7話 貴方は一人じゃない 彼の視る世界
知識とは、天に飛翔するための翼である。
~シェイクスピア~
七色の光が淡く周囲を照らす大樹の根本でジンは眠っていた。
他の三人が健やかな寝息を立てているにも関わらず、彼だけは首を絞める様な悪夢にうなされていた。
そして、悪夢が現実へと意識を強制的に覚醒させる。
呼吸は荒く、胸が苦しい。どんなに息を整えても終わりなく走り続けているように楽にならない。
眠っている他の三人には心配を掛けまいと声を出さなかった分、内に閉じ込めた不安は更に大きくなっていた。
「ジン」
その時、ナタリアが声をかける。うなされていた彼の様子を案じ、起こそうとしている所だった。
「ゆっくり呼吸して」
「……誰も……オレを助けられない。あの世界では……オレは……一人なんだ」
彼の感情に呼応するように相剋が発動する。己の丈に合わない力が理解も制御もままならず、暴走しているのだ。
「この『相剋』は貴方の一部よ」
「無理だ……オレじゃ……コレを制御できない。皆といると全部……巻き込んで――」
「一人で居ようとしてはダメ」
相剋の影響が出始めつつも、ナタリアはジンを抱きしめる。
彼の状態は宙に浮いた風船と同じだ。とても不安定で手を離せば、そのまま風の流れるままに二度と戻る事は出来ない。
ナタリアはソレが分かっていた。世界に呑み込まれようとしているジンを決して離さなかった。
「泣いていいの。貴方はまだ子供なんだから」
優しい声色と何があっても手を放さない温かい意志。ジンは心の安定をナタリアに預けた。声もなく涙を流し、恐ろしかった悪夢に震えて彼女を強く抱きしめ返す。
彼の恐怖から発動していた相剋は知らず内に停止していた。
「ジン、これをあげる」
寝付けなくなったジンにナタリアは一つの箱を渡した。それは防腐加工のされた少しだけ高価な木箱。受け取った子供の掌には少し大きく感じる。
「本当は皆の誕生日に一つずつ渡そうかと思っていたんだけど、誕生日には別の物を用意するわ。他の三人には明日渡しましょう」
開けてみて。という彼女の言葉にジンは箱を開くと、その中には三本の針が入っていた。布を縫う針にも見えなければ、頑丈なモノを掘る道具にしては華奢な道具である。ジンには何なのか分からない。
「これ何?」
「これは、ほんの少しだけ世界を良くするための道具」
「これが?」
不思議そうに質問してくるジンにナタリアは微笑む。
「世界が変わる時というのは、今までに無かった技術を深く取り入れる事で起こるの。しかし、世界を進め過ぎる技術はそれだけ、終わりへと近づけてしまう」
ナタリアは懐かしむように道具の事を教えた。
「この道具の名前は“刻針”。これは少しだけ物事の側面を理解するためのものだった」
「……だった?」
「世界の理解が追いついてなかったの」
当時は豊かだったから、しょうがないのです。と当事者にしか分からない様子でナタリアは語る。
「ジン、物事を正面から捉えすぎてはダメ。貴方は相剋を恐ろしいモノだと思っているけれど、そうじゃないの」
「……でも。オレは――」
「起こってしまった事は変えられないけれど、ジンはソレがいけない事だったと理解しているわ。だからこそ、一人で抱え込まないで」
ナタリアは箱を持つジンの手に自分の手を重ねた。
「これから貴方が歩んでいく人生はとても広い世界なの。一人で考えてしまうと回り道になってしまうわよ」
貴方は一人じゃないのだから――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
マリーの手伝いとして彼女の後に続いたジンは目的地に着くと同時に驚いた。
場所は西門の外側。領地内に続く道にも関わらず警備が厳しい。
武器を持つ門番が三人も居り、入場者をチェックしている。
