488.父の教えの差です
遠い昔、まだ俺が騎士に憧れるアホだった頃――珍しく、父親に諭されたことがあった。
『だってあいつ、俺が騎士になれる訳ないとかいい加減なことばっかり言って聞かなかったんだぞ!! 人の嫌がることをやめないやつを殴って何が悪いんだよ!! 悪い事をしたら痛い目を見るって騎士の本にもあったじゃんか!!』
近所の子供達の面倒を見ていたある日、年下の子供が俺に突っかかってきた。何度やめろと言っても何度でもいたずらやちょっかいをやめず、とうとう騎士道まで馬鹿にしはじめたところで堪忍袋の緒が切れた俺はそいつの頭に全力のげんこつを落とした。
大泣きする年下の子供と、騒ぎを聞きつけて俺を叱ったり謝るように強い口調で言い聞かせてくる大人たち。でも、俺はあいつが悪いと思って絶対に嫌だと意地を張った。そのうち畑仕事を終えて帰ってきた父のワサトが騒ぎを聞きつけ、自分に任せてくれと危機感のない顔でのほほんと言ったことで毒気を抜かれた大人たちは解散していった。
『俺は絶対に謝らない! あいつ、しつこすぎるんだよ!』
『そんなにしつこくされたら、そりゃ誰でも怒るよな』
『ほら、そうじゃん!!』
珍しくワサトの賛同が得られて俺は嬉しくなった。
しかし、続く言葉に俺は驚いた。
『でも、今のままじゃヴァルナは騎士になれないぞ』
――あのときの小憎たらしい近所の子供と、アルディスが被る。
アルディスが悪い訳ではないのだろう。
仮にアルディスが本当に戦いにしか興味がなかったとしても、それを自主性の一言で助長して戦いに特化した暴力装置に仕上げたのはシェパーだ。シェパーの教育、シェパーがよかれと示した道――シェパーが今のアルディスを作ったのだ。
なんの責任も取らずに一方的な愛だけ示して勝手に逃げた、あの男の無責任の結晶がここにある。
彼の教えがアルディスの可能性の扉を鎖で縛り、閉ざした。
彼はアルディスが戦いを肯定するならば他は無駄なものだと切り捨てた。
だから悪いのはシェパーだと思い込もうとした。
でも、いま、それでは駄目だと思った。
騎士団の一員として、一人の騎士として、騎士道を志す者として、どうしても彼が口にした侮辱を許すことは出来ない。俺をこの強さにまで押し上げ、支え、背を預けてきた皆の名誉を――俺が尊敬し、信頼した皆の生き様を貶すのは見過ごすことなど到底出来ない。
どんな理由であれ、皆を貶したことは仕方なかったで許すことが出来ない。
これは合理性でも効率でもない、俺のくだらないちっぽけなプライドの問題だった。
俺の剣がアルディスの間合いに、アルディスの剣が俺の間合いに。
互いに同時に剣を振る。
アルディスは素直な太刀筋で俺とぶつかろうとした。
また戦える歓喜と闘志が詰まった、真っ直ぐな刃。
俺はそれを拒絶するように右手の刃で撥ねのけた。
「八の型、白鶴」
「させるか!!」
アルディスはこれまで学習した知識を総動員して刃を捻り、白鶴の弾き飛ばしの衝撃を逸らす。彼はこれまでの経験則から、右手で気を逸らした俺が左から回り込んで攻めてくると判断したのか、軸足をぶれさせない。
確かにそれが効率的でいつもの俺が好む戦法だ。
だが、逆を言えばそれは効率がいいというだけの動きだ。
「二連」
「ぐっ!?」
俺は左手でも白鶴を放ち、アルディスの持ちこたえた剣を更に強引に弾き飛ばした。
弾かれた剣を咄嗟に手放すことで隙を見せないようにしたアルディスの手が即座に己の鞘へと伸びる。その手を俺は冷酷に蹴りで弾いた。アルディスは跳ね上げられた腕に少し驚いていた。恐らくは最速で手を伸ばしたのに見切られていたことへの驚きだろう。
