468.それはちょっとダメです
ンジャとセネガがスパイから聞き出した情報に、騎士団は耳を傾ける。
スパイ達はそれぞれの理由でシェパーに協力しているが、計画についてはざっくりとしか知らされていないのかそれほど情報を多くは持っていなかった。しかし自分たちの身が危ないと思ったスパイ達は洗いざらい暴露した。
医療室出向組の男は「親の作った莫大な借金を返済する為に仕事に乗った」と明かし、「フィーレス先生の予想外の人使いの荒さのせいでそれほど騎士団内を調べられなかった」と愚痴り、当のフィーレス先生に「偉そうに言うことか!!」と理不尽なげんこつを落とされていた。
「そんな事情があったんならもっと別に相談する人がいたでしょ!! ……相談する相手が悪すぎるわ」
「あんたは、俺の借金の総額知らないからそんなこと言えるんだ! ピオニーとか言うあの騎士の元の借金より更に多いんだぞ!! 稼いでも稼いでも利息に押し潰されて、身も心もボロボロになったときにあの人に会ったんだ! そうさ、あの人と会ってなけりゃ治癒師見習いの勉強をすることさえ出来なかった! それの何が悪いよ!」
「そうやって憎まれ口を叩いて自分の罪悪感を紛らわすのはやめなさい! ……辛かったんでしょ、本当は。でも後には引けないし、シェパーを信じたかったのよね?」
「……!!! う、うぐっ……くそぉ、何で先生は……ひぐっ……!」
男はがっくり項垂れて嗚咽を漏らし、フィーレスはそんな彼を優しく立ち上がらせるとテントの奥に連れて行った。長らく自分を裏切っていた人物に対して寄り添うような言葉を出せるからこそ、フィーレスは外対騎士団の三大母神などと呼ばれているのだ。
料理班の女性はもっと深刻だった。
「弟が不治の病なんです……先天性で、どうしようもなくて、成人を迎えられないだろうって……でもシェパーさんはそれを治療してくれてるんです。お試しの一回で弟の症状がどれだけ改善されたか知ってますか? シェパーさんは計画が完遂すれば未来では誰もが同じ治療を受けられるようになるって……私はッ!! 弟が自分の足で走り回って笑える未来がいいんですッ!!」
両目からぼろぼろと涙をこぼしながら訴える彼女は、本当に弟の為に命を賭けるほどの覚悟だったのだろう。ハイブリッドヒューマン化技術の応用によってこれまで治療不可能だった病気を治す――そんな話を聞かされれば、病人やその家族は食いつかずにはいられない。
シェパーは非合法な方法で実際に治療を見せつけたのだ。
王国法どころかどの国でも違法だが、そこには確かに治す術がある。
これに縋らずにいられる人が、世にどれほどいようか。
家族への愛情に勝るものが、世にどれほどあろうか。
その場の誰も、彼女を責められなかった。
タマエは何も言わず、彼女の頭を撫でるだけだった。
彼女はそれだけで、どれほど優しい恩師を裏切ってしまったかを思い知ったかのように項垂れた。
無線連絡は変化があった時のみ行われることも二人は白状し、それは既に拘束された一人の証言と一致した。これで時間が暫くは稼げるが、それでもオークに遠目に監視されている可能性は高いので騎道車のタイヤ取り外しは行わせている。
ただ、最後の一人――ンジャとセネガに捕えられた人物は他のスパイとは仕事が少し違った。セネガからそのことを告げられたローニー副団長はオウム返しする。
「勇者クロスベルの監視?」
「ええ。嘗て『魔王』なる犯罪者を倒したクロスベルがこの王国でも勇者となることをシェパーは警戒していたようです。魔王事件の際、当時まったく無名だった彼の大捕物は誰も予測していなかった。だから関わらせたくなかったのでしょうね」
当のクロスベルは「皇王と会いませんように皇王と会いませんように……」と何やら空に祈りを捧げているが、こんなのでもシアリーズが一度は惚れ、七星冒険者リーカが今も懸想する程の実力者なのは事実だ。
「たとえ結婚詐欺で豚箱にぶち込まれたとしても、腐っても勇者という奴です」
(ひどいけど反論できない……)
