489.傍迷惑なラストランです
時は少し遡り――ヴァルナとアルディスの戦いが本格化した頃。
『ニューワールド』率いる強襲騎道車は猛スピードで王都を抜けて外に出た。
再起を図るための戦略的撤退。
しかし、予想外の事態に直面した彼らは混乱の渦中にあった。
「ぐぅ、あぁ……ふぅ、ふぅ、ハ、あぁ……ッ!!」
苦悶の呻き声を上げて滝のような脂汗を流すのは、シェパー。
彼の部下たちが必死に腹の傷の治療をしており、治癒術まで使っているにも拘わらず、彼の容態は加速度的に悪化していた。
「どういうことだ!? 傷は塞がっているのに!!」
「まさかシェパーさんが刺されたメスに……!!」
部下の一人が回収されたメスを調べると、微かにだが表面に何かが塗ってあった。
思わず部下の喉がひゅっと鳴る。
あの愛らしい教授がシェパーに刺したのは可愛い抵抗の証などではなかった。
「まずい、何か薬品が塗布されてる!! なんの薬かここじゃ調べられない!!」
「症状からして即効性の毒の類じゃない筈だ! 数日安静にすれば……!」
「なんにせよシェパーさんの部下がいる町まで辿り着かないと駄目だ! 我慢してくださいよ、シェパーさん!!」
このとき、シェパーがきちんと意識を保っていれば、騎道車の進行ルートを変えていただろう。
しかし、彼は意識が混濁し、何か考えられたとしても口に出せる様な状態ではない。
シェパーを頂点とした『ニューワールド』は、オークたちはハイブリッドを中心に統率が取れていても人間たちはそうでもなかった。彼らはシェパーの志に賛同して着いてきたが、シェパーに替わるほどの頭脳の持ち主はいなかった。
そんな中で、一人だけ周囲への警戒を怠っていない者がいた。
騎道車運転手、ボージャだ。
『堕流吐露捨』と書かれた鉢巻きを巻き、彼は静かにバックミラーを見つめていた。彼はこの瞬間を待っていたし、運命の巡り合わせに全てを賭けていた。
果たして、彼は賭けに勝った。
地平線を引き裂くように土煙をもうもうと上げ、凄まじい速度で巨大な鉄の車が騎道車に猛追してきたのだ。騎道車内に設置された帝国製の短距離電波通信機がザザ、と耳障りな音を立て、聞き覚えのある男の大音声が運転席内に響き渡る。
『ヒャッハハハハァァァァーーーー!! テロリスト発見んんッ!! 逃げられると思ってんのかこのやろォォーーーーー!!』
「来たか。来たな。来るのを……ずっと待ってたんだよ!!」
バックミラーに映るのは、研究院に入っていたボージャでさえ存在を知らなかった強攻騎道車試製零號。あんなゲテモノを操縦できる男はこの世界に限られる。そしてその限られる者の一人が王立魔法研究院に席を置いていた。
「元『帝韻堕狼襲』カチコミ隊長、ライ!! この状況で騎道車を用意して追ってこれるのはテメェを置いて他にいねぇと信じてたぜ……!! 元『堕流吐露捨』カチコミ隊長ボージャが、テメェに最後の勝負を仕掛ける!!」
『……ボージャ、てめぇが』
唸るように低い声。
ライとボージャには帝国暴走族時代に散々しのぎを削った因縁があった。
しかし、『帝韻堕狼襲』が帝国警察の一斉摘発のマトにされ、様々な事情を以て解散したことを皮切りに、当時帝国で影響力のあった暴走族は次々に摘発ないし解散していった。これによってライとボージャの接点は消え、決着は着かず仕舞いになった。
「戦績は十七戦八勝八敗一引き分け。次が最後の決着だって約束したときに、てめぇは消えた。白黒つかねぇままな」
『お前も走り屋の過去に囚われたのか……『堕流吐露捨』の牙とまで呼ばれた奴がなんて情けねえザマだ! 未練がましく職場を裏切ってテロリストにまで手を貸して! 族としても社会人としてもまったく筋が通らねぇだろうが!!』
「俺は男だ。決着の着いてねぇ勝負から逃げるのは俺の筋に反する。だから、今回のこれは最後の賭けだった……」
久々に王国で再会したライは、腑抜けてはいないがもう嘗ての獰猛さはなかった。
二言、三言交わした言葉からはもう勝負への未練が感じられなかった。
だが、まだ腑抜けていないライは、ここまでやらかせば出てくると思った。
「文字通り全てを賭けたラストランだ。オークの社会なんぞどうでもいいッ!!」
『……上等ぉッ!! 俺だって王立外来危険種対策騎士団の仲間だ……地の果てまで追いかけ回して、絶対に仕留めてやんよッ!!』
