469.大切なことは伝えましょう
スミス・ウェッソル議員とシェパー・ウォルゼーボ議員の付き合いは長い。
同じ学び舎で勉学に励み、互いに現場叩き上げで、思えばいつも何かと一緒だった。そんなシェパーがこんなにも狂った目標を持っていたことを彼は知らなかったし、暫く信じられなかった。
だが、目の前では着々と王都奪還の為に準備を進める騎士団がいて、シェパーの要求でタイヤの取り外しが進む騎道車がある。王宮とは連絡が取れず、あの適度に不真面目なのに仕事の出来る恰幅の良い友人は、隣にはいない。
いるのは年功だけのボンクラ議員マトーマと世襲だけのボンクラ議員ホーラルスだ。
流石にこの二人も極まったバカではないのか、騎士に余計な口出しはしていない。
単に何を言えばいいか思いつかないだけかもしれないが、こんな馬鹿でも積極的に問題を起こさない限りは繋がっていた方が良いというのがスミスの処世術で、それに乗っかって楽をしてるのがシェパーだった。
「そういえば……」
スミスは今になって、遠い昔の出来事を思い出した。
マトーマが首を傾げる。
「急にどうした?」
「子供の頃、王都の学校でシェパーが一度だけ教師を激怒させたことがあったなって」
「へー。宿題サボってたとかか?」
「いや、あいつはなんだかんだでギリギリ間に合わせる奴だったよ。頭下げて見せて貰ったりはしてたけどな」
確かあれは、国語の授業――いや道徳だっただろうか。シチュエーションは思い出せないが、どんなやりとりだったのかは覚えている。
「なんで命は尊いと語るのに人は魔物を殺すのか。それに対して教師は魔物より人が優れているからだって答えたんだ」
今になって思えばこの教師もやや偏った思想の持ち主な気がするが、確かに魔物と言っても命は命だ。本来ならばこの問いに正解などないのかもしれない。
もしスミスが同じ質問を聞かれたら、生存競争で人間が優位だから、か、人間が今の生活を続けるにはやむを得ないと説明するだろう。この答えも大半の人間は納得するかもしれないが、万人が納得するかは分からない。魔物の命も大事にしろと叫ぶ思想団体も存在するのは事実だ。
端で聞いていたホーラルスは教師の弁に特に違和感はなかったのか、納得したように頷く。
「人間様は賢いからなぁ。ねぇマトーマさん」
(お前は賢くないけどな、ホーラルス)
(……と思ってるんだろうけど、俺からすればお前も同じ穴の狢だぞ)
閑話休題。
そこまでは問題なかったが、続く質問が先生を激怒させた。
「では仮にオークに人間と同等の知能があったとしたら、身体能力に優れるオークは人を殺めても問題ないのか……あいつはそう聞いたんだ」
優れていることが人と魔物を分けているのならば、理論上は関係の逆転はありえる。
だが、人間の中にそれを自然だと考える者は多くはないだろう。
自分たちが優位でいなければ人間社会が困る。
シェパーの考え方はあのクラスで――いや、これまでスミスが出会ってきたあらゆる人間の中で異端だった。なにせ、恐らくは世界の殆どの人間はその疑問に対してこう思う。
人は人、オークはオークだからそんな力の逆転はあり得ない、と。
本当にあり得ないかどうかということは考えないし、考える必要がない。
人間として人の社会にいる以上、その優位を自ら譲る道を模索するメリットなどない。
だから考えないし、そのような論理的発想もなく思想的な感覚で否定するだろう。
マトーマとホーラルスもそういう人間だった。
「は? 意味が分からんことを言ってるなぁ」
「あり得ない前提だろ」
「当時は俺もそう思った。教師は『二度とそのようなことを考えるな』と怒鳴り散らした。シェパーは何度か反論しようとしたけど、頭に血が上った教師は会話に応じることさえせずに教室を出て行ったな。『こんな無礼者に教えることなどあるか!』とかなんとか」
あの時のシェパーの姿を、スミスは覚えている。
哀しそうとか悔しそうという感じではなかったが、納得しがたい何かが胸に引っかかっているような、彼にしては珍しい顔だった。
「あいつが何考えてこんな馬鹿げたことを始めたのかは知らないけど、何か一つのきっかけにはなったのかもな……」
人類が優れているというのは事実かもしれない。
しかし、これからも優れた存在で居続けるという結論は感覚的、思想的なものだ。
シェパーにはそんな感覚も思想もなく命がフラットに見えていたから、何故教師がそこまで頑ななのか理解出来なかったのかもしれない。だから人間にも優しくできるし、人間を見捨てることも出来る。
