『世界最強』と『世界最弱』
大きな岩が転々としているだけの何も無い荒野に一人の人間がいた。
彼は通称、世界最強『加挙不知』。
彼は一度も、勝負に負けたことが無い。
彼は何も喋ってない。腕を組んでただ立っているだけだ。
しかし、明らかに圧倒的な威圧感を感じる。百獣の王の貫禄。程度ではなく、飛行機か何かのエンジンを目の当たりにしているような、いや、それでは生温すぎる。ふざけているように聞こえるかもしれないが、辺り一帯を一瞬で焼き尽くすようなエネルギーがその人間に詰まっている。そう思えてならない。
どこからか、一人の人間が歩いてきた。
彼は通称、世界最弱『愛世是識』
彼は一度も、勝負に勝ったことがない。
歩きながら何度も立ち止まりおどおど、きょろきょろとしている。時折何もない場所で体をびくっと震わしながらだ。どれだけ臆病な草食動物でも、ここまで弱々しくは見えないだろう。指でちょこんと押しただけで倒れて死んでしまいそうだ。この年齢までどうやって生きてきたのだろうか。
これ以上ないくらい対象的な2人だ。
不知は、是識にゴミを見るような視線だけを送り、何事も無かったかのように踵を返して去っていった。
世界最強の男が世界最弱の男に興味が無いのは当たり前の事だろう。
そして誰しもが無事だった健気な命を見て、アーメンと唱えたことだろう。
しかし、去ろうとする不知の肩を是識は掴んだ。
「僕と勝負しましょう。」
肩に置かれた手は震えていた。
不知は立ち止まり、振り返らず返事をした。
「どんな勝負だ?」
是識は笑顔で答えた。
「簡単な勝負です。今から闘って、相手を倒したほうが勝ちです。でも...」
ガチリと、歯を勢いよくあわせた音と鈍い打撃音が同時に聞こえた。瞬間、是識の体が宙を舞った。
不知の拳が突き出ている。
不知の目に光は灯っておらず、遥か遠くを見つめていた。
不知は拳をおろし、そのまま歩き続けた。
少し遅れて是識の体がドサッと落ちてくる音が聞こえた。
「ひどいですね。」
聞いただけで、顕著な性格がわかるか細い声。是識だ。
不知は体ごと振り向いた。
ちょうど是識が立ち上がっている所だった。
「人がまだ話している途中なのに。」
もの凄い力で殴られたはずの顎は、正常に上下に動いていた。
不知は驚いた表情を隠せなかった。が、直ぐに真顔になった。
「お前は『世界最弱』だと周りの人間から聞いていたが、それは嘘だったのだな。普通の人間でさえ、さっきのをまともに食らえば死んでしまうだろう。『世界最強』の俺の不意を突き、俺を倒すつもりだったのだろうが、それも無駄に終わってしまったな。」
是識はまた笑顔で答えた。
「ああ。確かに『世界最弱』というのは正確ではありません。僕は『一度も勝った』事がないだけです。」
是識はそう言い体を捻った。
不知が何事かと思った時。不知は既に中空にいた。
腹部になんとなく鈍痛を感じる。
気がつけば不知は地面に仰向けで倒れていた。
是識の声が聞こえてきた。
「硬いですね。不知さんは。でもぶっ飛ばす事ぐらいは容易でしたね。」
不知は起き上がるとその光景に絶句した。
景色が変わっていたのだ。
最低でも一キロは飛んでいたと、考えざるを得ない。
当たり前だが普通の人間ですら、こんな力はない。
不知は驚いた表情をしながら腕を組んだ。
「ど、どういうことだ...?いや...いい。いつもどおり俺は最強だ!!この勝負は俺が絶対に勝つ。」
不知がそう言った。
すると、不知の姿が消え突風が起きた。
彼は土煙とともにいなくな...現れた。
気がつけば不知は是識のすぐ目の前にいた。
不知が拳を突き出しているが、是識の掌で受けとめられている。
ならば、と不知が反対の腕を伸ばした。是識の掌がその行く手をさえぎる。
すると、不知が体を捻った。
不知の突き出した拳が方向を直角に変え、是識の掌から逃げるように不知の体に円を描いた。そのままの遠心力で拳は是識のギリギリ頭上を通り抜けた。
間一髪で是識がその裏拳を回避していた。
不知の口角が上がった。
不知の回転はまだ止まっていない。
何かとてつもないものが一閃。それが裏拳の後を追った。
音は無かった。
ただ、その線上には是識の頭があったはずだ。
遅れて音が聞えた。