アルディスは隙を見せた以上は防御するしかないと氣を全身に漲らせて全身に力を籠める。一見して細身に見える彼の肉体から隆起した筋肉は歴戦の兵に匹敵するほど理想的な肉付きをしている。
しかし、俺はそれに追撃を加えなかった。
何故? と、アルディスの目が問いかけた瞬間、足に剛氣を纏わせて彼の腹を蹴り抜く。
「うぶ……ッ!?」
万物を破壊するとされる剛氣を乗せた蹴りの直撃に、アルディスは悶絶する。
最低限の防具と氣によって威力は弱められているが、常人なら肋が砕けているだろう。
絶対に来る筈というタイミングを敢えて一拍置いたことで、俺はアルディスの意識に空白を作った。そして空白の間に己の氣を練って蹴りを放った。
別にあのまま蹴っても似たようなダメージは与えられただろう。
アルディスは困惑しながらもガードは緩めていなかった。
しかし、一瞬の空白が生み出した予想外の展開に混乱する隙を見逃す気もない。
剣による連撃でアルディスを淡々と追い詰める。
突き、横薙ぎ、袈裟斬り、一つ一つ教練通りに。
アルディスはそれでも本能で鞘を抜き、一刀流で全て捌く。
彼の意識は恐らく手放した剣の方に向くだろう。
或いは俺の剣か鞘を奪うことを考えるかもしれない。
何でもすれば良い。
させないから。
これから、お前のやりたい戦いの一切をやらせないから。
◇ ◆
アルディスは取り落とした剣を求めていた。
鞘だけでの防衛を余儀なくされたアルディスにとって、剣を取り戻すプランは様々ある。
隠し持っているロープを使って剣を引き寄せる、鞘を投擲して隙を作る、ヴァルナの移動する方向を逸らして傷を覚悟で突破する、果ては八咫烏でヴァルナの剣を奪い取るプランまであった。
全てのプランは一瞬のきっかけさえあれば出来る。
ヴァルナがアルディスの知っている奥義を放ったとき。
ヴァルナが不意打ちで素手の攻撃を仕掛けたとき。
ヴァルナが敢えてアルディスの拾おうとする剣を囮にする動きを見せた瞬間。
しかし、脳裏に浮かぶ全てのプランが使えない。
(ヴァルナの動きが変わった。今まで学習した動きとは違う……こちらの思うような動きをしない!)
攻撃する為の刃ではなく、アルディスの動きを徹底的に制限するような間断のない淡々とした連撃。それでいてランダムにタイミングや角度を絶妙にずらす、不協和音のような攻め。いつものヴァルナの無駄をそぎ落とした徹底的なまでに効率的な動きとはまるで違う、ただ戦いを長引かせるだけの不毛な剣だとアルディスは感じた。
面白くない、と、心がざわつく。
もっとアルディスの求める打ち合いをやりたい。
魂をぶつけ合うような、清々しく血肉沸き立つ剣戟が恋しい。
衝動を抑えきれなくなったアルディスは鞘を攻撃に転じさせる。
「紅雀ッ!!」
ダメージ覚悟の刺突でヴァルナを強引に突破し、落とした剣を拾う。
その動きを、ヴァルナは何事もなく体を反らして見送った。
(まただ、邪魔しようと思えば出来たのに……そして恐らくは!)
アルディスがここで来ると踏んだ瞬間から一瞬ずらし、思い描いた場所とも少し違った場所をヴァルナは蹴り飛ばした。堪えていた為にバランスを崩さず呼吸を保ったアルディスはそのまま懐からロープを放って剣を巻き付け、たぐり寄せる。
(よし、掴んだ!!)
即座に振り向いて背後に迫るであろうヴァルナを迎撃しようと勇んで振り向くと、ヴァルナはこちらに視線すら送らずすたすたと関係ない方向に歩いていた。
(こちらに興味が無いとでもいうのか? ……なんでだ!)
