176.忘れられない背中です
あらすじに主人公の名前を入れてみました。
まず第一に、イッペタム盆の頂点捕食者は間違いなくあの巨大魚らしき生物だろう。
どうやらオークを餌にしているようだ。しかしオークの死体にはそれなりの毒素が含まれているため、王国に生息する動物はまず口にすることはない。それを丸呑みにしているとはどういうことだろう。
これについてノノカさんとアマナ教授は三つの仮説を立てた。
まず第一に、捕食者が魔物であること。
普通の生物にとっては百害あって一利なしの毒性も、魔物ほど強固な生物になると場合によっては栄養としてそのまま吸収してしまうという。特にオークの毒は、毒性の強さという点では弱い部類に入る。大抵の大型魔物はいくら食べても屁でもないそうだ。
第二に、オークの毒性を無効化する特殊個体であること。
これは魔物ではなく通常生物の中に稀に発生するもので、栄養を分解、吸収する能力の突然変異だと今の学説では語られている。簡単に言うと、極端に偏った食事を行っているにも拘わらず体に何の異常も現れない個体が稀に存在し、今回の生物がそうかもしれないということだ。これは人間の中にも稀に発生するらしい。
全員の視線が俺を向いたが、俺は食生活は普通だからね?
そもそも騎士団は全員仲良く毎日同じメニューだろうに。
そして第三――とんでもなく毒への耐性が強く、現在進行形で毒を体内に溜め込み続けている。
「それは、第一や第二とはどう違うんですじゃ?」
髭をつまみながら質問するミケ老に、アマナ教授が答える。
「一つ目はそもそも生物的に毒が毒として機能しない生物です。生活のうちにエネルギーとして消費されるから害はないです。二つ目は毒を取り込みながらも、その毒を体内で分解できる個体です。でも三つ目は……今の所毒の影響を受けてないだけ、という個体です。この三つ目だった場合、排除は必須でしょう」
人間の体にも毒は溜まるし、食しているものすべてが毒ではないという訳でもない。酒などはその代表で、アルコールは明確に毒物と言えるだろう。それでもロック先輩が死んでいないのは、先輩の肝臓が必死こいて毒を分解してくれているからだ。
しかし、もしもその毒が排泄されるでも分解されるでもなく体内に蓄積し続けていたのならば、その毒はいずれ個体の死と共に解き放たれる。
「一と二の場合、そのまま放置してもオークを食べ続けてくれるので上手く付き合えば益となります。しかし三の場合、いずれ死んだ際に体内に溜め込んだ膨大な毒素はイッペタム盆を中心に広がり、生態系に決して少なくない影響を及ぼすでしょう。それは村にとってもネイチャーデイにとっても、そして我々や騎士団にとっても避けなければならない事態です」
「湿地の中心から広まる汚染ですか……」
ローニー副団長が難しい顔をする。現状その魚一匹に生態系を左右する量の毒が蓄積されているかは不明だが、更に厄介な点として、「どうやってそれを確かめるのか」という大きな問題が立ち塞がっている。
ならば、捕獲するか仕留めるしかあるまい。俺は口を開いた。
「まず怪魚の個体数が複数なのか単数なのかをはっきりさせましょう。その上で複数繁殖しているようなら、一匹仕留めるなり捕獲するなりして解剖します。その結果如何で今後の目標がだいぶ絞られる筈です」
もし単数ならばオーク調査を優先する。
一匹しかいないのならば気を引いてやればいいだけだ。
番なら少々困るが、複数いるならば一匹捕まえてもオークとの生態系のバランスは保てる筈だ。
「オークが湿地内で繁殖していながらこれまで大きなオーク被害や目撃例がなかった理由は、イッペタム盆の中心地からコロニーが動かなかったからでしょう。そしてコロニーでオークが大繁殖せず移動もしなかったのは、水に潜ったオークがあの怪魚の餌にされるから出来なかったものと推測されます。湿地から流れる川沿いで発見されたオークたちは、偶然餌にならずに抜け出せた個体だったと考えるのが妥当です」
