101.折れても問題ありません
貴族は決して相手に背を向けてはならない、とは誰の言だったろう。
貴族は高貴なる存在であり、選ばれし英知と誇りを脈々と受け継ぐ存在である。故に、そのプライドを守るために正々堂々とは言えない手段を取ることも、時にはある。表をどれだけ煌びやかに着飾っても、裏まで煌びやかではいられないという人間的な二面性は、相手に背を向けないという言葉の意味を曲解してしまった。
すなわち、裏で手をまわして相手を貶めてから、背を向けずに戦う。
それは転じて、戦わずして勝利を手にする手段となる。
ゴートは自分が苦もなく勝利する為に、シンプルながら有効な手段を用いた。相手を弱体化させるために自分の部下を先に当て、毒と呼ばれる程ではない程度の薬を盛ろうとし、なおかつ審判も味方寄りにした。本当ならばもっと早くから策を弄することも出来たが、近くにロザリンドがいるという大きなリスクがあったため、作戦は当日に実行するものしか用意できなかった。
しかし、それでも複数の自分に有利な状況を作り出す事が出来た事は僥倖の筈である。
いや、その筈であったのだが……。
「ぐすっ……うぇ……ヒック……ごめ、ごめんなさ……うち、あっさり負けてしまっ……えぐっ……!」
「あいつ、水筒とクッキーをものの見事に地面にひっくり返しやがりまして……毒失敗ですわ」
「ロザリンド様も結局最後までゴート様の試合を見に来やせんでしたね………」
「おのれアマルテアっ! 真っ白なシルクに染み付いた茶色いシミのように目障りな存在めぇぇぇぇ……!」
この有様である。
ゴートの作戦は決して悪くはなかった。それは確かである。
しかしアマルはゴートが用意した罠を嘲笑うかのように華麗に回避していく。シモーヌは未だにぐずっており、ヨコヲヲはお手上げとばかりに首を振り、カミールは別に失敗はしていないけど何となく周囲に合わせて落ち込んでいる。
――実際にはアマルの後ろにはロザリンドとコーニアがいるのだが、四人は未だにそのことに気付いてはいない。
「おのれ愚劣なる鳥頭女めぇ……しかしッ! 奴は今頃、今回の試験の平民枠で唯一の勝ち上がり組ということで大いに慢心し、浮かれまくり、意味もなく小躍りしている状態のはず! 何故ならそう、あやつはちょっと煽てられると調子に乗って無駄に行動した結果やらかすタイプだからだ!」
「ありえるでやんすけど、それが隙になればいいでやんすねぇ……」
普段のアマルは大体そんな感じなので、カミールは納得とばかりに頷いた。なお、コーニアは先ほどの試合で剣術第二位の生徒とぶつかってボロ負けしている。しかもその次にある試合が剣術4位と剣術5位の試合であり、これに負けた方がコーニアとぶつかって更に追い打ちをかけることになっている。
もちろんこれはゴートの仕業だ。
自分の誘いを断った愚かな平民に立場を分からせる、という意味を込めて態と強豪とぶつけてプライドを砕く算段なのだ。特権階級の生徒の中には既にトーナメント表の作為に気付いている者もいる。一部は鼻白んでいるが、多くは余興として楽しんでいる状態だ。
だからこそ、ゴートにはまだ余裕がある。
優位に立っているのはあくまで自分だ。
「ゴートさぁん……グスッ」
「どうしましょう、ゴート様?」
「慌てるでない! いいですか、そもそも小細工など労せずとも我が剣技は士官学校三位! 素人に毛が生えた程度のアマルテアには当初から勝ち目などないのです!! これまでの小細工など、目的達成に華を添える程度の些事なのですよ!」
そう、ゴートは軍門セコダイスキー家の出だ。強いのだ。
言動は少々小物臭くても、彼の父が御前試合のメンバーに選出されているようにその才能は息子にも受け継がれている。ただ、それだけの実力なのに毎度毎度三、四位ぐらいをフラフラして決して一位になれないのもセコダイスキー家のお約束、もとい宿命だと陰で揶揄されているのだが、皆空気を読んでそれは言わないお約束となっている。