「でもよぉ」
クロスベルが静かに傷つくなか、遊撃班副班長サマルネスが首を傾げる。
「それならいっそ事件起きるまで豚箱にぶち込んだままにしとけばスパイもクソもなかったんじゃね? それかもっと早くに解放して海外に戻っていただくとか」
「それは出来なかったのです」
「君は……聖天騎士団の騎士ネメシア?」
離れた場所からつかつかとやってきたネメシアは、ルガーに「例の準備が出来ました。それと王宮から脱出した騎士とメイド隊からの報告です」と書類を受け渡し、話を元に戻す。
「失礼。クロスベルはなるべく早く、世界サミットに間に合うよう釈放して欲しいと皇国から非公式な働きかけがあったのです。議会としてはクロスベルを早めに解放してしまおうという話になっていましたが、お父様が待ったをかけました」
「君の父上といえばカルスト議長……そうか、法規の番人クリスタリア!」
聖靴派さえその厳格さには一歩退くとされる法規の番人は、早々の特例的解放を許さなかったようだ。
「被害者救済の賠償金に加え、事件の悪質性からギリギリまで奉仕活動をさせるなどして、期限一杯まで償いをさせる。お父様はこれを譲りませんでした。だから早期解放は出来ない。かといって皇国の意向を無視するわけにも行かないので拘束する期間を延ばすこともできない。如何にシェパー大臣が権力者とはいえ、そこは手の及ばぬ領域だったのでしょう」
確かにカルスト議長であればありうる采配だと周囲が納得する。
更に、ルガーが書類を読み終え、王宮とサミット参加者の状況が詳細に説明されることで事態の把握が深まっていく。
その最中、セドナがおずおずとネメシアに声をかける。
「あの、ネメシア……大丈夫?」
「大丈夫、とは?」
「いや、ヴァルナくんが……」
「勝手に相手との交渉に応じて人質になった件に関しては絶対に許さないけど、それは本人の身柄を確保してからにするわ」
定型文のような平坦さで淡々と語るネメシアに、セドナは彼女の心境を悟る。
(あー……これ感情が一周回って冷静になってるやつだ。ヴァルナくん怒られるぞー……)
ネメシアはことヴァルナ関連となると感情の起伏が激しくなるが、自分が目を離した隙に勝手に危険な場所に赴いてしまったヴァルナへの激情が高まりすぎて一周回り、逆に目的意識が固く定まってしまったようだ。
周囲が納得する中、話題の中心だったクロスベルが口を開く。
「あの、さっきの話。俺が解放された理由はそれだけじゃないと思います」
「?」
周囲の視線が一斉にクロスベルに向く。
一瞬たじろいだ彼だが、意を決して説明する。
「俺、減刑のための奉仕活動で何度もシェパー大臣に会ってるんですよ。彼の手伝いもかなりやったし、友達って言えるくらいには世間話もしてたので、大臣は気を遣ってなるだけ俺に迷惑がかからないよう事を起こす気だったのかなって。港行きのパスポートや馬車のチケットまで全部用意してくれてて、よく見るとこれの通りに行動してれば王都の大事件に気付かないまま俺は出国してる筈なんです」
予定が狂ったのは、彼が馬車を待っていた場所にロックとヤガラが偶然にも衰弱したヒュベリオを運び込んだからだ。小さな運命の悪戯によってクロスベルとリーカは馬車を逃し、それを慌てて報告しようとした監視の不審な動きを、これまた偶然王都に戻るための馬車で中継場所にやってきていたンジャとセネガが発見した。
それがなければ、クロスベルはやっと帰れると馬車の中で肩でもほぐし、リーカに怒られながら故郷への帰路に就いていた。
セネガはクロスベルの推測をドライに切り捨てる。
「単に邪魔者を排除したかったから親切な顔しただけでは?」
「……俺にはそうは思えないんですけどね」
クロスベルはかぶりを振って否定する。
「各国首脳が集まってるってことは皇王イメケンティノスも来てるんでしょ? 皇国の要求としては俺とあの人を引き合わせる筈だったのに、会わなくて済むよう手を回してるんですよ? 俺が犯人側なら逆にサミット会場にぶち込んで不確定要素を排除します」
