483.好きです
ルーシャーにとって、シェパーはナビゲーターだった。
父親だと名乗っていたが、自らの遺伝子をルーシャーに提供した訳ではない。そのことを言うと、育ての親であると彼は言った。
知識を授ける、寝食を共にする、共に行動する――人間は一定の環境が揃うと、血の繋がらない者を家族と呼ぶらしい。ならばシェパーは確かにそう言えなくもない。
実際の所、シェパーはルーシャーに食事を覚えさせたり、おむつを替えたりと親らしいこともしていたようだ。ルーシャーはそれらを明晰な頭脳で学習し、人間では考えられない速度で成長した。
やや記憶が朧気な昔はそうだったのだろう。
しかし、ルーシャーはここ最近はシェパーに知識と命令以外何も受け取った記憶が無い。辛ければ、嫌ならばいつでも言っていいとは言っていたが、そもそも辛いも嫌もよくわからない。
シェパーは言わないことは、ないものなのだと思った。
ルーシャーは、分からないことはシェパーが教えると思った。
この時点で二人が平行線を辿っていたことに、ルーシャーは気付かなかった。
変わったのは、ノノカとの出会い。
紅茶を褒められずにむっとしたのが、最初の感覚。
シェパーならいつも文句を言わずに飲んだからか、何故か少し嫌な気分になった。
それからノノカとシェパーは長く会話を交わし、その中でルーシャーはノノカがとても賢い存在であることに気付いた。そうすると少しだけ、彼女に好奇心が湧いた。
シェパーが忙しくなって部屋を出た後、ノノカはちょこちょこルーシャーに話しかけて問答や会話をした。彼女の見識はシェパーが「こうだ」と定めた常識が実は一面的でしかなかったと思い知らされることもあった。
ノノカは知識を与えたが、同時にそれに対してルーシャーが何を思うのかを大切にしていた。彼女は決して命令をせず、根気強くルーシャーの気持ちを引き出そうとした。今までインプットばかりだったルーシャーは彼女に言葉を返すため、今まで使ってこなかったアウトプットの能力をフル稼働した。
きっと、楽しいという感情だったのだと思う。
自分が考えた末に出した答えをノノカが褒めてくれると、シェパーの時には感じなかった心を擽られるような心地よさがあった。逆に思った反応が返ってこなくて戸惑ったこともあったが、それががっかりという感情だというのも学んだ。
そして、気付いた。
ノノカは相互のコミュニケーションを大事にしているが、シェパーのコミュニケーションは基本的に一方通行なのだということを。
ノノカは数多の人間と関わり合うことで世界が成り立つことを理解していたし、一人で全てを変えようなどとは考えていなかったが、自分が突き進むことを止めない感じがする。
シェパーは、自分が素晴らしいと思ったものを世界に浸透させるために、己ありきで全てを変えようとしていた。
『どっちも間違ってる訳じゃないんですよ。一人の独善が結果的に世界を変えることなんて珍しくもない。捨てることで得られる栄光もあります。逆も起きますけど、チャレンジすることには意義があります』
ノノカはオーク研究を誰にも理解されず、それでも突き進み続けた人間だ。
その点で彼女はシェパーの志を決して無碍にはしていなかった。
しかし、彼女の言葉や表情の節々に、別の不満の存在を感じていた。
ルーシャーにはそれがよく分からなかったが、一つ思ったことがあった。
シェパーよりノノカの方にルーシャーは惹かれていた。
こちらの方が心地よく、そして暖かい。
彼女と握った小さな手から感じるぬくもりが恋しい。
何でもあるがまま、言われるがままに受け入れてきたルーシャーの心に初めて明確に生まれた、それは欲だった。
欲とは求める心であり、それは同時に拒否する心を生み出す。