アルディスの神経を逆なでするような行為に不満が溜まり、無視できないよう彼を目がけて鞘を振りかぶる。
「鷲爪ぇッ!!」
ぐぐ、と弓なりに反った反動と筋力を乗せ、指で絶妙な力加減を加えた鞘の投擲がボウッ、と大気を貫いてヴァルナに迫る。鉄骨程度ならへし折れる威力と速度のそれはしかし、ヴァルナではなくその足下の地面を狙ったものだ。手前で地面に衝突した鞘は大地を抉り飛ばし、ヴァルナの方向に石や砂利を飛ばして目を眩ませる。
それを起点にアルディスは自分の方に戦いの流れを引き戻そうとしていた。
なのに、ヴァルナは突如として剣を振るう。
「八咫烏」
パキィン、と、甲高い音。
気付けば投げた鞘が空高く打ち上げられていた。
(なんなんだ……一体何を考えて、あれを迎撃するのに八咫烏を?)
アルディスは理解に苦しむ。
八咫烏とは熾烈の熱戦において力を競う最高の奥義ではなかったのか?
防ぐにしても他に方法はあった筈だ。同じ十の型・鷲爪で空中で迎撃すればわざわざ八咫烏を使う必要などなかった。困惑しているうちに気付けばヴァルナは恐ろしく静かにアルディスに接近していた。
「くっ! 理解不能、何故こんな戦い方をする!!」
「……」
これまでは律儀に会話に応じてくれていたヴァルナが返事すらしない。
――恐らく彼の事をよく知る騎士たちがこの戦いを見れば、驚くだろう。
礼を欠いた悪意ある戦い方で、ヴァルナが一番嫌いなやり方だと。
彼は常日頃、対人戦では相手の立場や地位に拘わらず本人なりに最大限の敬意を払って戦う。このようにわざと相手の神経を逆なでしたり、甚振るような行動を取ることはない。
だが、そもそもヴァルナは相手をよく観察して時間をかけて戦うことを得意とする剣士だ。その観察力と不意打ちのセンスが悪意に向いた時、それは敵を絡め取る蜘蛛の糸のように手足を封じる武器になる。
それを、アルディスは上手く感じ取れないし言葉に言い表して理解出来ない。
彼は、純粋すぎるが故に悪意というものを解せていなかった。
自由に暴れられずにただ不快感が募っていく状況に煩悶するアルディスは、とにかく自分の流れを戻すことに集中しようと剣技を次々に放つ。ヴァルナはそれを迎撃するかと思いきや、二、三撃凌いだと思ったら突然後方に飛び退いた。
しめた、とアルディスは追撃の為に猛追する。
「奇妙な動きで翻弄しようというのだろうが、無駄だ!!」
後ろに下がればあとは逃げ続けるが逃げ切れずに再度ぶつかるしかない。アルディスとヴァルナの力量関係ではそうならざるを得ず、仕切り直しのタイミングはない。今度はアルディスがヴァルナが逃げられないようにする番だ――そう思った刹那、鋭敏な耳が何かが空を切る音を捉える。
(これは、打ち上げられた鞘?)
上に飛んだものはいつか重力に従って落ちてくるのが自然の摂理だ。
先ほど打ち上げられた鞘の速度と位置を思い出し、己が誘い出されていることに気付く。落下してくる鞘を何らかの方法で利用して攻撃を仕掛けてくるつもりだろう。そう思った刹那、突如としてヴァルナがアルディスの眼前に迫った。
「え――」
「九の型、打翡翠」
どずん、と、これまで打ち込まれたどんな踏み込みより鋭く重い縦一線の斬撃が迫る。アルディスが選んだのは迎撃一択であり、即座に剣を振り上げた。即座に受け流しのために剣を斜めにしたが、それでも予想を上回る威力に腕ごと剣が逸らされる。
ヴァルナはこんな力任せの攻撃も出来たのか――そう感心しそうになるが、ヴァルナは振り抜いた左手の剣を即座に手放すと追撃の姿勢に入る。
敢えて剣士の命である剣を手放すことで素早く動く、ヴァルナの十八番。
この瞬間、アルディスには瞬時に三つの選択肢が生まれた。
一つ、このまま戦うこと。
二つ、自分も剣を手放して、今度はヴァルナの剣を拾うこと。
三つ、ヴァルナに接近戦を仕掛けること。
アルディスは宗国由来の素手での戦闘の心得もある。
ヴァルナがもう一本の剣を使おうにも、至近距離まで近づけば振るえまい。
上手く行けばそのどさくさで落下してくる鞘を掴むことも出来る。
だが、それは上手く行けばの話だ。
(このまま戦ってもヴァルナの方が姿勢的に有利だ。ヴァルナの剣を取る? いや、蹴りで防がれる。ならいっそ接近戦を――!)
