446.もう目を覚ましなさい
二人の間に、異常な緊張感が立ちこめる。
『帝韻堕狼襲』の生ける伝説ドラガルスと、嘗てそのドラガルスの右腕とも言われたライの直接対決だ。見届け人となる現メンバー及び元メンバーも戦慄を覚えるほどに空気は張り詰めていた。
本来なら夜間で見通しが悪い道路だが、両縁にメンバーが各々持ってきたらしい携行ランプが並べられて舞台を照らし上げていた。ドラガルスはバイクに跨がり、先に地面のない虚空の暗闇が広がる道路に指を差す。
「果たし状の通りだ。俺たちのケリはチキンレースでつける」
「今更時代錯誤なもんだ。まぁ、確かにこの道路から落ちれば死ねるだろーな」
嘗ての現役時代ではここまで危険な場所で実行したヤツはごく一部だったな、とライは思い返す。
チキンレースは、走り屋にとって最もシンプルで危険な度胸試しだ。
崖などの先がない道を互いにアクセル全開で駆け出し、より崖に近い場所でブレーキをかけて止まれた者が度胸のある者で、先に止まった者が臆病者。だからチキンレースだ。
速度を出せない者は臆病、ブレーキの早い者は臆病、そして速度を出しすぎて止まりきれずに落下した者は自分の腕も把握できていない敗者。実に当時の自分たちらしい愚かなレースだとライは思ったが、自らの手は懐に入っていた鉢巻きを握っていた。
「いいぜ、付き合ってやるよ。その代わり、俺が勝ったらお前は過去と決別して暴走行為から手を引いて貰う」
「……テメェが負けたら、テメェはクレアから逃げた臆病な裏切り者だと認めろ」
「ああ、なんでも言ってやるぜ。そんな時は来ねぇけどな」
ぎゅっ、と、鉢巻きを頭に巻く。
今日だけは、普段巻いた際に訪れる高揚感はない。
ただ、神経が張り詰めて己の集中力が高まるのを感じた。
互いに十分な距離を取り、バイクを先がない工事中の道路の縁へ向ける。
エンジンを吹かしながら、ライはクレアのことを思い出した。
(こんな弔い方しか出来ないとは、俺たちってつくづくどうしようもない男たちだな)
だが、きっとドラガルスの目を覚まさせられる走り屋は自分しかいない。
「おい、合図しろ!!」
「はっ、総長!! 両者用意……始めッ!!」
開始の合図、振り下ろされる旗がスローモーションに見える。
直後、ライもドラガルスもアクセル全開で走り出す。
ぐん、と体が後ろに引っ張られる感覚に抗うように前傾姿勢になったライは、自分よりドラガルスが先に出たのが見えた。
(流石現役。チューンしまくってんじゃねえかよ……!!)
現『帝韻堕狼襲』メンバーが一斉に色めき立つ。
「流石総長!! ロートルなんかに負けねぇ!」
「もうどっちがチキンか決まったな!!」
チキンレースは見栄えも重要だ。より大胆な動きを魅せてこそ、勝利が文句のつけようのないものになる。それに暴走族自身が走り方に拘る集団だ。総長の走りには自然と期待が集まる。
「だが甘え! 俺のメカニックとしての腕を忘れたかぁッ!?」
開始直後こそドラガルスが追い抜いたが、すぐにライのバイクに加速が乗ってその差はじわじわと縮まっていく。なにせこのバイクがライが直々にチューンした特製バイクだ。技術者になったことで若い頃には身に付けられなかった技術も投入し、今や世界に一つのモンスターマシーンだ。
距離が縮まっていることに、今度は旧『帝韻堕狼襲』メンバーが感嘆の声を上げる。
「すげぇ、追いつくぞ!?」
「あたぼうよ! ライさんのバイクの改造技術は元からチーム最高だったろ!」
しかし、ドラガルスは負けじと更に加速し、ウィリー走行を魅せる。
前輪を浮かせて後輪だけで走るウィリーは、見栄えは格好良いが危険な運転だ。見栄え以外になんのメリットもない。ライはその動きがやけに挑発的に見えて腹が立った。
まだそんな見せつけるようなポーズをして、自分たちを格好良いと思っているのか。
(だったら教えてやるよ。お前の言う『逃げた』人間が得た力をなッ!!)
ライは、普通のバイクには存在しないハンドルのスイッチを押し込む。
直後、これまでも甲高い唸りを上げていたライのバイクが絶叫のような爆音を上げて更に加速した。周囲の光景が次々に過去へと通り過ぎていく快感が全身をざわつかせる。
「ハッハァーーーーーッ!! 限界を見せてやるってんだよぉッ!!」
バイクは即座にドラガルスを追い抜き、更に加速する。ライのオリジナル機構、ブーストスイッチだ。短期間ながら常識外れの加速を生み出すこのスイッチは、当然チキンレースで使えば自分の死亡率が跳ね上がる。
だが、ライはこの戦いで死ぬ気はない。
事故を起こさない為の運転を学んできた経験と、暴走族の経験を総動員する。
そうでなければドラガルスを敗北させることは出来ない。
と――加速したライに対し、ドラガルスが猛然と加速して並んできた。
「なんだと!?」
驚愕するライに、特攻服をはためかせたドラガルスが凶悪な笑みを浮かべた。
「お前だけが進歩してると思うなよ!!」
どうやらドラガルスも独自に似たようなシステムを作っていたらしい。
メカニックとしてのライは冷静に動きを分析する。
(安定性はこちらが上だが、瞬間的な爆発力はあちらが上回る!! だが、こちらがレース開始から一度も速度を緩める行動をしていない以上、この短距離では速度はほぼ互角……!!)
