428.怖いもの見たさは危険です
俺が王立外来危険種対策騎士団での仕事から離れて久しい。
今まで離れても最長二日とかだった仕事とこうも引き離されると、不意にその事実を考えてぞっとすることがある。いや、最長二日の是非は置いておくが。長期休暇が二日までとか普通だよね。普通……きっと。
ともあれ、騎士団の業務とは一見して変わらないように見えても常に同じ訳ではない。
効率化や方針転換、様々な事情に伴う細かい業務の調整や修正はあるし、騎士団全体の方針に関するものもある。
戻ったときに色々業務が変わってて「あっれぇ~? 特務執行官殿は聞いてないんですかぁぁ~~~?」とか全力マウントで煽られそうだ。
今日は何匹のオークが死んだだろうか
新人達は上手くやっているだろうか。
ンジャ先輩とセネガ先輩はそろそろ復帰しただろうか。
オークだけ刺す蜂の品種とか作れないだろうか。
家族は元気だろうか。
最近アマルが剣術スタイルに悩んでいる気がしたが解決しただろうか。
オークだけかかって他の生物には無害な感染症が流行しないだろうか。
そんなことをとりとめもなく考えてしまう瞬間がある。
自分がいないことで騎士団が危機に陥るとは別に思わない。
彼らはプロのオーク狩り集団だし、俺なんかより遙かに経験がある。新人も垢抜けてきて、もう若気の至りで暴走なんてことをする奴らじゃなくなっている。だから俺も敢えて仕事を忘れて修行に没頭し、格闘技の中からよりオークに有効そうなものをブラッシュアップして「武器を失って素手で戦わなければいけなくなった際にオークを殺す方法」としてレポートに纏めるに留まっている。
素手は効率が悪いし肉体の性能に依存するので訓練として正式採用されることはなかろうが、俺みたいな変わり種が今後騎士団に入ったときのために情報はしっかり残しておきたい。
上を見上げればそこには晴天が広がっている。
王国の仲間達も今頃この空と同じものを見ているのだろうか。
何故今、アストラエとユージー・ガオランによる木行勝負の真っ最中という緊迫した場面でそんなことに想いを馳せているのか? それは、二人の戦いの中で王国を急に思い出したからである。
では何故王国を思い出したのか?
それは、アストラエが王国攻性抜剣術を使ったからだ。
素手の勝負で何で抜剣術を使えるのか、と問われれば、アストラエは剣を使わず抜剣術を使っているからとしか言えない。まるで意味が分からないかも知れないが、そうとしか言い様がない光景が目の前に広がっている。
「荒鷹ぁッ!!」
「うおッ……!?」
突如の軸足回転からしなりのある拳が突如として飛来し、ユージーが思わず声を漏らす。七の型・荒鷹は回転斬りの奥義だが、アストラエの動きは荒鷹の動きを踏襲しつつそれが拳の奥義であることを踏まえた独自の改良が施されている。
ユージーは相変わらず受けの姿勢を主体としているが、アストラエは容赦なく果敢に責め立てる。
「雉射ッ!!」
「いッ……!!」
どずん、と鈍く深い音とともに俊足の掌底がユージーに叩き込まれ、受け損なったユージーの野太い腕が僅かに震えた。
四の型・雉射は鍔迫り合いに持ち込まれた際に一瞬の緩急をつけて相手を強引に弾き飛ばすためのものだが、アストラエはこれにレイフウ流拳法の動きを参考に改良を加え、完全な近接技として使いこなしていた。
ユージーもアストラエが今までの相手と違うことを正しく認識したのか攻勢に出る。常に相手の攻撃を見切り、受け流してきたユージーの巨大な体躯から繰り出される拳は、まるで大きな丸太が人めがけて飛来しているようだ。もし直撃すれば、正しくそのようになると思わせる威力で。
しかし、アストラエは焦らずそれを捌く。
「水薙……お株を奪ってしまったかな?」
「……自分では自覚がなかったけれど、全力の攻撃をいなされるというのはなかなか腹が立つものなんだね」
「やり返されても文句は言えないぞ、君の場合は特にな」
軽口まで叩く余裕を見せるアストラエは、まるで舞いを踊るように柔軟にユージーの剛撃をすり抜けていく。剣こそないが、あれは間違いなく水薙の動きだ。
なにやらこそこそ修行していたのは知っていたが、ここまで完成度の高い転用を考えていたとは思わなかった。俺だからこそ感じるのかもしれないが、それはまさに王国攻性抜剣術の動きだった。本来剣技であるが故に絶対に同じになりえない筈のそれが、奇跡的な調和を起こして目の前にある。
確かに、王国攻性抜剣術には氣が織り込まれている。
しかし、それを格闘技に改良し、更にそれを一つの完成された形にまで練り上げるという発想力は、きっとアストラエにしか持ち得ないものだっただろう。俺だって参考にしたことは幾度もあるが、アストラエは王国攻性抜剣術の最大の強みとも言える「氣の瞬間的な発動」という難題を見事に解決し、拳に逆輸入している。
会場は見たことも聞いたこともない動きや奥義の数々に驚愕し、バン・ドンロウでさえ身を乗り出してつぶさに観察している。