「最後の仕込みもありますし、教官もこちら側です。ただシンプルに戦って勝てばそれで終了であるからして、何も! 問題は! ないのですッ!!」
「え……う、ウチがあっさり負けてしまったのも?」
「元々それほどアテにしていないから問題なし!」
「ゴートさん……いえ、ゴート様ぁ……!」
割と酷い事を言っているが、お咎めなしになったことでシモーヌは「何て広いお心の持ち主なのだろう」と尊敬の眼差しをゴートに向けている。もしかしたら男の趣味が悪いのかもしれない。
「薬を盛れなかったのも?」
「成功した場合はヨコヲヲを犯人に仕立て上げて切り捨てるつもりでしたが、失敗したなら問題なしッ!」
「えっ」
普通に酷い事を言っているが、トカゲの尻尾切りから結果的に上手いこと切り抜けていた事に気付いたヨコヲヲは、これからも積極的に不正を働かねばと青い顔をした。
「ちなみに俺っちは?」
「カミールは別に悪くはありませんが、どうやら風水的に相性が悪いようなので次からは別の役割に回します」
「あんなに頑張ったのにッ!? 酷いでやんすよ旦那ぁ!?」
ある意味一番酷いことを言っているが、カミールの抗議などゴートにとってはあってないようなもので流された。特に悪い事はしていないのに割を食う。カミールはそういう人間である。
かくして決戦の場は、厳格に見せかけて裏では腐敗の進んだ試験会場へと戻っていく。
◇ ◆
ゴートの勝利を完璧にするための策謀その一、シモーヌによる疲弊作戦は失敗。策謀その二のヨコヲヲによる屁薬作戦も失敗。しかしその三、訓練に使用する木刀に細工作戦はさしものアマルでも防ぎようがない筈だ。
(くくく、通常の訓練用木刀は全て丈夫なカシの木材で作られていますが……貴方がこれから使う木刀はカシより安価で脆いヒノキで出来ているのです! 着色によって見た目は殆ど違いが分からないでしょう!?)
非常に単純な作戦ではあるが、教官の協力を得たゴートにとって一番安易でリスクの低い獲物すり替え作戦だ。こんな事の為に態々ヒノキ木刀を用意したのかよと思うかもしれないが、実はこの木刀は士官学校から騎士団の練習場まで、出来レースをしたい時に好んで使用される接待用の木刀である。
折れた時の見得を考えて目に見えない程の亀裂まで入れてあるという拘りの逸品だ。大陸の林業が盛んな村の職人がそれなりの数作っているので手に入れるのは容易である。
……ちなみにこの村、今年はオーク被害があったので若干ながら木材の値段は上がっている。ゴートを含む大半の特権階級は気付いていないが、オークは経済にも地味なダメージを与えているのだった。
更に裏話をするならば、この木刀の製造には王立外来危険種対策騎士団団長のルガーの「個人的な友人」が一枚噛み、密かに値をじわじわ釣り上げているという噂もあるが、真偽の程は定かではない。
ともかく、使用する木刀を渡すのはロッソ教官。
まさか教官が不正をしているとはアマルも思いもしない筈、とゴートは内心でほくそ笑む。
「ではアマルテアはこの木刀を……」
「耐久力チェックだ! てやぁーーーッ!!」
貰った木刀の腹を何の脈絡もなく振り上げた膝上に叩きつけたアマルは、ヒノキ製の木刀をバキィッ!! と真っ二つにへし折った。流石折れることが前提の木刀、見事な折れっぷりである。じゃなくて。
「うん、脆い!」
「脆い! じゃないよ何やってんだお前はぁぁぁーーーーッ!?」
いい笑顔で木刀の断面を見せるアマルに仕掛け人の教官が頭を抱えて絶叫する。試験でお前の獲物だと渡された木刀を自分で折るなど常識的に考えてあり得ないし、下手するとその場で失格の大胆行動である。もちろんアマルはその場で失格――とはならない。
(教官殿! ぼ、木刀の予備は! ここであの女が失格になったら叩きのめそうと息巻いていた私の立つ瀬がないではないですかッ!!)
(ままままぁ待て落ち着け、ちゃんと用意してある。それにアマルにも二度目はないと釘を刺すからちょっと待て)
(刺すだけでは駄目ですぞ教官! いっそ縫い付けるつもりで打たねばあの鳥頭は即座に忘れてしまいますぞ!!)
