30話 絵本の騎士 夜明け
夜明けと同時にヴォルフは数人の部下と共に勇者領地へ到着した。
だが、『霧の都』は既に消失しており、目の前の中心街はヒトだけが忽然と姿を消したかのように静まり返っている。
「隊長。魔力反応がありません」
索敵に秀でた部下の報告にヴォルフは腕を組んで街を見る。
「どうやら、全て終わった後の様ですね」
付き人のミレディは風に流れる長髪を抑えながら呟く。
“『霧の都』を直に見ておいてくれ。遠くからでも良い”
それがヘクトルからの任務だ。何の意図があったのかは不明だが、これは明らかに――
「……失敗だな。まぁ、触れずに済むに越したことはねぇが」
「三災害。それを意図して捉える事さえ容易ではないと言う事です」
「追いかけるヤツなんていんのか? 正直言って、無茶苦茶だぜ」
一週間前にこの場所に寄った時はヒトで溢れていた。
更に途中にすれ違った馬車業者の者たちによると王都より23人の救援部隊を運んだと聞いている。それも新兵ばかり……
「王都はまともな判断が出来てねぇな」
恐らく全滅。領地に居た市民も全て悪夢の魔都に呑み込まれたのだろう。
「死体も出ねぇし、何も報われねぇ」
これ以上は無駄だ。ヴォルフ、ミレディは現状は全滅と判断。退却に行動を移す。
「隊長!」
部下の叫びにヴォルフは視線を戻した。
正面を歩いてくるのは、サハリに肩を貸して歩くロイと、何とか歩く事の出来るカーラが先導して歩く様である。
「……今の王都にアイツを抱えるのは無理だな」
ヴォルフはサハリを見て、立派な戦士に成ったと嬉しそうに悟る。そして、三人を保護する部下の後から歩み寄った。
「『霧の都』に綻びが生まれたかもしれません。ヘクトル様」
ミレディもまた、世界でも実例の少ない『霧の都』からの生存者達へ歩み寄る。
彼らが新たに持ち帰った『シーカー』と『ドラゴン』の情報は『霧の都』の危険度を上げるには十分だった。
『霧の都』による勇者領地の被害。
領地内、総市民数約500人、派遣騎士54人、救援部隊23人。
内、生存者――僅か3名である。
『吸血鬼』による『霧の都』の調査記録に更なる情報が追加されるも、攻略の糸口は未だに未解決のままである。
丘に建つ一軒家。ベランダで椅子に座って絵を描く老婆が居た。
彼女は数少ない休暇は家族と暮らした場所で過ごすと決めている。
そして、『地下の庭園』に行く前に兄が言った言葉を信じていた。
“エデンの意思を継ぎ、オレが『ゴート』を討つ。それでようやく父上から王位を受け取れる”
『地下の庭園』の入り口は自分達の国にあり、世界でも一級の危険地帯。
兄は国で一番強かった。数人の信頼できる部下を連れて『地下の庭園』に向かい……まだ戻っていない。
「お祖母ちゃん。ご飯出来たよ」
孫娘の呼び掛けに老婆は筆を置く。
「今日はここまでね」
絵の続きは明日。明後日からはまた責務で忙しくなる。
すると、一人の冒険者の男が現れた。それは孫娘の夫。仕事帰りである。
「陛下――っと、今はお義祖母様の方が良いですか?」
「ええ、そうして頂戴」
老婆は優しく微笑む。すると、男はここに来る際に預かった一つの封筒を手渡す。
「ギルドの依頼で出てたから持ってきたよ。身内って事で依頼料は貰えなかったけど」
「あの子の料理が報酬よ」
老婆はそう言って封筒を受け取る。この辺りでは見ない紋章の入った封筒だった。
国外から? 他国にプライベートで話す知り合いは多くはないけれど……
椅子に座って保護のかかった封筒を開ける。
中に入っていたのは一つのピアス。そして手紙を開いた。
「お祖母ちゃん、どうしたの? ご飯冷めちゃう――?! どうしたの!?」
孫娘は涙を流している祖母を見て思わず駆け寄った。
