320.立場逆転です
玉の輿――それは平民の夢。
こう言うと馬鹿馬鹿しい野望にも聞こえるが、特権階級と平民の間に越え難い身分差がある王国に於いて、それは現実的な成り上がり方だ。
自分で言うのもなんだが、自分を客観的に見た場合、騎士ヴァルナという男の一種の成り上がり劇はかなり非現実的な類である。それは自分が非現実的と認めるようで癪だから人間やりゃあ出来ると敢えて断言するが、誰しも王国最強になれるのかと言われれば無理だ。番付をすれば必ず最上位は一人、最下位も一人発生するのが世の理である。
アマルとエリムスのような出会いに憧れる人物は多かろうが、人は劇的な成り上がりより現実に手が届きそうな道を選ぶ場合が多い。そして、そんな堅実な道を歩んでほどよい成り上がりをした人物を俺は知っている。
王立記録書庫のカウンターで書類に目を落としていた男は、視線を上げて値踏みするように俺を見つめた。
「砂漠で随分な活躍だったらしいな、ヴァルナ。ナーガを手懐けるコツをご教授願いたいもんだ」
「訓練でナーガ兵士百人ぶちのめせば懐いてくれるんじゃないか?」
「聞いた俺がバカだった。相変わらずお前の戦闘力は桁がズレてるな、世界最強殿」
特に失望した様子もなく眼鏡のずれを調整する男の名はヒュベリオ。
元、ヴァルナと同期の士官候補生であり、学校卒業後に騎士任命を辞退して逆玉結婚を成功させた男である。つまり俺の同級生でも数少ない既婚者というわけだ。
性格は波風を立てない大人しい人物で、口には出さずとも様々な打算を加味して動く合理主義だ。なので貴族には自分の品を落とさない程度に媚び、平民とは関係を損なわない程度に接していた。
ただ、どっちつかずの八方美人だった訳ではない。彼は誰とも関係を損ねず、そのうえで狙った人物に取り入って効率的に玉の輿を狙っていたのだ。
実際、あの激動の士官学校時代に特権階級と親しくなってコネを作り、学校の外に関係を広げ、卒業までに今の奥方の心を射止めた行動力はある意味称賛に値する。
彼はそういうドライな強かさを持つ人物だ。故に、歯に衣着せぬ今の物言いが彼の素である。
剣術の腕は振るわなかったが、成績に関しては俺と僅差で六位と平民の中では飛びぬけて頭がよかったこの男は、現在書庫の三級書官を務めている。王立記録書庫はなかなかの要職であるため、平民は最下級である四級書官でさえ殆どなれる者はいない。
そんなヒュベリオにとって俺は「多少便宜を図っても損はしない相手」と認識されているのか、突然来訪しても追い返すことはしない。積極的に談笑する訳ではないが、用件があれば可能な範囲で答えてくれる。
俺も彼の懐に深入りはしないので、関係はビジネスライクに近い。
互いにとって今のこれが一番都合のいい距離感なのだ。
「で、今日は何の資料を探しに来たんだ?」
「今日はお前の話を聞きに来た、と言ったら?」
「気色悪いな。だがまぁ、内容にもよる。爆笑ジョークは期待するなよ」
「しねぇよ。あ、ついでに寒国と王国の関係知りたいんだけど」
「例の亡命王子関連か。よくよく厄介ごとに首を突っ込むのが好きだな、お前は。寒国の資料はC-4の三段目に……いや、どの範囲で情報を知りたいのかによるか」
ざっくりとした歴史と国民感情くらいの範囲でいいと告げると、ヒュベリオはそれなら口頭で十分だと考えたのか、席を立たずに俺をカウンター前の椅子に座るよう促した。
俺にとって寒国と言えば、大陸を挟んで正反対にある島国だ。
一応国交はあり友好国ではあったが、特筆すべき関係は心当たりがない。
なのにエリムスが王国にやたら憧れていたのが少々気になった。
「成程、もう顔を合わせていたのか。まったく無自覚なんだろうが手が早いというか、むしろお前が王子を引き寄せたのか。重い腰を上げて赴かないと伝手の広がらない身としては羨ましい限りだ」
「代わってやろうか? 変な奴が次々に来るぞ」
「そりゃお前が変な奴筆頭だからだろうに。まぁいい、寒国の王国に対する憧れとやらの理由は単純明快。王国に窮地を救われているからだ」
曰く――寒国は元々大陸にあった国家だった。
