479.手柄と評価は別物です
ズシン、と、大地が揺れる。
数時間前まで平穏だった民の部屋の中がビリビリと震動し、テーブルの上のカップが震えて中の飲みかけの紅茶が波打った。
ズシン、と、また揺れる。
揺れは大きくなり、窓ガラスがびりびりと震え、棚の上の置物がゴトゴトと震えた。
ズシンッ!! と、一際大きな揺れが走る。
その瞬間、窓ガラスは割れ、卓上のカップが床に落ちて紅茶が床にぶちまけられ、棚がまるごと揺れて内容物が全て落下する。
『グギャオオオオオオオオオオッ!!!』
鼓膜が痛む巨大な獣声を響かせる、全高六メートル近い巨体が町の通りを闊歩する。もはやオークと呼んでよいものか――全身の筋肉が隆起し、血管が浮き出て、その瞳には半ば理性の消えかけた破壊衝動が渦巻いている。
余りの巨体に、王都の民の避難誘導を手伝っていたナギが冷や汗を流す。
「おいおいおいおい……その質量のものが今まで気付かれないのは流石におかしいだろ!」
海外での冒険経験があるナギでさえ焦る存在だ。
魔物のまの字も知らない民衆がそれを見たとなれば、放心状態かパニックの二者択一。
「あ、あんなのが出てきたらこの国は終わりだ……」
「いやぁぁあーーーー!!」
「ああ、神様!! 神様!!」
(しまった、パニックが伝染する――!!)
その刹那、ガーモンが叫ぶ。
「敵とはまだ距離があります!! 落ち着いて避難誘導に従ってください!! 問題ありません、我々豚狩り騎士団は同程度の大きさのオークを討伐した経験があります!! 焦らずに避難を!!」
御前試合でも活躍するガーモンの力強い声に、民は一瞬冷静さを取り戻し、パニックの伝染はすんでの所で防がれた。
彼の言葉は嘘ではない。ただ、実際には一人の騎士の貢献の割合が多かったというだけの話だ。それに巨大オーク対策は騎士団内でも何度も想定と訓練が繰り返されてきた。
ファミリヤの報告では巨大オークは六体。
町を無差別に破壊されては困るが、どうやらこの六体は理性が薄いせいかこれまで確認された超大型オークのような狡猾さは認められていない。これが敵の切り札であるならば打倒するのみだ。
槍を構えるガーモンの隣で、鏡合わせのようにナギも構える。
「やるねぇ、現役騎士?」
「茶化すなよナギ。それに、事は恐らくそう簡単じゃないぞ」
「みてぇだな。あのバカでかオーク、見境なしに動いてるかと思いきや律儀に大通りを直進してやがる。あのハイブリッドヒューマンってのが近くで指揮取ってんじゃねえのか?」
「そういうこと。別働隊が横合いから攻めてきたら大型オークにも対処できなくなる。二段構えだ」
「でも、それはこっちも同じだろ?」
ナギが上を見上げると、屋根の上にディジャーヤの戦士サヴァーや王宮メイド隊の姿があった。彼らは頷くと即座に別の屋根へと飛び乗って散開していく。騎士団の面々は既にあり合わせの道具や本部より持ち出した備品で大型オークへの備えを始めている。
「ナギ、お前は私と一緒に最前線に来て貰う。一瞬たりとも油断するなよ。たとえ私が死んでもだ」
「おいおい、勝手に死ぬんじゃねーっての。兄弟喧嘩できなくなっちまうだろ? 約束忘れたのか?」
「そうか……それもそうだな。ならさっきのはなしだ」
クリフィアでの大喧嘩のあとで交わした言葉を思い出し、ガーモンは懐かしげに笑う。
「我ら兄弟を同時に敵に回す恐ろしさを味わわせてやろうじゃないか!!」
「へっ、たらふく食って腹ぁ壊しな! クリフィア魂見せてやるよ!!」
二本の槍が交錯し、鬨の声が上がる。
ガーモンの隊を皮切りに、王都の各所で超大型オークとの戦闘が幕を開けた。
◇ ◆
騙し絵展に騎士団が到着して避難者を外に誘導させる中、困った事態に周囲の騎士団は困っていた。
「下がれ!」
「嫌です!」
「そうか、でもダメだ下がれ!」
「絶対に嫌です!」
この忙しいときに口論してるやつがあるかと怒鳴り散らされる場面だが、怒鳴れば物理的ダメージが返ってくるアキナ班長が口論の中心なのだから誰も声をかけられない。しかも我の強さで最強格の彼女にイヤイヤを突きつけているのが普段はお利口なブッセ少年なのだから、余計にどう介入すれば良いか分からない。