怒り散らして答えが出るなら、人類はみな怒り散らしている。
しかし、現実には怒りは答えを遠ざけ、隠す手段でもある。
あのとき、あの頑固な教師が少しでもまともにシェパーと向き合っていれば、未来は変わったのだろうか――今更考えても詮無きことを、無力なスミスは考えるのだった。
理解不能だから投げ出すのでは、理解が深まることはないのだから。
◇ ◆
偶然にも避難場所として機能していた騙し絵少女バウムのトリックアート展会場内では、不安に震える人々が身を寄せ合っていた。トリックアート展は大きな建物を貸し切りにして行われていたため、人が多く入る反面外に出づらいという欠点がある。
オーク達は絵の具の臭いを嫌っているし、時折意を決して建物に突入しても騙し絵にまんまとダマされて壁に顔面をぶつけて不思議がったり、怖がって逃走している。その間にもバウムは中で騙し絵を描いて時間稼ぎをしていた。
「バウムちゃん本当に絵が上手だね。ね、リューリンお姉ちゃん」
「そ、そうね……リュン」
バウムを見守る二人の女性、リューリンとリュンはトリックアート展に逃げ込んだ中からバウムの護衛を買って出た二人だ。
宗国のレイフウ道場師範の孫娘であるリュンは生き別れの姉リューリンと再会して王都のセドナの家に居候していたのだが、今日はお祭りということで観光がてら町を探索していたところを騒動に巻き込まれた。
……ちなみにセドナの実家が想像を絶するほど大金持ちだったので若干慣れないからという理由もあったりするが。
二人とも氣の本場たる宗国で鍛錬を積んだだけではなく、リューリンは素手でオークを倒せるほどの実力者。おまけに氣による気配察知も出来るため、時にアート展の奥に勇敢にも入りこんだオークを奇襲で仕留めて拘束したりもしていた。
「それにしてもお姉ちゃん。なんか、その、スゴイ縄縛りだったね」
「き、キャラ付けよ。ドSのキャラ付けの為に縄縛りの勉強、したの……」
リューリンは弱気な自分を隠す為に何年もサディストな女性を演じてきたのだが、その過程で変な勉強にまで手を出していたらしい。拘束されたオーク達は何やら芸術的なまでに洗練された、もし人に対して行ったらされた側は大変恥ずかしいであろう結び方で縛られている。
ちなみに殺していないのは、死体の後片付けが出来る状況ではないからだ。アート展内に死臭腐臭が立ちこめようものなら避難者たちの精神が保たない。
勿論子供の前では見せず事前に撃破しているため、バウムは何も知らずに鼻歌交じりにオークを嵌めるトリックアートを描いている。
そんな彼女の隣には、騎士団から家出したその日のうちに騒動に巻き込まれたブッセがいた。彼は時折バウムの手伝いをしつつ、会場からオークの迎撃に使えるものをかき集めて様々な罠を作っていた。
一心不乱に道具を弄るブッセだが、その表情はどこか行き場のない感情をぶつけているようにも見える。バウムは騙し絵を描き終えると、そんなブッセの横に座り込んだ。
「何かあったんでしょ、ブッセ。このオーク騒ぎとは関係ない、なにか」
「……うん」
「聞かせてよ」
「……君は」
ブッセは一度口ごもり、消え入るような声で質問する。
「君は、故郷……好きかい?」
「そこそこ、には。酔っ払いが煩いし埃っぽいけど」
バウムの故郷クリフィアは荒れ地にある石切場の近くにある町で、彼女は町にある唯一の酒場の主人の娘だ。騙し絵という類い希なる才能を発掘されて王都に出てから楽しい日々を過ごしているが、ふとなにもない故郷の痕跡を町の石材に見かけて郷愁に駆られる瞬間はなくもない。
ブッセは、肩を沈める。
「僕は、大好きだった。でも今は嫌いになりそうで、よく分からない」
「何かあったんだ」
「故郷のみんなが自分勝手な嘘つきだったって分かったんだ。それがたまらなく嫌で、自分も嫌で、頭の中がぐちゃぐちゃになって……出てきた」
「じゃあアキナさん、心配してるね」
「アキナさん……」
アキナは思えばずっとブッセの故郷、イスバーグ村を貶していた。
それは、彼女が真実を知っていたからじゃないのか。
「なんで、僕に隠したんだよ……っ。うそつきだ。アキナさんのうそつき!」
「うそつきは大人の特権。酔っ払いたちが言ってた」
「アキナさんは違うと思ったのに!!」
そうだ。ブッセはあの村の人に愛されたかったが、村の人々が愛してくれないことを苦しんでいた。そんな中で、アキナはよく笑い、よく怒り、よくブッセの面倒を見てくれた。アキナの胸に抱かれるとドキドキしたが、同時に安心した。