シュインと、吸い込まれてしまいそうな音だった。
きっと彼の首は空気ごと切り裂かれたのだろう。
しかし、不知は「やってやったぞ」と言うにはふさわしくない表情をしている。
彼は目を大きくして歯を食いしばっていた。
あの回転を利用して振りきった、渾身の後ろ回し蹴り。
その踵に手ごたえが無かったのだ。
そして事実。眼前に拳が迫っている。
「(体を捻ってかわす...否!回転の勢いが止められない!だとしたら、もう一回転して返り討ち...否!その前に当てられる!それなら!!)」
そんな考えは無駄に終わった。
不知の顔に拳が沈む。
不知の体はなさけない回転をしながら、放物線を描き岩壁に叩きつけられた。
「やっぱり凄いですね不知さん。僕はあんな戦い方思いつきませんよ。かっこいいですね。」
是識は笑顔で土煙を見ている。不知がぶつかった場所だ。
カチカチコロコロと石が落ちる音が聞こえる。
おそらく岩の一部が砕けたのだろう。
暫くして、大きな笑い声が聞こえてきた。あまりに大きな笑い声で鼓膜がビリビリする。
土煙が薄くなり不知の姿が見えた。彼の体は壁に埋まっていた。そして歯をむきだしにし、満面の笑みだ。すこし吐血しているが気にとめていない。
「そういうことか!やっとわかったぞ!是識!」
不知はそう言うと岩壁をぱらぱらと崩しながら出てきた。
そして腕を組み顎をあげた。
「お前は『一度も勝った』事がないと言ったな!?だとしたら、俺の仮定はこうだ!!まず、お前は本当に絶対に勝負に勝つことができない...!!だからお前は『倒したら負け、倒されたら勝ち』というルールを、自分にだけ定めて闘った!!そうすることでこの勝負には負けるが、俺を倒すことはできる!!無茶苦茶だが、世界最強の俺様と対等に闘うにはそれぐらいしか考えられんっ!!」
是識はそれを聞き、目を見開き、口をぽかんと開けていた。
その表情は次第に微笑みに変わり、すぐさま返事を返した。
「正解ですよ。不知さんすごいです...!でも、世界最強の不知さんには簡単すぎましたかね。」
是識はそう言いながらくすっと笑った。
「僕は何故か絶対に負けるんです...。これのせいで困ることだらけなんですよ。下手したらコロッと死んでしまいますから。だから今のように、上手く『負けて』きたわけでして...こうして今もギリギリ生き続けているんですよ。」
是識は苦笑いをしながら話していた。
不知がフッと鼻で笑った。
「そうか、では強すぎる力に馴れているわけではないんだな。先輩として俺が闘い方をレクチャーしてやろう。」
不知がそう言うと、彼は是識に歩いて近づいた。
「まず、なによりも力だ。」
不知は喋りながら是識の胸に掌をあてた。
そのままもう片方の手を顎に当て、目を瞑り沈黙した。
「あの、何ですかこれ?」
是識が苦笑した。
それを合図に不知が目を開ける。まるで瞼の裏に答えが書かれていたかのように、再びしゃべり始めた。
「そう、リニアモーターカー。あいつと相撲をとったときの話だ。やつも強敵だった。あの動きを止めるためにはこうだ。」
不知が喋り終わると共に、爆音が響いた。
それと同時に彼の足元にクレーターがボゴオと広がった。
是識はキーンと高い音を鳴らして青い空に消えていった。
その後直ぐに、似たような爆発音とクレーターの中にもう一つのクレーターができていた。
既に、地上には誰の姿も無かった。
是識は内蔵がふわっとする感覚に、何とかせねばと手足をばたつかせた。掴めるものはないし蹴れるものもない。地面がどの方向かもわからない。
是識は気がつけば中空にいた。
もしかしたら、このまま宇宙へ行ってしまうのではないか。というほどの慣性を身に感じながら。
そしてどこからか声が聞こえてきた。
「次はスピードだ。ロケットの速度を知っているか?大気圏を突破するには時速4万キロ以上。秒速にして11キロ以上必要だ。」
あっという間に不知は是識を追い抜き、雲の中に消えていった。
是識が遅れて雲の中へ入った。
真っ白だ。
白いもやがだんだん薄くなり、景色がはっきりしてくる。
是識は最初、気のせいだと思った。でも雲を抜けきってわかってしまった。
遥か先から、不知が自分に向かって飛んできている。
