17話 霧と都 生存者
「リア姉」
「なに? ロイ」
夕食を終えたある夜。手記を書くナタリアに問いかけるロイはその手に『騎士王エデン』と書かれたタイトルの絵本を持っていた。
「エデンって実在したんだよね?」
「ええ。多くの逸話を残しているわ」
「一つ気になるんだけどさ、この絵本の最後ってどういう事なんだろう?」
ロイは絵本を広げて、エデンの最期を見せる。
“あらゆる魔物を打ち倒したエデンは国を持たぬ王として大地を駆けました。そして彼は一匹のヤギと契約し、己の死後も聖剣を他者に奪われぬ様にしたのでした”
「ヤギってなに?」
「ふふ」
率直な意見にナタリアは思わず笑う。
「ロイ、それは只の比喩だ」
近くで話を聞いていたジンはナタリアの言いたいことを代弁する。
「ジン、ヒユってなんだ?」
「簡単に言うと例えだよ。ヒトの動きを、風のように流れる、とか言うだろ? アレみたいなもの」
必要な事を言い終えてジンは刻針を使った修練に戻る。
「ジン、それは不正解ですよ」
「え?」
おいおい、ジンよー。と、茶化すロイにナタリアは、こらこら、と彼を諌める。
「そうですね。寝る前に少しだけお話をしましょうか」
そう言ってナタリアは湯浴みを終えたジェシカとレンも集めた。
「よく耳にする伝説や逸話には少なくともその根幹が存在します。創作であるかどうかは少し調べれば分かりますが、『騎士王エデン』に関しては実在した人物であり、彼の物語はその功績を限りなく踏襲していると言っても良いでしょう」
ロイの持っていた『騎士王エデンの物語』を片手にナタリアは四人に説明する。
「この物語の最期、エデンはヤギと契約した、とありますが、これは真実に近いとされています」
「真実に近い?」
ロイはナタリアが断言しない事は少し珍しいと思った。
「エデンの最期は諸説ありますが、最も有力なの『地下の庭園』へ行き、そこで消息を絶ったと言うことです」
『地下の庭園』。初めて聞く単語に四人は興味を抱く。
「『地下の庭園』は世界でも踏破されていない秘境の一つ。その最大の理由は『ゴート』の生息域であるからです」
「『ゴート』?」
「古い言葉ですが山羊を表す言葉です」
ロイはヤギと言う単語に先ほどの疑問が何となく一致した。
「エデンがヤギと契約したってそのまんまの意味だったのか」
「でも、ヤギってあのヤギだよね? 村で放牧されてたメーって鳴き声の」
幼い記憶でも覚えているほどにポピュラーな家畜である。温厚な性格で、村の雑草を食べていた記憶がある。
伝説とは無縁な人畜無害な生物が何故エデンの物語に出てきたのか。
「これは現地に伝わる有力なエデンの最期です。彼の騎士王は当時から呪われているとされている『地下の庭園』へ入り、呪いの元を絶とうとしたのです。しかし、彼は戻らなかった。それどころか『ゴート』によって捕らわれ、その肉が朽ちるまで連れ回されたと言われています」
「エデンは負けたの?」
「はい」
物語では見上げるほどの海獣や山に巣くう魔物の群れ等を、傷一つ負わずに倒すほどの圧倒的な強さをエデンは伝えている。
「彼の名誉の為に当時はその事は伏せられましたが、正確な歴史を伝えるために今ではある程度は伝わる様になっています」
エデンは当時、多くの者たちを奮い立たせる存在として大地を駆け、その偉大な功績を世界中に響かせた。
彼の物語を伝えたのは彼と最も永くいた幼馴染みだったと言われている。
「『ゴート』は古より生きる魔物。現地に住む者たちは『地下の庭園』を進入禁止区域に定め、決して近づくことはないそうです」
コイツが……『ゴート』――
宙に浮く死体。時折、チッチッチッ、とヒトの様な口から音を鳴らすソレは対面したことは無くても本能が警告を発する。
ナタリアから聞いていた『ゴート』の特徴と目の前の魔物は完全に合致していた。
「チッチッチッ」
眼の無い頭部がこちらを向いている。
四人は凍りついた様に身体が動かなかった。目の前のソレが回避のしようがない“死”そのものであるからこそ、本能が動くことを諦めたのである。
「チッチッチッ」
『ゴート』が近づいてくる。ソレはこちらを確実に認識している証。瞬きさえも止まった四人にはなす術もない。
「あ……あ……」
その時、『ゴート』の近くに浮く上半身だけのヒトが声を発した。
死体だと思っていたソレはまだ生きているのだ。
なぜ、上半身だけでも生きているのか?