方や、潤沢な予算をかけて実戦まで想定してこの上なく隙の無い頑強な仕上がりになり、最新型の国産魔導エンジンを搭載した軍用車両。ボージャもこのマシンには全力で情熱を注ぎ込み、理想の形になるまで考え尽くした理想のマシン。
方や、趣味を同じくする仲間や部下たちの技術力と給金を集結させ、やりたいことというただ一点のみを貫き通してチューンにチューンを重ね、試行錯誤を繰り返した果てに完成した実用性も効率も無視したモンスターマシン。
奇しくも過去の暴走族時代の決着を忘れられない者が正式な仕事として作り上げた完成物と、過去を乗り越えて新たな生き方を受け入れた者が嘗ての感性のまま暴走して作り上げた完成物の衝突。
世界中のどんな走り屋も、これほど巨大な車両を用いてのカーチェイスはお目にかかったことがないだろう。今、ここが走り屋にとっての歴史の最前線だ。こんな最高な勝負で決着をつけられる自分は幸せ者だとボージャは思った。
「『ウゥゥラァァァアァーーーーーッッ!!!』」
強襲騎道車、対、強攻騎道車。
最後の戦いが始まった。
直線距離で凄まじい安定性を見せる強襲騎道車に対し、強攻騎道車は化物じみたエンジン出力で食らいつく。
脱出時の戦闘で後方を切断されてタイヤも幾つか脱落している強襲騎道車だが、設計時点で拘り抜いた頑強さ故にまったくハンデになっていない。むしろ軽量化されて直線速度は増している。
一方の強攻騎道車はほぼ万全の状態だが、ライが車首超大型回転衝角――つまり突撃ドリルをつける設計にしたことから空気抵抗の軽減より実際にぶつけた際にも動ける構造強度と安定性に重きを置いている。それを補ったのがライの特別チューンエンジンであり、殺人的な回転数で強引に速度を維持している。
直線では強襲が有利で、ライは少しずつ引き剥がされた。
されど道が曲がりくねってきたところで急速に強攻が追い上げる。
ドリルを扱って車同士の格闘戦を重視した強攻騎道車は、強襲より車高が高い代わりにハンドリングが安定し、タイヤ数も勝るためにしっかり地面をグリップする。
ボージャはライの技術者としての腕が衰えていないことを内心で称賛するが、自分も負けるものかと限界まで車体を酷使する。持ち前の暴走族時代の技術力を総動員して、不利な筈のルートもギリギリまで速度を維持して車体を振り回す。車の特性上不利な筈の場所をボージャは腕で補った。
それでも――ボージャと互角の走りを見せていたあのライは、当時の腕前を一切衰えさせず容赦ない走りで距離を縮める。
『オラオラオラオラァ!! チンタラ走ってんじゃねえぞぉぉぉぉーーーーーッ!!』
「甘くないよな、お前はよぉ!! 嬉しくって涙が出るぜッ!!」
『こっちは情けなくて涙が出らぁ!! どいつもこいつもいつまで暴走族時代引きずってやがんだ!! 俺らはとっくに大人なんだ!! ガキの喧嘩で済む話じゃねえんだぞ!!』
言葉と同時、ライは傾斜で見えない筈の道路外を強引に突っ切って次の道路カーブまでショートカットしてくる。コースを完全に覚えていないと出来ない荒技にボージャはぎょっとした。
「何が大人だ! こうして競えば、お前はあの頃とまるで同じだ!! 命知らずの特攻隊長だろ!!」
『そういう話じゃねえ!! 仕事に誇りはねえのか!? 同僚も上司も何もかも裏切ってまで国家転覆の片棒担いだ挙げ句にやりたかったのがガキの走り屋勝負だったことに、何も思うところはねえってか!?』
「だったらどうする!!」
『俺が引導を渡すッ!! テメェはもう走り屋でも何でもねえ、ただの外道だァッ!!』
ショートカットや坂を利用した加速を最大限に生かした機動を細かな場所で遺憾なく発揮していくライは、もう直線で離された距離の倍近くまでボージャの強襲騎道車に迫っていた。
やがて二人の車は騎道車二台が並走できる幅になっていく。
ここで遂に追いついたライの強攻騎道車が車体を強襲騎道車にぶつけた。
凄まじい衝撃が車内に響くが、ボージャは歯を食いしばってハンドルを回す。
『くたばれやぁぁぁぁーーーーッ!!』
「てめぇがなぁぁぁぁーーーーッ!!」
互いに車を手足の様に操って何度も押し合い、姿勢を立て直し、相手の進路を妨害しあっては互いにギリギリのところで仕切り直し、激しいファイトが繰り返される。常人ならとうの昔にハンドルやブレーキ捌きを誤って悲惨な事故を引き起こしているところだ。
しかし、二人は止まらない。
互いにものは違えど絶対に譲れないもののために勝利を願っているのだ。