「ふぅん? 一理ありますね。『竜殺しマルトスク』もその一手で封じられてるのは事実ですし」
計画の不確定要素だったであろう首脳の護衛陣はサミット用の異空間に入りこむことで無力化されている。ならば同じ不確定要素のクロスベルも同じようにすれば当人にもバレず、大したリスクもなしに無力化は可能だった筈だ。
クロスベルの会いたくない、ダサイ服を着たくないという強い願いを無視すれば。
「なんつーか、本人なりに俺の色々な気持ちを汲んでくれた、ズレた優しさなんですよ。俺も女性への優しさのかけかたが間違ってるって言われるんでどことなく共感しちゃうと言うか……だから、『それはちょっとダメだろ』って言ってあげたい気持ちもあって」
自分の掌に視線を落としたクロスベルは、それを握りしめて騎士団に堂々と向き合う。
「シェパー大臣は奉仕活動としてあちこちの大臣管轄の施設に連れ回して、顔も分からない筋のいい剣士に教練を頼んだり、オークの社会性を確かめるために軽く戦い方を教えて欲しいとか頼んできました。特に剣士の方はとにかく成長が早くて、一週間前の最後の手合わせでは俺も訓練とはいえ負けてしまったくらいです。それがきっとハイブリッドヒューマンだったんだ……あの人は俺を利用してオークの軍団を教練していたんです」
「く、クロスさん!? それ本当なんですか!?」
リーカが初耳だとばかりに叫ぶ。
周囲もまたその言葉に衝撃を受けた。
確かに罪人の奉仕活動など誰も興味を持たないし、クロスベルは特殊な事情がある男だから特例措置として誰も不審に思わなかったのだろう。書類上は施設の清掃などに書き換えられていたのかも知れない。
シェパーは彼の釈放期間をずらすのは無理と判断し、誰もが面倒がりそうな奉仕活動の管理という権限を勝ち取ることで逆に彼を最大限に利用する方に考えを変えたのだ。
クロスベルは腐っても七星冒険者に匹敵する実力者で、あのシアリーズが実力を認めていた男だ。その男が訓練とは言え敗北し、そして今は更に実力を上げている可能性がある。
間違いなく相手は史上最強のオークだ。
単独で戦局を覆す圧倒的な個の力。
相対するための戦力は既に削られてる。
だからこそ、立ち上がる者もいる。
「当時はそんな計画に加担してるなんて知らなかったけど、今は責任を感じます。嘗ての仲間……シアリーズが捕まったのも放っておけない。なにより俺があの人が大量虐殺者になるのを留まらせたい。お願いします、王立外来危険種対策騎士団の皆さん。俺に戦いを手伝わせてください」
クロスベルは、深々と頭を下げる。
ヴァルナを静かなる宣誓とするならば、クロスベルのそれは堂々たる決意。
彼の意を汲んだように、風がクロスベルの背中を力強く押していた。
(勇者クロスベル……)
(結婚詐欺しなけりゃ、確かに風格あるな)
周囲がその風格に似合わない残念な罪を思い出す中、ルガー団長はにやりと笑い、ヒゲをさすりながら頷く。
「心配すんなよ、うちはブラックだとは言われてるけど給料の未払いだけはねえんだ。臨時雇用で歓迎するぜ、勇者様?」
「あの……私も……」
おずおずとリーカも手を挙げる。
「シアちゃんを助けたいし、クロスさんの責任は私の責任だと思ってます。一緒に戦わせてください!」
(七星冒険者と同格が一人ずつに、メイド隊……)
(数はまだ少ないけど……)
(この状況下で戦力が集まってきた……!)
もしもヴァルナがシアリーズと共に相手の要求に対して即断していなければ、騎士団は人質を殺されて更なる混乱の坩堝か、もしくは民の為にと無謀な突撃に出ていたかもしれない。或いはシェパー大臣の要求がエスカレートして更に身動きの取れない状況になり、スパイに作戦が筒抜けだったかもしれない。
しかしヴァルナは即断し、シェパーは慢心から迂闊なことを口走り、稼いだ十分を起点に運命は大きく分岐した。シェパーが決定的な一手、ダメ押しの一手と思って放つ手が狂わせた人々の運命はねじれ、逆巻き、真逆の道へと殺到していた。