――アキナが心配していたブッセを発見したのは数分前のことだ。
騙し絵展が避難所化していることを突き止めた騎士団はさっそく現場に向かって避難者たちを救出し、そのついでにブッセを発見することができた。それは良かった。
次に、ブッセが騙し絵展で罠猟の才能を生かして予想以上のオークを仕留め、なんと協力者ありとはいえハイブリッドヒューマンを一人捕縛するところまでやっていたことが判明した。ブッセが自ら挑発して罠に嵌めたらしい。このときは流石に危険なことをしたなと思ったが、まだ険悪ではなかった。
問題は、ギガントオークの討伐にブッセが参加すると言いだしたときに起きた。
「させるわけあるか!! 大人しく後方に逃げろ、足手纏いだ!!」
いつになく真剣に怒鳴り散らすアキナ。
子供を危険な戦場に立たせられないのは全くの正論で、騎士団の誰もが「この人もたまには真人間に見えること言うなぁ」と思うほどだったが、まさかのブッセがこれに猛反発した。
他人に感情論で訴えられた程度では絶対に意志を曲げないアキナと、今日ばかりは絶対に引かないと意地を張るブッセの言い合いはとっくに平行線に突入しているが、その間にも時間は経過し、もう他の騎士団は副班長ザトーの指示で動いている状態だ。
アキナはこの状況でまだ引く意志を見せないブッセを前にがりがりと乱雑に頭を掻き、一つため息をつく。
「……ちゃんと理由を言え。そしたら連れてく」
「アキナ班長!? 何言ってるんですか!」
「あぶないよ~」
「危険だよ~」
「フォローしきれないよ~」
トロイヤ、リベリヤ、オスマン三兄弟でさえ普通に反対意見を出すが、アキナもアキナで口から出した言葉を撤回する気はないのか返事すらせずブッセをじっと見つめる。
ブッセはその眼光に怯むが、意を決して睨み返す。
「アキナさんは僕に嘘をついた!」
「ついてねーよ。むしろ言った通りだったろ? お前の親父を殺したのが誰かまでは知らん。だがそれを理由にお前を受け入れようとしねーどころか真実さえ伝える根性もなかったイスバーグは終わってるんだよ。だから言ったんだ、捨てちまえって」
「言ってくれたってよかったじゃないですか! 言わずに黙ってたんなら、貴方だってイスバーグの大人たちと同じだ! 都合の良いことを子供に黙ってるんだ!」
「言えば信じたか?」
「信じましたよ!!」
「嘘だな。オレから言ってもお前は信じなかった。『冗談でも言っていいことと悪い事がありますよ!』とか返して本気にしなかったんじゃねーの?」
「ふ、ぐぅ……!!」
そこで言い淀んでしまうのが、ブッセの正直さだろう。
「あの日記を見せなかったのは悪いとは思ったけどな。わざわざ隠してあったってことはお前のじいちゃん……デビットだっけ? そいつがお前が自力で見つけるまでは知らずともいいことだと思ったんじゃね? だからオレはその意志を尊重した。でもやっぱり村のゴミクズ連中に我慢ならなかった。ま、一人根性のあるヤツがいたみたいだけどな」
ズシン、と、大地が揺れる。
ギガントオークが次第に無視できない距離になってきた。
「で、理由はそれだけか?」
「アキナさんに凄くむかついたのは事実です」
(心グッサー……)
表情には出さないが傷つくアキナ。
でも、とブッセは言葉を続ける。
「アキナさんは保護者で僕は子供だ。子供のためだって言われたら何も言い返せない。だから……約束してください! 僕はあのギガントオークを倒す作戦を考えてます。これを成功させたら、僕を一人の男として認めてください! 騎士団は結果が全てなんでしょ! アキナさんも結果を出して認められたんでしょ!! だったら!!」
ズシン、と、また激しく大地が揺れる。
アキナはブッセを顔をじっと見つめ、そして。
「ナマイキ」
ごちん、と、ブッセの頭にげんこつを振り下ろした。
「×▲□※☆~~~!?」
((((え~~~~~~!?))))
