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沙羅たちとクラルテが体育館についてからしばらくした頃に、「やあ、皆もいるんだね!」と大きな声が入り口から響いた。うるさいなあ、相変わらず――と呟いたのはペティだ。確かに、あのクラスメイトはどこにいても声の大きさですぐ分かる。
案の定、そこにいたのは和人やフィリ、チャイル、《拷問バディ》のラインにメイレン、そしてウィッタからはぐれたポルネだ。その六人の姿と、六人に連れてこられたルーセットの姿を見て、沙羅が「ありがとう」と和人に声をかける。
すべては予定調和だったらしい――と、一般人代表といってもいいさくらとリムは顔を見合わせ、頷いた。
おそらく、これは沙羅の計画なのではないだろうか。
「いえ。お嬢様の読み通りでございます」
和人のその言葉に、やっぱりか、とリムが肩をすくめる。少しは教えてくれてもいいのにといわんばかりだ。
「――そう。ラインさんにチャイルさんのお二人がいるから、気づかないはずはないと思っていたの」
静かにそう言った沙羅は、舞台を下がるようにして後から来たラインにクラルテの正面を譲った。「なんなら君が話してくれても良いのに」とラインはからかうような笑みを向けたが、「私はあくまでお膳立てですから」と沙羅は素っ気なく返す。彼女はいつもこうだ。ヒントを周りに与えるだけ与え、答えが掴めかけたところで身を引く。
不思議な子だとさくらはいつも思っていた。そう思うのもきっと、さくらだけではないだろう。
まあ良いや、とラインはクラルテに向き直り、「全員分のルーペを下さい、ルーセット先生」と口にした。
「何言ってんだエレクトリカ。俺はクラルテで、“ルーセット先生”はあっちにいるだろ」
「いいえ、“クラルテ先生”。クラルテ先生は僕たちのことをファミリーネームでは呼ばないんですよ。知ってました?」
ほかの教師と違って、生徒と混じっても分からないんじゃないかと言うほど教師らしくない――否、生徒に親しいクラルテは、生徒をファミリーネームではなくファーストネームで呼ぶ癖があった。ラインのファミリーネームはエレクトリカ。ライン・エレクトリカのことを、クラルテは“ライン”と呼ぶ。
「そっちの偽ルーセット先生は、さっき僕たちのことをファーストネームで呼びましたから――先生は二人とも、入れ代わってるんでしょう?」
「どうだろうな、俺は気まぐれだから――今この一瞬、たまたまお前をファミリーネームで呼んだだけかも知れない、だろ?」
悪戯っぽくいつものようにウィンクをしてみせたクラルテに、「いいえ」とラインは尊大に笑う。
「幸い、この場には鼻の利く者が二人も居ます。ウィッタにポルネ――《獣バディ》、そう呼ばれてる彼らに確認して貰えば、すぐ分かることですよ。クラルテ先生は普段煙草の匂いがしますし、ルーセット先生は薬品の匂いがします――」
お願い、と言葉少なにメイレンに頼まれたウィッタが、困った顔をして震えている。男性が苦手なウィッタには、近づいて匂いを確認するなんて無茶に近かった。それを見かねてポルネが前に出る。
「ルーセットからは煙草と薬の匂いがする。――クラルテは薬臭さと――化粧品?」
「はい、確かにさっき職員室で会ったとき、クラルテ先生からは化粧品の匂いがしました」
おどおどとしながらもウィッタはそれに同意し、それから慌てて「ポルネさん、先生には先生ってつけてくださいっ」とバディの言動を注意する。クラルテはそれをきいて笑っていた。
「成る程。でも、ルーセット先生は俺と話してたから煙草の匂いが移った、って言ったろ。俺だって“大人のお姉さんと遊んでいたから”化粧品の匂いがしてるのかもな、って言ったぜ? それだけじゃ証拠にできねえだろ」
「で――でもっ!」
焦ったようなウィッタを沙羅が制し、「ほかにも証拠はありますよ」と声をかけた。
「ペティさん、“クラルテ先生”の青い瞳を見てどう思いますか」
問いかけられた言葉に、いつもと変わらないと思うけど……とフィリが首を傾げる。それに、ペティは自信を持って「いつもとは全然違う」と口にした。
