第六時限目 クラブ紹介
授業後の独り桜見物での夜遊びを、生徒会長である南條先輩に怒られてしまってから一週間。
天気予報の予想通りに二日に渡って強い雨が降って、今年の桜は終わってしまった。
陽射しが戻った今、緑が多い曙光学園は正しく新緑の季節といった感じで、僕らの学園生活の始まりを祝福しているかのよう。
綺麗で不思議なお姉さんに再会する願いを果たせなかった僕も、何日か落ち込んだ後、気を取り直して新入生としての生活を頑張ろうという気分になっている。
といっても校舎を歩いているときに南條会長を遠くに見かけたりすると、すれ違わないよう思わず方向転換してしまったりする辺り、会長には完全に苦手意識が出来ちゃった気がするし、なかなか絶好調とはいかないのだった。
そういう今日も、朝からクリティカルな一撃を会長にお見舞いされたばかり。
。
南條会長は活動的な性格なのか、僕たち一年生の教室付近にも結構出没する。
今日の朝ももうすぐ予鈴だと思って教室に向ってたら、何故か廊下の向こう側から南条会長が歩いてきた。それも普段は取り巻きみたいな感じの人たちと一緒のことが多いのに、今朝に限って何故か一人。
見つけた瞬間にやばいと思って左右を見渡したんだけどもう逃げられる分岐はないし、仕方ないからそしらぬ風を装って会長に近づいて目を見て会釈したんだけど……
「あら、相模さん。おはようございます。今日は突然の方向転換はならないのね」
「えっ、な、何のことですか。南條会長、おはようございます」
これだもん。なんて目敏いんだ、この人。
「そうでしたの。それなら、私の勘違いかもしれませんわね。
てっきり、私に鉢合わせしないように行き先を変えてたりしてるんじゃないかと思って、私、心を痛めていましたのよ。勘違いで良かったですわ」
うわー。なんて良い笑顔。これ絶対、肉食獣の微笑みという奴だ。
ゴージャス美人の南條先輩がすると、もう何がなんだかで、恐ろしくて正面からはとても視線を合わせられないよ。
そもそも、さっきから「あはようございます、会長」「お早うございます、綾香様!」とか言いながら、何人もの新入生が通りすぎてるのに、何故、挨拶を返しながら僕の所に留まってるんですか……
「……何にしても、相模さん。この間のようにお馬鹿な振る舞いをなさらないように、重々気をつけて毎日をお過ごしくださいませ……」
「ありがとうございます。南條会長のお手をわずらわすことのないよう、日々努力して頑張ります」
結局、近頃の様子はどうだとか、授業免除の試験はどんな課目を受けたのかとか色々聞かれて、予鈴がなってからようやく解放された僕なのだった。
「ねえねえ、相模君。さっき綾香様と何のお話ししてたの?」
「……べ、別に大したことじゃないよ。学園生活はどうですか?みたいな他愛の無い話題ばっかりだし……」
「えー、良いなあ。来たばかりの外部生だからかなあ。私も綾香様とお話ししたい」
席が隣のクラスメートの女の子、内部生あがりの斉藤さんがさっきの南條会長と僕が廊下で立ち話をしてた件について尋ねてくる。いつもにこにこしてて、僕ら外部生にも分け隔てなく接してくれる、とっても有難い存在の女の子だ。
内部生の女の子たちは南條会長のことをみんな『綾香様』呼びするというのは、ゲートで捕まった次の日に斉藤さんに聞いてみて初めて知ったことだ。有名人だろうとは思ってたけど、内部生の人たちにとっては、南條会長は才色兼備な憧れのお姉様という存在だった。
「俺は外部生だけど、会長に声をかけられたことなんて一度もないぞ」
「僕もそうだよ。入学式で新入生歓迎の挨拶を聞いてそれっきり」
「えー、怪しいよ、相模君。それなら、何故。相模君にだけ綾香様が気にかけたりするの?」
すぐさまにでも話を打ち切りたいんだけど、会話に加わった片桐君と大野君がフォローにならないコメントをしてくれるし。
「こういう、何か苛めやすそうな下級生というのが、会長の心の琴線に触れたんじゃないか?」
片桐君、変な感想を言うのは止めて。この間の一件で会長の苛めか、或いはいじりのターゲットになってしまったんじゃないかと、実は自分でも思ってたところなんだから。
会長との出会いの一幕を話すわけにもいかないので、僕は樫村先生が来るまで頑張って下手な言い訳で、三人の追求をかわし続けたのだった。
とりあえず新学期の授業はまだ開始されていないので、南條先輩の一件を除けば学校生活は気楽なもの。
今週は年度始めの授業免除試験の最終週ということで、持ち上がりの内部生で受験が無かったせいで、高校の授業を先取り学習していた一部の内部生が、基本教科以外の授業免除の試験を受けているみたい。
それ以外の生徒は何をしているかというと、高校生活に彩りを添えるはずのクラブ活動とかを決める期間として過ごしてる人が多い。校庭や体育館、そして部活棟では連日新入生勧誘のためのクラブ紹介を兼ねた活動が熱心に行われてる。
曙光学園は前にも言ったように、一学年150人弱しかいない進学校なので、運動系のクラブの種類は限られたものしか無いのだった。個人で頑張る人向けの陸上部、球技を代表してなのかバスケット部、武道としては剣道部という感じで、各々まじめに取り組む人向けで対外的な結果を残せるくらいの強豪校の扱いだ。
文化系のクラブも似たような感じで、一学年の人数の少なさから吹奏楽部が存在しないことが特徴かもしれない。楽器とかを本気でやっている生徒は『武蔵野ヴィレッジ交響楽団』というヴィレッジ内サークルで、大人の人たちに混じって活動をしているみたい。上流家庭の子弟だったら、確かにピアノとかバイオリンを物心ついた時からやってる人も多いよね。
