TODAY(MIX CORE BALL at UGA)
八月十日、サイレントルームはやっと札幌へ戻って来た。
関東三店舗、東北一店舗、そして北海道のUGAが合同企画したライブツアー「ミックス・コア・ボール」の最終日だ。関東圏でファイナルを迎えるムスタングやアンクルヘッドと違い、雄介達はホームグラウンドでのライブである。
「おー、何かナツカシイね、ただいまUGA!」
感慨深げに微笑みつつ、ダグラスが「清称寺」とロゴの入った機材車から降りた。焦茶の瞳が見上げた先には、夕暮れ色に染まる目的のビルがあった。
「やーっと着いた。ケツいってえ……ホント年代モノっつうか、このハイエース、サス抜けてんじゃねーの?」
ぼやきながら、助手席のタツも降りて来る。雄介も後部席から降りて、大きな伸びをした。
八月二日夕方、苫小牧から機材車ごとフェリーへ乗り込み、翌日大洗へ上陸してそのまま仙台へ入った。夜には「クラブ・サウンドガーデン」というライブハウスで、同じくツアーに参加した他地域の五バンドと一緒にライブを行った。
正直、慣れない長旅の始まりで、調子は上がらなかった。だがフレンドリーなスタッフと対バン、そして美味い地酒に助けられた。
翌日は関東へ入り、灼熱の太陽と室内プールなみの湿度に辟易しながら、埼玉、そして横浜を目指した。
首都圏へ近づいていくにつれ、人も車も増加し、どこへ行っても混み合っている印象だ。だがライブハウスはどこもUGAと同じような雰囲気で、存外リラックスして演れた。
関東でのラストライブは都内の老舗である「MIXJAM」で、ホールのキャパシティを越えた二百人以上の来客があり、エントランスから玄関前までごった返した。どうせ他のバンドが目当ての客だと思っていたら「サイレントルームの動画を見た」と声を掛けてくれる連中もいて、雄介は内心舞い上がった。
「はあ、もう最後か……何か、寂しいな」
各ライブハウスでの、とても楽しかった時間を振り返る。もちろん、慣れない土地の天候や機材的な不調、そして揺れのひどい走行状態での車酔いといった苦労もあったが、音楽漬け、ライブ漬けの日々はこの上なく幸福だ。しかも持って行ったCDは八割売れ、新作に至っては予定の百二十枚が完売した。バンドの収益として最高値の黒字である。
「もう一回行きてえな……いでっ!」
浸っていると、急に尻を蹴られた。
「コラ雄介、ナニぼーっとしてやがる! 口パッカーン開けて寝てやがったクセに。運転しねえ分、働けこのヤロー、早く機材下ろせ!」
機材車の持ち主であり、さっきまで運転していたコウが、疲れた目を三角に歪めて唸る。雄介は尻を押さえながら、慌てて車のトランク部分へ回った。
◆
午後七時、いよいよライブが始まった。ちょうどUGAに着いた有希と愛美は、店の玄関前から階段下まで客がたむろしているのに目を丸くした。
「うっわ混んでる。ちょ、五月ん時よりひどくない?」
「ほんとだ……入れる、のかな?」
「大丈夫だと思うけど。チケ持ってるし」
有希は尻ごみする愛美の手を引いて、体を斜めにしながら客の隙間を縫い、エントランスまで降りた。今夜はサイレントルームの他は全部道外のバンドだと、チケットの橋渡しをしてくれた田中から聞いている。初めて来道したバンドもいて、より混んでいるのはそのせいかもしれない。
二人は受付まで近付くと、その横の防音ドアに貼りだされた出演順番を確認した。
サイレントルームは全五バンドのトリで、現在は一番目の、東京から来たハードコアバンドが演奏中だ。ホールのドアが開くたびに耳をつんざくような、攻撃的な爆音が洩れて来る。
「観る?」
「うーん、どうしようかな……って言うより、有希、大丈夫?」
愛美が心配そうに、鼻声の有希を見つめた。夏風邪をもらってしまったらしく、今朝から体調が悪いのだ。愛美はやんわり止めたが、有希はもらったチケットが無駄になるからと、強引に出て来たのだった。