愛を感じる人肌のぬくもり――それはあの寒村で一人生きていたブッセにとって、何よりも手放し難いものだった。
バウムはそこまでの事情は知らない。
だからこそ遠慮がない。
「アキナさんのこと嫌いになったの?」
「嫌いだ!」
「もう会えなくてもいいの?」
「……いやだ」
「アキナさんのこと好き?」
「大好きだよ! なのに今は嫌いなんだ。どうして……どうしてこんな気持ちになるんだろう」
アキナのことを好きな気持ちと、アキナに対する不信感。
そんな風にアキナを嫌う自分への嫌悪感。
ブッセは行き場のない感情を道具作成に昇華していたが、加工する道具がなくなって虚しく手が空を切る。
バウムはそんなブッセの頭を優しく撫でた。
「相手のこと、全て好きな人っていないよ。ガーモンさんとナギさんは兄弟だけど、家族の絆があるのにすっごい喧嘩したこともあるし。私もパパのことは好きだけど、過保護なところはあんまり好きじゃない。だから好きじゃないって言う」
「でも、言ったら傷つけるんじゃ……」
「うん。でも言う」
「なんで?」
「言わないと伝わらないじゃない? 伝えたいことも伝えられないって、仲が良いとは言わないんじゃないかな?」
ブッセは、そんなことは考えもしなかったとばかりに呆然とバウムを見た。
八の字眉の少女は、優しくブッセに語りかけていた。
「嫌だと思うなら、嫌って伝えないと」
「そんなこと言ったら嫌われるかも……」
「それこそ、そんなこと気にしてたら誰にも気持ちを打ち明けられなくなっちゃうよ?」
「……!」
「今、外は大変なことになってるんでしょ? アキナさん、絶対にブッセくんを探しにくると思うな。だからそのときに伝えてみたら?」
「あ……!」
ブッセは、アキナが自分を心配しているのではという単純な事実すら見落としていた自分にショックを受けた。
アキナはいつだってブッセの身に気を遣ってくれていた。ブッセの為にこっそり子育てのハウツー本を読んだり、成長するブッセに合わせて服を用意してくれたり、たまに不安で寝られない夜には一緒に寝てくれたりもした。お風呂で頭をわしゃわしゃと洗ってくれるアキナの繊細な手が好きだった。
今まで当たり前のように会えていたアキナに、今は会えない。
会いたい、会って確かめたい。
この胸に纏わり付くモヤモヤの正体を。
自分が傷つきたくないからずっとアキナに言わずにいた、胸の内を。
そのためには――。
「リュンさん、リューリンさん、ちょっとお願いしていいですか?」
僕だって外対騎士団だ、と、ブッセは己を鼓舞した。
◆ ◇
王都奪還作戦が、纏まった。
全てが博打、全てがぶっつけ本番、しかし勝機はあり。
王立外来危険種対策騎士団、団長ルガーが拳を振り上げて鼓舞する。
「いいか、俺は正直民より部下やダチが大事だ。だから断言する。民の犠牲ゼロの確率はどうあっても100%にならねぇ。何故なら今回は狩る戦いじゃなくて、互いの存在を賭けた戦いだからだ。運が良ければ上手く行くから運命の女神に祈れ。そしてもし死んだら全部俺のせいにしろ」
ヴァルナならば断固として反対しただろう。
だからこそ、彼がここにいなくて良かったと思う。
嫌なものは自分が背負った方が良い――ヴァルナは綺麗なままでいい。
「全部勝ち取る道に全てをベットした綱渡りの一発勝負だ。躊躇うな。止まるな。予定外のことがあっても最優先目標をはき違えるな」
今だけは、誰もルガーを咎めたり揶揄ったり悪口を言ったりしない。
部下達全員に加え、他の協力者たちもが覚悟と決意の表情で耳を傾ける。
そうさせるだけのエネルギーが、ルガーの言葉に宿っている。
「基礎を思い出せ。組織の力を信じろ。仲間と共有した理想を裏切るな。しかし、粛々たれ。王立外来危険種対策騎士団、一世一代の大仕事だッ! 乗り切れたらボーナスでも勲章でも何でも持って行きやがれぇッ!!」
「「「「ウオォォォォォォォォッ!!!」」」」
ある者は大切な誰かを守るため。
ある者は大切な人が信じた理想を守るため。
またある者は、やられっぱなしでは気が済まないため。
「取り返すぞ、オーク共から俺たちの縄張りをッッ!!」
新世界秩序、何するものぞ。
騎士団の反撃が、始まる。
ネメシア(ヴァルナ……絶対に、絶対に、ぜぇぇったいに文句言ってやるんだから……だから、絶対に生きてて!!)
セドナ(余りにも思い詰めた表情で槍を握りしめてるせいでヴァルナ君を殺しに行こうとしてるように見える……)