しかし、運が悪いことに魔物発生地の近くの土地にいたが為に魔物による被害に真っ先に見舞われ、寒国は母国の土地を捨てざるを得なくなった。更に、寒国が頼りにしていた近隣国家も同じく被害を受けて土地を離れた結果、寒国は大陸北西で完全に孤立してしまったのだ。
まともに補給を受けられず、かといって住みよい土地は次々に魔物の災禍に見舞われ、彼らは過酷な北の大地に追いやられ、とうとう海以外の逃げ場をなくした。そして危険で過酷な北の海を渡った先に大きな島があることを知った彼らは、意を決して魔物から逃れるために未開の土地に飛び込んだ。
彼らは確かに魔物の難からは逃れた。
しかし、それから始まったのは過酷すぎる生活だった。
長く厳しい冬、痩せた土地、そして各国の救援が届き辛い最悪の立地。
魔物が沈静化した大陸に戻ろうにも、魔物の脅威は消えておらず、財政的にも国民感情的にも無理があった。人道的見地から皇国が他の国家を経由して援助を行うことで、彼らはなんとか国の体面を保っていた。
しかし、内政と開拓に精いっぱいで文化的に大きな後れを取った寒国は焦った。各国の援助もいつまでもあるとは限らない。彼らは自立の術を探し、そしてある国の存在を知る。
それが王国だった。
王国も寒国と同じく魔物の脅威から逃げて島国となった。しかしその当時、既に王国は他国の援助なしでも自立できるだけの経済力と文化発展を遂げていた。大まかな環境の違いはあれど、他国と海を隔てて生活する王国の文化は寒国にとって大変に参考になるものだったそうだ。
法律、外交、農業などのノウハウ――寒国はすぐさま王国と国交を持ち、留学生を多く送り出した。王国も自分たちの知識や技術を惜しみなく彼らに与え、やがて留学を終えて母国に戻った人材は各方面で目まぐるしい活躍を見せる。
このとき、寒国の人々は王国という豊かな国の親切な人々の存在を知った。
「王国からすれば当時プレッシャーの強かった皇国対策に何かしらの打算があったのかもしれんが……寒国が寒波で幾度も窮地に立たされた時期、王国は他のどの同盟国より親身に寒国へ資金援助した。元々援助を最も多くしていた皇国が援助をケチり始めた時期だったから、足を向けて眠れなくなってもおかしくはあるまい?」
「成程なぁ……寒国から見れば王国は遠く離れた理想の国ってことか」
「実際に彼らが王国まで来ようとすれば、実質的に大陸の端から端まで移動するようなものだからな。その遠さが逆に王国をロマンティックな存在にしてるのかもしれん。ちなみに、親身になって援助してた王国の国王は、国内じゃ暗君呼ばわりされた」
「イヴァールト四世か。いい人は政治家に向かないとは言うが、なんとも複雑な気分にさせられるな」
為政者の正否賢愚は歴史にしか証明できないが、経済的な悪手でも人の命を救うことは出来る。遠い同盟国での善行が国内で悪行扱いというのも皮肉な話だ。批判を甘んじて受けてでも事を為すか、身内の為に他者を切り捨てるか――俺にはイヴァールト四世の行動を間違いだったと断じる勇気はない。
「分かった、寒国についてはこれで十分だ。そろそろ本題に行こう」
「俺の話を聞きにきたんだったか? 今や押すに押されぬ筆頭騎士様がわざわざ俺のような小物の話を聞きたいとは思えんがね」
「俺未婚なので、既婚者の意見を聞きたいの」
「……正直嫌なのだが?」
露骨にプライベートな話に飛ぶ気配を察したヒュベリオの眉間に皺が寄る。
しかし、俺だって好きでこんな下世話な話を振っている訳ではない。
酔狂ではないことが伝わったのか、ヒュベリオは眉間を抑えた。
「事情を教えろ」
「政略結婚。ただし、これを呑まない場合、相手方は騎士団にとってひっじょ~~に重要な情報を渡さないと来ている。そして、事実この機会を逃したら二度と渡してくれないだろう」
「なきゃ困る情報か?」
「なくて困らんなら悩まないだろ。ただ、あくまで話の決定権は俺にあって恨みっこはなしだ。だから俺なりに結婚観ってやつと向き合おうと思ってな」
そこまで聞いて、自分に害の及ぶ話ではないと判断したのかヒュベリオの表情から険が抜けた。
「ヒュベリオ、お前は何で結婚した?」