今週は放課後に講堂で文化系クラブの紹介が毎日行われることになっていて、僕は今日、そのうちの一つ『現代科学研究部』のクラブ紹介を見に行くつもりで校舎からの道を急いでいるところ。高校では物理を一番に頑張るつもりの僕が入ろうと思ってる、本命のクラブだ。
そして、なんと言っても今日『現代科学研究部』のクラブ紹介を行うのは、特別奨学生の蘭堂美沙先輩。
若き美少女研究者としてマスメディアにも度々名前が挙がるこの『曙光学園』有数の有名人だ。
既に海外の大学で学位を取得済みの特別奨学生ということで、学園に所属しているものの校舎で蘭堂先輩の姿を見かけることは殆ど無いらしい。
学内きっての有名人の登場ということで、僕と同じく蘭堂先輩目当てで講堂へ人の流れが出来ている。
講堂への途中にある街頭ディスプレイでは、今は美術部の紹介が行われている。この次が茶道部で、その次が『現代科学研究部』だ。
講堂に入ると既に席が結構埋まりかけていて、両脇が空いている席はないみたいだった。支障がない席はと思いながら辺りを見渡すと、大野君のぽっちゃり体型が視界に入ったので彼の隣に座ることにする。
「大野君も蘭堂先輩を見に来たの?」
「そうだよ。噂の有名先輩は見ておかないと」
「部活に入ろうとは思わないの?」
「うん、僕じゃ無理無理だからね」
「えっ、どういうこと?」
世間話のついでに振った話題に、大野君から予想外の答えが返ってきた。
わけを聞こうとした瞬間に講堂が暗くなって、『現代科学研究部』のクラブ紹介の番になってしまった。
スポットライトが当たっている壇上に蘭堂先輩が登場してくる。
長い前髪をかきあげる姿も様になっている。秀でた額、高く形の良い鼻など日本人的なものとは少し離れた感じの美しさだ。
マスメディアで見るときにはいつでも笑顔な印象があるけれど、今僕ら新入生に見せている表情は何だか怜悧な感じで、険しいものがある気がする。
「新入生の皆さん、こんにちは。現代科学研究部の蘭堂美沙です。
本日は新入生勧誘のためのクラブ活動内容の紹介ということで、現代科学研究部の活動内容について紹介させて頂きます」
その後、現代科学研究部の研究テーマについて話が十数分あったけど、教育テレビとかで見かける一般の人向けの話という感じで、具体的な内容には触れないままだった。
「それでは、新入生の皆さんが一番関心を持たれているだろう、新たな部員募集に関する項目に映ります」
それです、それ。蘭堂先輩お願いします。
「まず最初に、募集要項の詳細に関しては、学内サーバにおける現代科学研究部のページをご覧頂ければと思います」
あ、あれ。入学前に見ていてブクマしていた外部向けの活動紹介のページの他に、学内生徒のみ向けのページなんて存在してたんだ。全然、確認してなかったや。
それにしても募集要項って、なんだか学園の入学試験みたいな響きで嫌な予感がする。
「例えば、私の所属する物理班に関しては、入部時に修得済であることを期待する分野には概ね以下のとおりです。解析力学を含む古典力学、熱・統計力学、流体力学、電磁気学、特殊・一般相対性理論。量子力学、量子統計力学、相対論的量子力学、場の量子論に至る一連の物理的内容に関しての理解を前提とさせて頂きます。凡その目安として1970年代初頭に確立された素粒子標準模型に関しての十全な理解が基準となります。
電弱相互作用でGWS(Glashow-Weinberg-Salam)理論に使用されているSU(2)xU(1)ゲージ理論、Higgs機構、繰り込みとゲージ不変性に対する理解、強い相互作用のカラーSU(3)対称性に基づく同じく非可換ゲージ理論を基盤とする量子色力学(Quantum Chromo Dynamics)で漸近的自由性、繰り込み群方程式などに関する全般的な知識を希望します。
弦理論、超対称性理論、超重力理論、そして超弦理論を初めとする量子重力理論に関しては、面接時点での知識は前提としません。物性物理に関しても個別内容は列挙しませんが、素粒子理論において共用される基本的な概念、手法に関しては一通りの理解があることを期待します。
修得の度合いに関しては、入部希望者に対する個別の面接により判断させて頂きます」
蘭堂先輩の言ってる言葉や単語が殆ど全くわからない。
クラブに入部するための面接試験と予備知識のリストって……、なにそれ?
「それでは、昨年度の活動実績に関して報告を行います。
まず物理班。Randoh, Misa; Sanada Ran (2031). "Super Large Mass Hierarchy from a Small Extra Dimension". Physical Review Letters 123 (17): 3370-3373 ……」
壇上で喋り続ける蘭堂先輩の横顔は、メディアで見るのと同じやっぱりとても遠い世界の人で、物理のどしろうとである新入生の僕のことを、歓迎も勧誘も一切していないことは明らかだった。
間違いなく僕は『現代科学研究部』には入れない。
学園に来た個人的な目的の一つが最初から全く問題外だったことに気付かされた僕は、あれほど楽しみにしていた蘭堂先輩のクラブ紹介を最後まで聞き終わることなく、戸惑うような大野君の声を背に席を離れて講堂の外へと向ったのだった……
(※妹オンラインの方は書き続けているのですが、続きの部分が登録できるところまでまだし仕上がっていない感じです。次回あたりにはなんとか登録にこぎつけたいと思っています)