397.根を張ります
第三回『絢爛武闘大会』において、謎の襲撃犯は魔物を操った。
意のままにそうしたのか、大雑把な指示しか出せないのか、或いは単に暴走させただけの可能性はあるが、ともあれあの襲撃犯はそれを自分の意志で魔物に実行させたことは確かだ。しかも、魔物の肉体に異常な変化を起こさせた上で。
そして、その方法は古代に魔物発生の直接的原因になったとされる『緋想石』を何らかの方法で運用している可能性が極めて高い。
この件について、あるときノノカさんはこんなことを言っていた。
『犯人さんって潜伏先が割れてから、ほぼ一直線にクルーズの魔物飼育場所に向かったんですよね?』
『ええ、セドナが一番警戒してたんですが……』
『まぁそこはいいとして。ノノカちゃん的には、一直線に魔物飼育場所に向かったというまさにそこが引っかかる訳でして』
こめかみを指でとんとん、と叩いたノノカさんは、怪訝な顔をしていた。
『最初から上手く操れる確信がないと、そもそも魔物の飼育場所を正確に把握して向かうなんてしませんよね?』
『それは、確かに。複数のルートを潰されてどうしても他に方法がなく、といった印象は受けないですね』
『ノノカ思うのです。その犯人さんは、どこか別の場所で魔物を操る練習をしていた筈だと。実験して、実験して、実験の末にあの時あの方法を用いれば最低限のリスクで最大の効果が得られることを確信してから犯行に及んだんだと。でないとぶっつけ本番でそんなに上手くいきませんって』
あの事件のオークは筋肉が異常発達し極度の興奮状態になった上で、犯人以外の人を襲うように命令を受けていたと推測される。
そしてノノカさんの推測をなぞるに、それは実験の積み重ねでそこに至ったのであって、到達する前の段階があったはずだ。すなわち、筋肉を異常発達させるだけの段階、極度の興奮状態にするだけの段階、犯人の命令を聞くだけの段階……そうした段階を積み重ねて、犯人は魔物を高度に操る事に成功した。
……などというディープな話をおいそれと漏らす訳にはいかないのでルルとルートヴィッヒには『魔物を操ろうとする実験が確認されたことがある』程度で済ます。二人は驚きはしたが、意外にもすぐに受け入れた。
「魔王事件なんてものがあったもんね……」
「うむ。自称魔王は魔物をある程度操っていたという話も聞く」
(なるほど、そっちの納得か)
ともあれ、二人はこのオーク達がもしかしたら何者かに操られてこんな異常行動をしているのかもしれない、という話を納得させることは出来た。
ただ、もし手口がクルーズの犯人と同じだとすれば、異常行動を引き起こす範囲が広すぎる気がする。クルーズの魔物飼育場所もなかなかの広さではあったが、それはあくまで人間のスケールの話だ。この森の広さとはとても比べられるものじゃない。
(命令の内容を絞れば広範囲に出来るのか? それとも増幅器みたいなものを使ってるのか?)
同じ効果範囲内にいる魔物は、ロックバードを含め特に異常行動は見られない。異常行動がオークに絞られているのを見るに、そこまで大雑把な効果範囲の拡大のしかたをしているとはどうにも思えない。
(それにしても、二人とも流石は大陸の現役冒険者……オークの疾走にしっかりついてきてるな)
ルルは多少息は乱れているが余力はありそうで、ルートヴィッヒに至ってはカツラの角度を気にする余裕まで見える。この忙しいときに律儀に付けたままにするなハゲ。
やがて疾走するオークは崖の上に一斉に登っていく。
「やっぱりか! 崖の上まで急いで回る!!」
「「了解」」
流石にこの夜の視界で崖を登るのはリスクが高すぎるため、多少時間がかかってもいいという判断で安全な道を選ぶ。数分後にロックバードの元に辿り着いた頃には、昼間に見た頃の十倍近いオークが崖にひしめきあっていた。
非常に嫌悪感を催す光景に、俺の殺意が膨れ上がる。
「あーこの中に催涙爆竹投げ込んで包囲殲滅してぇー……」
「火炎瓶でいいだろう。油あるけど使うかね?」
「やめとく。見ろ、オークが押し寄せすぎてロックバードが押し出されそうだ」