ライの分析を裏付けるように、ドラガルスのバイクは加速当初こそライのバイクに並ぶほどの速度で追いついてきたが、その加速は長期的に維持できないのか結果として殆ど横並びになってきた。
互いに限界速度。
そして、運命の崖、断裂した道路の端までの距離はあと僅か。
距離、温度、湿度、路面の状況――全てを勘案して今しかないと思ったライは、全力でブレーキを踏みしめて車体を傾ける。ギュリリリリリリリリィ!! と、凄まじい摩擦音とゴムの溶ける独特の香りが鼻腔に飛び込んでくる。タイヤを直接地面にこすりつけるようにブレーキをかけているのだ。
これまでについた加速が急激に殺されていくが、それでもまだ滑る、滑る、滑る。
仮に落ちずに止まってもバランスを崩せば落下死しかねない。
だが、これは止まるとライは確信する。
「終わりだ、ドラガルス――何ッ!?」
ライはドラガルスのバイクを見て驚愕した。
ドラガルスは一切ブレーキをかけずに一直線に崖に突っ込んでいた。
ドラガルスが横目でライを見る。
その瞬間、ライは全てを悟った。
ドラガルスは最初から止まる気がない。
彼は、ここで死ぬ気だ。
「ライ、お前は正しいことも言った。クレアが死んだのは……俺のせいだよ」
「なに……やってんだよお前!! 自殺は俺たちのルール違反だろッ!?」
「最後だからな。『帝韻堕狼襲』にピリオドを打つ、それが俺の選んだ道なんだ」
ライは、こんな単純な事実に今まで気付かなかった自分の愚かさを悔いた。
ドラガルスは誰よりもクレアを愛し、責任感の強い男だった。
そんな男があの事件を経て己を責めて責めて責め抜かない筈がない。
嘗ての伝説の一角を担いながらも立派に就職して社会人になったライが勝ち、己は死を以て恋人を死なせた罪を償い、今度こそ『帝韻堕狼襲』の神話を終わらせることでチームを完全消滅させる――それがドラガルスの狙いだったのだ。
ライのバイクが道路の縁ギリギリで停止することも、彼は理解していたかのようだった。
「馬ッッ鹿野郎ッ!! クレアはそんなことお前にして欲しい女じゃねえだろッ!? やめろぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!」
「先に逝ってるぜ、ライ。ピリオドの向こう側ってヤツによ」
ドラガルスの背が遠く、遠く離れていく――。
が、その直後に男の怒号が響いた。
「――勝手に盛り上がってんじゃねえ!!」
瞬間、限界まで加速した背中に向けて誰かが疾風迅雷の速度で駆け抜けた。
(な、速……!?)
暴走族として限界の速度を追求してきたライでさえ目で追うので精一杯。
速いなんてものじゃない、幻覚でも見たかと思える超スピードで駆け抜けたそのシルエットがバイクにすら乗っていないことに気付いたのは、その直後。
すなわち、この最新鋭の魔導機関が普及する帝国に於いて最速に近い二人のバイクの最高速度を、この男は己の健脚だけで上回っていた。
男は剣を片手に一気にドラガルスのバイクに追いつき、その襟首を掴み上げると同時に猛烈な脚力でバイクを蹴り上げる。予想だにしない衝撃にドラガルスの動きが鈍った瞬間、男は凄まじい膂力で彼をバイクから引き剥がした。
更に、もう片腕で道路に剣を突き立てながら両足でブレーキをかける。
ギャリリリリリリリリリッ!! と、足と剣が火花を散らして大地との摩擦を生み出す。どうやらブーツの底に鉄でも仕込んでいるらしい男は、見ているだけでは理解出来ないが何度も地面に足を踏みしめているらしく、衝撃波のような震動を幾重にも重ねて減速していた。
それでもバイクを上回る加速は殺せるものではなかったのか、男の体はドラガルスと共に道路の先、何もない虚空へと近づいていく。
ライは思わず目をつぶった。
一秒、二秒、或いはもっとか。
ドラガルスのバイクのエンジン音がどこか遠くへ落ちていき、金属がひしゃげる甲高い音が響く。ライは目の前の現実を見たくないと思いつつも、恐る恐る目を見開く。
そこには、道路ギリギリの部分に深く、重く剣を突き刺したことで落下を免れた男と、その男に片腕で支えられてぶらぶらと道路の縁に吊されたドラガルスの姿があった。男はふん、と鼻を鳴らすとドラガルスを一息に道路の上に投げ飛ばし、剣を地面から抜く。
そこてやっとドラガルスを助けた男の顔を見て、唖然とした。
「ヴァ、ヴァルナさん!? 何で!?」
「何でもクソもあるかこのバカたれ!!」
そこにいたのは同年代でありながらライが最も尊敬する男、騎士ヴァルナだった。




