182. SS:確認しなければいけません
マモリ・イセガミは両親を深く敬愛している。
マモリにとって父は何でもできる人だった。
勉強も絵も全て父に教えられた。
唯一武術だけはきちんと継承させて貰えなかったが、せがみにせがんだ結果、父は釣りを教えてくれた。
なんでもその昔、列国は剣を持つことを長らく禁止されていた時代があったそうだ。
しかし、武士の誇りを捨てないため、武士たちは生活の中に武術を隠し、毎日鍛錬をしたという。釣りもまたその一つで、腹も膨れて一石二鳥と多くの武士たちが釣りを嗜んだという。武術について語らないし教えてくれない父が唯一、武士としての生き方を語ってくれた時だった。
優しい父だったが、笑うことは滅多になく、いつも険しく見える顔をしていた。母はそんな父の顔を見て何を考えているのかすぐに当ててしまい、よく分かるものだといつも感心していたのを思い出す。
『常に自らに厳格であれ。常に誇りを胸に抱け』
父の口癖だ。人生は自己研鑽の連続であり、一生が終わるまで勉強すべしということらしい。その真意を正しくは理解できず、そして今や本人の口からそれを告げられるときは永遠に遠退いてしまった。
父を否定されたくない。
父の名を気軽に他人に口にして欲しくない。
父の命を奪ったあの怪魚ヤヤテツェプを自分の手で仕留めたい。
マモリの誇りは父の子であることだ。
父の名誉はマモリの名誉だ。
それに憎き父を殺したあの魚の首級を取れば、母も少しは元気になる。
元通りにはならないけれど、母と共に暮らす日も来る筈だ。
自分が精いっぱい相手を睨むのは、父の威厳を真似してるだけだ。
そのペルソナを外してしまえば、中には未熟な娘一人。
あのヤガラという男に父を侮辱されたとき、マモリの腹の内は溶岩の如く煮えたぎる怒りに満たされた。許されるならば、この細い腕を使ってでも殴り倒したかった。それほどに屈辱的で、許せなかった。
なにか言い返そうと思ったが、怒りで何も思い浮かばない。
口で勝負することも出来ない自分の無能さに、涙が出そうになった。
こんな有様では、まるで自分自身が父の名誉を曇らせているようだ。
今にも叫びたい気持ちと涙を寸でのところで抑えたのは、あの男の言葉。
『現場判断は騎士団の指揮官に絶対に従うこと。そして、それを信じさせるだけの行動をすること。これは絶対条件だから、守れないなら作戦に参加させない』
『我儘言う子は船に乗せません』
この上醜態を晒して討伐メンバーからも外されてしまっては、本当に何のためにあの会議に無理にでも参加したのか分からなくなってしまう。
我慢した。我慢して、我慢して、それでも神経を逆撫でする屈辱的な挑発と嘲笑に堪えるのが限界だと感じ、コメットの静止を振り切ろうとして――。
「ヤガラ記録官、いたいけな少女に無用な挑発をしてその心を傷つけるのは紳士として……いや、人間として如何なものでしょうか」
ヴァルナは、マモリを庇った。
相手を責める意もなく、義憤もない、極めて平静な声だった。
しかし、彼は明確にヤガラという男の言葉と品位に対して、問いただした。
ヤガラはその一言だけで言葉の刃を納めようとしなかったが、ヴァルナはころりと話を逸らしてヤガラを動揺させ、その隙に酒臭い男がヤガラを連れて行ってしまった。そして当のヴァルナはあっけらかんと会議の続きを促したのである。
嘗て父は、武士とは究極的には戦わずして勝つ者であると言っていた。
だいぶイメージは違うが、騎士ヴァルナは結果的に相手を責めず、剣を抜かず、戦わずして制した。そして自らの手柄を一切誇ることなく、自然と話を続けた。
彼の行動の中に信念が溶け込んでいるのだ。
他人に父の事など軽々しく口にして欲しくはない。
だが、もし彼が父の語った『武士』であるのならば――。
(確かめなきゃ)
武士とは自ら名乗るものにあらず、武士道とは身分ではなく心の在り方にこそ宿る。
彼が真実を知るに値する者、武士であるのかを見極めることを、マモリは静かに誓った。
◆ ◇
プレセペ村代表のオルレアは、元々は別にリーダーという柄でもないし、親がそうだった訳でもない。
ただ、好奇心旺盛だった時期にちょうど村の近代化が始まり、言ってしまえば村で一番柔軟に文化を受け入れた人間だから、話の擦り合わせが一番上手く出来たのだ。研究所でアマナ教授の美貌を見に行くついでに世間話をし、ネイチャーデイの問題児相手に根気よく会話しながら船の使い方や湿地でのマナーを正し、気が付けば村の代表として自宅で書類処理をすることまでやるようになってしまっていた。
今や生け簀の魚たちに餌をやるときと友達と飲み会するときだけが心を癒す時間だ。
で、そんなオルレアはこの日、新たな友人となった男と自宅で酒を飲んでいた。
「知ってんだよぉぉぉぉぉ俺が勢いばっかで売れない記者だってよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