瞬時に選択し、一気にヴァルナの間合いに踏み込む。
直後、全身を揺さぶる強烈な衝撃。
蒼い剛氣を纏ったヴァルナの左拳が、アルディスの左脇腹を貫くようにめり込んでいた。
「後手必殺だ」
「あ、ぐぅ……!?」
自らが勢いよく踏み込む事を見越して置かれた拳に、まんまと捕まる。
肉体を内部から捻られたような衝撃に一瞬肉体が硬直する。ヴァルナはその隙を見逃さず、淡々と同じ場所にコンパクトな殴打を数度叩き込んでくる。拳が当たる度に痛みが蓄積され、アルディスは悶絶する。
やや後れて、これはヴァルナがガドヴェルトとの戦いで見せた肝臓撃ち(リバーブロー)だと気付いた時にはもう遅かった。
ヴァルナはそのままアルディスの足を蹴って強引に姿勢をずらすと鮮やかな足捌きで重心の崩れたアルディスを蹴り飛ばす。そしてくるくる周りながら落下してきたアルディスの鞘を掴むと、膝をついた彼の目の前に転がした。
丁度手に取れる距離。
拾えと言わんばかりだ。
だが、アルディスがヴァルナの方を見ると、彼はいつでも鞘を拾うのを妨害出来る距離から冷たい目で見下ろしていた。
どうすべきかアルディスの頭の中で無数の選択肢が生まれるが、その状況にアルディスははたと気付く。先ほど剣を取り落としたときも同じことが起きた。そして、どの動きも徹底的に梯子を外されて倒された。
ヴァルナに挑発してからずっと、常に先手を取られ続けている。
いつもならば自分を追い詰めるほどの力を前にしたのならば喜ぶのに、今のアルディスには自分を追い詰める者の正体がまったく分からず、それ故に真似してもずっと場をヴァルナに掌握されたままだった。
答えはきっと、言葉に――戦いに関係ないと思い込んで後回しにしてきた勉強の中にある。
手遅れ、と言う言葉が脳裏を過った。
「どうした、戦わないのか」
感情も抑揚もない静かな語りかけ。
そこに、先ほどまでアルディスにかけてくれていた柔らかい感触がない。
ヴァルナの瞬き一つない両眼は、アルディスの気持ちを汲む気が一切無い拒絶の瞳だった。
ぞくり、と、背筋に冷たい感触が走る。
「お前、本当にヴァルナか……? 大会で出会った時とも先ほどとも、まったく違う。こちらの戦い方がずっと噛み合わない。理解不能、なんで……」
ヴァルナは彼を睥睨すると、歩き出してアルディスの剣が転がる場所に行く。
剣をつま先で引っかけたヴァルナは、それを蹴ってアルディスの手元まで飛ばした。
さっきまで行動させないようにしていたのに。
剣を蹴り飛ばして手の届かない場所に捨てれば勝率が上がるのに。
何故、何故、何故――何故ヴァルナは自分を戦わせようとする?
