怒り震える矮小な存在。
怒りは何処だ!
後書き。少し冷静さと客観性を欠いていました。
後書きの後書き。あらすじ面白いので一読してみて下さい。
前書きの後書きの後書きの後書き。あらすじの後書きの後書きの後書きは意味が無い内容です。
酒を飲んだ。鼠は酔う。怒り震えながら鼠は酔う。高みにいるものが、鼠を見下ろして、諭す。怒りの先には悲しみしかないと。
此処は、平和な国。法律が殺戮を禁じ、社会の常識やルールが暗黙の了解が蔓延る国。猫が鼠を食わぬ国。目の付かぬ所で鼠を処分する国。穢れなき姿を保とうと皆で力を合わせてあくせくと頑張る国。沈黙の元に死骸を一掃する国。
邪魔者は排除する国。異端者は、改宗させられる国。古今東西覆らぬ戒律。人の生きる道。
ボロボロの鼠は、許せなかった。ボロボロのままで生きなかった鼠を。生まれ持った強靭な肉体に胡座をかいて、見下す鼠を。
普通に生きろ。せめて普通のふりして生きろ。乱すな隊列を。
お前は、可笑しいぞ。そう笑っていた。
其れを何と言うのだろう。そう言う鼠に噛みつくことは、間違っているのだろうか。己を愛する行為では無いのか。
鼠には、分からなかった。只、怒りだけがそこにあった。
何故、黙って見ていられない。何故、ほっとこうとしない。
それは、自分も同じであった。両者は、互いに相手を認めてはいなかった。
嘲笑うものから、どうして学ぼう等という気持ちになろうか。
相手の好意であっても、どうしてそんな態度を素直に受け取る事が出来ようか。
それは、己を傷付けることに過ぎない。ならば、鼠は噛み付く。
何度でも。何匹で来ようとも。
鼠がしたいことは1つだ。己だけが辿り着ける餌場に辿り着き、己れ一人で満足したいのだ。それが高みだ。それが自己証明であり、
唯一鼠が一人ぼっちに成らぬ手段だ。
其れを目指した年老いた鼠が、それは間違いだとさとす。嫌、それが間違いだと鼠は言う。何故なら、貴方と私の進むべき道も、歩く道も、来た道も違うからだ。例え、正しくても貴方もこの道を進んだのなら、私も進む。
答えは、自分で手に入れる。それが人生だ。
それじゃあ、人間は進化しない。永遠に苦しむ事になると貴方は言う。
脳みそで理解する事と経験として理解する事は大きく違う。少なくとも、私は分からず屋の一味だ。
何故、皆がそうだからと、当たり前だからと納得出来るのか私には分からない。其れが馬鹿というなら、そう言えば良い。
今、私の立つ位置は、私の意思で立っている。勿論、色んな事に流されてきたが。
まぁ、ちょっと馬鹿っぽい文章に為ってしまっているが、此れが私だ。
私は、別に誰のせいにもしない。そのために、怒るときに怒り、泣くときに泣く。本当に、人から見たら哀れな人間だ。
でも、其れを毎日噛み締めて泣き晴らす今は、苦しくても充実しているように感じる。そういったら、嘘になるかな。
所詮、この世に生まれ、人より劣る部分が多々ある人間がもがいた人生にしかならない。やはり、誰かの、何かのせいにして生きてきた人生を後悔して生きている今にしか為らない。
しかし、それを嘲笑う者を、少なくともただ若さ故に嘲笑う者を傲慢だと罵る私は、傲慢だが、甘えだが、他人にそうあって欲しくないという気持ちは愛ではなかろう。
それを誰が教えてくれるのか。私では無いな。今思った。
若さ故というのも傲慢な見方だ。私も同じような者だ。
自分より劣る人間を嘲笑って来て、何もして来なかった今誰も嘲笑えなくなり、立場が逆転しただけだ。
情けない男がそんな時、思う情けない一言を聞いてくれ。
『大人だって弱いんだよ。私だって傷付くんだよ。』
何て傲慢で愚かな言葉だろう。涙さえ引いてしまったわ。
この言葉をずっと胸の中で呟きながら、怒りと悲しみに打ち震えていた時期がある。
いつまでも、只泣いていたい、一生弱者に寄り添おう、弱い人間で居続けよう。そう思って泣きながら過ごした今日の私は、やっぱり愚かだった。
カタルシス大好き人間に為ってしまいました。
少し、落ち着きました。
あまり、攻撃的な事は慎みたい、でも、違う意見を拝見するのは、刺激になります。
後書き。此れからは、もう少し、一歩引いて見るよう心掛けたいです。酒飲んで投稿するのも良くないですね。
後書きの後書き。前書きの前書きで書いた内容からして、あの人が私に対してしたと思い込んだ行為も、面白いな、コイツ!ということだったのかもしれない。そう思いました。そうすると、話しはややこしくなりますね。それを攻撃と勝手に捉えたわたしは、心が狭くなっていたという訳ですね。しかし、じゃあもう大丈夫か、心が広くなったのかと聞かれれば、返答に困ります。
後書きの後書きの後書き。前書きの後書きの後書きのの後書きは、意味の無い内容です。あっ相撲は回しでお願いします。