世界の終わり 1
雄介から帰郷の知らせを受けた三日後、コウとダグラスは彼の家へ向かっていた。
今まで移動に活躍していたハイエースはまるで役目を終えたかのように、東京から戻る最中に壊れてしまった。したがって、今日は寺の檀家回りに使っている黒い軽自動車に乗ってきた。
幹線道路の流れが悪いうえ、前に走るトラックの荷台から木材が飛び出していて、距離感が掴みにくく走りにくい。さらに何度も信号に引っ掛かり、コウがイライラしながら木材の先に結ばれた赤布を睨んでいると、フロントガラスに水滴が落ちてきた。
「雨……降ってきたね」
ダグラスが助手席の窓から空を見上げた。天候と同じように表情も冴えない。
また赤信号に引っ掛かった。
車内に満ちた重い雰囲気とは裏腹に、カーステレオから激しいビートが流れ出した。
爆音の塊に乗って世界の終わりを叫ぶ声が、逆に心をチクチクと攻撃してくる。ミシェルガン・エレファントの別なアルバムを選べば良かったと悔やみながら、コウは音量を絞った。
「ねえコウさん」
「ん?」
「僕、手土産にプリン作ったんだけど、雄介食べると思う?」
「普段なら喜ぶだろ。あいつ甘いもん好きだから」
「今なら?」
「……さあな」
「だよね……」
ため息とともに、ダグラスは後部席に積んだ花柄の紙袋と雄介の荷物を見やった。
雄介に会うのはあの夜以来だ。
あれから色々なことがありすぎて、たった三週間ほどの期間が数年にも思える。それほど自分たちを取り巻く世界は変わってしまった。
バンドを失うことは、コウもダグラスも初めてではない。それは時に自主的であったり、他のやむを得ない事情だったりと様々だが、今回はどれとも違った状況だった。身を裂かれるような苦境へ追い込まれ、希望も気力も根こそぎ奪われた。
「コウさん」
「ん?」
「僕、何かまだ信じられなくてさ」
ダグラスは窓へ顔を向けたまま、膝の上で両手の指を組んだ。
「雄介に何て言おう、とか、これからどうしよう、とか……全然わかんないよ」
「……俺もだ」
「だよね……」
「ただ、いずれは話さなきゃならないことだ。話して、乗り越えて行かなきゃならないのは皆同じだろ」
「うん、そうだね……乗り越えなきゃね……それに一番大変なのは雄介だよね」
組んだ手をぐっと握りしめ、自分に言い聞かせるように呟く。コウも頷きながら、少し充血した目でまっすぐ前を睨んだ。
車は札幌新道から南方面へ向かい、ビル街をしばらく走ったのち、昼下がりの繁華街へ入った。平日のこの時間は道も空いている。碁盤の目の区画を通り、複雑な一方通行を避け、少し遠回りしてコインパーキングに停めた。
「あいつん家、南五条だよな」
「そう。あ、肉まん屋さんある。食べたいな」
「開正楼か。あそこの牛まん美味いんだ。帰りに寄るか」
「うん、イイね」
他愛ない言葉を交わしながら、二人は荷物と楽器を手分けして持ち、ネオンの消えた繁華街を歩いた。
雄介の自宅があるビルはすぐに見つけられた。暗い階段を上って目的のドアへ到着すると、コウはちらりとダグラスを見てからチャイムを押した。するとドアの向こうから恭二が顔を出した。
「あ、えっと、何か面白い取り合わせだけど、雄介のバンドの人たち、だよね?」
あらかじめ来客があるのは聞いていたようだが、僧侶と一見外国人という組み合わせに少し驚いたようだ。コウとダグラスが名乗ると、恭二は頷いて中へ誘った。
「狭くてごめんねえ」
「いえ……深澤さん、このたびは申し訳ありませんでした」
「ん?」
「俺がもっとしっかりしてたら良かったんです。申し訳ありません」
コウは深々と頭を下げた。続けて、背後に立ったダグラスも頭を下げる。恭二は二人を眺めたあと、ふと真顔になった。
「……ありがとうございます。頭上げて下さい、そのお気持ちだけで充分です。憎むべきは犯人ですから」
「……すみません」
犯人を憎むのは親として当たり前だ。同じように、二人にも憎んだ時期がある。しかし犯人は、今まで共に音楽を創ってきた仲間でもあった。
もう戻らない日々が脳裏を駆け巡り、複雑な思いが溢れそうになる。それをどうにか押し込めながら、コウとダグラスは頭を上げた。
「雄介、部屋にいます。掃除とかしてないけど、目瞑って下さいね」
