461.なに笑ってるんですか
セドナがスミスの部屋に入ると、そこには三人の議員がいた。
部屋に入ることを許してくれたスミス議員。
よく言えばベテラン、悪く言えば長く続けてるだけのマトーマ議員。
そして、典型的な世襲の悪い例と呼ばれるホーラルス議員。
ヴァルナはマトーマをトマト、ホーラルスをピーマンに喩えていたが、言われて見れば顔のフォルムがそう見えてくる。三人とも軽く酒が入っているが、スミスだけは嗜む程度に留めているようだ。スミスがセドナに対応する中でマトーマとホーラルスはセドナの顔も見ずに酒を呷り続けている
「セドナ嬢、いや騎士スクーディア。てっきり式典に参加しておられると思っていましたが……これは一体何事でしょうか?」
マトーマとホーラルスが「スクーディア」の名を聞いてぴたりと手を止める。
スミスは覗き穴で相手がセドナであることを確認していたが、二人はどこの騎士だろうと自分には関係ないし自分たちの方が偉いと思っていたのだろう。実に小物的反応であるが、セドナは目を細める。
「いつも一緒におられるシェパー議員はいらっしゃらないのですね」
「え? ああ、普段はこういうとき真っ先に来るんだけど今日は急用らしくてね。もしや奴の方をお探しだったかな?」
「……いえ、珍しいと思っただけです。申し訳ありません、本題に入りましょう」
セドナはスミス議員の過去の訪問先などを一つ一つ記憶力を頼りに確認していき、資料室のデータと食い違いがないか確認していく。スミス議員は物覚えがいい方で、よどみなく回答してくれた。
「――なるほど、バノプス砂漠の調査は随分時間がかかったのですね」
「ああ、なにせ前例がなかったからね。何をするにも手間取って、最終的に砂漠内部の調査は断念せざるを得なかったよ。後で外対騎士団が砂漠内にナーガを見つけたと聞いたときには胃がキリキリしたね……」
「その後の調査は請け負っていたのですか?」
「たまにはね。シェパーが近くの研究所の視察名目で無駄に食料援助してもらったな……あの時は珍しく世話になったよ」
些細な世間話の中から慎重に一つずつ情報を掬い上げていく。
その度に、どこかとどこかが結合し、意味を成す情報に変容していく。
セドナは珍しく自分の予想が外れて欲しいと思っていたが、そうはならない。
奥でマトーマとホーラルスが居心地悪そうに窓の外の式典を眺めている。
昼間から酒盛りに興じているところをスクーディア家の令嬢に目撃されてもなお酒を呷り続けるほどの胆力は彼らにはなかったらしい。
「……ところで騎士スクーディア。この確認は式典を放り出してまでやることなのかね? 後でも良かったのでは……」
「いえ、私の推測が正しければ、むしろ遅すぎたのだと思います」
アストラエ、天才の親友よ。
貴方が世界サミットで忙しくしていなければ、或いは。
いや、宗国と国内の裏切り者の繋がりがもっと早く明るみに出ていれば。
はたまた、ヒュベリオが目をつけられていなければ。
セドナは思う。
普通に考えればヒュベリオは真相に辿り着いたことで襲われたと考えるべきだが、そこまで監視網を高度に敷いた相手であればこの程度の妨害では済まないのではないかと。それこそ書庫を燃やせば過去の記録は閲覧不可能になるのだから、その方が手っ取り早い筈だ。
ヒュベリオが知ってしまったことと、襲撃そのものに直接関係がないのだとすれば、犯人は何故書庫を荒らしたのだろうか。
犯人の目的は情報を精査する時間を与えない為の妨害であり、ヒュベリオはたまたま情報を持っていた所を襲われただけだとすれば、ヒュベリオは情報を精査する暇がなかったかもしれない。逆に、ヒュベリオがいたからこそ資料は残ったのかも知れない。どちらにせよ、犯人の決断はセドナの調査を遅らせた。
全てはタイミング、あるいは天運。
セドナはそれでも質問を続ける。
「世界サミットの警備態勢の詳細を、スミス大臣はご存じですか?」
「ああ、一応大臣クラスは全員知っているよ。といっても配置などの話ではなく概要だけだが、それだけでも知っておく必要があったのだ。あ、内容についてはいくら君がスクーディア家のご令嬢であっても決して話せないな。権限がないのだもの」
「権限がなければ知ることが出来ない特殊な警備が行われるということですね?」
「勘弁してくれ、言わないぞ私は。言えないし、言ったら大問題だ」
肩をすくめて困った顔をするスミスを見て、セドナは更に深く思考の海へ沈む。