「うんうん。干物喰え」
「もぐもぐ……あんな下っ端騎士にいいようにあしらわれてよぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
「分かる分かる。ほら、カルパッチョ喰え」
「むしゃむしゃ……奴のせいで全然取材進まねぇじゃねえかぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「お前のせいじゃないさ。間が悪い時ってあるよ。ほれ、野菜の魚醤和え」
「もしゃもしゃ……美味ぇじゃねえか! 全部美味ぇよ!!」
「だろ?」
「こんな美味ぇものがあるのに気付かず俺はここに何取材しに来てんだバァァロォォォォォォォ……」
目の前で無駄に語尾を引き伸ばす男は、パラベラム。
ついさっき家の前を今にも倒れそうな顔で歩いていたので心配になって迎え入れ、気が付いたらこうなっていた。なんでも彼は新進気鋭の出版社に所属する記者らしい。記者という職業に馴染みがないが、新聞を作っていると言われれば意味ぐらい分かる。
立派な職業だし、自分には出来ないだろう。
で、そのパラベラムだが、単身見知らぬ土地に来てからというものロクな事がないと嘆いているようだ。今日も彼は卑劣な騎士に騙されて時間を無駄にしたと言っている。
一体誰かは知らないが酷い騎士もいたものである。
「なんて名前の騎士だよ」
「名前確認し忘れたんだよぉぉぉぉぉぉ……馬鹿、俺の馬鹿! 記者なら名前聞けよぉぉぉぉぉぉ……むしゃ」
とうとう泣きながらサラダを食べだしたパラベラムの哀れな姿に同情する。
見ず知らずの人間に食事を振舞うオルレアだが、彼のそれは太っ腹という訳ではなく、何か物事を深く考えずにいたかったからという自己防衛的な感情もある。
怪魚ヤヤテツェプの出現が彼の心に与えたダメージは思いのほか深い。他人と酒を酌み交わし、愚痴を聞き、料理を振舞っている間はそれを考えないで済む。要は一人でいるのが辛かったのだ。久しぶりに自分の料理の腕が鈍っていないかのチェックでもあった。
暫く酒を飲みながら愚痴を聞いていると、ぴたりとパラベラムが止まり、自責するように口を開いた。
「分かってんだよホントは。俺が悪いってことぐらい。金ケチって現地ガイドも雇ってねぇ。事前の下調べも行き当たりばったり。ネイチャーデイの件だって、あの騎士は本当に代表にアポ取ってくれた。なのにミケランジェロ代表に芸術の話を振られたとき、俺は芸術の事なんて何にも知らねえから答えられなかった……」
「そんなもんだろ。俺だってあのジイさんの言ってることよく分かんねぇよ」
「そうじゃねえ。一流の記者なら普通、これから取材する相手の分野の事ぐらい浅くでいいから一通り頭にぶち込んでから来る。でないとスムーズに取材できねぇからだ。俺は準備を怠ったせいで、何も聞き出せずに言われっぱなしさ……」
虚しそうにフォークに突き刺さった蒸し魚を見つめるパラベラムは、それを口に放り込んだ。彼はどうやら、散々愚痴を言いつつも愚痴の発生事由を突き詰めると結局自分の未熟さに行きつく、と考えたらしい。
「気持ちは分からんでもないな。やっぱ漁師修行の時代は先輩や大人に散々愚痴を言ったけどよ。一人前に近づくにつれて、出来てなかった自分がやっぱり悪かったんだって段々察してくるんだよ」
「今は一流なんだろ。三流の俺と違って」
「誰だって三流以下から始まるもんだろ? 生まれついての一流なんていねえよ」
「……」
暫く無言になったパラベラムは、酒を呷った。
「……かぁぁぁぁキッツ! でも美味ぇ! こんなことなら最初からグルメ旅って銘打っときゃよかった!」
「そうそう、その調子! いっそそっちも書いちまえ! 今日の失敗は明日の成功ってヤツさ!」
「だな! お前いい奴だな! 名前聞いていい!?」
「オルレアだ。一応村の代表やらしてもらってる」
がっちり握手を交わし、その後眠くなるまで二人は村の事を話し明かした。
ただ、この時パラベラムは三つの失敗を冒していた。
その一。ヤヤテツェプの事を話すまいと酒を呑むふりをしてあまりアルコールを取っていないオルレアの行動に不信感を覚えなかったこと。
その二。名前の知らない騎士の外見的特徴をオルレアに聞けば答えに近づけたのに、そのことを頭からすっぽり飛ばしてしまったこと。
そして、その三。
「そうそう、ネイチャーデイのコメットって女! 俺あいつにスゲぇ理不尽に怒られて金要求されたんだけど、なんかアイツの弱みとかねえ!?」
「すまん。俺コメット苦手だからアイツのことあんまり知らんというか、近づきたくないというか……」
「……」
「……」
単純に聞く相手を間違えた事であった。
短めですが、騎士団以外のメンバーの心境をちょこっと覗きました。
なお、この世界の騎士が現実の騎士と違うように、マモリちゃんの言う武士も現実の武士とは違います。
 