恭二は笑顔を浮かべたあと、雄介の部屋のドアをノックした。中で気配が動き、やがてドアがゆっくり開いた。
「……いらっしゃい」
「おう、久しぶりだな」
「ああ……どうぞ、狭いけど」
招きに従って部屋へ入ると、CDや雑誌を整理していたようで、本棚の横に段ボールが幾つか積んである。二人は楽器と荷物を下ろし、段ボールの脇に置いた。
「あ、ありがとう。預かっててくれて」
「いや。つうかカバン開けてねえから、洗濯もん腐ってるかもな」
「マジか。開けんの怖えな」
「シャツとか、緑の水玉模様になってたら諦めろ」
「うわそれキッツー」
雄介は苦笑しながら、カバンだけ段ボールの上へ置いた。
普段通りを装っているが、顔色があまり良くない。ちゃんと寝食出来ているのか心配しつつ、コウは雄介が開けてくれたスペースへ胡座をかいた。
「あ、雄介。プリン作ったんだけど、良かったら食べて」
ちゃっかりベッドの端をゲットしたダグラスが、雄介へ紙袋を渡した。
「マジか。サンキュ、美味そうだな。あとで妹帰ってきたら一緒に食うわ」
「うん。て言うか、妹いるんだ。幾つ?」
「もうすぐ十五」
「へえー! イイね妹。きっとキュートなんだろうな」
「キュートよかキャラクターって感じだな。キャラ濃いから」
「そうなんだ。面白そうだね」
「まあ、ある意味そうだな」
ダグラスとやり取りしながら、雄介が少し笑った。緊張しているのか、笑顔が硬いように見えた。
「体どうよ、雄介?」
「ん……大丈夫」
「飯食えてるか?」
「ああ」
「眠れてるか?」
「ああ、たぶん」
雄介は少し迷うように目を泳がせた。
「まだ、病院つうか、カウンセリング通ってるんだ。たまにだけど」
「そうか」
それは眠るための薬を処方されているという意味なのだと、コウは理解した。
話すのはまだ早いだろうか。腫れ物に触るようにはしたくないし、バンドに関する件は雄介も既に察しているはずだ。けじめをつけるためには、自然消滅よりも最後の意思確認をしたほうがお互いに良い。
ただ現在、恐らくもっとも重要で、もっとも聞かせたくない件をどうすべきか――コウが黙りこんだのに堪えかねてか、雄介がふっと息を吐いた。
「今日は、バンドの話もしに来たんだよな」
「まあな」
「ぶっちゃけ、解散?」
さらりと結末を訊いた雄介へ、コウが薄く笑った。
「さすがに、他のメンバー入れて続けるのは難しいだろ」
「そうだね……他人が加わった時点で、サイレントルームの音じゃなくなるしね」
ダグラスも諦めた顔で頷いた。
「だよな……じゃあ、解散、てことで」
「おいおい雄介、それはリーダーの俺がエラソーに宣言するもんだろ?」
「マジかよ、つうかそんなん知らねえよ、早いもん勝ちだって」
自然に笑いが湧き、それぞれ身構えていたのが和んで行く。それと同時に何とも言えない寂しさがこみ上げて来るのを全員で感じた。
今、サイレントルームは終わった。すべての情熱を傾けて走ってきた結末は、あまりに呆気なく訪れた。
「いつも思うけど、呆気ないよね、バンドがなくなるのって。でもすごい楽しかったよ、サイレントルーム。クラックの頃よりずーっとワクワクした」
ダグラスが笑顔で告げると、コウも頷いた。
「毎回毎回、ライブのたびにアレンジ変わるし、どんどん新曲出来て覚えなきゃなんねえし。マジ大変だったけどすげえ楽しかったな」
「だよね! ねえ雄介、初めてスタジオ432で顔合わせしたとき覚えてる? すごいキンチョーしてたよね」
「そりゃするだろ、俺あん時まだ中坊だぜ? 皆オトナだしキャリアすげえし、正直やってける気がまったくしなかったわ」
「そのわりに生意気だったよな」
「うんうん、歌もギターもすごく上手くなったけど、そこは変わんないよね」
「うっせーよ、つうか最初に言いたいことはガンガン言えって決めたの、コウさんだからな」
「あっ、俺か。その節は失敗したなあ。もっとリーダーを敬え、にすりゃあ良かった」
「それちょっと無理」
「だまれこのクソガキ」
ふざけた雄介へ、コウがわざとしかめ面をして見せる。ダグラスは相当ウケたようで、手を叩いて大笑いし、つられてコウも雄介も声を上げて笑った。そうしてしばらく和やかにしていたが、そのうちに雄介がため息を吐いた。