(分かってる分かってるって! 俺も久々なんだこういう仕込み……それにアマルの奴いつになくフリーダムだし)
無能な人は過程を飛ばして結果ばかり求めるというが、過程に傾倒するのも中々に困りものである。そのような行動は、得てして自己満足や自己陶酔の色が強くなるものだ。アマルを貶める為にアマルをフォローしなければならないとはこれ如何に。人それを本末転倒と呼ぶ。
一方、そんな様子を遠くから見ている観客の一人、コーニアはやきもきしていた。
「俺の計画では木の材質が違う事を理由にちゃんとした木刀を用意させるって事になってたのに、ロザリンドは本当にアレでいいのか……?」
彼の目線の先には、先ほどと全く同じ材質であろう脆い木刀を手渡される呑気なアマルの姿があった。彼女もその木刀が脆い事を知っている筈なのに、まるで気にする様子もない。
それもまたロザリンドの説得によって本当に気にしていないだけである。
先ほど、コーニアは木刀の強度という不利を埋めるべきだと主張した。
しかし、これに待ったをかけたのがロザリンドだった。
『馬鹿のアマルが木刀の材質を見分けるなどと言う高度な知能を働かせるのは不自然です』
『なるほど、一理あるね! 実際分かんないし』
『いや、そういう問題でもないだろ!?』
『それにどうせアマルは回避と攻撃しか選択肢がないので脆くとも問題ないでしょう。強度が違うと言っても一定の硬さは流石にあるでしょうし』
『万一の時とかあるだろ!? 奇跡的に防御が間に合ったとか!』
『奇跡でも起こしてはいけません。何故ならアマルは防御後の立て直しを全く知りませんので負けが確定いたしますわ』
『いやぁ、防御だけは全然身に付かなくてさー……てへっ♪』
『もうやだこんな珍種剣士っ!!』
何をどう育てればこんなのが出来上がるのだろうか。
剣戟とは刃同士がぶつかり合うものなので、脆い剣というのは致命的に危ない。
なのにアマルは避けて当てろ、である。
しかもそんな暴れ馬を最大限に活用しようとするロザリンドも怖い。
『そうですね……とりあえずアマルは貰った木刀を一本折っておしまいなさい。動揺を誘えれば事が有利に進む筈です』
『らじゃー! 強度チェックしちゃうよー!』
『いやいやいやいや!! 流石にそれは失格にされるぞ!!』
『いいえ、失格にはされませんわ。ゴートさんは直接アマルを打ちのめす事に御執心のようですし、剣術試験では減点方式を採用すると随分前に明言されています。剣技さえ見せれば不当な態度は減点されません。よって失格にすればアマルの成績はまぁまぁになってしまい、相手に華を送るだけで終了する事になります』
減点方式は基準点からマイナス点を引いていき、残った点数が成績に反映される。いくら試験内容を変更したと言っても、ここはあくまで予め決められたカリキュラムを行う教育機関。トーナメント形式になっても採点基準までは手が回っていない筈だ。
となると、一試合目で相手の自滅により勝ち、二試合目で失格となるとアマルは判断基準の少なさ故に逆に減点量が少なくなる。無理して試験内容を変えた弊害、ルールの穴である。
――とまぁ、こんなことがあり、実際にロザリンドの案が採用された訳である。
もちろんそんな事を知る由もないゴートは遠目に見ても分かる程度に額の血管が浮き出ている。いつものアマルのやらかし行動だと思っているようだが、これが実は大胆不敵にもロザリンドの仕組んだことだと知ったら彼はどんな顔をするだろう。
普段の彼女のイメージと余りにも違う戦法には正直コーニアも少し引いた。
「だけど、問題はこれからだぞ。こっから先は小細工を入れる事が出来ない。本当に、アマルの実力だけで勝たなくちゃいけないんだぞ?」
しつこいようだが――ゴートの現在の成績は、剣術面が第三位。
王国きってのエリート集団の中で、ロザリンドという例外的存在を除いても上から二番目だ。
恐らく将来に御前試合参加という栄誉にも選ばれるだろう、本当に本当のエリートだ。
彼の僕であるシモーヌ、カミール、ヨコヲヲの三人が同時に仕掛けても彼は難なく切り抜ける、そういう才能を持った相手なのだ。
アマルが努力していたのは知っている。
しかし、負けないだけの努力を続けてきたつもりのコーニアでさえ、ゴートには一発剣を当てた事すらない。権力と立場を振りかざし、平民を小馬鹿にするあの男は、その慢心が許される程度には有能な男なのだ。
「士官候補生、アマルテア! よろしくお願いします!」
「士官候補生、ゴート・オクトヴィッチ・セコダイスキー! 我、不義に鉄槌を下す審判者なり!!」
怒りによってか、普段以上の威圧感を放つゴート。
平民にとってそれは、社会的な絶対優位者を怒らせることの真なる恐怖を伴って圧し掛かる。彼に勝つことが出来なければ、アマルに待っているのは……試験という名の、私刑である。
「試合……始めッ!!」
審判の号令と共に、二人が動く。
平民を見下す最悪の貴族と、平民にも見下される馬鹿な平民。
戦いの先に待ち受けるのは一方的な暴力か、それとも――。
遅くなって申し訳ございません。100話突破です。
今回の連続更新で断章から次の章まで進みたいと思います。