誰かがぼそっと「まさにアキナ」と呟くほどの理不尽である。涙を浮かべて声にならない悲鳴を上げるブッセの頭を鷲掴みにしたアキナは、なんとそのままブッセを自分の視線まで持ち上げる。
「一つ勘違いしてるみてーだから有難くも訂正してやる!」
「ひゃ、ひゃい!?」
「騎士団の作戦は一人で成功させるもんじゃねー!! そのときたまたま中心的な役割を果たす人間がいるってだけだ!! 功労賞が出る分にはオレぁ大歓迎だが、作戦が成功したからって立案したお前が凄いんじゃねーんだよ!!」
「……!!」
それはアキナの中での騎士団の筋だった。
彼女は功労が認められたらそれに相応しい地位とお金が欲しいだけであり、自分の才能と騎士団の実績は切り離して考えている。だから自分で考えた作戦を以て自分の強さの証明とするブッセの考え方を認めることはなかった。
アキナはそれで気が済んだとでも言うように手を離し、ブッセは掴まれた頭が変形してないか確かめるようにさすって涙目になった。
(ぼく、やっぱりアキナさんにとって子供でしかないのかな……)
項垂れるブッセの手を、しかしアキナは強引に引っ張り上げる。
「おら、行くぞ。作戦あるんだろ?」
「え……え?」
「答えが気に入らなかったら連れていかねーなんて言ってねえぞ。仕事で結果出して認めさせてみろよ。そしたら男だって認めてやる。勿論、騎士団の一員である以上は独断専行は論外だかんな!」
ああ、と、ブッセは思う。
結局アキナは自分に優しく、面倒見の良い女性だ。
少なくとも今、アキナはブッセが絵空事の計画を建てている訳ではないと信じるからこそ作戦への参加を許可しているように思う。
彼女はブッセを信用していない訳じゃない。
むしろ、そうなんじゃないかとブッセが勝手に疑っていたのだ。
(本当に嫌なのは、子供扱いされるほど未熟な僕自身……だったのかな)
それとも、もしかすれば隠した相手がアキナであったからか。
ブッセは自分の行き場のないもやもやが晴れていくのを感じた。
「……分かりました、僕の立てた作戦を聞いてください!!」
少年は一つの時代を通り過ぎ、新しい時代へ向けて進んでいく。
◇ ◆
ギガントオークは生物兵器だ。
強制的に狂戦士とされた肉体は長く生きられないが、痛みも疲れも感じない。辛うじてハイブリッドヒューマンの命令の優先権は残るが、そこにはもう人格も理性も殆ど残っていない。ただ戦って死ぬためだけに生まれた生命だ。
ルーシャーがこれを作らされたのは数回。
その数回で、シェパーは実験の継続を取りやめた。
ルーシャーは実験をやめたいとは言わなかったし、拒否もしなかった。
言われて断るような合理的な理由が見つからなかったからだ。
なのに、眠る際に変異させられるオークの表情と悲鳴が忘れられず、眠れない日があった。
多分、今夜ルーシャーに夜が来るなら眠れないだろう。
その話をノノカに質問されて答えると、彼女は激怒した。
「しっかりバッチリ嫌なんじゃないですか!!」
「もう一度やれと言われればやる」
「それはただのガマンですからね!? いいことルーシャーちゃん! 眠れないのはストレスに起因する不眠です!! ストレス反応の代表格です!! 自覚がないだけでバッチリ傷ついてるんですよ!!」
何故ノノカが怒っているのか分からないし、ストレスチェックなら口頭でシェパーに定期的に行われている。しかし、シェパーはノノカをオーク学の権威だと言っていたので、自己判断よりノノカの判断の方が正しいのだろうと考え直す。
「分かった。眠れない夜が来た日はストレスが溜まっているのだな。どうすれば防げる?」
「ストレスから逃れる術は二つに一つ! 一つは受けたストレスを別の行動や欲求を満たして発散すること! もう一つは、ストレスの要因をそもそも避けることです! 次から断りなさい!」
「は、はい」
余りの剣幕に自然と頷いてしまうと、ノノカは苛々が収まらないとばかりに足下の瓦礫を王宮の敷地に向けて放り投げた。何を狙った訳でもない無駄で無為な行為だが、それで少しすっきりしたようにノノカはふう、と息を吐く。
「これがストレス発散の八つ当たりです! さあ、思いっきり!」
「は、はい」
言われるがままに手渡された石を力の限りぶん投げる。
オーク因子が生み出す膂力は凄まじく、石はノノカの投擲を遙かに超えて敷地の外まで飛んでいった。これで何か発散されたのかは謎だが、ノノカが「よく出来ました!」と背伸びをして優しく頭を撫でた。
シェパーにも同じ事をされたことがあるが、何故かノノカの手はそれより暖かい。
ルーシャーはその感触に戸惑いつつ、しかし嫌な気もしないので暫くされるがままになった。自分の耳と尻尾がゆらゆら動いていたと、後になってノノカに教えて貰った。
そういえば、とルーシャーは思う。
(私が投げたあの石、紙のようなものでくるまれていたが……まぁいいや)
もしその紙に何らかのメッセージがあったとしても、ルーシャーは報告しろとも止めろとも言われていないのだから。