「理解力と発想力。俺が思いついた商品は世界で一番売れた。考え方によっては空気すら壁になる。そしてこれは力とスピードの応用だッ!!」
不知は空中で加速している。
何も無いはずの空中で壁を蹴るように、何度も何度も加速する。
「まだ勉強したいか?」
不知はそう言って両手を合わせて握り締め、頭上に振り上げた。
着々と是識と不知の距離が縮まる。
ぶつかる直前、是識が顔の辺りを腕で覆い、体を縮こませた。
不知の拳が振り下ろされた。
しかし、是識にはあたらなかった。
「面白い。」
不知はそう言い目をギラギラと輝かせて笑っている。
是識は体を捻り回避していた。必死の形相だ。
是識はそのまま回避の回転を活かし、踵を不知の頭に落とした。
「(当たらない。)」
是識は悟った。
不知は腕を振り切ったままだった...はずだ。
しかし目の前には既に体制を整え、足を思いっきり引き今にも振り抜かんとしている不知がいる。
是識の足が空を切った。
不知の口角が上がった。
是識は何とか衝撃を抑えようと手を出す。しかし、間に合わなかった。
中途半端なガードは弾かれ、是識の顔面に不知の足の甲が沈んでいた。メリメリと音を立てるように。
「心理ッ!!」
聞き覚えのある爆発音が空を揺らす。その後キーンという高い音が続いた。
空中、音の中心に、不知だけがいた。
彼は腕を組んだまま地上に引っ張られていく。
「俺にはプロの将棋の棋士ですら、犬のように単純な思考に見えてならない。あえて言おう。これはさっきの仕返しだ...!!」
是識が飛ばされたのはさらに上空だった。
もうどれだけ飛ばされてしまったのかはわからない。
ただ、目の前が真っ青から真っ黒に変わったことだけはわかった。
今は黒い壁紙に乗った、キラキラ光る砂利をぼぉっと見つめているだけだ。
突然、視界いっぱいに光が広がった。
砂利が凄いスピードで流れ落ちてゆく。
砂利と混ざり大小様々な玉もいくつも流れていく。そして、その一つの玉は現れるたびにだんだん大きくなっていった。
「(僕が地球に近づいているんだ。)」
理解したとき、体は燃えていた。
暫くして空中で腕を組んで立っている人影が見えた。
正確には空中だから立っているとは言わないのだろうが、立っているものは立っているのだ。
よく見るとこちらを見上げていた。不知だ。
不知は是識と並ぶと全く同じスピードで張り付いた。
「一秒間に1京回以上の計算ができる俺が提供した、宇宙旅行は楽しかったか?人工衛星とドッキングするサプライズつきのなっ!」
不知が歯をむき出しにしてそう言った。
「.....地球は、赤かったよ。」
是識は何とか声を振り絞り、そう言った。
額と口からは大量の血が流れている。
「ハッ!!俺の知っている言葉とは違うが、まあいい。疲れたろう。眠るがいい。」
是識は不知の言葉を聞くと、力尽きたように目を閉じた。
是識の顔の影がやけに濃くなった気がした。
是識が落ちた場所、そこは最初に飛んでいった時のクレーターだった。そして意外。是識はなにやらとてつもなく尖った鉱石なようなものに突き刺さっていた。どてっ腹を貫かれている。高い。四、五メートルはあるだろう。
自然界にしてはあまりにも不自然な細長い円錐状の鉱石。それに人が突き刺さりそこから血が流れ続けている。何故か、胸から突き刺さりだらりと四肢を垂らしている人間と無機質な鉱石が、どこか怪しく美しい雰囲気を漂わせている。
不知は腕を組み、それを見上げニヤニヤしている。
「美しい。どんな芸術家でも俺の作品を超えることはできなかった......いや、これは戦闘には関係なかったな。言いたかったのは、戦いにおいては戦略も大切という事だ。俺はお前に壁に叩きつけられたときに、鉱石を掘り出し削って円錐の形にしておいた。そして、最初にお前を押した後にこの絶妙な場所に設置したのだ。『絶対に勝って』しまう俺は勝ち方すらこだわってきた!!ハハハッ......美しい!!」
是識は大きく口を開いたままピクリとも動かない。
荒野に大きな笑い声だけが響いた。
次第に笑い声は小さくなり、入れ替わるように風が吹く音が聞こえてきた。いや、風の音はもとから鳴っていたのであろう。風の音が小さいわけではないだろうが、彼の笑い声が大きすぎてまるで聞こえていなかったのだ。