「うん、クスリ飲んで来たから、多分大丈夫。つらくなったら言うから」
「無理しないでね」
「うん」
有希は頷きながらポケットティッシュを出し、軽く鼻をかんだ。そしてあたりをきょろきょろ見回した。
「あ、物販ある。ちょっと見よ?」
「あ、うん」
防音ドアの反対側にスペースが設けられ、各バンドのCDやグッズが売られている。その中にサイレントルームの新譜を見つけ、有希が手を伸ばした。
「お、雄介んとこじゃん。すっごいね、プロのバンドみたい。しゃーないなあ、一枚買ってやろっかな」
無造作に一枚取り、しげしげ眺める。それから愛美はどうするのかと、目で訊いて来た。
「あ、私は、今日は良いかな、って」
もう貰ったと言えず、苦笑いで濁す。すると有希はああ、と頷いた。
「フルアルバムだから、値段もイイよね。もし良かったらダビングしてあげるから、言って?」
「スマン」
「どーいったまして」
愛美が片手で拝むようにすると、有希はにっこり笑って、係のスタッフに会計を頼んだ。
雄介との約束があるから仕方ないのだが、本当の事を言えないのが心苦しい。でもCDを貰ったことを話してしまったら、きっと、雄介の家へ行った日のこともばれてしまうだろう。
もやもやしたものを抱えながら、会計を済ませて戻って来た有希に寄り添う。有希がCDを鞄の中へ入れていると、背後からやかましい声がやってきた。
「あー! ゆっきぃと愛美っち見っけー」
振り向くと案の定、田中が両手をちぎれんばかりに振っていた。相変わらずの元気っぷりである。愛美がにこやかに手を振り返す一方で、有希はイヤそうに眉を寄せ、大きく咳払いした。
「うっぜ」
「うわー久しぶりに会ったのにその反応ひどーい! ひど過ぎて惚れるー」
「うるさいドM、判ったからがんがん喋んないでよ、アタマ痛いんだから」
「えっ、アタマ痛いの?」
田中が心配そうに眉を寄せ、熱があるか確かめようと、額へ手を伸ばして来る。有希は慌てて一歩退いた。
「何でもない、何でもないから寄ってくんなよっ。ほんっとウザっ」
「えー?」
へこんだ田中に構わず、有希は愛美を引っぱってトイレへ逃げた。
「あーもう、こういうチョーシ悪い時に会いたくない人間第一位だわ」
狭いトイレ内の片隅に作られたメイクブースで、有希が鏡を覗きながら愚痴った。
「ほんとアイツ、馴れ馴れしいって言うか、ガチのKYなんだよね、昔っから。何かあるとすぐ、ゆっきぃー、ゆっきぃー、って寄ってくんの」
「でも、心配してんじゃん。有希のこと」
「は? そんなのウザトにされてもカユいだけだし。ねえ、それよりさあ。愛美、メイクとかしないの?」
「え?」
「今日、いつもよりかなりカワイイからさあ」
有希はにやにやしながら愛美を眺めた。
トップスはショッキングピンクのフレンチTシャツで、上に黒のオーガンジーとレースを使った、透け感のある半袖シャツを重ねている。ボトムは黒のショートパンツにインヒールのバッシュだ。アクセサリーも革を使ったものにして、愛美の持っているアイテムから辛めのものを選んで来たつもりである。
有希は、派手なロゴの入った黒Tシャツに赤いエナメル風ショートパンツとゴツい編み上げサンダルで、カラフルでジャンクなアクセサリーを巻いている。お互い黒が基調だから、三月の時ほど違和感がない。
「色とか、ちょっと私とおそろっぽいし。どうせ雄介の出番まで時間あるんだから、暇潰しにメイクしちゃいなよ」
「え、でも私、普段しないからあんまり……」
「大丈夫、私がしてあげる」
有希はフリンジのたくさんついたショルダーバッグから、愛用している化粧ポーチを出した。そして中を覗き、コンパクトやリップを物色しはじめた。これはマズい、メイクなんてとても恥かしい。愛美の脳裏に「お前、何のギャグ?」とツッコミを入れて来る雄介の苦笑いが浮かんだ。