「誰かが……救ってくれたの」
手紙には老婆の兄――アレンの最期と彼の伝言が記されていた。
「大丈夫だよ……お兄ちゃん……国は私が護ってるから――」
三種強化の同時使用の反動。身体の節々への負荷と立ってられない程の平衡感覚の狂いは遅れてやってきた。
「馬鹿やったわね」
王都にある騎士団本部の病室。
ロイは今回の任務に関する事情聴取を散々受けた後に見舞いに来たジェシカからも悪態を吐かれる始末である。
「相手は『ゴート』だぞ? 『ゴート』! 流石に死ぬかと思った。いや、俺以外なら死んでたぜ」
「……あんた、死ぬつもりだったでしょ?」
「まさか、お前――使い魔で……」
「あんたは分かりやすいのよ。それに……四人の中で一番死にやすい場所にいるじゃない」
本当に心配するジェシカの声にロイは、
「俺は大丈夫だって言ったろ? 聞かせてやろうか? 今回の武勇伝!」
「そんなに元気ならもう良いわね。それじゃ」
そんな彼に呆れてジェシカは立ち上がる。
「おぉい!」
「四人で集まったときに話して頂戴。あたしは今、入学手続きで忙しいから」
手をヒラヒラと振って彼女は去って行った。
「ったくよ……」
「ロイ、お前あんな可愛い子と知り合いなのか?」
幕を挟んで隣のベッドで横になっていたサハリは一部始終を聞いていた。
「前に話したろ? 一緒に暮らしていた家族だよ」
「羨ましい野郎め」
「あの口うるせーヤツのどこが良いんだよ」
「贅沢言いやがって」
傍から見れば二人は過酷な任務に対して気にしていないように見える。しかし、その内には二人とも己の力不足を痛感していた。
「サハリは『黒狼遊撃隊』に行くんだろ?」
「まぁな。元々ソレが目標だったし、それに王都ではもう無茶しても援護してくれる奴らは居ないからな……」
ジガン、サハリ、ノエルはチームを組んで任務に当たる事は多かったのだ。
「お前は王都に残るんだろ?」
「まぁな。知り合いも居るし」
「今の王都の状況はあんまり良くねぇぞ? まだ地方に居た方がいい――」
「理屈じゃないんだよ。俺の夢は」
過酷な状況と力不足を痛感しつつも、ロイの道は変わらない。
「俺の目標はあれだ」
今回の任務で遭遇した黒い騎士。あれが何なのかはわからないが……ヤツが目標に最も近い存在であると感じていた。
「そうかい」
サハリが任務中に感じたロイの迷いはすっかり消えている。
「次に会うときまで死ぬんじゃねぇぞ、ロイ」
「お前もな。サハリ」
戦友の二人は拳を軽く合わせると、各々の道を歩み出す。
数日後。
「あ! 兄さん」
買い物に歩いていたジンとレンは街の広場の掲示板に大きな見出しで張られた情報を見つけた。
そこには、市民達に共有する情報や宣伝が定期的に更新される。今回の、特に目を引いたのは王都の状況と『霧の都』に関する事だった。
「今度会うときに無駄に脚色された武勇伝を聞かされるな」
ジンは数少ない『霧の都』の生存者の欄を見てめんどくさそうに笑った。
『霧の都』が終わった直後。海上を移動する船の客室でゼノンは目を覚ます。
「ゼノン」
「お姉さ……ま?」
ゼノンは一番にナタリアの微笑みを受けて安堵する。
「お姉さま……ハウゼンが……ハウゼンが死んじゃった」
ポロポロと涙を流すゼノンをナタリアは優しく抱き締めた。
「良いのよ、ゼノン。泣いて良いの」
「うぅ……ああぁぁハウゼェェン!!」
ゼノンは抱き締め返し感情のままに泣き叫ぶ。
大切な者の死。痛いほど理解できるナタリアはゼノンを抱きしめながら涙を流した。
「……大丈夫だよ、ハウゼン。君は死んでいない」
ギレオは最後まで己の信念を貫き続けた友に追討を捧げる。
遺志を継ぐ者がいれば死人など居ないのだから――
第二章完