大臣級は配置までは知らずとも概要を知っている。ただの警備態勢ならば最悪知らせずとも部下の間で伝達システムを作っておけば問題はない筈なのに概要だけは知らされているとはどういうことか。
世界サミットの詳細についてはアストラエさえ口を噤んで喋らなかった。
その特殊性について、セドナは一つの仮説を立てた。
例えば、サミット中は会場と外が何らかの理由で完全に断絶され、有事の際に王に確認を取れないから各大臣はそれを念頭に置いておかなければならないとか。
そのような状況下に於いて宿舎で酒盛りをしているというのは、もしかすれば王国という国が平和すぎたせいかもしれない。この厳戒態勢の中で有事など起きる筈がないという緩み。これまで特段の緊急事態は天災災害の類くらいしかなかったという経験不足。そして特権階級と平民の間に隔たる意識の差。
最初は問題にならない緩みも、同じ環境が続けば段々と無視出来ない緩みとなり、ある一点に達した瞬間に完全な無防備となる。それは人の社会システムに必ずついて回るヒューマンエラーというリスクで、ただ有事が起きていないだけの環境を人は平和と勘違いする。
騎士は勿論手抜かりなどしていないが、そもそも騎士が守る平和というのは種類が決まっており、対応も同じくだ。別の畑のリスクには別の存在が対応しなければならない以上、騎士で全てのリスクをカバーするのは不可能である。
狙っていたのだ、ずっと。
緩んで弛んで、崩せるほど脆くなるまで。
恐らくセドナか帰国したそのときには、もう止められなかったのだ。
◇ ◆
アストラエは絢爛武闘大会で見知った顔達と再会していた。
絢爛武闘大会で激突し、友人となったバジョウだ。
「まさかバジョウにここで会うとはな。今までのサミットじゃ来てなかったろ?」
「列国も色々ね。こうして君と出来た縁もその理由かな」
バジョウの近くにあの隠し事が下手なくノ一のお蓮はいない。
バジョウが護衛なのだから当然と言えば当然だろう。
とはいえ、こうしてアストラエと世間話が出来る程度には会場も和んでいる。
少し離れた場所にはマルトスクもいるが、あちらはさながらサイン会の様相を呈している。本の題材にも度々なった伝説の竜殺しは、知名度で言えば世界一の剣士だろう。
よく見ればサインを求める行列の中に天使が混ざっている。アストラエとトランプ勝負をした読書好きの生真面目天使だ。主催側がそんなのでいいのかと思っていたら、奥から駆け出してきた女悪魔に耳を引っ張られて悲鳴を上げながら会場奥へと消えていった。
「やっぱり駄目だったよ」
「いや、ははは。天使も悪魔も精神は我々とそこまで変わらないのだね」
「恐らくは神もね」
天使と悪魔の愚痴を聞いていると、そういう妙な人間味を感じることがある。故にアストラエは神々も割とそんな感じなのではないかと予想している。バジョウは少々呆気にとられていたが、気を取り直した。
「そういえば気になっていたんだけど、アストラエ。天使が神の遣いなのは分かるとして、悪魔は何者の遣いなのだ?」
「ああ、それは僕も昔聞いたことがあるけど……神からするとあんまり違いはないみたいだね。例えば運命の女神は天使にも悪魔にも指示を出しているし、泉の女神みたいに自然環境に関連する場合は天使しか使役しないとか、そういう風に天界と魔界は役割分担してるみたいだ。一般では神は天界にしかいないとなってるけど、魔界で仕事をする神もいるってことさ」
「人知の及ばない世界なのか、わかりやすい世界なのか……」
「ここから先は人知の及ばない世界さ」
会場をセッティングする天使と悪魔が連絡を取り合い、特殊な術を発動する。
瞬間、会場が不思議な光に包まれ――気がつくとサミット参加者は青空が果てしなく続く世界にぽつんと浮く浮遊する城のような場所にいた。
「こ、これは……!?」
「人界からの干渉を遮断するために、世界サミットは天使と悪魔の用意した特殊な空間の中で行われるんだ。なんでも位相? とやらが違うらしく、外に出ることも中に入ることも出来なくなる」
そう言いながらアストラエは会場の端に行くと、縁を飛び越えて永遠の空に飛び込もうとする。
バジョウは突然の自殺行動に息を呑むが、気付けばアストラエは落ちることなく踏み込んだポーズを真反対に反転させて足場に戻ってきていた。
「このように、体が勝手に内側に戻るので落下のリスクはない。空間が歪んでこうなってるそうだよ?」
「事前に言ってくれ! 大分ひやっとした!」