「イヤイヤイヤちょっと待った、私がメイクなんて面白いだけだし」
「ナニ言ってんの、絶対可愛いって。あ、もしかして、メイクしたことないの?」
「……うん」
「マジ?」
「うん」
「なら、今しようよ! 大丈夫、全っ然痛くないから」
「え、ちょ、ココで?」
「うん!」
「えー?」
「文句言わない! じゃ、まずはコレからね」
有希は愛美を強引に向かい合わせ、さっそくピンク系のパウダーを手にした。
◆
サイレントルームが出演する頃には、ホールはすでに熱気で満たされていた。まるでスチームサウナのようで、天井から今にも水滴が落ちて来そうだ。
期待をあらわにしたいくつもの顔が、ステージのすぐ前で待っている。それに背を向けたまま、雄介は汗ばむ手をジーンズの太腿で拭った。
隣に控えるダグラスはすでにセッティングを終え、いつでも始められる体勢でこちらを見ている。雄介は目で頷き、今度は左側で屈むタツを見た。
「オッケー、行けるわ」
軽く呟いて、客席を向き、ギターを背負い直す。飄々としていても、実はとても集中していることを雄介は知っている。最後にコウへ目をやると、早く始めろと言わんばかりに顎で示された。雑な仕草だが、目は笑っている。雄介は頷いて振り返った。
まばゆいスポットで照らされる。一瞬世界が白くなり、すぐに頬を照らす熱を感じる。緊張はない。ただ高揚感だけが、体を満たして行く。
ホールがざわめき立つ中、フロントマイクへ最初の一声をかけた。
「ただいま、UGA」
誰かの歓声が応え、それにかぶさるようにタツからノイズが発せられる。高まる期待がホール全体から立ち上るのを肌で感じながら、雄介はギターを抱えて大きくジャンプした。
着地の瞬間、轟音が爆発する。テンポ210、サイレントルーム最高速のブラストビートがホールを疾走する。鼓膜を震わせ、腸をかき混ぜるような刺激を撃ち込むと、ホールから生えたたくさんの拳が感電するように揺れる。
ここからしか見ることの出来ない光景――最高の眺めだ。
『叫べ、叫べ、そしてダイブ!』
力の限り、思いのたけを声にこめる。呼応する観客が同じように叫び、モッシュの渦へジャンプし、その上を流れて行く。時間にすればほんの二分ほどなのに、すでに何曲も演奏した後のように、ホールもステージも熱い。
オープニングの「ダイブ」で一気に沸き、その勢いのまま二曲目の「イルミネーション」へなだれ込んだ。満ちた熱気が落ちたテンポに合わせて粘りを帯び、さっきまで縦揺れしていたホールが、今度は横にうねる。楽しそうに体を揺らす観客が、ステージからもはっきり見えた。
(この中のどのくらいが、この歌をちゃんと知ってるんだろうか)
雄介はこうしてライブで歌うたび、思っていた。
イルミネーションは、真夜中に自分の部屋の窓から見える景色をモチーフに書いた歌だ。平たく言えば、生い立ちや生活環境に対する愚痴の塊みたいなもので、決して楽しい内容ではない。
それでも客が「楽しい」と感じられるのなら、それもアリなのだろう。楽曲をどう感じるかは、聴く者の勝手だ。
二曲目で程良くクールダウンしたところで、さらに新しいアルバムから一曲続けた。タツが全面的に作った「ダーシ―」だ。真夏の高速道路をドライブするような疾走感が溢れるこの曲は、珍しいことに、タツがタイトルをつけ、歌詞の大筋を持って来た。
内容は要約すると「彼女とヤリたい」というもので、雄介としては、歌でなかったら照れて口に出来ない内容である。ちなみにダーシ―は、愛車のタンクに描いた水着美女の名前だ。
16音符が連なる高速フレーズが駆け抜ける。ネックの端から端まで、長い指が残像を引いて踊る。けれど決して先走ることはない。しっかりしたリズムの上で、まるでもう一人のボーカルのように、雄介に寄り添って「歌う」。
