463.新世界秩序です
シェパーは未来のヴィジョンについてプレゼンを始める。
この瞬間を待っていましたと言わんばかりに、その姿は活き活きしていた。
「人と呼んで差し支えない魔物の中で三つの名前が挙りましたね? ヴィーラ、ナーガ、ハルピーです。しかしこれらの生物にはそれぞれ環境への依存度が高いという問題があります。ヴィーラは美しい水の多い環境、ハルピーは止まり木のある緑の豊かな環境、ナーガはこの中では最も活動可能範囲が広そうですけど、やはり乾燥地帯に特化しています。しかし、人間は違う。自ら生活可能な環境を作り出したり、衣服などで欠点を補ったりして今や世界中に分布しています」
ある意味、人は世界最大の侵略的外来生物だ。
だからこそ人はここまで発展出来たとも言える。
「そう考えた時に、人に一番近いのはオークなんですよ。世界を見回したときにオークのいない場所なんて今や土地の痩せた寒国くらいのものです。もちろんオークにも苦手な環境がありますが、それは人も苦手な環境です。ならば人の知恵をプラスアルファすればオークはどこにでも住める。幸いというか、王国は土地によって様々な環境があるのでその実験に最適でした」
王国各地に出現した品種改良オークたちの真実は、実験であったらしい。
元々、オークも長い時間をかければ環境に少しずつ適応するというデータは存在するので、言い方は変だが勝算のある実験だっただろう。
「まあ、主立った子たちは外対騎士団がものの見事に根切りにしてしまったのはちょっと予想外でしたけど……はぁ……彼らときたらこっちの予想の上を行く。シャルメシア湿地で『打出小箱』を回収できなかったのは一番痛かった。まさかヴァルナくんがさっさと持ち出して列国と話をつけてしまうなんて予想できないでしょ?」
「その口ぶりからすると、元はシェパー大臣が持ち込んだものなんですね?」
「私はどこかの馬鹿な列国の泥棒が盗んで売り払った商品を買っただけですよ。物の価値を知らない人って怖いですよねぇ」
天界魔界が未回収であった緋想石を閉じ込めた箱、『打出小箱』。
シャルメシア湿地内、イッペタム盆で発生した巨大変異怪魚『ヤヤテツェプ』との激戦の末に発見されたそれは、今は列国に回収されてしまっている。他ならぬヴァルナの手によって。
ノノカは気になったことを質問する。
「なんであんなものがあそこに?」
「石の実地研究をしていた際に増水による事故がありまして、紛失してしまったんですよ。や、あれは焦りましたね。シャルメシア湿地に流れ込んだ可能性が高いので水産研究所を作り、事情は告げずにずっと監視していたんですよ。あそこ広すぎて探しても見つからないし……今となっては骨折り損のくたびれもうけです」
ということは、ノノカの親友であるアマナ教授の赴任先を作ったのはシェパーだったらしい。そんな理由で設置したのに水産実験施設としてあれほどきちんとしていた辺りにシェパーの手腕が覗える。
勝手に落ち込んでいたシェパーは顔を上げ、そうそう、と思い出したように手を叩く。
「アルキオニデス島のセブン・トーテム! あれに関しては偶然の産物でしたが、いやぁ報告書見たときはちょっと泣いちゃいましたね! 人間を助ける行動まで見られたんでしょう? 自分の実験の矮小さとオークの可能性の奥深さを知ることができたいい記録でした。あぁ、彼らは多分オークと人が融和しても自らの自意識にて別の道を歩んだんでしょうねぇ……」
ロマンチックだとばかりに想いを馳せるシェパー。
あれはノノカも吃驚だったが、彼の馳せる想いとノノカの抱いた熱い想いは微妙に方向性が異なるような気がするので追求はしない。解釈違いによる喧嘩などやっても意味がない。
「まさか皇国と宗国で情報が漏れるとは思っていませんでしたが、幸い計画の方が間に合ったのでそこは大した妨害はしてません。一応ちょっと賢い人ならスミスに疑いが行くよう細工はしましたけどね。誰も気付かなかったようで結構結構」
――実際には彼の予想以上に賢い人間が一人いたのだが、このときの二人は知る由もない。
