473.大脱走です
どこでも寝られるというのは健康にいいらしい。
寝付きが良いほど睡眠の質がよく、回復力も高まるというのは理解出来る話だ。
俺は特別寝付きがいい訳ではなく、騎士団で仕事を始めて暫くは寝心地の悪い騎道車のベッドに慣れず、起きたときに体が軋んだものだ。しかし人間の適応能力とは大した物で、今では問題なく寝ることが出来る。
特に騎道車が新型になってからはベッドも多少の改善を見せたが、たまに以前のお世辞にも快適とは言えないベッドを思い出すことはある。座る際の独特の弾力と軋みを体が覚えているのだ。
今では砂漠の中継点となり二度と動くことのない騎道車一号は今も健勝だろうか。
ともあれ、俺はどこでも寝られる特技を得た。
なので、両手両足を拘束されて牢屋に叩き込まれても寝られる。
『まさかこの状況で寝るとは……』
『俺からしたら会えないとか自分で言ってた貴方がここにいる方が意外なんですが?』
普段とは違って如何にも正装といった装いの運命の女神は伊達眼鏡をかけている。俺の追求に運命の女神は気まずそうに目を逸らす。
『ほら、世界サミットの会議内容って天界魔界でも審議が行われるからスゴい時間かかるんだけど、運命の女神の立場から口出しすると大変だから思うことあっても黙ってること多いのよ。でも黙って座ってると暇で……ね、授業中に退屈になってこっそり別の本読んだりとかしたことあるでしょ? そういうノリ分かるでしょ!』
『俺はないですね。アストラエが常習でしたけど。あーいけ好かない』
『それ友達に向けて!? それとも私に向けて!?』
無論どっちもである。
『俺が真面目に職務をこなしてこんな窮屈な思いをしてる間に女神様は暇つぶしですか。そうですかそうですか。普段仕事がどうとか責任がなんとか言いながら、自分はちょっと退屈に感じただけでコレですか』
『やめてよ!! 仕方ないじゃない、人間基準で言えばもう何時間も『はい』、『賛成』、『異議無し』の三種類の言語だけでの職務を強いられてるのよ!? 私だって細かいところは突っ込みたいわよ!!』
『じゃあやればいいでしょ。他人の迷惑がなんなんですか。未来の迷惑を未然に防ぐための会議で手を抜いたら意味ないでしょ』
『人間関係ならぬ女神関係は複雑なのよ!! 貴方のいる所の騎士団がストイックすぎておかしいの!!』
無視だ無視、こんな堕落した女神。
ちょっとでも仕事上の共通項があると勝手に思っていた自分が恥ずかしい。
無性に腹が立って無視を決め込むと、最初は言い訳していた運命の女神も火がついたのか語気が強くなる。
『あーそう!! そういう態度取るんだ!! いいもんねー、そっちがその気なら気になるところ片っ端から突っ込んでみんなを困らせちゃうもんねー!! いいのかなー!! 会議が長引けば長引くほどサミットの終了が後に後にとずれ込んでそっちだって忙しくなるけどいいのかなー!!』
『そんなこと言ってどうせすぐにネタ切れ起こして暇つぶしでも始めるんでしょ? 付き合ってあげましょうか、暇の女神様?』
『むきー! もー怒った! 後で謝ったってもう遅いんだからぁ!』
両手をブンブン上下に振り回してムキになる運命の女神はちょっと面白かった。
◇ ◆
誰かの呼ぶ声がする。
後頭部に心地よい暖かさを感じる。
瞼をこじ開けると、さかしまな蒼髪の少女が俺を見下ろしていた。
慈しむような柔らかい微笑みと額を撫でる温かな手が心地よい。
溺れてしまいそうな優しさの籠った声で、少女――シアリーズは俺の目を覗き込む。
「おはよ、ヴァルナ。膝枕どう?」
「……男を駄目にするやつだぞ、多分」
「駄目になっちゃいなさいよ。クロスベルみたいなだらしなさじゃないなら許して抱きしめてあげるから」
「やめい! 俺は結婚詐欺で捕まりたくないの! というかしないし!」
このまま寝ていたいという気持ちが甘く深い誘惑であることに気付いた俺は、両手両足を拘束されて不自由な体を起こす。この状況になってもシアリーズときたら油断も隙もない。高まる心臓の鼓動をゆったりとした呼吸で落ち着かせ、周囲を見る。
「状況はどうだ?」
「外から微かに喧しい音が聞こえるけど、地下だからイマイチ分からないわね」
シアリーズは肩をすくめる。
意識が覚醒することで一気に自分の状況を思い出した俺は、そうか、とため息をつく。
目隠し状態で牢屋に叩き込まれた俺たちは、今は目隠しを外しているもののここがどこだか分からない。恐らくは衛兵の留置所か、聖盾騎士団の留置所か、もしくは拘置所の三つのうちどこかだろう。
見学や面会などで幾度か足を運んだことがあるが、その三カ所より小規模な所ならばもっと『ちゃち』な檻を使っているので殴って壊せる。しかし上記三つの牢屋となると話は別だ。
なにせ、王国騎士基準で壊れないように作られているので他国の檻より遙かに頑強で壊れづらい設計になっている。流石の俺も足と腕を拘束されては構えが取れず、力を発揮できない。