見ればつがいのロックバードが揃って必死に巣を守っているが、もはやオークの増加量の方が勝っており絶体絶命だ。この上パニックオークが一斉に押し寄せてきたら、巣は滅茶苦茶に荒らされてロックバードの卵も全滅するだろう。
ひしめく緑の禿げ頭と、ブギブギブヒブヒと響く不愉快な鳴き声。
こんな状況でオークに殺されたら死んでも死に切れなさそうだ。
ルルが青い顔色で呻く。
「なんなの。いやホントなんなのこれ」
「俺も大分オーク討伐やってきたけど、これは完全に未知の領域だわ」
「そういえばどれくらい長く討伐してるんだね?」
「二年ちょい、ほぼ延々と」
「思ったより短っ! ……でも冷静に考えると地獄ね」
多分ルルの想像とはちょっと地獄の種類が違うが、あながち間違いでも無いので否定はしない。
月夜に照らされたオーク達は、ふと人間には聞こえない音でも聞いたかのように一斉に断崖の方を向く。
そして――何をとち狂ったのか、そのまま崖の下へ一斉に駆け下り始めた。
「ブギャアアアアアアア!!」
「アギャアアアアアアア!!」
「ブギェエエエエエエエ!!」
数百はいようかという巨体が、その重量を揺らして我先にと崖の下へ殺到する。緑色の雪崩は大地を揺るがし、足下の石ころは地面から伝わる衝撃によってひとりでに跳ね、森の木々で休んでいたであろう生物たちが悲鳴を上げて草木を揺らす。
気付けば目の前にあるのはオークの糞尿と足跡のみ。慌てて俺たちが崖の下を見ると、大量のオーク達はもうもうと土煙を上げてどこかの方角へ走り去っていた。
なお、崖の下には下降に失敗して落下した上に仲間に踏み潰され尽くした十数匹のオークの死骸が転がっている。
まったく人間の理解が及ばない光景に俺たちはしばし立ち尽くしたが、やがて仕事の性か俺は地図とコンパスを取り出し、灯りを付けてオークの向かった場所を調べることにする。冒険者の低クオリティ地図を頼りに皇国の地図と照らし合わせる。
「あんだけ訳分からんことされるとは思わなかったけど、全員同じ方向向いて走り去ったなら目的地がある筈だろ。いや、あって欲しい。でないとマジで俺たちオークに振り回されただけだし」
ルートヴィッヒが酷く疲れた声で「ソウダネ」と返す。
「えーと……もしこのまま直進したら森を突き抜け平野を走り、いくつかの村に接触する可能性がある……これ、まずくないか?」
「無論、かなりまずい!」
やっと正気に戻ったルートヴィッヒが懐から取り出した笛を鳴らす。どことなくハルピーのぴろろが叫んだあの『喚び風』に似た甲高い音色が響いた。俺の視線に気付いたルートヴィッヒは笛を指さし説明する。
「ファミリヤ喚びの笛さ。かなりの貴重品だけど、これでファミリヤを喚べる。ただし、特定のファミリヤを呼び寄せるような便利な代物じゃないから、緊急時以外に使用したらファミリヤ運用を乱したって罰金を取られることもある」
「到着までどれくらいかかる?」
「早くても一時間かな……」
「一時間も……」
一時間ということは、単純計算でも往復二時間。
こんな森の中で外部と連絡を取れるという意味ではこれでも破格の伝達速度だが、今からオークの移動情報を伝達して村が住民の避難に乗り出すまでには結構な時間が必要だろう。
オークの移動速度はそれほど早くないとはいえ、スタミナはある。猶予は殆どないかもしれない。それでも俺が今から土地勘もない場所を走って見知らぬ村に伝達しにいくというのは非現実的なので、あとは待つしかないだろう。
そもそも、オークが本当に一直線に突撃して村を襲う保証がない。
王国内なら可能性だけでも大きく動けるが、皇国ではそうもいかないだろう。
難しい顔をしていると、ルートヴィッヒが俺の肩を叩く。
「あれだけ派手に爆走してたら森の外の人間とてイヤでも気付く。皇国の魔物警戒網は確かだし、魔物襲撃に備えた避難訓練も頻繁に行われている。数百のオークの群れともなれば流石に即座に迎撃とはいかないまでも、死人は出ないさ」
「……分かった、信じる」
やむなく頷く俺とは対照的に、ルルは悲痛な面持ちだった。