「ああ、随分脱線しましたが、あとは単純な算数でして。オークと人がいいとこ取りのハイブリッドヒューマンになれば、人類の支配地域にオークの支配地域がプラスされるんですよ。誤差は出るでしょうが、人間種の繁栄は加速することでしょう」
「わお」
凄まじい暴論を投げつけてきた。
流石にノノカもそれを素直には受け止めない。
「オークが人類に加算されたと仮定して、食糧問題があるでしょう。環境の激変による様々な弊害も起きかねません。帝国で自然環境の破壊が日に日に深刻化しているようにです」
「まぁ、一時的には。でもそれは計画性と段階を踏めば緩和可能だと考えています。なにせ、そのためのハイブリッドヒューマンですから」
言われてルーシャーを見る。
ずっと彼に喋られっぱなしだと思うと面白くないので、ノノカはルーシャーの能力を予想した。
「狩り獣のダッバートは魔法を使用したという話がありましたから、オークは魔力適正がある。人間が全員ハイブリッドヒューマンになれば全員魔法技術を習得できる可能性がありますね。しかもオークは人より筋肉も骨も高性能。人に寄せてコンパクト化したとて元の人間より強化が図れます。そうなると、高齢化して労働力としての効率が低下する年齢が大幅に引き上げられ、体力故に病気も少なく、社会全体の生産性が向上する。オークは人が食べられるものは何でも食べられ、人の食べられないものも分解できる消化酵素を持っているので食のレパートリーも拡大されますかね。繁殖力に関してはちょっと断定的なことは言えませんが、メス中心社会のオークの因子があれば『女王』という役割の統率力が今よりずっと高まる。思うに、いわゆる王族にそういう役割を持たせて人心を掌握しやすくすれば急激な社会の変化も反発を少なくして実行できるかもしれません」
「言いたいこと殆ど言われた!!」
「専門家ですもーん」
言いたくてしょうがなかったらしいシェパーにノノカはドヤ顔をかます。
けらけら笑ったノノカはルーシャーの淹れたお茶に手をつける。
「んー、可もなく不可もなし。普通止まりのお茶ですね」
「……」
ルーシャーから少し威圧感が飛ぶ。
自分の淹れたお茶の評価が思わしくなくてむっとしたようだ。
もちろんわざと煽って反応を見たのだが、知ってか知らずかシェパーは「手厳しいですね」と苦笑いした。
「すぐにとは言いませんが時間をかければもっと上手になっていくでしょう。むしろ四歳でここまで上達していることが重要でして、人とオークを混ぜても知能は低下しないんです。むしろ成長速度が高まっている。子供でいる期間が短いのは生物としてメリットです。なんせ大抵の生き物で死因が高いのは、心身共に未成熟な子供の頃ですから」
シェパーは一貫して、「人であることへの尊重」とか「倫理的に認められるのか」という考えについて触れない。多分理解はしているが、別に拘りがないのだろう。無視して実行することを前提に作戦を建てているのだ。
科学者には倫理という問題がある。
例えば、いくらノノカがオークに夢中とは言っても「人とオークを交尾させたら子供が出来るのか」などという実験には首を横に振るだろう。越えてはならない倫理の線がなければ研究者はただの危険人物だ。
しかし、逆に倫理を越えた実験でしか得られない事実がこれまでの科学の世界に存在したのも事実である。偶発的な不幸な事故か、或いは当時の倫理観の緩さによって行われた残酷な実験は事実として医療などの分野に多大な貢献をしてきた。
シェパーはそれらを天秤にかけることは出来るが、計っている重さが「メリットとデメリット」なのだろう。だからメリットが上回るのに実行出来ないとなると、実行出来ない現行体制に問題があるので上手く潜り抜けて成果を得ようと考える。
個人的な打算も乗っているだろうが、それでもメリットと自分の好みを両立させるバランス感覚がある。
「倫理観や民の意思を無視しているという点を除けば、筋の通ったお話ですね。で、このタイミングで話をするということはクーデターでも?」