「ごめん……二人とも」
「ん?」
「こんなことになって。俺、あん時、コウさんの言うこと聞いとけば良かった……」
膝の上で握りしめられた拳が震えている。雄介の無念さが痛いほど伝わって来た。
「ううん。悪いのは雄介じゃないよ、僕だって全然考えてなかった。僕、呑気にご飯食べてたんだ。ごめんね雄介、一緒に行けば良かったよ。そうしたら少なくとも、雄介がケガしないで済んだんだ」
ダグラスが泣きそうな顔で雄介を見つめている。雄介は頭を振って否定したあと、両手で顔を隠すように覆った。
「何を言っても遅いがな、雄介、本当にすまない。俺が甘かった」
ありきたりの謝罪しか出てこない自分を腹の中で罵りながら、コウも雄介を見つめた。
雄介はしばらく顔を覆っていたが、一つ鼻をすすってから涙を拭い、顔を上げた。
「……二人は悪くねえ。仕方ねえよ、誰も、俺だって、想像出来なかったんだから……そう、だろ?」
言葉が揺れ、雄介が必死に堪えているのが判る。
起こってしまったことは取り返しがつかない。なら、少しでも力になりたい。
コウは雄介をぐっと睨みつけた。
「雄介、溜め込むな。傷は自分で治すしかねえが、話だけなら俺らも聞ける。眠れねえほど辛いなら吐き出せよ」
「でも……」
言い淀む雄介の隣で、ダグラスは何かを決心したように、大きく深呼吸した。
「……あの夜ね、雄介を見つけたとき、僕ぶっちゃけ、もう死んでるんじゃないかって思った。そのくらい真っ青で、冷たくて、ぐったりしてた。コウさんがタツやんを引き剥がして、ボコボコに殴ってたよ。タツやんは雄介の名前を呼びながら、ずっと泣いてたんだ」
「……聞きたく、ねえ」
雄介がまた顔を手で覆った。肩が細かく震え出し、何かから逃れるように身を縮めている。ダグラスは迷うようにコウを見やった。応えるように、今度はコウが口を開いた。
「……雄介、俺らは、お前が生きててくれて、本当に嬉しかったんだ」
「……」
「救急車が来るまで、ダグがお前を毛布でくるんで、ひたすらさすったんだ。そしたらお前、うっすら目を開けた。すぐに気ィ失っちまったけど、俺、正直泣いたわ。お前が生きてたって嬉しさと、自分がどんだけ甘かったのかって後悔とで……こんなんじゃ、坊主もリーダーも失格だよな」
話しながら、コウも泣きたくなった。ダグラスは既に涙を溢し、部屋にあるティッシュで鼻をかんでいる。やがてティッシュはコウへ渡り、雄介のそばへ置かれた。
「後悔したってしきれねえよな、俺も、ダグも、そして多分、アイツも……」
もう、コウは言葉が見つからなかった。
実は一昨日の真夜中、タツは拘置所で自殺を企てた。そして今も生死の境を彷徨っている。
この事実を、こんな状態の雄介にはとても言えない。ダグラスも同じ思いなのか、その件には触れなかった。
「……うっ、う、ううっ」
背を丸め、雄介は苦しそうに泣き出した。ダグラスがティッシュを二枚取って差し出すと、雄介はおずおずと受け取って顔に当てた。洟をすすり、深いため息を吐く。もう一度大きく息を吸い、自分を落ち着かせるように長く息を吐いた。
「……もうすぐひと月経つのに、いまだに思い出すと、怖いんだ……」
声が震えていた。
「アイツ、途中から蛇男になって……笑ったり泣いたりして、ワケ判んなくて、気持ちも体もぐちゃぐちゃになって、それでも終わらなくて……このまま俺、死ぬんだって思った。いや、死んでもいいって思ったのかもしれない、もしかしたら、死にたかったのかも……よく、判らないんだ、ぶっ殺してやりたいくらい、すげえムカついてるはずなのに、全部忘れたいのに……時々、楽しかったこととか思い出したりするんだ……何でだろ、何で……」
嗚咽とともに紡がれた言葉はところどころ不明瞭で、意味が掴めない部分もある。それでも雄介が必死に話すのを、二人はただ頷きながら聞いていた。
「アイツのせいで、何もかもダメになったのに……二度と面も見たくねえはずなのに、今度会ったらボコってやるとか……土下座させてやるとか……考えるんだ……会いたくもねえのに、何で、なんで……」
「雄介……」