「やっとわかったんだ。嫌だという気持ちが……シェパー。おまえと一緒にいたくない。種族の繁栄なんてどうでもいい。ノノカと一緒にいたい」
「ならばノノカ女史も連れてくればいいだけでは……!」
「ノノカはここにいたいと言う。シェパーは行きたいという。わたしは一人だから片方にしかいけない。だから選んだ、いたい方に」
娘の自主性を何度も口にしていたシェパーが次の瞬間に選んだ言葉は、愛のある言葉だった。
「ルーシャーを連れ戻せ!! アルディィィーーースッ!!」
シェパー自身にしか理解出来ない、シェパーが思う、ルーシャーの気持ちを無視した愛だった。
そして、その愛は子供には届かない。
そして、騎道車の上から飛び降りてきた刃と、ノノカの隣をすり抜けた二つの刃が激突した。
「十二の型、八咫烏ッ!!」
「啄め、八咫烏!」
二つの剣は音速を超えて衝突し、凄まじい衝撃波を生み出した。
結果は、拮抗。
アルディスの刃は、乱入してきたヴァルナの刃と完全に拮抗していた。
完全に八咫烏をモノにしたヴァルナの一撃を、つい最近奥義を覚えたアルディスの刃が拮抗させた。
直後、騎道車の魔導機関が唸りを上げて発車し、突然の加速にタラップのシェパーがよろめきながら出入り口の縁にしがみついて耐える。
運転手の大声が響く。
「王国筆頭騎士にぶった斬られたら車が走れなくなる! このまま発進しますよ!」
「しかし、アルディスとルーシャーが……!!」
「時間切れなんだよ!! 潔く諦めな!!」
「くそ、アルディス!! なんとか追っ手を振り切ってルーシャーだけでも連れて帰ってきなさい!! きみの鼻なら追跡も容易――」
「拒否する」
「……ッ!!」
アルディスは鍔迫り合いを演じながら、食い入るようにヴァルナを見て笑っていた。もはや彼の闘争心はシェパーのこともルーシャーのことも忘れ果て、目の前の圧倒的な個との戦いにのみ注がれている。
シェパーには、アルディスにルーシャーを守り、彼女の将来の伴侶になってほしいという願望があった。遺伝的にも近親にならないよう調整したし、二人同時に育てた。なのに、アルディスが傾倒したのは戦いにのみだった。
このような極限状態にあっても、アルディスはルーシャーに興味があまりない。
原因はまったく分からないが、一つ確かなことがある。
アルディスは戦士としては最高傑作だが、生物として欠陥品だ。
それでもアルディスを可愛がってしまうシェパーは叫ぶ。
「なら勝ちなさい! 全ての敵に勝ちなさい! 必ず迎えに行きますから、それまで決して敗北をしてはなりません!!」
瞬間、トトッ、と音を立てて自分の体に何かが刺さった。
刺さったのは、手術用のメス。
投げたのは、ソコアゲール靴の中にメスを仕込んでいたらしいノノカだった。
「勝手なことばかり言って自分の都合のいい命令だけ残して!! 親なら戦いを見届けるくらいのことはしなさいよ、無責任男!!」
痛みを感じたり反論する間もなく、騎道車が加速していく。
出入り口のシャッターが車体に強引に突き破られ、けたたましい音を上げる。
ルーシャーを王都に残していくことは果てしなく不安だが、もはやノノカを信じるしかない。シェパーは出入り口を閉めて壁にもたれかかり、大きな大きなため息をついた。
メスはシェパーの分厚い脂肪に阻まれて臓器を傷つけてはいないようだが、これはノノカなりの決裂の意思表明だったのだろう。メスの鋭すぎる刃は長く刺さりっぱなしにはならず、自然と抜け落ちて床を血が汚す。
「はぁ~~~~……なんでこう、私ってこうなんでしょうねえ。分かってくれる人には分かって貰えるのに、分かって貰えない人には徹底的に嫌われるって言うか……」
長い付き合いの友人であるスミスの言葉が何故か脳裏に蘇る。
