487.怒らせました
――とんでもないな。
アルディスの『八咫烏』によって放射線上に破壊された百メートル近い破壊痕の上で、俺は改めてそう思った。果たして俺が同じことを出来るだろうか。アルディスが人のサイズに収まっていることが不思議にさえ思える。ドラゴンと殴り合いしても良い勝負が……いや、それを言えばガドヴェルトもそうだな。
ただ、今までにない破壊を齎したアルディス当人はというと、不満げだった。
「届いてない……」
「その通り、君の八咫烏は俺に届いていない」
膨大な破壊の痕跡が通り抜けた中にあって、俺と俺の立つ足場付近だけはなんの傷もついていない。アルディスはそれが不思議で、不満で、再度剣を構える。
「だったら、もっとだ!! 八咫烏ッ!!」
「来い、八咫烏」
世界が白く染まり、またしても膨大な破壊の波が空間を貫く。
先ほどより速く、強く、そして大きく。
大地が震え、大気が慄き、建物も足場も更に激しく吹き飛ぶ。
神話に登場する古の怪物の咆哮か、或いは新たな神話の産声か。
またしてもアルディスの剣は放射線上に存在するあらゆる物質を破壊し尽くした。
――俺と、俺の足場を除いて。
「何故だ?」
アルディスが初めて困惑と狼狽を露にした。
今度こそ理想の力のぶつかり合いになると信じて疑わなかった純真な彼の額から汗が顎を伝ってぱたりと足下へと落ちる。
八咫烏に対抗するには八咫烏か、それに匹敵する奥義を放つしかない。
それは正しいと思う。
しかし、八咫烏が想いの刃だとアルディスは言った。
それは、半分正解で、半分間違いだと思う。
俺は彼ほど感覚的に八咫烏を捉えるのに果てしなく時間がかかったが、代わりに八咫烏という奥義の本質について知性で理解が勝っている。要は考え方の問題で、アストラエならもう少し先に答えに辿り着いていただろうと思う。
――八咫烏という奥義は『実現可能なイメージを現実に引きずり出す奥義』なのではないか。
絢爛武闘大会のためにアストラエが掘り出した八咫烏の研究記録には、そう記載されていた。あいつはそれを「剣を床に置くことで対象を消失させてイメージを崩す」という斬新すぎて誰もやらない八咫烏破りに昇華した。……あれはマジで焦ったが、それはさておく。
『想いの刃』の本質とはすなわち、こうしたい、こうありたいという願いだ。人は意識を頼りに行動を起こすことで本来あるべきだった因果律を少しずつ書き換えて生きている。生きる事とは、因果律を自分に引き寄せることで成り立つ。
『八咫烏』は、その因果と結果の間に存在する過程と時間を縮めているに過ぎないのだと思う。
そしてもう一つ――嘗て八咫烏を研究した剣士は、『八咫烏は本当は剣技ではないのではないか』という記述を残している。
俺はその情報を元に一つの奥義の在り方を思いついた。
それこそが今、アルディスを狼狽させる原因となっている。
「何故当たらない! 何故愛が届かない!? こんなにも、こんなにも、こんなにも強く想っているのにッ!! 理解不能、理解不能、情報不足、対策……試行錯誤による真相の究明!! ぁああああッ、八咫烏ゥッ!!!」
「八咫烏」
先ほどのそれをも更に上回る大破壊が荒れ狂い、余波が外まで突き抜ける。
もう建物内はほぼ原型を止めないまでに破壊され尽くした。
しかし、アルディスの視線の先には相変わらず無傷の俺がいる。
「……!!」
アルディスの笑顔はとうに消え失せ、当惑の合間に別の感情が生まれる。
きっとそれは、アルディスが初めて抱く感情だ。
振るわれるアルディスの剣が乱雑に煌めく。
「八咫烏!! 八咫烏!! 八咫烏ぅ!!」
彼の叫びに合わせて俺も八咫烏と唱える。
破壊、破壊、相次ぐ破壊の嵐。
ドラゴンが高高度から落下してきてもここまで悲惨な破壊は起きないほどの、破壊。
しかし、彼の刃は俺には届かない。
アルディスの体が震え、汗が噴き出す。
それは焦り、疲労、そして――思い通りに行かないことへの絶望と悲嘆だ。
「なんで届かないんだよぉ……ひっく」
ぽろぽろと、彼の瞳から無念の涙が伝う。
恐らくは、彼の人生のなかで初めての涙だ。
何故彼の想いが届かないのか?
