第一時限目 楽園
「いくらなんでも、早過ぎたなあ……」
JRの国分寺駅に降り立った僕を待っていたのは、次の列車の到着時刻を知らせる電光掲示板の真ん中に備え付けられた時計が示す6時35分の表示だった。人の姿は結構あるけど東京方面行きの電車を目指す人ばかりで、プラットフォームから改札を目指すような人間は僕以外まるで見当たらなかった。
人の流れに逆らって何とかぶつからないように気をつけながら階段を上りきって、改札を抜けた。北口を出て階段へと続く踊り場まで出ると、外部の光景が確認できるようになる。初めて見る国分寺の風景。といっても、二つの巨大な高層ビルが仲良く並んで目の前を通せんぼしていて、天気予報でおすすめされていた今日の春の澄んだ青空は、その隙間から少ししかその姿を現していなかった。
早朝出勤らしいビジネスマン風のおじさんたちが巨大ビルに細切れに吸い込まれて行くのを横目に見ながら、携帯端末のナビの誘導に従ってビルの間を抜ける道を更に北に進む。まだ、駅の改札を出て5分も経っていないはずなのに、僕と同じ方向に進む人の流れは既に殆どなくなっている。車の流れも殆どない。
「これで本当に合ってるよね」
思わず変な独り言が出てしまうくらい、周りに人の姿がない。
目的地の方向から、エリート然とした雰囲気の背広姿の大人の人たちが駅に向かって歩く細い流れが出来ていることだけが、進む方向が間違っていないことを教えてくれる。
更に5分ほど歩くと、二つのビルを通り過ぎるところで、道路は奥行きの短い東側のビルに沿って流れを変えて姿を消した。
代わりに目の前には、お堀と橋と奥の左右にずっと広がる灰色の塀と一面の青空という開けた景色が突如として登場した。ビジネス街が唐突に途切れるのは、東京駅から皇居に向かって歩いたときのような感覚に似ている。
橋を渡って結構な深さがありそうな堀を越えると、今日の最初の目的地である検問所に到着だ。
何人もの体格の良い警備会社のおじさんたちが、特殊装備が色々準備されてそうな紺色の制服に身を包んで、打ちっぱなしで威圧感のあるコンクリートで作られた門の前に立っている。
僕の前に橋を渡ったのだろう人が、呼び止められて身元の確認を取られている様子が確認できた。
次が自分の番だと思うと、全く悪いことはしていないはずなのに、緊張の余り脇から変な汗が出てきてそうな気がする。前の人は大した時間も掛からず中に入れて貰っていたようだからきっと大丈夫と思うのだけど、何か間違いでもあったら取り押さえられて詰め所とかに連行されちゃうかも……と想像してしまう。
「君は曙光学園の生徒なのかな?」
「は、はい。新入生です」
変な考え事をしていたせいで、順番が来て警備員の一人に声をかけられた僕は、完全に上ずった声で返事を返した。
学校指定の制服を着てるのだから、質問がこうくるのは当然だったりする。
「なら、ここは初めてか。生徒証を見せて貰える?」
「わ、解りました。どうぞ」
ハリウッド映画の警官役が似合いそうな制服がはちきれそうな体格のそのおじさんは、結構フレンドリーな様子で接してきた。僕が制服から取り出した生徒証のカードを受け取ると、ベルトに下げていた装置を取り出してカードの中に埋め込まれたICチップの内容の読み取りと認証を行った。
セキュリティ上の観点から、受験時には都内の別会場を借りて試験を行ってるせいで、入学の日まで新入生は学園に来る機会はない。そのことを知ってる辺り、警備会社の社員教育はなかなか行き届いてるみたいだった。
「うん、問題ないようだ。じゃあ、気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
右手で方向を示す警備員のおじさんの仕草に導かれて、ゲートの中へと歩みを進めた。 外にいた時点では確認できなかったけど、目の前に広がるのは公園と見間違うかのような一面の緑の光景とその風景に調和する形で少し離れて点在する白を基調とした建物たちだった。右手の奥の風景にはピンク色の塊が混じっていて、どうやら桜の木が花をつけてる場所があるみたいだ。