「ふむ……思わぬところで謎が解けたけれど、それはさておきだ。魚が一体だけの場合、魚を捕まえた瞬間にオークは晴れて自由の身。イッペタム盆を中心にシャルメシア湿地はオークの大繁殖地と化す……騎士団としても周辺地域としても最悪の展開ですね」
ローニー副団長が呻く。
もともと広いとは言えないあの地で繁殖しているぐらいだ。枷さえなくなれば湿地全土の住みやすそうな場所に移動し、爆発的に数を増やすだろう。そうなってからは討伐は困難だ。
だからこそ、今の状況ならやりようがある。
「逆を言えば、怪魚がいるうちはオークを焦って仕留める必要はないということです。怪魚が繁殖しているなら一匹捕まえた程度で魚の包囲網は揺るぎません。数が少ないなら、オークも怪魚も仕留める作戦を雨季が来る前に考えようじゃないですか」
周囲を見渡して反応を伺う。
ローニー副団長は作戦失敗時のリスクの大きさに一歩踏み出せないといった表情だ。逆にミケ老は興味津々。コメットさんは何やら懊悩し、オルレアさんは昨日見た光景の恐怖が振り払えないのか不安がありありと出ている。二人の教授は何も言わず、ただ結果を待っていた。
俺は決定権を持たない。
今の言葉も意見を述べているだけだ。
それでも、ここは尻込みする状況ではないと思う。
「人の口に戸は立てられません。遅からず怪魚の噂は町の外に出て、迷惑な釣り人や芸術家がこれまで以上に押し寄せることが予想されます。そうなってからでは作戦発動にも支障が出ます。だからこそ騎士団はいつも通り速やかに目標を排除する計画を立て、それを実行すべきと思います」
「速やかにって簡単に言うけどね……こんなにも失敗時の被害が取り返しのつかない話、簡単に頷ける訳ないでしょう!?」
「尻込みする気持ちは分かります。しかし、なればこそいい加減にけりをつけませんか? 我々の目の上のタンコブを、より状況が悪化してから後任者に押し付けるべきではないでしょう?」
俺だって、ひげジジイが何かしくじれば、立て直しのために政治の舞台に身を移すことになる可能性は否めない。副団長も家族に何かあれば今のように現場で働き続けるのは難しいだろう。雨季が来たらどちらにしろ強制終了で次に回される。都合が悪ければ来年までずるずると引き摺る。その間にシャルメシア湿地を取り巻く環境は、無責任で無分別な人々によって悪化していくのだ。
これ以上無用な犠牲を出す場所を放置してはおけない。
この機を逃す手は、騎士団にはない。
「今、この地のどこで何が起きているのかが判明しました。俺たちがやるべきは、それをどのように処理するかを考え、そして実行することです」
そう言い切り、「失礼します」と席に座る。
個人的にも、そしてついでにノノカさんの要求に添うのも、ここいらが限界だ。後は野となれ山となれ。偉そうなこと言っても現場の最高意思決定はローニー副団長が下すものだからしょうがない。
誰も言葉を発しない会議の中で、不意に一人の人物が手を挙げた。
「……賛成」
驚くことに、そう言ったのはネイチャーデイのマモリさんだった。周囲も驚いている。雰囲気からしても、普段こういう状況で積極的に発言するタイプの人ではないのだろう。ミケ老は最初から怪魚が見られればいいのか「同じくですじゃ」と言い、教授二人も「異議なし」と発言。明らかに乗り気ではないオルレアさんは沈黙したままだったが、既に多数決では賛成派が上回っている。
「私の代で処理することになるとは……くぅぅぅ!! 責任、責任が……! マチ、リベリー、私に勇気を……否を言う勇気を……ああでも! でも、ここで引き伸ばしても報告書を見れば団長が……!!」
(……なんなんだろう、この胸にこびり付くそこはかとない罪悪感は)
結局、悩みに悩んだ挙句に胃薬を追加で呑み込むというドーピングを見せたローニー副団長は、他に俺の言葉を退けるアイデアが思いつかなかったのか力なく頷いた。これにて今後の調査方針が怪魚調査とオーク生態把握に完全に絞られ、そして副団長にかかる責任もどしんと増えた。
なんか、ほんとごめんなさい。
少ないながら肩代わりします。
だから今日くらいもう寝ませんか?
……これからの方針を纏めるためにもうひと働き?