まさにギターのための曲だ。
「タツー!」
弾き切った彼へ、歓声と賛辞の叫びが上がった。ホール内の酸素が薄い。酸素缶を吸入して肺をふくらませたあと、雄介はやおらマイクの前に立った。
「ツアー、行ってきました。音楽づけのここんとこ、最高の気分でした。今日がそのラスト、今夜も最高の気分です」
「ゆー、俺も最高だ、ゆー愛してるーっ!」
歓声に混じって、田中のマヌケな叫びが聞こえた。
「うっせーウザト、黙っとけっ」
どっ、と笑いが沸き、両手を上げた田中へ周囲の視線が集中する。田中は汗だくの顔に至福の笑みを浮かべながら頭をかいた。
「で、新しいアルバム出来ました。物販とこに並んでるんで、良かったら買って下さい」
「買ったぞチクショー!」
今度は前列から嬉しい野次が飛ぶ。それに軽く手をあげて応えながら、雄介は他のメンバーの様子をうかがった。
ダグラスは足の爪先でエフェクターの位置を直している。コウは飲み終えたペットボトルを、後ろへ軽く転がした。タツはチューニングを終え、雄介の様子を見ている。アイコンタクトを飛ばすと、小さくうなずいてギターを鳴らした。
透明感のある音が響き、それは徐々にCメジャーの温かなアルペジオを形作る。「the day after tomorrow」と名付けられたこの曲は、四月にタツが持って来て、今回のライブツアーでお披露目している新曲だ。雄介はギターのチューニングを簡単に終わらせてから、循環するアルペジオに声を乗せた。
『もし明後日、ここから出れられたら
俺は君と手をつなぐよ
もし明後日、君が笑ってくれたら
俺は君に本当のことを言うよ』
雄介とタツが奏でるメロディに、ダグラスのコーラスとコウのリズムがそっと寄り添って来た。
定番のデスボイスを使わず、重低音に厚めのコーラスを組み合わせ、歌を聴かせる方向に仕上げた。歌のテーマが彼女に向けた「想いを実現できない切なさ」だから多少しんみりしてしまうが、たまにはこういうのも良いだろう。
モッシュを繰り広げ、ステージと一体になり叫んでいたホールも、今は静かにうねっている。最後のフレーズを歌い上げると、自然と拍手や口笛が沸いた。
「サンキュ……じゃあラスト二曲、ぶっとばすから」
鎮静を破るように、激しいドラミングがコウから叩き出される。早いリズムにディスト―ションの効いたギターフレーズが乗り、それにスラップベースが斬り込んでいく。そして一瞬のブレイクのあと、再び轟音が弾けた。
そこから先は、雄介も夢中だった。昂ぶる感情に身を任せ、叫び、唸り、そして吠える。そのうちに世界が回り出し、光が尾を引いた。
(キタ……!)
目に映る現実と音が分離し、時間の流れが変わる。聞こえて来る音が残響を増し、回る世界がコマ送りになった。
自分の視点が多現化し、天井やホールから眺めるステージの上で五感が浮遊する。たまらないエクスタシーが脳を焼き、肉体の射精感より強いそれが体を満たし始めた。
(すごい……)
自分のすべてが「音」に支配される感覚――音の具現化を全身で感じる。
タツが散らした汗の飛沫が、重力に逆らって上って行く。ダグラスが弾くベース弦が、大きく震えて指板に何度も打ちつけられる。コウの叩いたシンバルが、まるで広がったフレアスカートのようにグニャグニャ歪む。そして目の前の客達が、全員スローモーションで踊る。そのすべてが降り注ぐ光の粒をまき上げ、彼方へ弾き飛ばした。
これを初めて味わったのは、今年の二月のライブの時だ。何が起こったのか判らないまま演奏を終えた後、色々な方面から随分良い評価をもらった。
雄介が半信半疑で動画を確認すると、歌も演奏も、ステージングまでちゃんとこなしていて、何やら迫力まであった。そしてライブの出来の良さを証明するように、その日の動画はいまだ閲覧回数とコメントを伸ばしている。
(今日は、どこまでだ……?)