気がつけば不知は、眉間に皺を寄せ口を閉じていた。
ため息をついてこう言った。
「あの衝撃を何度も受け、形が残っているのだ。少しは期待したが......やはり、俺が『勝って』しまったな。さっきから心臓の鼓動が聞こえない。」
そう言って不知が立ち去ろうとした時、ふと違和感を感じた。
よく見ると是識の体の輪郭が、うっすらと黒い線で囲われている。
やがて黒い何かは太く、濃くなりはっきりとみえるようになった。
黒い何かが是識の体を覆いつくした。
黒い何か。それは、炎のように揺らいでいるが炎ではない気がする。まず黒い炎など見たことが無い。何かしらの粒子か気体か?それにしてはあまりにもはっきりと見えすぎている。確証は無いが、あの黒い何かは触れても近づいてもいけない気がする。まるで、全てが無かったことにされてしまいそうな漆黒。この世の恐怖全てを、一つにまとめて絵にしたような、何かだ。
是識が入っていると思われる黒い何かが、鉱石の柱から落ちた。
鉱石の円錐は、突き刺さっていた部分から上が無くなっていた。
その欠けた鉱石を見ていると、なんとも言い表せないが、人生で見てきたもの全てと一致しないような、違和感を感じた。一言で言うと、気持ちが悪い。しかもまるで、最初からこの形だったかのようだ。
しかし、一番の違和感はそこではない。
この鉱石は形を変えていた。それなのになんの音もせず形を変えていたことに、底知れぬ恐怖を感じた。
「芸術ですか。僕は興味ないですね。生きていること自体がこの世でもっとも大切なんですから。」
か細く、小さい、まるで自己主張のない是識の声が聞こえた。
黒い何かが縮み是識の顔が現れた。
血は...流れていない。汚れも無い。
黒い何かは是識の体の中心へと集まり、腹部まできて収縮を止めた。
是識が自分の体にまとわりつく黒い何かを見つめながら言った。
「何が何だか良くわかりませんけど、こうして僕が立っているってことは、僕はまだ『勝って』いない。ということなんでしょうね。」
黒い何かがまた縮み始めた。
だんだん是識の腹部にただの服の布が見えてきた。
そして黒い何かが完全に消えた。
そう、何事も無かったかのように、服に穴が空いていない。
不知は形が変わってしまった鉱石を見上げて言った。
「やはり、俺とお前は相容れぬようだ。」
突如不知の姿が消えた。
そして静寂が訪れた。
決して不知がお喋りだったという訳ではない。
急に不気味な程に静かになったのだ。
そして、いつの間にか空は厚い雲で覆われていた。今にも雨が降り出しそうな色だ。
まるで、嵐の前の静けさのような怪しい雰囲気を感じた。
是識が不知を見つけようとあたりを見回していた。
一瞬、わずかに是識の体が浮いた。
彼は直ぐに地面を蹴った。その表情は真剣だ。
今までふざけていた訳では無いが、これ以上ないほどに警戒している。
彼は下を見つつ地面から遠ざかった。
すると、遠目でわかるほどに荒野が震え始めた。
「(地中にいる?それとも何かの作戦で地面を揺らしたのか?そうだとしても、僕を空に逃がしたことに意味は無い。さっきので空中での戦い方は学んだんだから。)」
是識は空中で立ち止まった。
そのまま警戒を続ける。
少しして地上の揺れはなくなった。
それから暫く警戒をし続け、異変は現れた。
地上、遥か彼方。
地平線の一部が突然、黒くなった。
そして、スゥッと広がってくる。
それはあたりを包み、数秒にして夜が訪れた。
上を見上げた。
濃い灰色だ。黒に近い。目を凝らせばやっと雲の模様が見える程度に暗い。
ふと、地平線を見ると白色に輝いていた。
是識は一周見渡し、気づいた。
ある一定の範囲だけ夜になっている。
まさか、そんなことが出来るのか?いいや、出来るのかもしれない。出来たのだろう。不知がやったんだ。というか不知以外でこんな現象が起きる方が異常だ。
是識はちっぽけな発想で何か出来ることはないかと考えたが、何も浮かばず、ただただぽかんと空を見上げていた。もしかしたら、自分が考えついたあの雲の上にあるものを、確かめたかっただけなのかもしれないが。時たま、その自分の出した無茶苦茶な答えに吹き出しそうになりながらも、雲を見つめた。
暗い雲から何かが突き出した。
