337.引き摺り出します
アルキオニデス島東部への道のりは余り楽とは言えなかった。
たびたび強烈な雨が降り注いだり、岩礁地帯を通らなければいけなくなったり、船酔いでダウンする騎士も出たりした。俺たち外対騎士団は海に関しては素人なので、俺も船の揺れに慣れるには少し苦戦した。船上の逆立ち指立て伏せはなかなか辛いものがある。
ただ、その中にあって船頭のバウさんは操舵、船上におけるアドバイス、用意など、どの面でも的確な判断を下していった。学者たちが彼を信用するのも分かる気がする。
ついでにバウさんが船の角度の微調整の為に手にするオールの動きは槍術に通じるものがある気がするのでよく観察しておいた。視線に気づいたバウさんは訝し気な顔をする。
「……何か?」
「いえ、オール捌きを観察してただけです……そういえば、少し聞きたいことがあったんですが」
「拙者に答えられる事ならば」
「バウさんって東部の人たちの仲介役をしてるんでしょ? 元は東部出身なんですか?」
「そうとも言えるし、違うとも言える」
婉曲な物言いである。ここで、はぁ、何やら事情があるのか……と察して黙っているのは簡単なのだが、これから向かう場所との貴重な接点になる人物の事情を放置するのもよろしくない。
「結局どっちなのか因果関係を明瞭にしてはっきり言ってもらえると有難いんですが」
「きみは、ずけずけ物を言うな」
バウさんは少し呆れ顔だが、気を悪くしてはいないようだった。
「拙者は元々漂流者だ。東の者に助けられ、しばし住んでいた。西の開発が活発になってからは、荷物や情報を運ぶために東西を行ったり来たりしている。蝙蝠と罵られることもあるがな」
「どんなものを運ぶんですか?」
「文もそうだが、主に外の文化が記された書物、一部食料品、そしてなにより薬だ。カシニ列島の医療は学問ではなく儀式のようなものでな。薬草に詳しい占い師が言い伝えに基づいて治療法を示すが、王国の医学や薬学の方が格段に優れている」
「医者が占い師……こう言っては失礼ですが、王国民としては占い師の治療は受けたくないですね」
「きみは、遠慮というものがないな」
バウさんは水面からオールを引き上げると、オールの端から垂れる水滴を無駄のない動きで払う。海水がぴぴぴ、と水面に連なるように落ちた。オールを置いたバウさんは北北西の方角を遠い目で見つめた。
そこには、特に変哲もない海が広がっている。
「拙者も元は余所者、その感覚は理解できる。王国の医療知識を取り入れることを嫌う占い師も多いが、最近は書の内容を理解し患者をより短期で治せる占い師も出てきた。文化侵略と発展とは紙一重ということだろう。何を得て、何を守るかが肝要だと思わないかね?」
「……残念ながら、西側の人はそれが出来ていないのではと思わざるを得ません」
「そう、見えるか」
「そうでなくても、もう現実の方が耐えられない段階まで来てます。完全に傾き切った天秤はもとに戻らない」
過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉がある。
やり過ぎはやらな過ぎと同じくらい良くない、といった意味だ。
西がやりすぎならば、東はやらなすぎ――なんてオチが待っていないことを祈り、俺はその後もバウさんから様々な話を聞いた。
だから、道具作成班の二人の会話に、俺は意識が向かなかった。
「ねーねーザトーさ~ん」
「ん、なんだよリベリヤ」
「んとね、今気付いたんだけど~……バウさんの帽子、よく見たらあれノンラーじゃないよ~?」
「あ? ノンラーってカシニ列島の民族が使ってる植物の葉で編んだ帽子なんだろ? それが違うってぇと……つまりどうなるんだ?」