時間がどんな早さで流れ、現実にどこまで進んでいるのか、この最中には判断がつかない。ただ自分をすべてさらし、おぼつかない五感に身を委ねる。行動の選択肢はそれ一つだ。
やがて視界がスピードを増し、残像が薄れて行く。目に映る世界が現実と重なるように感じると、鼓膜を震わせる歪んだ大音量が戻って来て、ラストの曲である「ホワイトライト」が終わっていた。
心臓がけたたましい。目がしみて、思わず左の手のひらをやると、汗でべっとり濡れた。沸き上がる歓声と突き上げられる拳に、タツとダグラスがステージの縁まで出て応える。雄介はまだ醒めきらない頭で、二人の広い背を仰いだ。
「終わったんだ……」
思わず口にした言葉は、止まない歓声と拍手にかき消された。
アンコールの声が小さくなった頃、客電が点灯し、ホールにBGMが戻って来た。ステージ前の客が汗まみれの笑顔で散って行くのを、雄介はぼんやり見ていた。
終わってしまったのだ――この数日の、幸せな日々が。
何もかも絞り出してしまったように、心が空白になる。思わず胸を押さえた雄介の頭上へ、タツのゆるい声が降って来た。
「おーい、ダイジョーブかよ?」
「……へ?」
「へ? じゃねえよ。いつまでもへたり込んでねえで、さっさと片付けろって」
見上げれば、頭から水をかぶったような状態のタツが笑っている。雄介は伸ばされた手を掴み、ギターを抱えながら立ち上がった。
めまいがして、体じゅうが痛い。息苦しく、腕や膝から軋む音が聞こえる。強い疲労感に呻いていると、心配そうな声がした。
「ゆー、大丈夫? 手伝うよ」
田中がすぐ目の前まで来て、両手を差し出している。雄介はギターアンプのスイッチを切り、ギターを下ろして田中へ渡した。
「ちょ、シールドささってんじゃん、エフェクター釣れてるよっ!」
田中は口を尖らせながら、ギターのボディからシールドを抜き、ホールの外へ運び出した。
「トロいっつうの! 早く動けや、打ち上げやるぞ」
すでに自分の楽器類を運び終えたタツが再び戻って来て、床に転がったエフェクターやシールドを持って急かす。それに引っぱられるように、雄介はやっとステージを降りた。
エントランスに出ると、客や対バンの連中が笑顔で騒いでいた。
「お疲れー! すっげえ良いライブだったぜ」
笑顔が口々に伝えて来る。それにぼんやりしたまま応えているうちに、やっと現実感が戻って来た。汗で張りついたTシャツが気持ち悪くてたまらない。グショグショになったそれを脱ぎ、絞ってみると、水滴がポタポタ垂れた。
「おつかれゆー! すっごかった今日の。もう漏らすかと思ったー」
にぎやかな声とともに田中がやってくる。目をやると、彼の後ろに有希と愛美も立っていた。
「ふかざワン、お疲れさま!」
「おつー。うわ、すっごい汗!」
にこやかな愛美の隣で、有希がイヤそうに顔をしかめる。雄介は一瞬ムッとしたが、何も言わずに手を上げた。
「すごい格好良かった。新曲も観れたし、ほんと来て良かったよ」
愛美が楽しそうに笑っている。それを見て、雄介の胸がとくりと鳴った。
久しぶりの再会だった。メッセージはやり取りしていたけれど、それは日々の挨拶のような、当たり障りのない短いものだ。
再会の嬉しさを隠そうと、つい目を泳がせる。迷う視界に映った愛美の手には、中身のたっぷり入った麦茶のペットボトルがあった。
「あ……」
途端に強い渇きに襲われ、雄介はつい手を伸ばした。
「一口」
「え?」
了承を得る前に奪い、一気に飲み干す。驚いている愛美の隣で、有希が目をつり上げた。
「ちょ、雄介! 勝手に飲むなっ」
「悪い、もう、チョー喉渇いて……」
「自分で買えば良いじゃん、すぐ死ぬわけじゃなし」
「まあまあ、良いよ別に……」
怒る有希を愛美がなだめる。ついやってしまったと反省しながら、雄介は改めて愛美を見た。
「……あれ? お前、何か今日違うな」
感じた小さな違和感に、雄介が眉を上げる。とたんに愛美は右手で顔を半分隠した。
「え? いや別に、何でもないよ」
「ん? あ……化粧してる」
「うっ、これはその、何て言うか……」
苦笑いする愛美には、ブラウンのシャドウにピンクで若々しさを加えた、ナチュラルなメイクが施されていた。ソフトなのに、ちゃんとアイラインとマスカラがされていて、目元が普段より印象的だ。
隣の有希が鼻声で、自慢げに笑った。
