接触
ウィズリー家の屋敷がある街に潜入したニールだが、そこは街というには規模が大きく、人々で賑わっていた。
街の住民だけでなく、旅商人や旅人、冒険者の姿も多く、ニールが入り込んでも誰も気にも留めていない。
ニールは今回、あらゆる事態を考え、その腰にはそれぞれに蟲が潜んでいる4つのポーチを取り付けてきたが、その内の1つはすでに空だ。
街に入る前に風切蜂5匹を放って情報収集に当たらせている。
他に新しく仲間になった斑大蟷螂もついて来ているが、これはニールの肩が定位置だと決めたとしてポーチに入りたがらないのだ。
ただ、街に入ってからは肩に乗っていると目立つのでマントの内側に潜り込んでいる。
時刻は夕暮れ、ニールは街の大衆酒場に入り、喧騒に耳を澄ませていた。
商人や冒険者達の情報交換、街の住民達の他愛のない愚痴から自慢話が飛び交っている。
ニールは常人とかけ離れた蟲使い特有の能力を有している。
それは不規則で素早い蟲の動きを見逃さずに捕捉し続ける動体視力と、様々な蟲の声を聞き分ける聴力だ。
そんなニールにしてみれば、酒場の喧騒の中での人々の会話の声を聞き分けるなど造作もないことである。
「西の街道に野盗が出るって話しだが、被害は・・・」
「・・・・今年は不作だから小麦の値段が上がっているな」
「最近は魔物の討伐依頼がやたらに増えて・・・」
「・・・の家で5人目のガキが生まれたらしいぜ」
「領主様の容態はどうなんだ?」
「・・・店の売上が・・・」
「ローレンス様が代行しているが、芳しくないのかな・・・」
「・・・お手並み拝見とさせていただきますわ」
「最近ではローレンス様の姿も見ねえな」
1人で酒と食事を取りながら情報を集めるニール。
(私を監視している者がいる?牽制か・・・)
「そんなことはありませんわ。ただ興味があるだけです。貴方の仕事のお邪魔はしません」
声の主は女だ。
ニールが店内の声に耳を傾けていることを承知の上で喧騒に紛れてメッセージを伝えてきている。
(ロレッタさんが言っていた、聖務院か?)
ニールが店の中に視線を巡らせたが、対象は巧みにニールの死角に移動している。
ニールも目立ちたくはないので殊更に探し出そうとはしない。
「今日は声のご挨拶だけですの。ごきげんよう・・・」
声の主は人混みに紛れて店の外に姿を消した。
(こんなに早く接触してくるとは以外だったな。敵か味方か・・・味方ではないな。妨害してくるかどうかというところかな・・・)
1人でほくそ笑んだニールはその後も店の喧騒に耳を傾け続けた。
街の宿を確保したニールは翌日の昼前に人が出始める時間を見計らって行動を開始した。
街の中をぶらつきながら人々の会話に耳を澄ませる。
「道具屋はこの先だよ・・・」
「・・・で、また隊商が襲われたって?」
「ウィズリーの屋敷に見慣れない連中が出入りしているな・・・」
「・・・は屋敷への納品も減っているって話しだな」
「旦那様の具合が悪いのかね・・・」
疑わしい情報ばかり集まるが、今のところは人の噂の枠を超えないレベルの話しだ。
ニールの放った風切蜂もまだ屋敷には潜入させていない。
街の内外の様子の偵察と、屋敷に出入りする者の監視に留めていた。
敵が悪魔だとして、どの程度の力を有しているか分からないのだ。
場合によっては蟲の存在を気取られる可能性もあるのだから、今はまだ無理をせず、慎重に行動する。
ニールは街を出て、小高い丘の上から街並みを見下ろした。
街の外れに一際大きな屋敷があるが、それが領主の館だ。
偵察に放っていた風切蜂を集めて情報を集約してみれば、ローレンス・ウィズリーへの疑惑が更に深まる。
屋敷には人に扮した人ならざる者が出入りしている。
夜毎に家畜の死体が屋敷に運び込まれている。
領主もその息子も全く姿を現さない。
街に潜入して僅か1日でそれだけの怪しい情報が集まった。
「こうなると、依頼の内容に虚偽は無さそうだ。あとは敵の具体的な強さか・・・。強引かもしれないが、動いてみるか」
ニールは丘の上から屋敷の外観を観察し、記憶する。
今のところニール自身は屋敷に潜入するつもりはない。
全て蟲達に任せたいところなのだが、敵の能力が不明な以上は必要に応じてニール自らが敵に対峙する必要はあるのだ。
仕事が上手くいくかどうかは分からないが、どちらにしても逃走経路の確認はしておかなければならない。
ニールは行動開始のタイミングを今夜から明日の未明にかけてと決めて街に戻ると、再び人々の声に耳を傾けながら逃走経路の確認を行った。
最短距離で逃げられるルート、距離は伸びるが比較的安全なルート、敢えて危険が多いルートと複数のルートを考え、頭に叩き込んだ。
今夜で決着がつくかどうか分からないが、行動を開始したならば途中で止まることは許されない。
ニールは暗殺依頼受諾の覚悟を決めた。