”さっき通ってきた検問所や外壁の印象の無骨さとの落差は一体何なんだろう”
思わず振り返った僕の目に映ったのは、小奇麗な警備会社のオフィスと、そして多分居住者が車を乗り付けて置いておけるのだろう広めの駐車場だった。
内部から見た検問所には「武蔵野ヴィレッジ国分寺駅側ゲート」と書かれた修飾された門の構造物が作られていて、内部からみた壁はクリーム色のタイル張りで柔らかな雰囲気を醸し出している。要は外部の人間に対しては威圧的に、内部の人間に対しては快適にというコンセプトが徹底して守られているらしい。
2032年4月5日、曙光学園への入学日。何はともあれ、僕はとうとう境界を越え、首都圏のお金持ちがこぞって移住を望むという武蔵野ヴィレッジに初めて足を踏み入れたのだった。
曙光学園は武蔵野ヴィレッジの南西部にあって、端末上に表示されている地図だと今僕が抜けてきた国分寺駅ゲートを入ってすぐの所まで敷地が広がっていることになっている。
ということは道の左手に広がっている綺麗な芝生はもう曙光学園の内部ということだ。先程から景色になんか違和感があると思ったら、この武蔵野ヴィレッジの内部の区画には、境界を表す壁みたいなものが殆どないのだった。保安上の問題がないなら確かにそうした方が開放的で良い感じかなと僕も思う。
そう考えて再度周りを見渡すと、左手奥にある建物は見ている方向が違うせいでさっきは気付かなかったけど、パンフレットに出てる曙光学園の講堂と校舎だったことがはっきり解った。
事前の配布資料で今日の入学式は曙光学園の講堂前に08:00集合で8:10から入場手続き開始と書かれている。あそこに見える講堂までは5分も歩けば着いちゃうだろうから、丸々一時間早く来てしまったことになる。まあ、ナビの到着予定でも早すぎることは分かってたんだけど、ゲート通ったことなかったんだから仕方ないよな。
一時間あれば一休憩できるはず、ということで講堂に行くのは少し後回しにして、その辺を少し散策することにする。目指すはやっぱりこの時期の風物詩、さっき見かけた桜のあるところだ。
講堂を背に10分も東に向って歩くと満開の桜が咲き乱れる幻想的な雰囲気の場所に辿りついた。目に入る景色の色の大半がピンク色になってしまうほど、かなりの密度で桜の木が植えてあって、正しく桜の園といった雰囲気だ。朝の早い時間帯のせいか、僕以外の人の気配は感じられない。
見晴らしの良い場所に木製の綺麗なベンチが置かれていたので、行きがけのコンビニで買って来たお茶のペットボトルと菓子の袋を取り出して、一人きりのプチお花見。
春のうららかな陽気と吹き抜ける爽やかな風の中、桜の花びらが静かに舞い落ちる。
武蔵野ヴィレッジのことを『楽園』という名前で呼ぶ人がいるけど、その気持ちが良くわかる気がした。
”頑張ってここに来て良かった……”
去年一年、試験までの苦労と合格発表の時の喜びを目を閉じて感慨深く思い出していた僕は、多分、夢見心地のような気分になってたのだと思う。
ふと気付くと、目の前には少し年上らしい女の人が立って微笑みながら僕を見つめていた。
唾広の白い帽子。
風に揺れる同じく白いワンピースと長い黒髪。
穏やかな気質を感じさせる優しげな瞳。
良家のお嬢様が避暑地の別荘地を散歩中とでもいった無防備な雰囲気の彼女は、僕の方を覗き込むような仕草をしながら、柔らかな声色で僕に話しかけてきた。
「こんにちは、寝ぼすけの学園生さん」
満開の桜の木々を背に僕に微笑む彼女の姿は、まるで春の女神が戯れに地上に降り立ってみたとか比喩してみたくなる程、現実感のない美しさを強く僕に感じさせた。
前の作品では、ヒロイン候補が気の強い女の子ばかりという指摘がありましたので……
あと、現実の国分寺駅北口再開発計画がどの程度進んでいるのかは遠いところに住む作者には全然わからないのでした
(※妹オンラインの書き溜めはまだ6483字……次回までに鋭意努力する所存です)