、彩花は読んだ。
(……まぁ、私からすると素晴らしい家柄でも、尊い方々からすれば琇家は格式高いとは言えないものね。長く続いているから下級妃として雑務係に、と言う気持ちはわからなくはないわ)
長々とした通知には植物栽培について『古くは大地の神に感謝するため皇后が担った仕事であり……』といった具合のことも書いてあるが、国花とされる宝花以外の世話が下級妃の仕事となったのは、面倒臭さや汚れるといったことが理由になったのだろうと彩花は想像した。たとえ本人ではなく侍女が行うとしても、皇后になる女性に付き添うような女性だ。もともとの身分も低くはないだろう。
(しかし、下級妃の中でも二十番目とは。雲海様がお嬢様を行かせたくない気持ちがよくわかるわ)
寵愛も出世も期待できないところに溺愛する娘を送り出すような人ではないことはわかっている。
彩花とて、そんなところに静花を送り出したくはない。
ここは関心を引く期待ができない地位のほうが安全だと喜ぶべきだろう。
「ああ、ひとつ。言い忘れたな。静花の環境は変えない。侍女もそのままだ。新たに雇うつもりもない。下級妃ならさほど必要性もないだろう」
「かしこまりました」
彩花は身の回りのことは自分でできるし、静花の手伝いはしているので何が必要なのかもわかる。
なので必要性は確かに低いが、侍女を伴わない後宮入りが一般的なのかは疑問が残る。
(見栄を張る必要もないくらい注目されない場所なのかしら。噂が外には届かないような場所なら、私が不便するかもしれないくらいで済むわ)
そもそもこの屋敷から侍女を選ぶとなれば、誰を選んでも仲良く過ごすのは困難だろう。相手側からすれば、静花に仕えているのに好まない相手に仕えるなど苦痛でしかない。
ならば侍女を伴わずとも構わないと言われていることは、むしろ幸いだ。
雲海が部屋を出た後、彩花も仕事に戻ろうと部屋を出た。
そして、そこで静花に出会う。
「彩花! お父様が無茶を申し付けたと聞いたのだけれどっ……」
息を切らせて駆け寄る静花に、彩花は微笑んだ。
「大丈夫でございます。それより、今後お嬢様にお目通りできる機会はなかなかないと思います。どうか、お身体に気をつけてお過ごしください」
次はいつ恩人に会えることになるのか、むしろ二度と会えないかもしれないと思いながら、彩花は精一杯の感謝を込めてそう伝える。
「無茶だわ、だって、そんな所にあなたを送るなんて……。厳しい生活が待っているかもしれないのよ」
「ですが、ご当主様はもう心を決められております。私の言葉では……」
「では、私がお父様にお話しいたします」
その言葉を止める力は彩花にはない。
ただ、今まで大概のことを聞いてきた雲海であっても、こればかりは聞き入れないのではないかと思ってしまった。
そしてひと月後。
やはり静花の願いは聞き届けられることはなく、彩花は静花として僅かばかりの支度品と共に後宮に出向くこととなった。
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