「……どーなるんだろうね?」
「まぁ材料も機能も一緒なんだから、ちょっと違ったってどうでもいいだろ」
「それもそっかー。さっすがザトーさん頭いい~」
――その日、東部に上陸した俺たちは一度地上で夜を過ごした。
そして翌日、とうとう東部最大の村であるナルビ村に到着した。
◇ ◆
ナルビ村は、見たところ素朴な村だった。
西側は王国風に染まりつつも木や植物で編んだものが散見されたのに対し、意外にもナルビ村はレンガがよく見られる。イメージと違う、と一瞬思ったが、考えてみれば当たり前だと気付く。
島の西は原生林があり植物資源が豊富なのに対し、東は比較的乾燥している。木や植物が貴重な代わりにレンガを作りやすい環境なのだろう。カルメがきょろきょろと周囲を見渡す。
「乾燥しているとは聞いていましたが、思いのほか地面にも草が生えてますね」
「それだけ雑草は逞しいって事かもな……実際どうなんですか、プファルさん?」
「草たちを雑草と一括りに扱われると植物学者的には複雑ですが……季節が夏ですから雨量がそれなりにあるんです。それに乾燥とはいってもクリフィアのような極端な乾燥じゃありませんので。おかげで面白い進化を遂げた植物が多いんですよ? ……例えばホラ、ここ!! ここに生えてるイネ科植物はデドモコエハルと言いまして、貴重な新種なのにここではあちこちに……!」
(あー、やっぱこういうタイプの人か……)
突然地面に寝転がって群生する草を指さしながらテンションを上げる様はまさに研究者といった感じである。しかも寝転びながら上を見上げて説明してるので必然的にスカートを覗こうとするような体勢になっており、カルメが反射的に悲鳴をあげてプファルさんの顔面を踏みつける。
「きゃぁぁぁっ!?」
「ブゴップッ!?」
「いやカルメ、お前別にスカートでもないだろうが」
「……はっ、す、すいませんつい反射的に!!」
うごご、と唸るプファルにカルメが駆け寄るが、後からやってきたハピが必要ないとばかりに手を振る。
「気にしない気にしない。こいついつもこんな感じで誰のパンツでも覗くのよ。アタシも何回も覗かれたからこいつの近くでは絶対スカート履かないし」
やれやれと首を横にするハピは、ついでに苦しむプファルの尻に蹴りを一発入れて村に向かう。「ひぎんっ!」と情けない悲鳴を上げて尻を抑えピクピク震えるプファルさんはだいぶ近寄りたくない人である。
ちなみにバウさんは村の上役と話をつけるために村の内部に先行しており、村から一定距離離れている騎士団は立ち往生である。キャリバンはこの間にファミリヤたちを空に放ち、今すぐ動きたくてうずうずしているリンダ教授をどうどうと諫めている。
海岸で待ち続けること一時間、バウさんが戻ってくる。
表情は変わらないが、少し緊張感を纏っている。
「どうですか、話し合いの場は設けられそうですか?」
「率直に言って、余所者の我々に難色を示している」
「……らしいですね」
さっきから雑多に作られた村の外壁越しに、住民たちからの警戒心を隠そうともしない視線が突き刺さっている。可能性としては考慮していたが、実際に起きるとなかなか悩ましい問題だ。
「無許可で土地をうろうろすればトラブルの元。かといって相手が帰れというから素直に帰りますじゃ子供のお使い。何か方法はありませんか?」
「難しいな。薬などの持ち込み品で多少心象は掴んだと思ったが、しばし拙者が訪れぬうちに強硬な反対派の声が少しばかり大きくなったようだ」
元々排他的な部分はあったらしく、当時バウさんが住んでいた頃からちょこちょこ差別的な出来事はあったという。今でこそある程度和解しているが、どうしても「所詮は余所者」の声が消えないらしい。