その理由は余りにも簡単だった。
「君の想いは一方的すぎて、俺には受け取れない」
嘗てコルカさんに一方的すぎる好意をぶつけられたときと似た答え。
しかし、それが全ての真実だった。
俺は、八咫烏の発動とともに『アルディスの愛情表現を受け取らない』ことを想っていた。
つまり、雑多に拡大する力任せの破壊を躱していたのだ。
勿論、避けるために必要な因果を操っていたとは思うが、俺に対してアルディスが愛情の表現を戦闘と破壊だと頑なに思い込んでいたことが彼にとって大きく災いした。彼は足りない想いをひたすら力にのみ注ぎ続けていたが、それには代償が伴っていた。
八咫烏は想いの刃だが、想いが強ければ強いほどメリットが大きいという訳ではない。実力と釣り合った使い方以上の力は出ないし、一度に多くのことを叶えようとすれば比例して消耗する体力も跳ね上がる。
アルディスは自分の思い通りの結果にならないことにムキになり、力を使い過ぎていた。
短期間で一気に体にのしかかる疲労から、アルディスは呼吸を乱して四つん這いになる。
荒い吐息とともに床に汗と涙がぽたぽたと落ちて染みになった。
「戦えないなら……どうすればいい。この想いはどこに向ければ良い!! 戦う以外に夢中になれるものなどなかった!! 心揺さぶられるものはなかった!! お前以上に愛しいと思えるものなどなかったぁ!!」
「お、おう……んー、別に悲しませたくて避けたんじゃないんだけどなぁ」
あまりにも純粋すぎる吐露に、俺は少し同情した。
お前はまだ知らないだけだと言うのは簡単だが、彼は肉体がどうあれ三歳程度の子供なのだ。今のまま常人の教育を押しつけたのでは、本当は興味を持って貰える筈のものさえ嫌いになってしまうかも知れない。それは彼をますます戦いの道へ誘うことになる。
遊んでばかりで勉強したがらない子供と今のアルディスは同じだ。
戦い以外にも興味を持って貰うために、言葉にもっと工夫が必要に思える。
「そうだなぁ……うん。アルディスは自分の事ばかり考えて、相手のことを考えてないところがあるよな」
親に似たと言えばそれまでだが、彼はコミュニケーションツールとして言語を持っているにも拘わらず、それを一方的な送信にしか使っていない節がある。コミュニケーションは相手と自分の二種の存在がいてこそ成り立つことは理解しているのに、方法に戦いを持ち出してしまうものだから会話にならなかったのだ。
今も会話しているようでいて、彼は自分のための自分の都合しか考えていない。
それでは相手もうんざりして会話がしたくなくなってしまう。
「俺は何もお前とは一生絶対戦わないだなんて、そんなことは思ってない。でも、お前は戦いが大好きだとしても俺はそこまで好きじゃないんだ。ずっと一方的に戦いを挑んでくるお前に襲われた人達だって、お前と同じくらい嫌な気分になった筈だ」
「……」
「だからその、な。戦いたいんだったら、相手も戦いたいかどうか、ちゃんと確認を」
「了承した」
「え?」
アルディスは泣きはらした目を擦りながら、俺に問うた。
「ヴァルナの大切なものはなんだ?」
「そりゃ、騎士道とか仲間たちとか色々……」
「そうか」
次の瞬間、アルディスは耳を疑う言葉を口にした。
「すべて無駄なくだらないものだ。騎士道で人の腹は膨れないしバカを殴ることは出来ても押さえつけるだけで減らすことはできない。仲間がなんだ。寄せ集まって他の種をいじめて殺して回る野蛮人の集まりだ。理念にも行動にもなんの意味も無い。王立外来危険種対策騎士団には存在価値がない……愚民を守る者もまた愚物なのだ」
これまでよりも饒舌に、憎たらしく、アルディスは罵詈雑言を連ねる。
「ヴァルナはその中ではマシなほうだが、上司が詐欺師でその上に立つ王が必要な事業にかける金の勘定も出来ない無能ではいたたまれない。バカみたいに遊んでばかりの級友たちに知能レベルを合わせて低俗な仲間ごっこをするのは楽しいか? 権力も能力もあるくせに責任を背負おうとせず才能に自惚れている連中は、本当は無能だ。お前は不幸だヴァルナ。低俗な親を持ち、低俗な友を持ち、低俗な仲間を持ち、それをやれ大切だなんだと持て囃す。しかしどんなに持て囃してもそれは客観的に見て大した価値などない。ただのガラクタを思い出の品と呼んだところで、それは客観的にはガラクタなのだ」
アルディスはその余地すら残さないほどに、こちらを指さして侮辱の限りを尽くした。
「お前の騎士道の内実を教えてやろう。騎士かくあるべしという子供のワガママを実績という暴力で周囲に押しつけて都合の良い地位を手に入れ、戦果という暴力で特権階級の地位を手に入れ、才能という暴力を見せつけて女を誑して侍らせ、今は実力差にものを言わせてこちらを見下して説教している。お前の騎士道は他者を見下すことでしか成立しない。暴力に権力が付随して他を薙ぎ倒しているから自分が正しい気になっているだけだ」