ダグラスが労るように、雄介の背へ手を伸ばした。指の長い大きなてのひらが触れた瞬間、雄介は緊張したように震え、身を固くした。
「雄介、良いんだよ。自分に素直で良いんだ。今はジョーシキとか、誰かの決めたボーダーに従わなくても良いんだ。辛かったね……頑張ったね、ホントに」
「ごめん、ホント、ごめん……二人とも、ごめん」
ダグラスに背をさすられ、雄介は一層泣き出した。
せめて流した涙の分だけ、心の傷が塞がってくれることを祈るしかない。コウは千切れるような痛みを覚えながら、ただ雄介を見つめていた。
◆
サイレントルームとして最後のミーティングが終わり、コウとダグラスは再会の約束を残して帰っていった。雄介は玄関先で彼らを見送ったあと、洗面所で念入りに顔を洗った。
腫れぼったい目が冷えて心地良い。しばらく冷やし、タオルで拭いてから鏡を見ると、案の定、目が真っ赤になっていた。
ずいぶん泣いてしまった。
サイレントルームが終わることは予想していたし、覚悟もしていた。あんなに懸命に活動していたのに、失うのは簡単なものだ。
そして遂に、あの夜のことを話してしまった。
他人に話せば必ず、死にたくなるほど後悔すると思っていた。だからカウンセリングでも話さずに来たのだが、実際話してみると、後悔よりもある種の清々しさを感じた。
きっと相手がコウとダグラスだったからだ。あの夜の記憶を共有するからこそだろう。
混沌とした感情を表しても疎まれなかった。憎まれも、嫌われもしなかった。それどころか受け入れられ、共有され、救われたと感じた。
少しだけ心が軽くなったせいか、鏡の中の自分が優しい顔つきになっている。何だか照れ臭く思いながら茶の間へ戻ると、恭二がコーヒーを飲みながら一服していた。
「あ、雄介。俺もうちょいしたら出るわ。そろそろカスミたん帰ってくるし、二人で留守番頼むね」
既にピンストライプの黒スーツとフレグランスを纏い、髪もワックスでキメている。今日は早くから営業が入っているようだ。
雄介は頷きながら部屋へ戻ろうとしたが、恭二にじっと見つめられているのに気づき、つい足を止めた。
「……何だよ?」
「お前んとこのメンバーさん、なかなか個性的だな」
「まあな」
「坊さんと、どこの人?」
母国はどこかという意味なのだろうが、すんなり教えるのも面白くない。
「……フレンチの店の人」
「なんだそりゃ。で、色々話せたのか?」
「まあ、それなりに」
「ちょっとスッキリした?」
「……うん」
「そうか、良かったな」
恭二はうんうんと頷き、煙草をもみ消した。
「バンドどうすることになった?」
「解散。まあ、そうなるだろうとは思ってたけど」
「そうか……」
何か言いたそうな様子だが、恭二はそれ以上バンドのことに触れず、話題を変えてきた。
「ところでさ、愛美ちゃんとは連絡取ったの?」
「……いや」
「心配してんじゃない?」
「……」
「あ、まさかの放置プレイごっこ? 若いのにマニアックな遊びだなあ、って、お前達にはまだ早い!」
「CMの犬の真似すんなよ。全然似てねえし」
「うそーん、練習したのにぃ」
「すんな。つうかもうそれネタとして古いから」
「古くても良いの、客も古いから!」
口を尖らせて拗ねる父親を一瞥してから、雄介は自室へ戻りベッドへ寝転がった。外は日暮れを迎え、室内は暗い。その中で、ベッドにほうってある携帯が鈍く光っていた。
「誰? 」
手にして見ると愛美からのメッセージだった。
『いま千歳空港。やっと帰って来たー!』
修学旅行が終わったのだ。
『疲れたあ、ピアノ弾きたい!』
相変わらずのピアノバカだ。
『雄介、体調どう?』
『もう帰って来てるかな? それともまだ東京?』
『返信ないから心配してる…でも既読つくから多分生きてるよね。仕方あるまい、許してしんぜよう』
しんぜよう、なんて言葉をどこで覚えて来たのだろう。古都を巡った影響だろうか。
『帰って来たら、帰る前でも、連絡出来るときにちょうだい。真夜中でもいいから。待ってるから』
ずっと既読無視しているのが申し訳ない。こんな状態でも毎日のようにメッセージをくれる愛美は、本当に自分を信じてくれているのだろう。しかし、返信すれば会わざるを得ない。
どの面下げて会えば良いのか。