「はっきり言う。俺は、俺の能力が正当に認められ、活かされる人生を送りたいがために今の妻を娶った。もちろん対象が娶りたくもない最悪の女だったら少しは考えたが、彼女は俺でもやっていける相手だった。だから愛を囁いたし、彼女の望むことによく耳を傾けたし、結婚式では彼女の望む理想に近づけるよう最大限努力した。国営の仕事でまともに出世するには最低限特権階級の身分が欲しかったからな」
「明け透け極まるな」
世の女性たちが聞いたら結婚を何だと思っていると怒りだしそうな発言を堂々と言い放つヒュベリオに、俺は冷や汗を垂らした。ここに俺とヒュベリオしかいないからいいものを、よくもまぁ断言できたものだ。
「ヴァルナ、お前にとってその政略結婚は損か? 相手方の家に多大な問題があって巻き込まれたくないとか、婚姻相手が想像を絶する不細工だとか、黒い噂の絶えない相手だとか、そうした明確な『損』があるなら……俺ならば断る。ただしその損に目を瞑ることでより多くの利益が得られると踏んだら話を呑むだろう」
「一応、借金がある。だが俺の使う予定がない大会優勝賞金で清算可能だ。婚姻相手も、その……いい子だ。損得で言えば、断るべき理由はあまりない」
「だったら受けるんだな。俺の出せる答えなんてそんなもんだ」
予想通りと言わんばかりに鼻を鳴らしたヒュベリオは、水差しの水をコップに注いで飲み干す。そして、肩をすくめておどけた。
「相談相手を間違えてるぞ、ヴァルナ。そういうことはもっと愛だ恋だと五月蠅いのに問うべきだ」
「お前の所には愛だの恋だのはないのか?」
「あるとも。彼女の欲する愛を俺が用意する。互いにそれを問題と思わなければ、婚姻関係は破綻しない。つまり法律上の愛が認められると考えられないか?」
妻を彼がコントロールしているかのような、だいぶ上から目線の発言だ。
割り切ってるなぁこいつ、と思っていた俺は、ふと彼のデスクにある卓上カレンダーに目が行く。
「奥さん名前なんだっけ?」
「レアンナ・アイトラン」
「卓上カレンダーにやたらマルの印がついてるのは何かの用事か?」
「最初のマルは初デート記念日。次のマルは彼女の飼っている猫のシャルロットの誕生日。その次は彼女が贔屓にするアクセサリショップに買い物に行く日。その次のマルは俺の父の誕生日だな」
何でもないように文字も書いていないマル印の意味をすらすら口にしたヒュベリオは、テーブルに肘をついてほんの少し愚痴っぽく妻のことを口にした。
「レアンナは記念日が大好きで、小規模でいいから祝いたいと言って聞かないから仕方なくこまめに有休をとらざるを得ない。しかもそういうときに限ってこっそり俺へのプレゼントまで用意してるから、お返しもあらかじめ用意しておかなければならない。おかげで使用人にいつもレアンナの流行や好みを確認しなければいけない。少々面倒だが、まぁそれでレアンナが満足するならやらんとな」
「そのために態々時間を割いてこまめに用意するのは、ある種の愛がなきゃ出来んと思うが」
「その打算を愛と呼ぶならば呼べばいいんじゃないか?」
「でも、なんのかんの言いつつ結果的にはお前がレアンナさんに振り回されてる状態だろ?」
ヒュベリオの動きが彫刻のようにビシリと固まった。
その予定表と事情を知るに、俺にはどうにもヒュベリオがレアンナさんをコントロールしているというよりは、むしろヒュベリオが彼女の望む形で動かされてるように思える。
だって俺だったらそんなにこまめに有給は取れないし、常に相手の望むベストなものを出そうとする不断の努力を継続できるかは怪しい。しかしヒュベリオは頭が回り要領がいいから彼女の要求に応えられる。事実、恐らくヒュベリオはレアンナさんの望むがままの夫ムーブをしている。そうすべきだと当人が思っているなら、当然問題はないが。
「尽くす愛ってことだな。俺に果たして出来るかどうか……」
「……」
「ヒュベリオ? おーい、ヒュベリオ―」
肩を叩いて耳元で声を出してもヒュベリオは一切反応しない。
何がそこまでショックだったのかは知らないが、一通り彼に聞きたいことは聞けたのでひとまず書庫から退散することにした。
いつの間にか立場が倒錯する愛もある。
それはそれとして、俺の悩みの答えに近づいた気がしないのだが。