「私は信じたくないんだけど……でもどうしようもないし……だぁぁぁぁーーーーーーーーー!! ああーーーーーーー!! うわぁぁぁーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
頭をぐしゃぐしゃ掻きむしったルルは周囲に八つ当たりするようなヒステリックな悲鳴を上げる。余りの叫びにロックバードのつがいがビクっと驚いているが、おかまいなしにルルは叫んだ。
よほど今夜の調査が事実上の空振りに終わったことが悔しかったのだろう。俺は彼女になんと声をかけるべきかと少し悩んだが、それより先に叫び終えて項垂れたルルがすっきりした表情で顔を上げる。
「よし、全力で叫んだから切り替え完了!! ヴァルナ、邪魔者はいないわけだからロックバードの卵取りのお手本見せたげるわ!!」
「切り替え早ぇッ!?」
「というか今はつがいが揃ってるし、卵はもう諦めたまえよ……今度奢ってあげるから」
「えぇー……」
ルルはちらりとロックバードの方を見るが、つがいのロックバードは完全にこちらを警戒している。緊張状態が続いたすぐ後だし、夫婦揃って全力で抵抗するだろう。そのことを察したルルは深いため息と共に矛先を収め――。
「じゃあ落下死したオークの様子見に行こうよ。解剖で見つからなかった何かが分かるかも知れないし!!」
ルルの顔には、転んだ以上は絶対にタダでは起きたくないという意志が漲っていた。
と、いうわけで崖の下に来たものの、オークの死体は大分状態が酷く、解剖出来るほど綺麗なものは全くなかった。当然である。幾らオークの肉体が頑丈でも、崖から落下した挙げ句に仲間である筈のオークが容赦なく踏みつけていったのだから。
骨折、内臓破裂は当たり前。
中には頭蓋の中から何か漏れているのまでいる。
流石に状態が酷いため、全員が口元をスカーフで覆ってマスク代わりにする。
「ここまで酷い状態の死体は俺も初めて見るな……」
「役立ちそうにはないかい?」
「精々、オークの肉体強度検証に使えるくらいか」
普通、よほど特殊な状況でない限りオークは仲間を傷つける行動はしない。これではオークの最大の武器とも言える群れの統率力さえも失われている。いや、そもそも今、あのオーク達は一体何に突き動かされているのだろうか。
オークの群れ同士は、メスオークのフェロモンの関係から他の群れと合流することはない。一つの群れに一匹のメスオーク。もしメスオークが群れの中に生まれたら、成体になると同時に子供のメスオークは群れの一部を連れて独立する。それがオーク社会の不文律だ。
それを無視させるだけの絡繰りとは何か――頭を悩ます俺とは裏腹に、ルルはその辺で拾った木の枝でオークの死体をつついている。
「うわー、何この頭からはみ出てるやつ。灰色でぶにぶにしてんだけど」
「おい、つつき回すな。それオークの脳みそだから」
普通の人にはかなりお見せできない光景である。しかしいつ見てもオークの脳みそツルッツルだな。
「脳みそってピンク色じゃないんだ。うわぉグロぉ。なんか白い筋あるし」
「人間もピンクじゃないからな。脳の表面は灰白質って言って……」
と、ノノカさんから聞きかじった知識を披露しかけたところで、引っかかりを覚える。
「白い筋?」
「ほらこれ。なんか植物の根っこみたいでキッショ……」
ルルが自分でつついておいて嫌そうに顔を背けながら枝先を引っかけた白い筋は、ぺりぺりと音を立てて脳から剥がれていく。今までオークの脳は数度だけ、ノノカさんがえへらえへらと乙女らしからぬ笑みを浮かべながらホルマリン漬けにしているのしか見たことがないが、その経験の中で脳の表面にぺりぺり剥がれる根っこのようなものはなかった筈である。
やがてその根は全て一カ所に集約されている――いや、ある一点から放射線状に広がっている事に気付く。その根の頂点たる部分に、俺は目を疑った。
それが原因であることを疑わなかった訳ではない。
しかし、何故それが脳にあるのか、全く理解出来ない。
「アルラウネの……種ぇ!?」
スイカの種を飲み込んだら腹から芽が出るなんて迷信は聞いたことがあるが、目の前の現実はその迷信から更に飛躍していた。