「そう言えなくもないですね。王家の発言力を封殺して、王国民全体にハイブリッドヒューマン化を強制します。各地の私が関わった研究所の地下にはそれ用の施設を配備しておいたので、最寄りの研究所にどうぞということですね」
「一度変わってしまえば戻る事はできないし、国民もメリットを理解する筈だと」
「初期生産のハイブリッドヒューマンは『女王』への忠誠心を高めていますので内乱の心配はないでしょう。既に『女王』の生産も充分な数用意しています。あ、同意の上ですよ? 流石にそこはね」
「奇特な人達ですねぇ……」
案の定、ルーシャーとは別に既に人にオーク因子を植え付けてしまっているらしい。
当然と言えば当然だ。
実験なしに計画実行には漕ぎ着けられない。
そして、一度植え付けた因子の取り除きも出来ないようだ。
恐らく、『女王』に選ばれた人達は貧困層か犯罪者だろう。
自由になれるなら――自分が身を削って家族が幸せになるなら――そんな考えから安易に自分の身を捨てる人間は、どこにでもいる。
そして目の前のでっぷりとした腹の男なら、結構な報酬を用意出来るだろう。
「手始めに王国をハイブリッドヒューマンの国にしてモデルケースを世界に見せます。人外と判断して襲ってくる連中は全て全滅させて力を見せます。寒国と峡国には既に協力者を取り付けてあるので、そこを皮切りにハイブリッドヒューマンを増やしていけば、世界はそのメリットに気付くでしょうね。気付かないなら残念ですが野生オークを従えた新生王国騎士団に蹂躙されて死んで貰いましょうか。彼らが死ねば続くハイブリッドヒューマンの子供達の住む場所も空きますし、上が倒れれば下はある程度は従う。みんな従わなくてもいいんですよ。じわじわでいいんです。時間かかりすぎて私が寿命で死ぬかもしれませんが、最後には勝てますから」
そんな馬鹿なことをすれば皇国や帝国を始めとした各国が黙っていない。
だが、ノノカはそうか、と納得した。
「世界サミットの参加者を確保、ないし亡き者にすることで各国を混乱させて足並みを崩すんですね。世界中の首脳が一斉にいなくなれば国際社会は大混乱です」
「勿論お話の通じる方は生かしておきたいんですけど、今回は護衛の皆様が化物揃いですから、会議終了で通常空間に戻ってきた瞬間に爆薬で王宮ごと吹き飛ばすしかないですねぇ」
至極残念そうに、しかしさらりとシェパーは殺害を宣言した。
会場が誰にも干渉されない異空間であることを完全に逆手に取った作戦である。
全方位から迫る爆発と崩壊する王宮の中にあれば、如何に超一流の戦士であろうとも生き残ることはできない。仮に奇跡的に生き延びたとして、護衛する筈だった王たちは助からないだろう。
「論より証拠です。ほら、あれを見てください」
シェパーが指さした先には帝国製の機械っぽいものがあり、その一部のランプが点灯していた。
「あれは会議が始まったことを部下が伝えてくれてるんです。他にも色々機能がありまして、主立ったものとしては今回の歓迎の為に王都各地に設置された遠隔拡声装置の操作権を全部乗っ取れちゃうんです」
じゃあアレを壊せば、と考えた瞬間にルーシャーの視線を浴びる。
彼女の立ち位置は、ヴァルナがノノカなどを護衛するときの立ち位置に似ている。
それは外敵から護衛の身を守るのに最適である。
つまり、護衛対象にいつでも手を届けられるということでもある。
ノノカは、はぁ、とため息をつく。
「ノノカちゃんしーらない。一番怖い人達を怒らせちゃいますよ?」
「はい。なので手が出せないようにします」
どうやって手が出せないようにするのか、ノノカは想像がついている。
しかし、どうしても。
(外対騎士団が素直にしてやられて終わると思えないんだよねー)
さて、自分はどうするべきだろう。
うきうきでマイクを握るシェパーを尻目に、ノノカは考える。
所属は違うけれど、自分もあの集団の一員として生きてきたのだから。
――町中に大音量で、一人の男の声が響き渡った。
『オペレーション・ニューワールド! 開始!!』
来る筈だった明日を生贄に捧げて、誰も知らない今日が来る。