本当にいざとなったら手の骨と肉がバキバキのズタズタになるのを覚悟で強引に手錠から引っこ抜こうかとも思っている。親指と人差指と中指だけ無事ならなんとかなるかもしれんし。
「ちょっと、グロいこと考えないでよ」
「えー、だって……他に手がなかったら仕方なくないか?」
「そーじゃなくて、そういうのはアタシがやる」
「それはそれでダメだと思うぞ!?」
しまった、シアリーズも俺と似たような思考回路の持ち主だった。
彼女のことだから、自分の方が手が細くて小さいから俺がやるよりはダメージ少なくて済みそうとか思っていそうなところが怖い。初めて自分が仲間に化物とか怖いとか言われる理由の一端を垣間見た気がした。
不毛な議論を行っていると、遠くで重い鉄の扉の開く音がする。
俺とシアリーズは会話をやめて静かに音に耳を傾ける。
扉から入ってきた足音は駆け足でこちらに迫ってくる。
オークか、いや、オークならもっと重い音がするから人間――もしくは、ハイブリッドヒューマンだろうか。
(まずいな。邪魔者を消すためにやっぱり死んで貰うとかだと本当に手を犠牲にしなきゃならん)
(準備だけしとくわ)
互いに身構えて待つこと数秒、檻の隙間から見えた顔に俺は驚く。
「ヴァルナさん、ここにいたのか!! へへ、すぐ檻を開けますよ!」
その男は、いつも騎士団で共に戦う仲間――でもなんでもなく。
「お前、モクサンか!?」
「不肖このモクサン、お手伝いさせていただきまっせ!!」
嘗てカリプソーの町で偽ヴァルナとして暴れ回り、危険な魔物デッドホーネット・クイーンを国内に持ち込み、ついでにバニーズバーで食い逃げした罪で拘束されていた犯罪者のモクサンであった。
騎士団の仲間じゃなくてがっかりしたが顔には出さないでおく。
いや、このタイミングなら普通期待するじゃない。
まだ釈放されていない筈で、実際囚人服を着ている彼は、自分が国内に持ち込んだ魔物に自分で襲われて俺に助けられて以来それを恩義に感じて子分みたいな態度を取ってくる男だ。逆に俺と俺の知り合い以外には態度が悪いらしいが。
モクサンは手に持った鍵を若干モタつきながら牢屋の鍵穴に指し、中に入ってくると俺の手錠と足枷も鍵で解放する。
「実はあの伝説の暗殺者、スパルバグスに頼まれまして脱走してヴァルナさんを助けにきやした! ささ、そちらのお嬢さんも!」
「スパルバクス!? どっちの!?」
「へ? どっちって、二人いるんですかい? 虫が手紙運んできただけなんで直接会ってないから分かんないでやすねぇ、面目ない」
へこへこ頭を下げるモクサンだが、そういえば彼が事情を知らないのは当然だ。
虫を操る暗殺者スパルバクスとその孫のカリムは今現在、王国預かりとなっている。自由は拘束されて今は軟禁状態にある筈だが、それでも外の異変に気付いて動いていてくれたらしい。どちらの手伝いにせよ大助かりだ。
解放されて軽く準備運動をする。
起きたばかりかつ錠のせいで体が凝り固まっていた。
モクサンはというと、扉の方から飛んできたカブトムシが胴体にぶら下げたメモ紙を確認する。
「お二方! 二人の鎧はここの倉庫に、剣はここを監視するオークが奪って装備してるそうでやす! さっきちらっとオーク連中の声を盗み聞きし所、非常事態につきお二人を始末するとかなんとか! ひとまずはこちらを使ってくだせぇ!!」
モクサンが渡してきたのは警備員用の警棒だ。
ないよりは大分マシだが、愛剣に比べると余りにも心許ない。
「鎧は諦めて剣だけでも取りにいこう。外はどうなってる? 人質は?」
「さあ。でも空をワイバーンが飛んでるしオーク達は耳を押さえて藻掻き苦しんでるし、放送設備もぶち壊されて敵さん側は大混乱でさぁ」
ワイバーンが飛んで既に混乱が起きている、ということは、騎士団側は既に作戦をしかけていることになる。人質問題は皆がなんとかしたと信じるしかない。
連絡網が寸断されたなら俺やシアリーズの脱走といった情報が他に漏れる可能性は低いが、ここの現場責任者が俺たちに対して直接人質を取る可能性は否めない。可能な限り迅速にオークを殺害し、武器を回収しなければならない。
「モクサン、お前戦えるか?」
「これでも昔はドンロウ一派で蹴りの拳法学んでやしたし、倒すのは無理でも囮になってかき乱すんなら自身ありますぜ!」
「よし。モクサンが先行して気を引き、その後に俺とシアリーズでオーク共を鎮圧する。スパルバクスは流石に魔物の虫を操れる状況じゃないから戦闘の援護は期待できないが、虫で敵を妨害してくれる筈だ。一気に片付けるぞ」
「はいはーい。アタシの大事なグラウベンとエアガイツを盗んだ報いは、捕まえられた借りと一緒にたぁっぷり返してあげる!!」
俺たち王立外来危険種対策騎士団が何の為に存在する騎士団なのかを、身を以て思い知れ。
――この間にハイブリッドヒューマン・アルディスによって騎士団の二つの部隊が壊滅的な被害を受けて撤退を余儀なくされ、二人のハイブリッドヒューマンが奪還される。