ああ、やっぱり。
雲から山が生えてきた。
これは、比喩的な表現で言ったわけではなく、この世に存在する言葉の中でそれが一番正しいと思って出た言葉である。
離れた距離から見れば『山が落ちてきた』と言った方が適切になるだろう。さらに離れれば、『隕石が落ちてきた』と言った方が適切になるだろう。
ちっぽけな存在である是識にとっては、山が生えてきたと表現することが精一杯だったのである。
是識は冷や汗を流した。
是識は頭を抱えた。
是識は涙を流しながら声を出して笑った。
是識は両手を広げた。
是識はニコッと笑顔になった。
頭がおかしくなってしまったのだろうかと、思わざるを得ない挙動だった。
しかしその目は光り輝いていた。
歯をむきだしにしている。
この上なく楽しんでいるように見えてしまう。
是識の体中から黒い何かが滲み出た。
全てがなくなってしまうような、あの漆黒の何かだ。
黒い何かは是識の両腕に収縮された。
腕が肩から指先にかけて真っ黒になっている。
山頂が近づいてきた。
是識からすればただの地上にしか見えないが、確かあれは雲から生えてきた山だったったはずだ。
ぶつかる。そう思った時、是識はどう見ても地面にしか見えない山を殴りつけた。
何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も。
「うぉおおおおおおお!!」
是識が叫びながら漆黒の拳を連打した。
地響きが響き渡る。
そして、地割れが起き始めた。
山だから地割れとは言わないだろうから、言い方を変えるとすれば『とてつもなく大きな溝ができ始めた』だ。その地割れは是識を中心にして、✱を幾つも重ねたような形に広がっていった。
そしてついに、ゴォォンという音がして山が弾けた。無数の岩が降ってくる。
またもや、是識の体中に黒い何かが纏わりついた。
是識は崩れる岩を気にすることなく、中心へ突っ込んでいった。
暗い。
それでも無数の岩の奥へ進み続けると、視界が明るくなってきた。
無数の岩の中にその光源があった。
不知だった。
不知は腕を組み、黄金に輝いていた。
不知が空を仰いだ。
「俺は今まで負けそうになった時、視界が真っ白になる事があった。不思議なことに、その後勝つための能力を必ず身に付けているのだ。」
不知が、ギラギラと光り輝く自分の両手を見ながら言った。
「直感した。この光が『あの』光だったのだと...!!そして是識!!お前はかつて無い強敵だと!!」
是識が、黒い何かがぬらりとにじみ出ている両手を見つめて言った。
「ええ、僕も今回ばかりは絶対『負ける』とは言い切れませんね。本当に不知君を倒せるのか、疑い始めてきたところですよ。」
不知が言った。
「俺は初めて......」
是識が言った。
「僕は初めて......」
不知と是識が言った。
「お前(君)に!!負ける(勝つ)かもしれないッ!!!!」
不知と是識がぶつかった。
雷が単発で鳴ったようなドンッという音が走った。
是識の頬に不知の拳がめり込んでいた。同様に不知火の頬に是識の拳がめり込んでいた。
二人は笑っている。
このうえなく歯を食いしばり、目をギラギラさせ、笑っている。
凶悪な笑顔だ。
いや、捕らえ方によっては、不純物を全て取り除いた人間の本当の笑顔。
純粋な笑顔なのかもしれない。
不知がわき腹にめがけて蹴りを入れた。是識は腕で受け止め、片方の腕で殴り返す。不知がそれを掌で受け止め、是識の顎めがけて拳を繰り出した。是識がすれすれで回避し、膝蹴りをした―――
上空から、無数の岩が落ちてきている。その岩々の奥がどうなっているのかはわからない。
だが、地上が揺れるほどの振動は、その奥から生まれていた。
この世の終わりという景色が幾千通りもあるとして、現状がその一つなのかもしれない。
地上に光が当たった。
雲に、大きな大きな穴が開いていた。
やっと岩がすべて雲から落ちてきたようだ。
雲の丸い枠の中央で金色の何かと黒い何かが飛び回り、ぶつかり合っている。
それがぶつかるたびに、空気が震えて大地が揺れる。
急に音と振動がピタリと止んだ。
何事も無かったかのように。
聞こえるのは、岩が地面に衝突する小さな音だけだった。