事前に聞いた話では、この村で東側に歩み寄る気のある穏健派は凡そ三割程度。中道派もいるが、保守派に逆らえず消極的保守の態度をとる住民もいるため交渉は不利だ。
どう対応するか――と思案を巡らせる俺の下に、一人の騎士が慌てて駆け寄ってきた。工作班所属の女性騎士、ネージュ先輩だ。普段一緒に行動しているケベス先輩がいないので不思議に思っていると、息を切らせて俺の前で敬礼したネージュ先輩から思わぬ言葉が出る。
「報告ッ! 騎士ケベスが地元住民に暴行を受けています!」
「はぁぁッ!?」
ネージュ先輩の幼馴染であるケベス先輩はすぐにくだらない冗談を連発してはネージュ先輩にしばき倒される愉快で明るい人だ。それが何故暴行を受けているのか――俺は一旦サマルネス先輩に指揮を任せて自ら現場に赴くことにした。
ネージュ先輩は案内する間、口には出さずともケベス先輩のことが心配でたまらないのか、時折祈るように胸を押さえて小さく唸っている。
曰く、トイレに行きたいと言い出したケベスは「野にするのも失礼だし」と堂々と村に近寄り、住民に事情を話すより早くいきなり袋叩きに遭ったらしい。交渉事が終わってないうちに迂闊な動きをしたケベス先輩に頭が痛くなるが、当の本人は物理的に身体が痛そうだ。当然ながら見捨てることは出来なかった。
現場では、若い男性五名に囲まれて蹴られたり棒で突かれたりするケベス先輩の姿があった。
「ちょっ、イデッ!! 痛てててて、あだぁッ!? ちょ、やめて漏れちゃう!! お尻の隙間から暗黒なるものが召喚されちゃうってば!?」
「黙れ余所者めっ、悪魔めっ」
「村を守る我らの怒りと力を思い知れ!」
「今すぐ立ち去れ余所者っ!」
「いや立ち去れって君たち堂々と俺を取り囲んでボコしてますやんか!?」
思ったより余裕の発言と取るべきか、或いは肛門が極限状態と取るべきか、まだ重傷は負っていないようだ。若い五人の男は明らかに感情に呑まれた動きで、とても心構えの出来た門番や戦士といった風ではない。
つまり、いきなり近づいてきた余所者に不安を爆発させた突発的な暴力行為だろう。本来王国の法律では騎士に暴行を加えると唯の暴行罪では済まないが、彼らを強制的に捕縛したところで村の心象は悪化する一方になる。どうにかこちらから手を出さないまま引いて貰いたい。
俺はなるだけ堂々と彼らに歩み寄る。
なお暴力に夢中な彼らを前に、肺一杯に空気を溜めた俺は叫んだ。
「――止まれぇッ!!!」
あらん限りの気迫を込めた声に、離れた場所にいた村人も、騎士も、五人の男たちも、全員が俺に否応なく視線を向ける。狙い通り、彼らの注意はケベスから完全にこちらに向いた。俺が五人に一歩近づくと、五人が一斉に後ずさる。二歩、三歩と進むたびに同じことを繰り返した末、一人の男が自棄を起こしたように拳を顔の高さに掲げて殴り掛かる。
「さっ、去れ悪魔よォォ!!」
左の頬に衝撃。
避けるのも受け止めるのも捌くのも容易だったが、俺は敢えて受けた。
ケベス先輩とて騎士だし、素手の戦いも出来る方だ。いくら何某を我慢しているからといってこんな素人連中に不覚を取りはしない。それでも彼がされるがままなのは、騎士団の今後の為に暴力沙汰を避けたからだ。その配慮を酌み、俺は痛みも相手の拳も無視して更に一歩出た。
「え、ぅあ? な、な、なにをする気だ! 俺たちは貴様ら野蛮人の力になど屈しな……」
「この男はトイレを探していただけだ。君たちに危害を加える意思はなかった。どうか許してやって欲しい」
俺は真摯に頭を下げた。
ただし、氣を全開にして威圧感を与えながら。