『おまえ、他人を理解しようとする努力しなさすぎなんだよ。勝手にやったつもりになって、努力しようっていう感覚ねえだろ? ったく、そのうち足下掬われるぞ?』
あの時、もう少し真面目に話をしていればよかったのだろうか。
いや、今はそんなことよりも次のことを考えよう。
時間は有限だ。
後悔しても結果は変わらない。
出来ることをしていけば、いつか助ける道も拓けるかもしれないし、怪我の治療も必要だ。
窓の外でオークと騎士団が激しい戦いを繰り広げている光景を見ることなく、自分が彼らを見捨てて逃げているという事実すら深く意識もせず、「最新の騎道車なのに意外と揺れるな」と場違いなことを考えながらシェパーはのろのろと立ち上がった。
メスで突き刺された傷が、ずぐり、と痛んだ。
◇ ◆
逃げられた。
それを後悔する暇も無く、俺はアルディスとの一騎打ちに突入した。
「うおおおッ!!」
「ヴァルナ! 楽しい、ヴァルナ!」
袈裟斬り、横薙ぎ、突き、足払い、流れるように剣を叩き込んでいく。
アルディスはそれは躱し、いなし、時に反撃を織り交ぜて再び状況を拮抗させる。
鍔迫り合いで感じる筋力のなんと凄まじいことか。
アルキオニデス島のセブン・トーテムを思い出す。
あのとき、ヴァルナが戦ったアース・トーテムはオークの筋力と武人的な技量を併せ持ち、更には武器もドラゴンの骨という強敵だった。勝敗を分けたのは、技量ではヴァルナが圧倒的に上だったことだ。
アルディスは、実力で言えばアース・トーテムの上位互換。
アースに比べて重量は減っているが、その分肉体がコンパクト化してより手強い。オーラも使うし剣術も使う。何より、先ほどこいつは王国攻性抜剣術十二の型・八咫烏を使って見せた。
あれは間違いなく八咫烏だ。
しかもこの短期間で俺と拮抗するレベルまで練り上げられている。
オルクスの勘はどうやら的中していたようだ。
「もっと楽しもう! 刹那に命を! 剣に懸想を!」
「ぬっ、ぐうッ!!」
先ほど繰り出した俺の攻撃を模した剣が、独自のアレンジを加えて流れるように叩き込まれる。武術の基礎を理解した上で、結果的に同じ効果が得られるようにアレンジしてある。アルディスは武術というものを勘で正しく理解している。
一の型・軽鴨を放てば、二の型、水薙で流される。
六の型・紅雀を放てば、絶妙なタイミングで八の型・白鶴で逸らされる。
こちらの奥義とあちらの奥義が拮抗し、二人で剣舞を踊るように剣戟の音が延々と響き渡る。
「我が軽鴨も受けろ、ヴァルナ!」
「受けるか馬鹿が!!」
不意打ち的に放たれた居合いのような刃を即座に水薙で逸らすが、アルディスの筋力と氣の強さ故に斬撃が飛んで髪先が切断される。後ろできゃあ、と悲鳴があがった。
「ち、ちょっとヴァルナくん!! 斬撃危うく当たる所だったんですけど!」
「すいません、余裕がないです!!」
「アルディス、今、わたしも危なかったのだが」
「そうか、ならこの場から離れることを推奨する」
ノノカ、ルーシャーからの抗議に長々と答える余裕が無く、互いに弾かれるように後方に下がるとゆったり歩きながら互いの隙をうかがう。
後ろではキャリバンが戸惑いつつも二人を避難させる声と音が聞こえた。
しかし、俺とアルディスは味方のために留まっているのではない。
ただ単に、そんなことを考えられるほど余裕がない。
「絢爛武闘大会以来、ということでいいのかな? 会いたかったよ、お前を逮捕するために」
「こちらも会いたかった。なぜだかわかるか」
「知らんな」
「お前が好きだからだ。性別など関係ない。これはきっと愛なのだ」
「え、今なんて?」
アルディスは高揚感と興奮で頬を朱に染めながら、堂々と断言した。
後ろの方からノノカさんの黄色い悲鳴が聞こえた。
新 ヒ ロ イ ン 登 場 。