アルディスが言い切ると、その場を沈黙が支配した。
しかし、俺の剣を握る手に力が籠ったのをみて、アルディスはぱぁっと無邪気に顔を綻ばせた。
「やる気になったんだな! 戦いたくなったんだろう!」
彼はどこまでも純粋で、純粋で、純粋すぎるが故に残酷だった。
相手にやる気が無いなら、相手をやる気にさせればいいと思ったのだろう。
彼は戦いの場を作るために、言語を使って相手を挑発することを考えついた。
成程、確かに効果的だった。
俺は一つ頷き、質問を投げかける。
「その挑発、自分で考えたのか?」
「……? シェパーが使えと言って覚えさせられた。意味はよく分からないが、あいつもたまには意味のあることを言っていたんだな。言葉が戦いに役立つとは思っていなかった」
「戦い以外の道に興味を持ってくれて結構なことだ」
安っぽい挑発なのは分かりきっている。
彼は意味も分からず、ただ挑発の言葉として教えられたものを言ったに過ぎない。
悪いのはシェパーの方だと、理屈では分かっている。
それでも、仲間を、王を、友を侮辱されたとき、自分でも戸惑うほどに爆発的な感情が心の中で膨れ上がった。それらは時に優しく、時に厳しく、時にバカなやりとりをして笑い合った人々の顔を次々に脳裏に映していった。その中の一つの顔が、記憶の中で吠えていた。
『俺が部下より仕事を大事にするほど腐った騎士に、お前には見えるのか……? お前に俺達騎士団にとっての仲間の命がどれだけかけがえのない宝なのか分かるのか!?』
後にも先にも、あの人があれほど怒り狂ったのを見たことがない。
そういえば、時々三馬鹿先輩たちが青痣だらけで帰ってきたこともあった。
何をしたのか聞けば、決して逃げられない戦いだったとドヤ顔で言うだけで、後で聞けば決まって自分たちではなく部下や同僚、上司への悪口がきっかけで他の騎士団と乱闘騒ぎを起こしたというのが真相だった。
あの頃の俺にはその気持ちが理解出来なくて、ロック先輩に聞いてもやはり分からなかった。
『いつもは非難の声や誹謗中傷を受けても適当に聞き流すのに、なんでですかね?』
『ういぃ、ひっく。それが分からないうちはヴァールナくんもお子さんだねぃ♪』
今は何故あの人達があんなに怒り狂ったのか分かる気がした。
俺が罵詈雑言を浴びるのは、気に入らないが自分の精進が足らないのだと我慢は出来る。
騎士団が税金泥棒だなんだと貶されるのは、公僕の宿命だと諦めはつく。
でも個々人を、理想を、夢を馬鹿にされるのはそれとは別だ。
騎士団員として、仲間として、友達として、騎士道を志す者として、黙っていることは出来ない。俺を今の実力にまで押し上げ、支え、背を預けてきた皆の名誉を――俺が尊敬し、信頼した皆の生き様を貶すのは見過ごすことなど到底出来ない。
相手は言葉で言っても分からない相手だ。
当人が考えた挑発というわけでもない。
しかも、相手はこちらが手を出してくれることを期待しており、ここで実力行使に訴えたら思うつぼだ。
しかし逆に、戦いのみを至上のコミュニケーションと位置づける彼にこの気持ちを理解して貰うには、剣を取るしかない。
彼の在り方を、全力で否定するしかない。
俺が未熟だからこうも胸中で感情が荒れ狂うのだろうか。
だとすれば、今だけは未熟なままでいい。
「人には、どうしても相手を許せない瞬間がある。それは人によって様々だし、許せなくても我慢できることはある。でも、でもな……お前がいま思いつきで貶したものは、俺にとっては何よりもかけがえなく大事なものだったんだよ」
「……ヴァルナ? なにか変だぞ」
ルーシャーはノノカさんに懐いているようだった。
それは彼女に母性を感じたからだろう。
しかしアルディスにはそういう感覚はないように思う。
なら、彼が求めているのはその逆の――。
「騎士として、人として、一人の社会人として……先ほどの侮辱は捨て置けない。悪さをした子供がどうなるか、その身を以て知るといい。ここから先、楽しい戦いが出来ると思うな」
二本の剣を抜き放ち、構える。
いつもの呼吸、いつもの構え。
肉体は訓練に忠実だが、心の内より湧き出る熱が抑えきれずに氣がはち切れそうだった。
アルディスはその様に一瞬困惑するが、戦えるなら良いかと考え直したのか笑顔で剣を構えた。その笑顔を、俺はこれから奪い去る。
(すいません、ノノカさん。アルディスの保護は少々荒っぽくなりそうです)
直後、俺は音を置き去りにした。
お前、終わりだよ。