ハンドルを握る掌が興奮による汗で濡れる。
アクセルを踏むつま先に全神経が集中する。
次のコーナリングを超えられるかどうか、勝負の分かれ道。
互いに示し合わせたかのように同時に勝負を仕掛ける。
『オラァァァァァッ!!』
「やらせねえってんだよぉぉぉッ!!」
激しく全身が揺さぶられる衝突に構わずアクセルを踏みならす。
戦闘用に開発された最新エンジンが限界まで酷使されて悲鳴を上げる。
ここを乗り切りきれなければライの勝ち。
逆に耐えきればあとは直線道路でボージャが勝つ。
車体同士が擦れ合ってけたたましい音を立てる中――直線まで乗り切ったのは、ボージャだった。
「……終わりだ。お前はもう俺に追いつけねぇ。九勝目は俺のものだ。勝ち越したのは――俺だぁッ!!」
歓喜の感情が湧き上がり、ボージャは天を仰いで叫ぶ。
全てを捨てる覚悟を決めた自分と、社会人の立場に拘ったライ。
どちらが本当の走り屋だったのかを別ったのは、きっとそれだ。
「お前は騎道車内の人間を死なせる訳にはいかねぇと思って攻めきれなかったんだろ。それが……俺とお前の覚悟の差なんだよ!!」
『何勘違いしてんだバぁカ』
「――なに?」
思わず通信機に聞き返す。
馬鹿な、今更逆転の方法などない。
どうせ負け惜しみだ――そう思うのに、ボージャの走り屋としての本能と彼へのライバル意識が違うと叫んでいた。
通信機越しなのに、ボージャにはライがほくそ笑んでいる顔が感じ取れた。
『今のはこっちに乗ってる騎士様が氣っつぅ力でテメェの車のどこに殺しちゃいけない奴がいるか確認する為にトロトロしてたんだよ。そして確認は終わりだ。お楽しみは……最後まで取っとくもんだろうがぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!』
瞬間、強攻騎道車の車首超大型回転衝角が火花を散らして回転を始めた。
するとどうしたことか、強攻騎道車の速度がみるみるうちに上がっていくではないか。
『超大型回転衝角を回す為のエンジンは車のエンジンとは別!! そしてギガドリルの回転はぁ、タイヤの回転数に加算されるよう改造してあんのさぁぁぁぁぁぁッッ!!!』
「おいおい嘘だろ……どんな技術の使い方してやがるってんだ!?」
強襲騎道車の背後から、ドリルを回転させながら強攻騎道車が迫る。
真っ赤なライトを照らし、火花を撒き散らしながら地響きのようなぞっとする咆哮を撒き散らし、人の手によって作り出された怪物が牙を剥いて肉薄する。走り屋時代にすら覚えたことのない戦慄が全身を突き抜ける。
あの男は、なんという化物をこの世に産み落としたのだ。
『ヴァルナさんに代わって吶喊するぜェェッ!! ぶゥゥゥちィィィ抜ゥゥゥけェェェェェーーーーーーッッ!!!』
「ひっ……うわぁあぁぁぁあぁッッ!!?」
グギャラギィリリリリリッ!! と、人生で一度も耳にしたことのない摩擦音を立ててギガドリルが真後ろから強襲騎道車を抉る。危険なので誰も乗っていない後方の部屋が掘削用の刃によってズタズタに引き裂かれた。そしてドリルの先端はとうとう車のシャフト部分を削り取った。
強襲騎道車の動力伝達が狂い、エンジンが空回りする。
がくんと速度を落とした強襲騎道車は、これ以上逃げ切れない。
『これ以上ジタバタすんなよ!! 騎馬隊及び竜騎士部隊が既にお前らの包囲を始めてる!! もう終わりだ。俺は俺の勝利条件を満たした……いいな?』
「……一つだけ聞かせてくれ、ライ」
『あん?』
「お前の言うヴァルナって男はよぉ。お前が大人にへこへこするようなつまんねー人間になってまで慕う価値のある男なのか」
『だからテメェは馬鹿なんだよ。俺が慕いたいと思ったから慕ってんだ。他に理由なんぞいらねえ。そこに走り屋かどうかなんざ関係ねぇ。憧れってのはそういうもんだろうが』
「……そうだな。最初は誰かの背中に憧れて走り始めるもんだ。分かったよ」
ボージャはライの返事より前に無線機のスイッチを切ると、指を腹の上で組んだ。
「こんな言葉聞かれたくねえから伝えねえけど……ありがとよ。お前のおかげで俺も漸く、悔いなく走り屋を辞められる」
息を大きく吐いてシートにもたれかかったボージャは、どこか憑きものが落ちたように満足げに静かな涙を流す。まるで勝敗そのものより、勝敗に拘る自分自身と決別したことの方が重要であったかのように。
滅茶苦茶頭悪いなこの加速システム……。