「どう雄介? 可愛くなったでしょ」
「ああ、ホントだ。何かスゲー、オンナっぽい」
「へ?」
素直な感想に、愛美が真っ赤になった。
「い、いやいやいやそんな事ないし! ふかざワン疲れてんだって、ほら眼鏡してないし、今!」
「ゆー、だてメガネなんだよ。視力良いの、昔っから。愛美っちホント可愛いよ―、ねえみんなで写メ撮ろ写メ!」
「マジかっ」
おののく愛美にかまわず、田中は自分の携帯を取り出し、場を仕切って三人を並ばせた。前列は愛美と雄介、後列は有希と自分で、画面を数度タップする。そしてさっさと構図を決め、三度シャッターを切った。
「よっし! 記念の加工したら送るからー楽しみにしててね!」
「私んとこ、全部ちょうだい」
「おっけー! ゆっきぃになら俺の全裸も送っちゃう」
「絶対送るなそれ、キモいから。わいせつ物、いやネットのビットゴミだから」
「ひっ、ひどい! ゆっきぃひどすぎウザト感激ぃ!」
田中のくだらない返しに皆で笑っていたが、そのうち雄介が、ふと切り出した。
「そういやお前ら、すぐ帰んの?」
「ん? 別に、決めてないけど」
有希が首を傾げた。
「今日、ツアー打ち上げあんだけど、出る?」
「えっ?」
「打ち上げ! ホントに?」
「身内だから、たまには」
有希が戸惑う一方で、愛美は歓び、田中が飛び上がった。
「マジマジマジ? マジ嬉しい絶対出る帰れって言われても出るっ、ゆーありがとうううっ!」
「うあ、うぜっ!」
「ヒャッハー汗くさーいイイにおーい!」
「黙れバカっ!」
まるで飼い主にじゃれる飼い犬のように、田中が雄介に飛びついて来る。イライラしながらそれを振り払おうとした時、背後から横田が声をかけて来た。
「雄介くん、お疲れ。今、少しだけ良いかな?」
振り向くと横田がすまなそうに、手をこまねいている。雄介は絞ったシャツをもう一度着て、横田の後に続いた。
スタッフルームの奥に、練習と録音に使えるスタジオが一室ある、横田に案内されて足を踏み入れると、知らない男が笑顔で待っていた。
「サイレントルームの雄介くんだよね」
「……はあ」
「お疲れ様。ライブ、今日も良かったよ。いや、MIⅩJAMの時より数段良かった。すごい気合いだったね、観てて、久しぶりにワクワクした」
「ありがとうございます……え、もしかして、東京からわざわざ来たんですか?」
「うん。あ、楽にしてね」
「……どうも」
男は出されているパイプ椅子を雄介に薦め、自分も向かいに座って横田へ目配せした。
「雄介くん、この人、僕の古い知合いなんだけど……」
「ソニックラブミュージックの滝本って言います。横田とは大学の同期で、昔、一緒にバンドやってたこともあるんですよ」
「はあ……」
「知ってる? うちの会社」
「名前は知ってますけど……」
頭の回らないまま、滝本から出された名刺を受取り、しげしげと眺める。そこに印刷されている社名を数秒見て、雄介がようやく驚いた。
「え、何でソニラブの人が?」
マヌケな問いに、滝本はヒゲ面で笑った。
「僕の部門は、アーティストの発掘と育成、デビュープロデュースなんかを仕事にしてます。一応、これでもチーフね」
それがどのくらい偉いのか雄介には判らなかったが、身に着けているこじゃれた服や、少し上から見て来るような表情がいかにも、という印象だ。思わず横田を見やると、彼は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「今回の企画、MIⅩJAMの時に、業界からも何人か観に行ってたみたいなんだ。それで滝本が雄介くんを気に入って、話があるんだって」
「はあ……?」
応えるように、滝本は一つ咳払いした。
「雄介くん、キミ、東京来ないか?」
「はあ?」
「急にゴメンね。以前から何回か、動画観させてもらってました。で、今回ツアーで、バンドのライブを生で観せてもらったんだけど、雄介くんてオーラがあるね。うちの専属の先生に話通すから、本格的にボイトレ受けてみないか?」
本格的なボイストレーニング――それが何を意味しているのかすぐに掴めず、雄介は黙ったまま小首を傾げた。
「ああ、じゃあハッキリ言うよ。雄介くん、プロにならないかい?」
「……は? えっ、プロって、プロですか?」
「あら? 意外そうだね。てっきりそういう方向目指してバンドやってると思ったんだけど、違った?」