今、この会場の全員がアストラエという一人の天才の絶技に夢中だった。
◆ ◇
アストラエは、自らが短期間で拳での勝負に対応出来るようになるための方法をずっと考えていた。下地となるものがない訳ではないが、そもそも王族たるアストラエに教えられる武術は護身的な意味合いが強く、だからこそアストラエはそこから抜け出したルール無用の戦い方を考えてきた。
しかし、今回の決闘は王国での戦いとはあらゆるものが違う。
反則があるし、攻撃的でなければ勝てない面もある。
それは一種の制約であり、そして拳をより研ぎ澄ます為の方向性でもある。
アストラエは解決方法を模索したが、彼の知る武術で攻撃的なものといえば王国攻性抜剣術くらいだ。そして、これは剣技ではない。だから一見するとこの剣術を格闘技に持ち込むという発想は荒唐無稽に思える。
アストラエはそれを無茶とは思わなかった。
何故なら、王国攻性抜剣術成り立ちには宗国の武人も関わっていたのを彼は王宮の古い文献で知っていたからである。
嘗て最終奥義たる十二の型『八咫烏』を調べた際、アストラエは王国攻性抜剣術の成り立ちを深く知ることになった。
王国攻性抜剣術は、嘗ての皇国剣術、宗国武術、そして僅かながら列国の武術も取り入れられている。
皇国剣術は、嘗て皇国と近しかった王国の成り立ちから考えれば当然のことだ。しかし残りの二つはどうなのか? 文献には、当時対魔物に世間が傾注していく中で行き場を失った武人が、王国が新たな領土として島国を開拓する際に開拓者として参加したとある。
(僕としては不本意にも辿り着いてしまった人が結構混じってたんじゃないかと思うけどね)
宗国も列国も、昔の王国領土とは距離が遠い。商人や留学生、移民も確かにいたのだろうが、実は大昔の宗国や列国のコミュニティが今の王国本土について「この大陸の近くに更に巨大な大陸があるらしい」「本国に戻る方法が見つからない」などと記述を残していたことから、当時漂流などしてたまたま王国に流れ着いた遭難者たちは、ここを大陸の一部だと勘違いしていた節がある。
当時、まだ海路も測量技術も未熟だった時代だ。
世界の広さを知らずに生きていた人が勘違いしてもおかしくはない。
だから、そんな人達が自分たちの文化を少しでも残そうと武術に傾注し、その情熱が最終的に王国攻性抜剣術という類を見ない凶悪な剣術に辿り着いたとしても、アストラエはそこまで不思議には思わない。
だとすれば、王国攻性抜剣術と今の宗国拳法はいとこのようなものだ。
アストラエはそれを紐解き、王国攻性抜剣術から拳法のエッセンスを抽出していった。
ゼロから拳法を習得するのでは五行試合に間に合わない。
であれば、既にあるベースから必要なものを組み上げる。
(名付けて、王国攻性抜拳術!! なんて言ったらヴァルナに即座に却下されるだろうが)
かくして、アストラエはこの決闘にて拳にて戦う資格を得た。
後は――。
(ユージー・ガオラン! お前の奥に伏せる怪物を調伏させるのみ!)
アストラエは気付いている。
アストラエの猛攻に押されているように見えなくはないが、彼の屈強な肉体には戦闘に支障が出るような痛撃は通っていない。躊躇いがあるのか、気分を切り替えられないのか、それともスロースターターなのか。何にせよ、彼の奥には下手をしたら自らのライバルであるヴァルナに匹敵する何かが眠っているかもしれない。
今、自分はその眠れる獣を起こそうとしている。
もしかすれば、それは目覚めさせてはいけないものかもしれない。
それでも、アストラエはその戦いに興奮せずにはいられないのだ。
「弟の前で無様に敗北したくなければ、僕に力を示して見せろ! ユージー!」
「弟……レン……」
かちり、と、スイッチが切り替わるようにユージーの目つきが変わる。
ヴァルナと同じだ。スイッチが入った瞬間に全ての躊躇いや余計な思考が過ぎ去り、ただ「やる」という意思が肉体を支配する。こうなるともう止まらない――そういう人間の目だ。
これまで放っていた、落ち着き払った静かな氣が、まるでユージーの内から湧き出る力に怯えるかのようにざわめく。瞬間、アストラエの人生で一度も感じた事がないような、腹の底が凍えるような圧倒的な重圧が、大気を踏み潰して津波のようにアストラエの全身を突き抜けた。
意識がどこまでも先行し、肉体が遅れて追従するような強烈な重圧。
研ぎ澄まされた達人の殺気とも、全てを呑み込んで圧倒する超人の覇気とも違う、荒々しさと凶悪さを内包した野生的な意志。
会場全体が息を呑む程の圧倒的な敵意をそよ風のように受け流したバン・ドンロウがにやりと笑う。
「伏龍を目覚めさせるか。それはどうして、無謀すぎやしないかね? それとも……試練を求めているのか。何にせよ、目覚めたからには止まるまい」
バンはゆるりと立ち上がり、ステージの近くに軽やかな足取りで近づいた。
そんな師匠と目覚める兄を、弟のレンはどこか心配そうに見つめていた。




