18話 宴 霧の少女
想像力さえあれば、無限の力を発揮できる。
~ジョン・ミューア~
「ヴォルフ、ちょっと良いかな?」
今後の方針を共通認識とした会議の後。
少し休んでから本隊へ戻ろうと思っていたヴォルフは、ヘクトルに呼び止められて、あからさまに嫌そうな顔をする。
「ふはは! そう嬉しそうな顔をするな!」
「いや、マジで無理ですよ。これ以上、仕事を抱えるのは」
「補填の話だ。『黒狼遊撃隊』はこれより一ヶ月の休暇に入って良い。故郷に帰省する者には交通費を支給する」
「個人的には助かりますけどね。さっきの話だと、隣国の動きが強くなるんじゃないですか?」
王の崩玉、勇者の消失、王都の機能停止。
この三つの情報は周辺国の間者に知られ、今頃は各々の国に伝わっている頃だろう。
「隣国の王とは私が話をつける。君たちは存分に休暇を堪能してくれたまえ」
容易く言っているが、他国の一領主が国の王と対談出来る事は極めて異質である。
この辺りはヘクトルの非凡性が鋭く垣間見える所だろう。
「それで何ですか?」
「ん? 私は何も言っていないが?」
「いや、言わなくても解るでしょ?」
休暇の旨を告げるだけなら隣に立つミレディからでも良い。わざわざヘクトルが直接声をかけた理由は厄介な任務を言い渡す為だと理解している。
「ふはは! バレたか! まぁ、大した事ではないよ。休暇前の一仕事として少々『霧の都』へ行ってもらいたいだけだ」
「……特に用事もないのに『霧の都』に行けって命令を出す奴って総じて人でなしですよ?」
「私はそうは思っていないよ。この件を任せられるのは君だからだ。鳥が飛んだからと言って驚く者はおるまい?」
ヴォルフだからこそ、声をかけたのだとヘクトルは彼の実力を誰よりも評価していた。
「……全く、ヒトをやる気にさせるのは上手いっすよね」
「ふはは! 私の長所だな!」
「それで任務の内容は?」
ヘクトルの告げる命令にヴォルフは、
「それだけですか?」
と、少しだけ驚いた。
ゼノンはいつも元気だね。
はい! ゼノンは今日も元気です!
そうか。お前が元気だと私も嬉しい。
えへへ。お祖父様! 今日はとっても綺麗な月ですよ! フランシスを呼んでテラスで紅茶を飲みましょう! ゼノンが淹れます!
それは楽しみだ。
あ、でも……まだフランシスみたいに美味しく出来ないかも……
構わないよ。少しずつ上手くなれば良い。
うん! フランシスを連れて来るね!
ガリガリと、地面を金属が摩れる音が響く。
霧の中を一つの影が進んでいる。
それは遠目から見ればヒトに見える。しかし、彼の姿はヒトと言うには余りにも悲惨だった。
ボロボロの服。両手足に付けられた鉄の枷。視界や呼吸を制限する鉄仮面。枷から伸びる千切れた鎖が地面を這う。
首枷から伸びる鎖に繋がった“錆びた大剣”を手に持ち、それが地面と接触し引きずられる事で音を立てていた。
罪人。己の罪を償うまで手放す事を許されない“錆びた大剣”は彼がどれだけの間、『霧の都』を彷徨っているのかを現していた。
「……ゼノン……」
彼は一人の『吸血鬼』の少女を捜している。
「様子はどうだ?」
「まだ眠ったままです」
『霧の都』の中心部から外れた場所に設けられた騎士団の拠点にて、唯一の生存者である『吸血鬼』の少女は簡易ベッドで横になったままだった。
「確認だが、彼女に見覚えはないんだな?」
「はい。少なくとも身内ではありません。恐らく旅行者が巻き込まれた形かと」
副隊長のハンスはリズレットに少女の身元を再確認していた。
勇者領地では多種多様な種族が往来していた。軽装で歩いていた様子から少女は宛もなく彷徨って居たのだろう。
「ふむ、彼女から情報は得られそうにないが一つだけ解った事がある。『霧の都』では魔物の数はだいぶ減らされたようだな」
何の装備を持たない少女が傷一つなくここまで歩いて来た事はその証明と言っても良い。
「それでは――」
「偵察班が戻り次第、隊の侵入を隊長に打診しよう」
「はい!」
ようやくだ……ようやく、皆を助けられる――
「全て終わったら、私が『霧の都』を破壊します」
「ああ、頼む」
『相剋』を持つリズレットならば可能なことだろう。
その時、何かに反応する様に『吸血鬼』の少女が眼を覚ました。
微睡みから金色の瞳が眠たそうに開く。
「――お姉さま?」
「大丈夫?」
上体を起こした少女は声をかけてくるリズレットに視線を会わせる。
「あなたはだれ?」
「私はリズレット。君は『霧の都』から逃げて来たの」
リズレットは不安にさせないように微笑みながら半覚醒の少女に救出した時の状況を説明する。
しかし少女は不思議そうに首をかしげた。
「……? 何で?」
「何が?」
「何でゼノンは『霧の都』から逃げるの?」
まだ混乱しているのか『吸血鬼』の少女――ゼノンとの会話は変にズレていた。
「少し休ませた方が良いな。他の隊員を連れてこよう」
「たいいん……あなた達は……?」
「私たちは王都の騎士よ。皆を助けに来たの」
「助け……に?」
「そうよ。だから安心して『霧の都』は私がやっつけてあげるから」
ゼノンを安心させる様にリズレットは告げる。するとゼノンは年相当にコロコロと笑った。
「そう……なんだ。お姉さま……ゼノンは見つけました……」
彼女の笑みからリズレットは現し様のない悪寒を感じた。
「ゼノンたちの敵がまだいました――」
ゼノンの右半身が霧に変わる。そこから、音――声が聞こえた。
チッチッチッ――
「!? リズレッ――」
鮮血がテントの中に飛び散る。
「生存者だと……くそ」
部隊長は別の天幕でこれからどうするかを考えていた。
生存者が見つかった事は彼にとってはあまり良い情報ではない。
生存者からの情報で『霧の都』の中心部への進入が可能になってしまえば無用な危険に晒されてしまう。
元より、この救援部隊の指揮官に彼が志願したのは後の地位を獲得するためのものだったのだ。
今、王都は騎士団の総司令も死亡しており、遠征に出ている副司令が急ぎ戻ってきている最中だ。
各部隊長が連携して王都はなんとか形を保っており、後の役職はこの混乱下でどれだけ功績を重ねたかで決まるだろう。
そんな中、『霧の都』へ勇者の身内への救援部隊を率いたと言う事実さえあれば上のポストは手堅い。
「た、大変です! 隊長!」
「一体何だ!」
「魔物です」
部隊長は思わず立ち上がって天幕から出た。