「職員室で見てからずっと気になっていた。いつものクラルテ先生の瞳は青く澄んでいるんだが――今のクラルテ先生の瞳はいつもよりけばけばしい色だな。どこか人工的だし、自然の瞳の美しさもない。よく見れば赤をベースにして乗せられたような色にも見える」
「では、“ルーセット先生”の瞳は?」
沙羅に言われたとおりにルーセットに近づき、ペティはすぐに「この人はクラルテ先生だ」と断定した。なぜでしょう、と沙羅は続きを促す。
「肌の色さ。ルーセット先生は顔色が悪いことで有名だけど、この肌の色はクラルテ先生のそれだ。私は画家だよ、一度見た色を忘れることはない」
「画家であるペティさんならではの意見ですね。ありがとうございます」
指摘された事柄に、成る程ねえとさくらがこくこくと頷いている。そういえば、とリムも口を出した。
「クラルテ先生は“今この一瞬、たまたまお前をファミリーネームで呼んだだけかも知れない”って言ったけど、沙羅ちゃんのことを職員室で“霜月”って呼んでたしな」
「そうだねえ。それに、サウラさんもクラルテ先生を見て変な顔してた……」
さくらにじっと見つめられて、サウラは「声がねえ」と口にする。
「あの時の声――沙羅がクラルテ先生と話してたときだけど。あたし、音楽家だから耳に自信はあるのね。で、なぁんか、いつものクラルテ先生とは声が違ってた。いつもより低いっていうか――なんか、ルーセット先生に似てるなって」
もう一度聞けばはっきりすると思うの、と言ったサウラに、クラルテは微笑むだけだ。口を開く素振りがない。
「話して下さいよ」とさくらが詰め寄ったけれど、クラルテはそのままだ。じれたように頬を膨らませたさくらに、「こんなものがありますよ」と和人が執事服のポケットから小さな機械を取り出した。
「小型の録音装置です。先ほど、お嬢様と先生がしていた会話を録音させていただきました」
「あ、あの時ポケットでごそごそしてたのってこれなのね!」
「見られておりましたか」
いじっていたのはこれか、と声を上げたさくらに、和人はそれをぽんと手渡した。さくらはそれをサウラの耳元に持って行くと、再生し始める。
サウラは瞼を閉じてそれを聞くと、「うん、間違いない」と断言した。
「これ、すっごくクラルテ先生に似てるけど――ルーセット先生の声」
「――だそうですよ。どうしますか、先生?」
にんまりと笑ったラインは、クラルテに挑発的に笑いかける。「なんなら最後まで説いて見せろよ」とクラルテは鷹揚に笑った。
「先生、この世には【赤の他人である】【友人である】【知人である】【家族である】【親戚である】――いくつもの“関係”の選択肢がある!」
「おう、相変わらず元気だな」
苦笑い、といった表情のクラルテを見て、「チャイル、うるさい」と背伸びしてフィリがその頭を叩いた。
「そして私はクラルテ先生とルーセット先生の“関係”は【家族である】と断言するッ! ――説明はライン君に任せたッ! フィリ君はさっき最後のフリップを使ってしまったからね!」
「あ、よくもうフリップの換えがないって知ってたね」
「君は最後のフリップを使い切るとスカートに押し込む癖があるからね!」
結構見てるんだ、と感心したような顔をして、フィリは視線をチャイルからラインに移す。
「――じゃあ、やかましい“チャート式探偵”の脳内回路でも僕が説明して見せよう。どうせ、僕と考えていることはそう変わらないだろうし」
少し間をおいて、ラインは「恐らく双子」と口にした。
「髪の色はカツラで、目の色はコンタクトで変えている。顔立ちが似ているからこそそんな簡単な変装で僕たちの目をごまかしてたんだ。よく見れば先生たちって体格も似てるしね。まあ、だぼつく白衣やジャージを着てしまえば、多少体格に差があっても隠せる。髪型や目の色で印象ががらりと変わるのは、《洞察力学》で結構前に習ってるし、今現在体験してる。声が似てるのは双子だからかな。髪色からすると一卵性ではないね。二卵性双生児だろうが――育った環境によっては他人だって似てくるものさ。二卵性双生児だろうが一卵性双生児だろうが、双子ならよく似ててもおかしくない」