アルディスはこんな戦いを望んでいないのに。
得体の知れない感情がどっと心の中に溢れ出し、衝動が体を突き動かす。
手が剣を握り、震える心を誰かの叫び声が後押しして無理矢理抑えこむ。
その叫び声が自分の喉から漏れていることに、アルディスは気付かない。
「ぁあ゛あアァア゛ッッ!!!」
「来いよ、全力で。今度はちゃんと受け止めてやる」
ヴァルナの体から、これまでにない程に濃密な氣が溢れ出た。
これまで弁で閉じたものが全て溢れ出るような、禍々しい氣が。
他のなにかに気圧されるのも、体が震えるのも、初めての経験だった。
シェパーのやつ、やっぱり役立たずだ、と、アルディスは心の隅で思った。
男は怒れば視野搾取に陥るから付け入る隙が大きくなるはずと言っていたのに――目の前の状況は、まるで逆じゃないか。戦いしか興味が無いなら戦いだけでいいと言ったじゃないか。
うそつき。
しらない。
たたかえ。
たたかいたくない。
戦いしか知らないアルディスの精神は自己矛盾に苛まれ、自らの存在を脅かす者を排除しろと心が絶叫する。
突き動かされる衝動に身を任せ、アルディスは剣を振るう。
その衝動が恐怖を拒絶する生存本能だと知らないままに。
「全部呑み込めッ!! 八咫烏ゥゥゥーーーーッッ!!!」
音が、光が、全て通り過ぎていく感覚。
アルディスが辿り着いた心地よい闘争の世界。
万物を拒絶し、後先を考えない破壊の具現。
戦いを受け入れる為ではなく、戦いを拒絶する為の刃。
アルディスの潜在能力に呼応するように、力が際限なく拡大していく。
破壊の範囲は百メートルを遙かに超え、攻撃範囲は余りの破壊エネルギーの奔流に塵と帰す。一個人がこの世界に顕現させることの出来る事象とは思えない莫大な力の暴走の前には金属さえ砂の様に砕かれる。
建物が悲鳴を上げて力に呑み込まれ、破壊の衝撃で産み出された風は爆風となって周囲の全てを遠くへ吹き飛ばし、地震のように大地が激しく鳴動し、絶叫のように空間を軋ませる氣は行き場を失って空の雲を円形に消し飛ばした。
その世界に。
生きとし生ける者すべてを拒絶する力の中に。
ヴァルナが双剣を構えて先に立っていた。
「奴の全力をへし折れ、八咫烏」
「あ……ああ……! うわぁぁぁあぁぁぁぁあッッ!!!」
キン、と。
聞こえた音は、静かなそれのみだった。
風の音、空気の感触、戦場の臭い、全ての感覚が通常に戻ったとき、目の前には構えた剣を静かに鞘に収めるヴァルナの堂々たる姿があった。
アルディスは呆然と自分の剣を見る。
世界一の武器に使われる最高の金属オリハルコン、それを超一流の職人が何日もかけて鍛え上げ、この世にこれ以上のものはないという程に仕上げられた業物。シェパーからはそう聞いていた愛剣は、その刃を根元から消失していた。
己の魂を懸けた拒絶を、彼はたった一刀の下に斬り伏せていた。
ヴァルナは静かに息を吐き、平然と確認する。
「その剣でまだ戦うか?」
アルディスの中で、何かが折れた。
自分の目の前にいる人間が、愛した筈の人間が、今はとても恐ろしいものに見えた。
気付けば股間がびしゃびしゃに濡れている。
恐怖の余り放尿していたのだ。
震える喉で、アルディスは懇願する。
「い、いやだ……もう戦いたくない!!」
それは、アルディスが生まれて初めて戦いを拒絶した瞬間だった。
「じゃあ、言うことがあるな?」
じわりと滲んだ視界の中、はたと気付く。
ヴァルナは、今までのそれと違って期待を込めた視線で何かを待っていることに。
◆ ◇
『でも、今のままじゃヴァルナは騎士になれないぞ』
父親に投げかけられた思いがけない言葉に、俺は憮然とした。
『な、なんで?』
『ヴァルナが怒るのは当然だ。悪い子にはおしおきも必要だろう。でもな、今のヴァルナは大切なことを忘れてるんだ』