「ははは、ヴァルナにも見せてやりたい所だったけどね。国内の派閥争いがややこしくてまだ連れてこられてないんだ」
具体的には主に聖靴派閥のいちゃもんであり、彼らが黙ればすぐにでもヴァルナを護衛名目でここに連れてくることが出来る。
「まぁ、こうして我々は絶対安全な空間に籠る。空間の外では王宮騎士団や特殊戦術騎士団でガチガチに防備を固め、王都の内と外もガッチガチ。前のサミットでも似たようなものだったなぁ」
「これじゃ悪さはしようがないね」
「……まぁ、あったとしてもヴァルナ辺りが蹴散らしてそしらぬ顔で客人をお帰しするさ」
だから、頼んだぞヴァルナ――と、彼は内心でごちる。
王族の生まれでなければ様々なことが出来ただろうが、アストラエは今回の嫌な予感に対してそれほど手を打つことができなかった。
天才の勘はよく当たる。
◆ ◇
セドナは諦観の念を以てして、最後に確認する。
「ここまでの話に偽りはないですね?」
「あ、ああ……」
「念を押して、もう一度確認します。貴方は先ほど確認した土地に、確認した人物と一緒に向かったのですね?」
「そうだとも。何一つ偽りはない」
「では、貴方が同行したという人物が公式な記録から抜かれているのは記録の捏造が行われたためであり、貴方の記憶こそが真実で間違いないのですね?」
「そう、え……記録が、残ってない?」
寝耳に水とばかりに目を丸くするスミス議員。
その態度に嘘は感じられない。
「そんな馬鹿な。だって、あの量の荷物を毎度毎度運んでいたのだから、同行していませんでしたは無理があるだろ!!」
「全て貴方の指示で運ばれたように改竄されています。しかも、荷物の中身について様々な帳簿と照らし合わせましたが、帳尻が合いません。それも運んでいましたが、別のものも運んでいたと考えざるを得ません」
セドナは息を吐き、がくりと肩を落とした。
やはり、ヒュベリオは読み違えていた。
絢爛武闘大会の資料で責任者の名が変わっていたとき、セドナは疑うきっかけを得ていたのだ。
犯人の名はスミスではない。
犯人の本当の名は――。
◇ ◆
議員庁舎の一角にある大臣室で、ノノカはその人物と対峙していた。
何度か会ったことがあり、腹囲が広く、どこか年の割に愛嬌のある大食漢。
彼は普段の人の良い笑みとは違う、どこか落ち着いた顔で彼女を出迎える。
「ああ、よかった。辿り着いたんですね。予定の時間ギリギリだから交通規制に捕まったのではとヒヤヒヤしましたよ」
「ちょーっと朝に弱いもので。ゴメンネ? それじゃ本題に入ろうか」
「そうですね。事が起きる前に貴方の身の安全だけは確保しておきたかったのです。あ、貴重な人材だから的な意味で他意はないですよ? ノノカ・ノイシュタッテ教授――オーク研究の権威ですからね」
「事が起きる?」
急に確信的なことを言ったなと思っていると、自分の背後にある入り口を塞ぐように何者かが立った。部屋の隅に控えていた、顔を隠した人物だ。体格からしてヴァルナなどの騎士団新人とそう変わらないだろう。ただ、一つだけ異常な部分があった。
身に付ける衣服の隙間から見える皮膚の色が、オークのような緑色だったことだ。
「大丈夫ですよ、ノノカ女史。これからの王国には貴方の頭脳が必要不可欠になりますから、決して手荒なことはしません。この国が、いえ、世界が変わる瞬間を共に見届けようじゃないですか」
「……あ。あー……重大な事実を知ってるねぇ。なるほどぉ……」
彼の一言で、ノノカの明晰な頭脳は自分の迂闊さに気付いてしまった。
「そりゃ確かに知ってるよね……犯人なら当然、知ってて当たり前だよね」
なんという、初歩的な勘違い。
自分が低く見積もられていることに慣れてしまい、可能性を失念していた。
ノノカにわざわざ声をかけたのは、最初からノノカ個人を狙っていたからだ。
「貴方だったんだね――」
――奇しくも、同じとき。
セドナは同じ答えを紡ぎ出す。
「今、確信しました。オークに連なる数々の事件の裏で糸を引いている人物、それは――」
そんな野心があるようには見えなかった。
大それた事をするようには見えなかった。
隠していれば、見えなくて当然なのに。
「「――シェパー。シェパー・ウォルゼーボ農産大臣」」
恰幅のいい大食らいの大臣は、得意げに微笑んだ。
朗報:セドナ、直接本人を詰めるのはヤバイと悟ってちゃんと避けた
悲報:ノノカ、呼び出されてのこのこ向かったら捕まった