マリーは門番に一言かけてその脇を抜ける。その後にジンも続くが特に何も言われなかった。
「出る際には特に何もないのか」
大したものではないとは言え、荷物を持って出ると言う行為に注意もチェックも無いことに違和感を覚える。
「こっち」
そんなことを考えているジンをマリーは誘導する。彼女に誘われて西門から少し歩くと人の気配が感じられる。
「こんな所が……」
それは浮浪者たちが集まって出来ているスラム集落であった。
ジンとレンは東門から街に入った為、スラムの事は全く知らなかった。まるで、汚いものを隠すように門から離れた所に簡易な柵で囲まれている。
「こっちに持ってきて」
マリーはスラムの中まで歩く。すると長蛇の列が出来ていた。その先頭から食欲を誘う匂いを感じとる。
見ると食事の配給を行っているようだ。
先頭には簡易テントが設けられており、配給と調理を同時に行っている。
「レヴ。食材を買い足して来たわ」
「遅かったな、お嬢。誘拐でもされたのかと思ったぞ」
「街の中は兵士の人も多いから大丈夫よ。それと材料は安く譲って貰ったけど、傷んでる所があるからその部分は切り落として使って
ちょうだい」
戻ってきたマリーから一人のメイドが食材を受け取った。
金色の髪に赤い瞳と慣れ親しんだ雰囲気を連想させる彼女がそこにいた。
「! ナタリ――」
ジンはメイドを見て恩師の名前を口にしかけた所で間違いに気がつく。
面影はあるものの、ナタリアと断言するには少しばかり幼い表情をしていたからだ。
「ん?」
メイドはジンの視線に気づき、彼の手に持った食材とマリーを見て、
「お嬢。産まれ持った三白眼はついに人を使役する魔眼に進化したか。見知らぬ少年に荷物を持たせるとは……やるな!」
「違うわ。彼の方から手を貸してくれたの」
あ、これは違うな。
雰囲気や口調からもナタリアではないとジンは確信した。
「少年、誤解しないでほしい。お嬢に悪気はないし、怒ってもいない。本当に良い女なんだ。だから嫌いにならないで欲しい」
「あ、いえ。別にオレは――」
「言うな。皆まで解っている。お嬢の三白眼は初対面に効く。これまで何人の年下が泣きわめいたことか……」
そんなメイドからの扱いに慣れているようにマリーは嘆息を吐くと、はいはい、とメイドを紹介する。
「彼女はレヴナント。色々と手伝ってもらってるの」
「よろしくな少年。ちなみにレヴはただのメイドではないぞ。バトルメイドだ!」
「は、はぁ……」
聞き慣れない単語に対して返答に困っていると、マリーが助け船を出した。
「ジンくん、ありがとう。ここからは大丈夫よ。レヴ、彼を街中まで送ってくれる?」
「まかせとけ」
「……いや、一人で大丈夫だ」
正直、ナタリア似のメイドには驚いたが、似た姿をした存在は世界に三人はいるとナタリアから聞いている。
「遠慮するな、少年。治安が良いのは目に見えてる所だけだ。角を曲がれば頭に袋を被せられて国外に拉致されるぞ」
「凄まじく飛躍した解釈だな……」
「最近はマスターの権限で、ある程度は掃除された。しかし、それでも目を掻い潜るクソ共も多い。レヴは見つけ次第、アンダーへルに送ることを許されている」
「……色々と情報量が多くて聞きたいことがいくつかあるんだが質問していいか?」
「どーぞ」
ジンはスラムの様子を一瞥して当然の事を尋ねる。
「この場所はなんだ?」
「見ての通り、この街の掃き溜めだ。落ちる者や他から流れてきた者が身を寄せる」
「……それを領主は容認しているのか?」
「当然だろう。今は人手不足から対応が後回しだが、いずれは誰もがいなくなる」
レヴナントからの返答にジンは改めて何を廃する必要があるのかを再認識した。
何も変わらない。何も変わっていない。だったらオレが――
色の違う右眼が己の『相剋』を視認する――