ラインの言葉は淀むことなく、つらつらと真実を言い当てていった。
「僕やそこの喧しい《探偵》が引っかかったのは、僕たちが聞いた“偽ルーセット先生”の《クラルテ先生に対する呼び方》だ。あのとき、先生はクラルテ先生のことを“クラルテ”と呼び捨てにした」
「親しかったら同僚でも呼び捨てにすることはあると思うが?」
白衣を纏った男は淡々という。即座に生徒はそれを否定した。
「いいえ、“ルーセット先生”。【ルーセット先生】は生徒の前で同僚を呼び捨てになんてしませんよ。同じ先生同士の前でもそんなことしないと思いますね。僕がみる限り、【ルーセット先生】は公私を混同しない人だと断言できますから。――恐らく、“ルーセット先生のふりをしている人”は【ルーセット先生】が“クラルテ”とクラルテ先生のことを呼び捨てにするのを、常日頃から聞いてたんだと思いました。だから、【ルーセット先生】の真似をしてクラルテ先生を呼ぶときにぽろっとそんな言葉が出てきたんだ」
常日頃からクラルテと呼び捨てにされているのを知っていて、なおかつ顔立ちも似ているとなれば――と、ラインは言葉を切った。
「そうなると、もう家族しかいません。ですよね、ルーセット先生」
勝ち誇った笑みを見せたラインに、「見事」と短くクラルテが低く呟いた。ルーセット先生の声、とサウラが呟く。
「おー、なかなかやるじゃねえか」
軽薄な口調で紡ぐのは、理科室の吸血鬼だとあだ名される教師の顔をした男だ。カツラってクソ暑いな、とルーセットそっくりの男は頭髪に手をかけて、髪をむしり取った。闇のような黒髪からのぞいたのは、月の光のような銀髪だ。
「クラルテ先生!」
ほんとにそっくり、とフィリが驚いた声を出す。「コンタクトって目が痛えの」と笑った白衣姿のクラルテは、その場でコンタクトを取り外した。青い瞳が現れる。
「全員合格だな。非の打ち所がない」
クラルテに気を取られていた全員だが、ジャージを着たルーセットの姿に「似合わないなぁ」と妙な顔をした。クラルテと同じく、かつらもコンタクトも取り外し、いつもの顔がそこにある。ただ、顔色だけはよかった。
「あんまりに顔色が悪いからとアメジスタ先生にファンデーションを塗られたんだ――ああ、君たちの言うフィアールカ先生のファミリーネームがアメジスタなんだが」
「ルーセット先生、フィアールカ先生に御化粧されちゃったんですね……」
「ウィッタ・ツォールタ、君まで鼻が良いとは思わなかった。職員室で指摘されたときはひやひやしたよ」
ウィッタをそう褒め称え、ルーセットは沙羅に「霜月沙羅、君はフィリ・カルドと組んでいたんだな」と真顔で問う。沙羅もまた、「はい」と真顔で返した。
「どういうことだ?」
首を傾げたポルネに、「事前にフィリさんに協力して貰っていたんです」と沙羅は言葉少なに伝える。和人の補足した説明によれば、沙羅はフィリに頼んで《拷問バディ》と行動をともにして貰っていた、とのことだ。
「全員でやった方が《洞察力》の有無を完璧に見せつけることができるって沙羅ちゃん言ってたし。私もチャイルと二人だけでするよりはそっちの案に賛成だったんだ。いろいろ不安だったし」
「なるほどね、あたしたちの特技をフルに生かして先生を捕まえようとしていたってことね」
納得した面々に、ルーセットがルーペを配っていく。
「これで宿題は全員終了だな。――アメジスタ先生にもきちんと伝えておこう」
疲れた、とルーセットが小さく呟いたのは聞かなかったことにした。
あの堅物そうなルーセットがクラルテの真似をずっとしていたのだ、疲れもするだろう。
「先生たちって意外と演技派なんだねえ」
「先生たちも探偵のプロなんだぜ、これくらい出来て当たり前だ」
しみじみと呟いたさくらに、クラルテが笑う。そんなクラルテの顔を見て「女遊びを理由にしても疑われないなんて教師としてどうかと思うがな」と小さくルーセットが釘を差す。
う、うるせっ! と子供じみた言葉を返したクラルテに、全員が小さく吹きだした。