『な、なんだよ大切なことって……あ、洗濯物仕舞うの忘れてた』
『そういうことじゃなく』
ちょっと呆れたワサトは、人差指を立てる。
『ヴァルナは怒ったあと、どうしたかった?』
『どうって……あいつが反省するまで許さないって思った』
『うん。その考え方、ちょっと良くないと思うんだ』
『なんで?』
『だってそれ、ずるい怒り方だもんな。あの子が本当に反省しててもヴァルナが納得しなかったら反省してないってことになっちゃう。さじ加減だけで怒られるなんて、いじめみたいなものだよ』
『それは……』
そんなこと、思いつきもしなかった。
でも、相手が悪いし腹が立つ思いは自分の中の本物だと思った。
納得していない俺に、ワサトは人差指と中指を揃えて差し出した。
うちの村に伝統的にある、約束を結ぶときの指の形だ。
『難しいことじゃないぞ、ヴァルナ。怒るのはいいんだ。ただ、ルールを決めよう』
『ルール?』
『そう、ルール。怒るときは、何故自分が怒ったのかをそのときに決めること。そしてもう一つ、これが大事』
俺がよく話に耳を傾けているのを確認したワサトは、にこっと笑った。
『相手がきちんと自分が怒られた理由を理解して謝ってきたら、許してあげることだ。そのときの怒りはそれで終わりにしなさい。悪い事をした人が反省したら許してあげるのも騎士だよ』
俺は、その言葉に感じるものがあって、父親と約束の指を重ねた。
後にも先にも、父親が騎士の何たるかを語ったのはあれだけだったと思う。
――目の前のオークは、反省できるだろうか。
今もあの仲間達や夢への侮辱を許せない自分がいる。
でも、シェパーに育てられた哀れな少年に気付いて欲しいと思う自分もいる。
アルディスは今にも泣きそうな顔で必死に考え、考え、考え――それでも分からないのか苦悶の声を上げる。そうしていると、退避した筈のノノカさんとルーシャーが戻ってきていた。ルーシャーは鋭い聴覚で俺たちがどんなやりとりをしていたのかおおよそ把握しているらしく、つかつかと近づくとなんとアルディスの耳を掴んで捻り上げた。
「こういうとき何を言うか、教わった筈。シェパーは嫌いだけど嘘ばっかり言ってた訳じゃないでしょ」
「痛い! 痛い!」
悲痛な叫びを上げつつもルーシャーには反撃しない辺りに、二人の繋がりを感じる。
やがてアルディスはルーシャーに引っ張られた耳をさすりながら、何か考え始めた。
たっぷりと時間をおいて、アルディスは自信なさげに口を開く。
「ごめんなさい……?」
「なにに対して謝ってるんだ?」
なるべく優しく声をかけたが、アルディスはびくっと肩を震えさせた。
後ろのノノカさんから「やりすぎたでしょ」と責めるような視線を浴びせられて俺も居心地が悪くなるが、アルディスは勇気を振り絞る。
「ヴァルナに挑発してから、ヴァルナの戦い方が変わった。凄く嫌な気分になって、こんな戦いはしたくないって思った。それで、ヴァルナに同じ思いをさせてたんじゃないかって……だから、ごめんなさい」
それは、俺が怒った理由と照らし合わせて、許すのに相当な理由だった。
「よく言えました」
俺は笑顔でアルディスの頭を撫で、アルディスはほっとしたように涙を拭って息を吐いた。そして、頭を撫でる俺の手に身を委ねた。
――村の悪ガキについて、後で知ったことがある。
彼の家庭は親が遠く離れた土地で仕事をしていて、母親もなかなか子供にかまってやれずに孤独に過ごす時間が増えていたらしい。
彼は周囲が不快に思うようなことを少し前からよくしていたが、その裏には誰かに自分を見て欲しい、構って欲しいという切なる願望があったのかもしれない。
俺にはアルディスが同じ願望を持っているように、そう思えた。




