ニールからの依頼
ウィズリーの屋敷を出たニールはまだ明けぬ夜の闇に紛れて街を離れた。
全身に受けた傷を一刻も早く治療する必要がある。
聖務監督官のシンディが介入したのだから追っ手が来ることはないと思うが、それでも安心はできないのだ。
街を離れたニールは街道沿いの草むらに隠れたところで緊張の糸が途切れて立ち上がることも出来なくなった。
「はったりもこれまで、というか・・もう無理だ・・・」
サイモンがニールを生け捕りにしようとしていたおかげか、全身傷だらけだが、辛うじて致命傷は無さそうだ。
強いて言えばサイモンに受けた不意打ちの背中の傷が思いの外深い上に、全身の消耗が激しく、このまま消耗が続けば命も危うい。
ニールは這いつくばりながら雑嚢から取り出した傷薬と回復薬を使う。
ニールに限らずソロの冒険者は万が一に備えて持つ薬等への金は惜しまない。
ニールが使用したのもギルド提携の店で買える上級品だ。
血止めには成功したが、消耗により意識を保てなくなってきた。
(このまま無防備に意識を失うのはマズい)
ニールは護衛に斑大蟷螂を放つと共に紙を取り出すとギルドへの救援依頼を書き込んでそれを風切蜂に託した。
風切蜂の速度ならこの場所から草原の都市まで夜明け前には到着する。
ギルドが冒険者を手配して救援に来てくれるのが早くても夕刻だろうか。
「まあ、私の救援を引き受けてくれる冒険者がいるかどうか・・・」
自虐的に笑うニールだが、そこはあまり心配していなかった。
「彼等ではちょっと頼りにならないけれど・・・いや、助けを呼んでおいて失礼だな・・」
草むらに隠れたニールは救援が来てくれることを信じて意識を手放した。
草原の都市の冒険者ギルド職員であるメリッサの朝は早い。
戦いの心得の無いメリッサは宿直の無い日勤の職員なのだが、定められた出勤時間の1刻以上前には出勤して宿直勤務の職員からの引き継ぎを受けてその日の仕事の段取りを進め、業務開始半刻前には全ての準備を済ませる。
その後はお茶を煎れ、家から持ってきたパンにギルドの机の引き出しに入れてあるニール印の蜂蜜をかけてホッと一息、本日の仕事へのモチベーションを高めるのが彼女のルーチンだ。
しっかりとした性格のメリッサは自分の決められた手順が狂うのを嫌うのだが、その日は違った。
妙な胸騒ぎを感じて夜明け前に目を覚ましたメリッサは身支度を整えると普段よりも2刻程も早くギルドに出勤したのだ。
宮廷占術師をしていた祖母の血を引いているせいか、メリッサの勘はとても鋭く、よく当たるし、メリッサ自身もその勘を信じている。
ただ、メリッサの能力はあくまでも勘の域を超えないものなので、祖母のような占術の能力までは持っていない。
今日もその勘を信じて出勤したメリッサがギルドの扉を開くと、それを待っていたかのように1匹の蜂がギルド内に飛び込んできた。
風切蜂は大毒狩蜂程大きくはないが、蜂としては大型で、そんな蜂が建物内に飛び込んでくれば、通常はそこに居る者は混乱し、蜂を追い出すか、駆除しようと思うものだが、風切蜂に真っ先に気付いたのはメリッサだ。
彼女は蜂が紙片を抱えていることにいち早く気付き、ニールの蟲だと判断した。
「ニールさんの蜂です・・よね?」
メリッサも普通の女性であるが故に蟲を嫌悪するきらいがあるが、ニールが蜂を伝令として飛ばしたならば、ただならぬことが起きている。
恐る恐る手を差し出すと蜂はメリッサの手の平の上に紙片を落とし、その指先にとまった。
紙片を開いてそこに書かれていた内容を読んだメリッサの表情が固まる。
「ニールさんが・・・」
そこに書かれていたのはニールからの救援依頼だった。
仕事で負傷して動けず、自力での帰還が困難になっている。
1万レトの報酬を出すので救援に来てほしい。
との内容だ。
メリッサは冒険者としてのニールをよく理解している。