どうやって宙に浮いているのか?
あらゆる疑問を考える余裕などない程に理性を塗りつぶす恐怖。
四人はこれから『ゴート』にもたらされる最悪の未来が――
「た……助けて……くれ」
その言葉は『ゴート』に連れられているヒトが発した。
「――」
俺が剣を持つ意味――
歩み寄る『ゴート』。硬直する四人。
この中でロイだけが他の三人と違っている事があった。
「チッチッチッ……」
『ゴート』が脚を止めた。ソレは気まぐれか、何かを警戒してなのかわからない。
ただ、ロイ・レイヴァンスが剣を抜こうと握ったのを見逃さなかった。
遥か昔――
騎士王と相対した――
ソイツは敵ではなかったが、その後に来た騎士が――
「チッチッ……ギレオか?」
不気味にも言葉を発した『ゴート』。その単語にロイは――
「今なんて――」
思わず返答しようとした時――『霧の都』に鐘の音が響き渡った。
都市全体に反響する鐘の音は、心地よいモノではなく何かを警告するように耳障りな音を辺りに響かせる。
「……」
鳴り響く鐘の音に四人は思わず耳を塞ぐ。
『ゴート』はあからさまに不快な表情で音の発生原の方を見ると、四人に背を向けて霧の中へ消えて行った。
その鐘の音は中心部から離れてた所に設けられている騎士団の拠点でも聞こえていた。
『霧の都』の現存する情報では、鐘の音など記録にはない。
一体、何が起こるのか……
その場にいる騎士団は皆が不安に駆られる。
「……」
次々に変わっていく状況をリズレットは歯痒く思っていた。
見えない霧の向こうに大切な人達がいる。私がシラノから『相剋』を学んだのは何のためだったの――
「駄目ね」
やっぱり、自分も偵察班に加えてもらおう。今から追いかければ間に合うハズだ。
リズレットはその旨を進言しようと隊長のテントへ踵を返す。
鐘が鳴り止み。その時、霧の向こうから何か来る気配を感じ取った。
「……誰?」
見張りをしていた他の騎士も警戒する。想像を越える怪物が跋扈する都。何が現れるのかわからない。
気配は徐々に鮮明になり、その姿が現れる。
「おじいさま……」
現れたのは青白い肌と犬歯を特徴に持つ『吸血鬼』の少女だった。
彼女は簡素なワンピースだけを着て、目の前でふらりと倒れる。
「! 生存者よ!」
リズレットは彼女に駆け寄り抱き起こす。かなり弱っており身体に全く力が入っていない。
「リズレット、知り合いか?」
「知らない子です」
騒ぎに気づいた副隊長が駆け寄る。
リズレットは領地にいる全てのヒトを把握しているわけではない。
少女の首に下げているペンダントがこぼれ出る。
「これは……彼女の名前か?」
副隊長はペンダントと彫られたメッセージを読み取る。
『愛する我がゼノンへ。ゴールドマンより』
少女の出現によって注目がそちらに集まる。
故に誰も気づかない。
自分達の上空にいつの間にか“光”が現れていたことに――