何もかも隠して今まで通り付き合うことは出来ない。かといって、真実を話すことも絶対出来ない。
ため息とともに目を閉じたあと、雄介は覚悟を決めたように目を開けた。
『お帰り』
一言だけ画面に打ち込んで送信ボタンをタップすると、すぐに既読がついた。
『雄介!? いまどこ!?』
『家。やっと帰って来た。ごめんな、ずっと返信しなくて』
『ううんいいよそんなの、帰って来てくれたんだもん…お帰り!』
『うん。ただいま』
『体はどう?』
『傷は治った』
『良かったあ! じゃあ明日会える?』
会いたいが、正直怖い。どうすれば良いかまだ決めかねている。
少し考えたあと、雄介は言葉を続けた。
『実は、バンド解散した』
『え…』
『やべえ、俺、ただのニートだわ』
文字にして送信したとたん、急に強い喪失感に襲われた。
『全部なくなった…すげーわ、終わりってこんな簡単なんだな』
『何か、辛いの通り越して笑えるわ』
『俺、何のために家出たんだろ』
ここまで立て続けに送信して、目の前が歪んで書けなくなった。
悔しくて、情けなくて、腹立たしくて泣けてくる。胸が焼けるように痛んで、嗚咽が止まらない。口元を強く押さえて耐えながら、ぼやけた画面を睨んだ。
『そっか…残念だよ。とても寂しい』
何となく他人行儀で、ありきたりの言葉だと思った。
愛美は当事者ではないし、バンドを組んだこともないから仕方ないのは理解出来る。ただどうにも感情が言うことを聞かない。
次の言葉を書けずに、雄介は携帯を枕元へ転がした。そのあと短い通知音が鳴ったが見る気になれず、放置して背を向けた。
孤独だと思った。どうしようもない思いがあらゆる負の感情を引き連れて来て、黒く鋭い刺で心を削り取っていくような気がする。このままでは耐えられない。歯を食い縛りながら、逃れる術を求めて茶の間へ向かった。
薬を飲めば、きっと落ち着くはずだ。
茶の間に恭二の姿はなく、雄介は戸棚に置かれている薬を飲んだ。これで大丈夫だと自分に暗示をかけながら部屋へ戻ろうとした矢先、佳澄が帰宅した。
「たっだいまーん」
「……おかえり」
「あれ? どしたの」
「何でもねえ」
佳澄がまじまじと顔を見つめて来た。泣いたあとが残っているのに気づいたようで、何か言いたそうだ。雄介は逃げるように部屋へ入り、そのままベッドへ潜った。
「ちょ、お兄ちゃん」
「寝る」
「ご飯は? ねえ!」
「いらねえ」
「えー!」
佳澄は閉めたドアの向こうで、なぜ食べないのか、風呂は入ったのかと問い掛けて来たが、すべて無視した。
「何なのもう、雄介のバーカ!」
イライラした悪口を叫んだあと、足音が離れて行った。
部屋に入って来られなくて良かった。こんな気分のときに彼女と絡むのはキツい。彼女に悪意はないが、気を抜くと、土足で傷痕を踏みつけるような言葉を投げてきたりするのだ。
真実を知らない彼女は、恭二から「雄介はケンカに巻き込まれてケガをした」とだけ聞かされている。薬に関しても、頭痛用の鎮静剤と胃薬だと説明されていた。
「くそ……」
雄介は布団を耳まで被りながら、薬が効くまで石のように固まっていた。
音楽の消えた部屋で息を殺していると、建物の中で流れる水道の音や、どこかの部屋の生活音が様々に聞こえてくる。
煩わしい。耳を塞ぐと、今度は自分の体内の音が大きく響いてイヤになり、耳から手を離した。
佳澄の足音が彼女の部屋と茶の間を行き来したあと、やがて茶の間へ向かい、それきり戻ってこなくなった。ドアの外が静かになると、今度は窓の外の音が聞こえる。夜を迎えネオンが目覚めたそこからは、車の行き交う音と街頭放送が、そして時折誰かの大声や笑い声が聞こえた。
自分の周りの世界がゆっくり動いているのを感じる。以前は常に音楽を流していたから気にならなかったし、気にもしなかった。
思えば音楽は空気のように、常に自分を包んでいた。それが今はない。あんなに好きだったものが、今は最悪な記憶と繋がる糸口になりそうで触れられない。
時間が経てば、少しは自分も良くなるのだろうか。あとどのくらい経てば、自分も周りの世界と同じように生きて行けるのだろうか。
答えの見つからない問いに絶望しそうになる。目を瞑ると深い闇に落ちていく気がした。