「え、いえ、いやいやいや、出来るならそうなりたいですけど……え? ええっ?」
やっと意味を理解した雄介が、驚きに口をあんぐり開けた。
「それって、スカウト……ってヤツ、ですか?」
「うん。もちろん、明日から即プロで、なんてことじゃないよ。今の雄介くんって、言うなれば原石だから。それを美しく、魅力的に磨き上げることが必要なんだけど」
「はあ……」
「つまり、もしキミが本気でプロになりたいなら、私達ソニックラブミュージックが全面的にサポートします、って話なんだ」
滝本は笑顔を崩さず述べた。
「え、ちょ、待ってください……まだアタマ回ってなくって。そんな大事な話、皆にも話さないと」
慌てて立ち上がろうとする雄介を、滝本が手で制した。
「今のバンドのメンバーには迷惑かけちゃうけど、君の夢を実現させるためだから。と言うか、君んとこのメンバー、特に水谷達也くんは、相当気が荒いらしいね。急に『抜ける』なんて言ったらモメちゃうかな?」
「え?」
話が何だかおかしいことに気づき、雄介がまた横田を見やる。彼は何も言わず、少し困ったように眉を寄せていた。
「もしかして、バンドでプロに、って話じゃないんですか?」
「ああ、違うよ」
滝本はあっさり頷いた。
「サイレントルームは、インディーズとしてはトップクラスになれると思うよ。でも、プロとしては不確定要素が多い。例えば水谷くんだ。彼はギタリストとしてとても秀でているけれど、人間的に難がある。意味、判るよね?」
タツはスーサイド・スロウ加入時代にライブを途中放棄し、それでメンバーと大ゲンカしてバンド脱退に至った経緯がある。ソニックラブミュージックはスーサイド・スロウも所属しているから、その一件が滝本の耳に入っていてもおかしくない。
さらに同時期、薬物を常用していたという噂もあった。芸能人が薬物がらみで何人も逮捕されている昨今、キナ臭い噂のある人間はなるべく排除したいというのが、事務所側の本心だろう。
「彼だけじゃない、別な意味で林康生くんもだ。すでに僧侶と言う、音楽以外の生活基盤がある。修行も真面目にしてるって聞いたよ。逆に島村ダグラスくんは、まだ可能性があるね。スターにはなれないけど、プレイもルックスも良いから、雄介くんのバックバンドとしてならアリだ」
さすが業界で大手と呼ばれる事務所だけあって、事前調査を入れていたようだ。並べられた真実は否定のしょうがない。だが、初対面の相手にここまで言われたら、雄介にしてみればケンカを売られているようなものだ。
「……ふーん、そうなんすか。で?」
「ぶっちゃけて言うよ」
滝本は身を乗り出し、雄介を真正面から見据えた。
「サイレントルームは、プロになって、エックスやグレイみたいなトップバンドになるのは難しいよ。インディーズでは基本的に、音楽一本では食えない。インディーズ時代、あんなに人気のあったスーサイド・スロウだって、決して儲かってなかった。だから事務所と契約して、専属アレンジャーをつけ、リズム隊を替えたんだ。それはアーティストとして音楽を純粋にやっていくため、その環境を手に入れるための、もっとも有効な手段の一つだよ。良い音楽を作ろうと思ったら金がかかる。これは判るよね?」
説得力のある詭弁だ。だが、バンドを形骸化させるような真似をして商業的に売れたところで、何の意味があるというのだろう。
バンドをバカにしているような考えに怒りがこみ上げる。拳を握りしめながら、雄介が唸った。
「すいません、話が良く判んないです。打ち上げも始まるし、もう良いっすか?」
「気に触った? ごめんね、こんなにハッキリ言っちゃって。でも、もう少し冷静になったら、きっと判ると思うよ。すぐにとは言わないから、ちょっと考えてみて」
滝本は再び笑顔になり、右手を差し出した。だが雄介は握手せずに立ち上がり、小さく失礼します、と残してスタジオを出た。
「ふざけんなよ……」
歩きながら、手にした名刺をくしゃくしゃに握りつぶした。あとで捨ててやろうと尻のポケットにねじ込みながらエントランスへ戻ると、すでに客はあらかた引けて、田中と有希、それに愛美が壁に寄り掛かっていた。
「あ、ゆー。タツさん探してたよ」
田中に指で示され、ホールを覗くと、もう打ち上げの用意がされている、雄介は大きな深呼吸をして気持ちを切り替え、三人を連れてホールへ入った。