地道で真面目、慎重と大胆さを兼ね備えたニールが救援を求めているのだからただ事ではない。
メリッサは直ちに救援の冒険者を手配しようとしたが、時間が時間だ。
まだ冒険者がギルドに顔を出す時間帯ではない。
メリッサは逸る気持ちを抑えて冒険者が現れるのを待ったが、そこからが大変だった。
ニールの仕事は終わっているようなので、それを迎えに行くだけの依頼だ。
道中での魔物との戦闘の可能性はあるが、その危険性に比べて示された報酬は1万レトと破格の値段にも関わらず、蟲使いニールの依頼というだけで誰も引き受けてくれないのだ。
多くの冒険者に断られるメリッサが途方に暮れていた時、ようやく依頼受諾を申し出た冒険者がいた。
戦士と神官のペアの冒険者、アベルとクレアだ。
申し出はありがたいが、経験の浅い白等級冒険者であることが引っかかる。
最近の2人はニールのアドバイスを受けて都市周辺の薬草採取や地下水道の魔鼠退治等の地味な依頼を積極的に受けて経験を重ねてきたが、今回の救出護衛依頼は彼等には荷が重い。
ニールが負傷して動けないことを考えれば癒やしの祈りの力を持つクレアの存在は貴重だが、危険性が少なく、一般の旅人等も往来する街道を迎えに行くとはいえ、魔物達に遭遇する可能性はある。
そんな危険があるのだから金の無い者は襲撃に怯えながら旅をするし、金がある者は冒険者等を護衛に雇うのだ。
それ故に今回のニールからの依頼は中級程度の冒険者に頼みたく、戦闘経験の少ない白等級の2人を投入するのはニールとアベル達の双方に危険が生じる。
ニールのことは気掛かりだが、そのために等級に見合わない依頼を斡旋することは躊躇われるが、他に受けてくれる冒険者もおらず、何よりもアベル達が受諾すると言って聞かないのだ。
「メリッサさん!ニールさんが危ないならば俺達が行きます!」
「私の祈りでニールさんを助けます。必ず一緒に戻ります」
ここまで熱心に望まれれば後は自己責任の範疇だ。
時間も無い、メリッサが依頼受諾の手続きを進めようとした時
「あの、私でよければご一緒します・・・」
控えめの声の主はたった今、他の依頼を終えて戻ってきた魔法剣士のセルマ・コネットだ。
「ニールさんの危機と聞いては私も黙っていられません。報酬は私が3、貴方達2人が7の配分でよければご一緒します」
奇しくもニールに助けられた経験を持つ冒険者3人が集まった。
メリッサにすれば紫等級のセルマが同行するならば申し分ない。
「いや、一緒に来てくれるならば報酬は5、5で良いです。むしろ、俺達が3でもいい。俺達はニールさんを助けたいだけなんだから」
アベルの言葉にクレアも頷く。
「ニールさんを助けたいのは同じです。それに私は後から割り込んだのですから、私が3で十分です。何なら私は報酬無しでも・・・」
双方ともに命掛けで依頼に当たる冒険者としては甘すぎるが、それぞれの言い分を聞いたメリッサが割り込んだ。
「時間がありません。報酬は人数と実力を勘案してアベルさん達が6、セルマさんが4です。これで良ければ直ちにニールさんの救援に向かってください。ニールさんの居場所はこの子が案内してくれます」
そう言ってメリッサが指差したのは自らの頭の上。
メリッサの頭に落ち着いて羽を休めている風切り蜂だ。
アベル達もセルマもニールの一大事と聞いて全く気付いていなかったが、ニールの伝令の風切り蜂はずっとメリッサの頭の上にとまっていたようだ。
メリッサはアベル達が見失わないように風切り蜂に色の着いたリボンを持たせた。
「この子についていけばニールさんの居場所にたどり着けます。時間がありません、急いでください」
報酬を3人で分ければ3、3、4になるが、経験と能力を考慮してセルマが4、だが、パーティーとして見ればアベル達が6と割が良い。
メリッサの公平な仕切りで依頼を受けた3人はギルドを飛び出して行った。