空はただ青い空と、大きな穴が開いた雲があった。
月面。
そこに人型の光る何かと、人型の真っ黒な何かが立っていた。
「未知。それは罪だ。俺はこの光と、お前のその闇について考えていた。」
不知は腕を組んだままそう言った。言い終わると、両手を前に突き出した。
不知の体を纏っていた光が、スーと手のひらに集まっていった。
是識はその光がとても熱く、更に眩しくなったように感じた。
次第に球体になり、青色になった。
それを中心に、地面に新しいクレーターがじわりじわりと出来上がってゆく。
「おい。」
不知が青い球体を投げた。
是識はそれを両手で受け取めると、ぬるりと黒い何かが光を覆った。
少しして黒い何かが溶けた。
すると、是識の手のひらには何もなくなっていた。
「さっきのは恒星を再現したものだ。かなりのエネルギーのはずだが、俺達は創って消した。おそらく、俺の光は『全てを創り出す』事ができる。お前の闇は『何も無かった』事にできる。」
不知は解説しながら怪訝な顔をしていた。
「なるほど。」
是識は顎に手を当ててそう言った。
眉間に皺を寄せ、目線は斜め上を見ている。
「わからなくてもよい。お前はその能力を使いこなしているのだからな。この能力は俺達があまりにも勝ち(負け)そうにないから、生み出されたのだろう。」
不知はさらに怪訝そうな顔でそう言った。
「僕達の運命の強さにやれやれといったところだね。」
是識は苦笑していた。
「このままでは宇宙が壊れてしまう。俺はこんなくだらない世の中でも、生まれてきたことには感謝している。もう......終わりにしようか。」
不知の言葉を合図に是識が駆けた。
実際には駆けているが、速すぎて黒い線になった。
その線は光に真っ直ぐ伸びてゆく。
黒い線は消え、人型の闇だけが残っていた。
光は無い。
是識の手刀が不知の腹を貫いていた。
是識はわけがわからず、とりあえず腕を引き抜いた。
不知が仰向けに倒れたのを見て、そのまま固まった。
「...俺は...負けを知りたいと...思っていたが...そんなものはもう......どうでも良くなってしまった...」
不知がそう言った。
声が小さく、やっとしゃべれている状態だ。
顔色が悪く、目の焦点も合っていない。
不知ではないみたいだ。
「.....お前と...戦ったのは...今までで、一番......楽しかったぞ。」
不知はそう言うと血を吐き出した。
是識は地面に膝を突き、不知の顔を見た。
顔には明らかに死相が現れている。
「そうですか。君は自分の中で『ルール』を変えたんですね...。僕は『負けて』君は『勝った』。結局、今までどおりじゃないですか...。」
是識は涙を流した。
是識は自分が涙を流したことにびっくりして、急いで涙を拭いた。
不知はそれを見て、弱弱しい笑顔を作った。
沈黙が流れた。
暫くして、是識が言った。
「僕の力で全部無かった事にします。」
不知の返事は無かった。
だが、是識は話を進めた。
「僕達は最後まで運命に逆らえませんでした。それに納得ができません。だけど、君に『負ける』ために『何も無かったことにできる闇』を操れるようになりました。これで世界を覆います。もちろん君も、僕も。君はあの光を、『全てを創り出す光』だと言ってましたね?もし、返事ができないだけでまだ意識があるのならば、君は『何も無くなった世界で全てを創り出して』ください。もしかしたらまだ君も生き続けられますし、お互いこの忌々しい運命からも逃れられるかもしれません。ただ世界が無かった事になるだけかもしれませんが、僕にはもうどうでもいいです。」
是識が立ち上がり踵を返した。
後悔でも残っているかのように、首だけ不知の方を向いて、言った。
「もし、その世界で出会うことがあれば、また勝負しましょう。」
是識は笑顔でそう言った。
不知が微笑んだような気がした。
世界は闇に覆われた。
その後どうなったのかは誰にもわからない。
どこかで新しい世界が生まれたのかもしれないが、
その世界の人々は誰一人としてこの世界の事を知らないだろう。
なにせ、この世界は無かったことになったのだから。
ご通読ありがとうございました。
どうか、あなたの中でこの作品が『無かった』ことになりませんように。