知っていたよ
小さい頃の記憶はあまり残っていない。
意図的に封印しているのかもしれないが、真偽はわからないのだ。
それでも日々の生活に不自由はなかったし、人並みの生活は送れていた。
就職活動という単語が周囲を飛び交い始めた時に、今後についてずっと悩んでいた。
両親は鬼籍だったものの、これからどのように生きていけばいいのかわからない。
いつものように彼に相談をした。
どんなときも笑顔で優しく見守ってくれている彼は、自分が進みたい道を選べばいいと穏やかに言う。
気が付いたときには彼がいつも傍にいてくれた。
悩んだり落ち込んだ時には励ましてくれる貴重な存在。
一緒に出掛けることも多かった。
周囲の人には不思議そうな顔をされることもあったけれども、気にすることはなかった。
いつまでも甘えててはいけない。
相談というのは、概ね自分の中で答えが出ていることが多い。ただ、背中を押してほしいだけなのだ。
今回もそう。
大学を卒業すると社会人だ。いつまでも彼にばっかり頼ってはいけない──
自分の選択を力強く伝えた。
彼は微笑んだ。そしてこう言葉を残した。
「それでいいんだよ。申し訳ないけれど、僕はもう傍にはいてあげられない。それぞれの道を歩み始めるんだからね」
わかってはいた。
そんな雰囲気は少し前から感じ取っていたのだ。
だからこう答えた。
「うん、今まで本当にありがとう」
以後、彼と会うことはなかった。
でも薄々気づいていたんだ。彼はこの世に自分という未練を残して死んでいった父親であるということを。
見た目も若々しかったし悟られないようにしていたのかもしれないけれども、その眼差しは優しく時に厳しい父親のものだったから。
ありがとう、お父さん──