これは、不手際があったことは認めるが、そちらの暴力を許容した訳ではないという無言の意思表示だ。本来殴られたら殴り返してしまうのが人というもの。それを押し殺してるのだという事を、気迫で理解させる。
威圧的な態度にもなってしまうが、今の俺は部下の身の安全を預かる立場だ。
下に見られる訳にはいなかかった。
ところが、男たちは何を思ってか悲鳴を上げて逃げ出した。
「わぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
まるで怪物か何かに遭遇したかのような恐慌状態で逃げる男たちに、俺は呆れた。確かに威圧的な気配は放っていたが、仮にも村を守るとほざいた身で随分逃げ足の早いことだ。見習い戦士か戦士未満の、本当に唯の若人だったらしい。
「……怒鳴られて逃げるようなら最初からこんな真似するなっての。ほらケベス先輩、立てます? 今すぐトイレを借りるのは無理そうなので、その辺でやって後で処理してください」
「お、おう……サンキューヴァルナ! これで俺のパンツは守られたぜ!」
目をパチクリさせていたケベス先輩は、人のいい笑顔で俺が差し出した手を掴む。その態度に俺は目を細め、不意にケベス先輩の腹に軽い掌底を打ち込んだ。
「オゴッ!? まさかの迫撃!?」
「そこは追撃でしょうが……ケベス先輩、もしかしなくてもトイレの件は嘘ですね? 今の衝撃なら普通漏れますよ」
「もし本当に限界だったらどーすんだよ! いつつ……悪ぃ。でもま、ボコされた甲斐はあるんだぜ?」
「はぁ……?」
悪びれもなく笑うケベス先輩が村の側を顎で示すと、深い懊悩を眉間に滲ませた村長らしき人がこちらに近づいていた。思うに、暴力事件を聞きつけてやってきたのだろう。少なくとも怒り狂って出ていけと叫ぶ風ではなく、むしろその気はなかったのに引っ張り出されたという顔だ。
村長らしき人物に顔が見えない角度で、ケベス先輩がべぇ、と舌を出す。
「ちょっと騙したようで悪いけど、これで被害者はコッチーの加害者はアッチーの。んでもって交渉に引き込めるって訳よ! ついでにネージュとの逢引きの権利ゲットだぜ!」
「ゲットだぜ、じゃないわよこのドバカッ!!」
ちょっと涙目なネージュ先輩渾身のゲンコツがケベスの頭頂部に衝突したのは言うまでもない。
――後に判明したところによると、ネージュ先輩は任務の前にセネガ先輩に「セネガ式悪の教本・交渉編」なる本を渡されており、そこに書かれたこんな時の為の対処法を見てドン引きしていたそうだ。
するとケベス先輩がいつものノリで絡んできて――。
『見たかネージュ、あいつ棚の商品をポケットに……』
『それはドン引きじゃなくて万引きだし、そもそも棚も商品もないし』
『なんで給料と手取り金が違うんだよぉ!』
『天引きって言いたいの? それとも自分は馬鹿ですって自己紹介したいの?』
『ロマンスな逢引き、しない?』
『ここに書いてある交渉術『相手に態とボコられてインネンの口実になる』を実行したら考えてあげてもいいけど?』
『マジ? ちょっとやってくるわ』
『ほんと馬鹿ね、待機命令出てるんだから行っちゃ駄目に決まって……え? あれ? ケベス……?』
俺には分かる。
セネガ先輩はケベス先輩に渡しても効果がないことや彼の体が頑丈なこと、二人の関係まで諸々の条件を予測したうえでこうなることを見越して悪の教本を残したに違いない。俺が出来ない介入の切っ掛けを作るためにだ。
俺は何故か、空の雲が高笑いするセネガ先輩の顔に見えて無性に憎たらしく思えてきた。ケベス、ネージュ両先輩二人には相応の罰を与えるとして、教唆に当てはまらない姑息なセネガ先輩には「やり方がヤガラと同レベルだ」と後で周囲に言いふらしてやろう。