……手伝います。
「ぼくら喋らせて貰えなかったねー」
「欲求不満だねー」
「でもでもー、ヤヤテツェプ仕留めたくないー?」
「仕留めたいかもー」
「故郷で自慢できるよねー」
「魚拓の準備しなきゃー」
「特大の紙とたくさんの墨がいるねー」
「よろしければ我々ネイチャーデイが、九千八百ステーラで請負させていただきます! 面倒なあれもこれも、アフターサービス込みでこの価格! 見逃す手はありませんよー!」
……来るべきトリオ三兄弟の地獄トークをセールストークにて迎え撃ち、激戦の末に惜しいところで契約を取り損ねて「次こそは!」と悔しがるコメットさんを見て「やべー女がいる」と騎士団が戦慄していたというのは余談だろう。
あの三人に正面からぶつかって余力があるとかあんた本当にスゲーな。
◆ ◇
その日の夜、書類仕事の手伝いや騎士団内への情報伝達など諸々の事柄を片付けた俺は、どうしても脳裏にこびりついて離れない疑問について思考にふけっていた。
あの時、コメットさんの隣で挙手したマモリさんの瞳に、俺は暗く燃える炎のような感情が垣間見えた気がしたのだ。それは強く、しかし危うさも同時に内包した不安定な力に思えた。
なぜ彼女があんな目をしたのか、俺には分からない。しかしあの危うさは、いずれ任務の中で、よくない形で爆発する気がした。どうしてそんな根拠のない事を考えてしまったのか思案し、そして一つだけ思い至る事があった。
「怪我して退職する前のジャニーナに、ちょっと似てたのかな」
同期で男で同じ平民出身だった騎士、ジャニーナ。
彼からは一方的に嫌われてしまい交友は温まらなかった。
思えば訓練ではいつも親の仇でも見ているのかという顔で切りかかってくる奴で、何度か彼の仕業と思われる嫌がらせもあった。後になって聞いてみれば、俺がアストラエとセドナに媚びを売って生き残ろうとしていると頑なに思いこんでいたらしい。
コーニアの気質とロザリンドの潔癖を足して二で割ったような性格。或いはロザリンドを気にかけたのは無意識にジャニーナの事を思い出していたのかもしれない。先輩方に言わせれば平民騎士の新人によくいるタイプで、騎士団では折れて去るか自分を曲げるかの二つに一つだそうだ。
反骨と努力の男だったジャニーナは、彼なりに夢を追い求め、そして騎士団に入って絶望した。オーク狩りを平民に一方的に押し付けられる雑務としか感じることが出来ず、彼が仲よくしていた筈の同僚二人が汚職で騎士団を追放され、同期でありながら騎士団に順応していく俺という存在と自分を比較し、更に泥沼の思考に嵌っていく。
そして彼は、命令違反の末にオークに敗北して足に傷を負い、その心も折れた。
生活に支障はない傷だったが、この騎士団で足にハンデを負うのは致命的だった。
『俺は特別じゃなかったし、なれなかった。あぁ、こんな惨めな終わり方だけは嫌だったよ……』
泣いていた。でも、受け入れていた。
俺の腹筋を一発殴って、ごめんなって言い残して背を向けた。
入れた拳の一発に詰まっていたのはきっと未練と夢。
そして謝罪は、今でもどういった気持ちで放ったのかよく分からない。
分からないが、耳から離れない言葉だ。
今でも瞼の裏に彼の背中が浮かぶ。
すこし覚束ない足取りで先輩や班長たちに別れの挨拶をし、食堂でタマエ料理長に一発ビンタを食らい、そして抱きしめられ、泣いていた。一つだけ救いがあったのは怪我で寝込んでいる間に料理班の女の子と恋に落ち、今では二人で王都に飲み屋を開いて働いていることだろう。それだけは、素直に祝福できることだ。
今ではわだかまりもなく話が出来る。
だけど、酒に酔うとジャニーナはいつも同じ話をする。
『俺みてぇな馬鹿は殴ってでも止めろよぉ。あんな後悔を周りの奴にぜってぇさせんな。俺を知ってるお前にしか出来ないだろぉ……』
受け入れたからって、未練まで無くならない。だからこそせめて、自らと同じ道を辿ることだけは誰にもして欲しくないのだろう。俺はそれを聞くたびに、騎士ヴァルナの誇りにかけてと頷くのだ。
マモリさんがどんな想いと過去を抱いているのかは知らない。
だが、その危うさを感じ取ってしまった以上、俺にはもう目を逸らすという選択肢はない。なに、勘違いだったら自分で恥を被るだけだ。誓いを破れば恥は己から出てくるのだから、前者の方がましだろう。
「明日、空いた時間で調べるか。差し当たっては、面倒ではあるがネイチャーデイ側の人に聞かないとな」
また自分で首を突っ込んでるよと内心で呆れつつ、俺は後でマモリさんのことを調べようと心に決めた。
今まで触れようと思いつつ語るタイミングのなかったヴァルナくんの同級生、ジャニーナくんとの知られざる関係をちょこっと紹介してみました。ヴァルナくんと同じく騎士に憧れていましたが、少しだけ見ている個所が違ったようです。
ちなみにジャニーナくんの経営するお店というのはアマルとロザリンドに奢ったりセドナと二人で乱痴気騒ぎしたあのお店だったりします。もちろんセドナも知ってますが、学校時代に比べると「本当にジャニーナくん?」と疑問を呈されるほど丸くなっています。奥さん出来て変わったんでしょう。




