4
リムやさくら、ウィッタが職員室に向かえば、見知ったクラスメイトがすでに何人もいる。それに、あれえ、と間抜けな声を出したのはさくらだ。何でここに、と首を傾げたさくらに、「同じ目的です」と笑顔で和人が返す。クラスの中でも背の高い部類の和人の後ろからは、小柄な沙羅が顔をのぞかせた。沙羅の後には《芸術家バディ》のペティとサウラが続く。珍しい取り合わせだなあ、とリムは呟いたが、そうでもないことをさくらやウィッタは知っている。
「ルーセット先生に会いに来たのですか」
「おう。理科教室にはいなかったからな」
俺たちに考えつくところだとこの辺しかなくてさ、とぼやいたリムに、「この職員室にもいないんですよ」と和人は丁寧に返した。やっぱり? と落ち込んだようなジェスチャーをしてみせたリムに「あの人普段見かけないし、仕方ないわよ」とサウラが声をかける。
「Bクラスの霜月沙羅です、クラルテ先生はいらっしゃいますか」
サウラが声をかけていたその後ろで、職員室の入り口付近で沙羅がクラルテを呼ぶ。何の脈絡もなさそうなその行動に「何だってクラルテなんだ」、と小さくペティが呟いた。
程なくして部屋の中からクラルテが「今いく」と声を返す。その僅かな間に、沙羅は和人に小さく目配せをした。
「何だ何だ、大名行列かって感じだな?」
沙羅やリム、さくらやペティ、和人とサウラにウィッタ――総勢七人の生徒の顔を見て、クラルテは少し驚いたようにニッと笑った。こんなに大勢で職員室に押し掛けてくるのは、確かに珍しいだろう。
「クラルテ先生、今日の授業――サッカーのリフティングのことで少し聞きたいことがあり、参りました」
沙羅が話している中、和人が執事服のポケットに手を突っ込んでもぞもぞさせているのを、さくらは何だろう――と思いながら見つめている。
「珍しいな、霜月が質問にくるなんて」
「運動は苦手なものですから。どうしてもうまくできませんので、コツを教えていただきたくて」
「良いぜー。何でも教えてやるよ。何なら、手取り足取りコツを教えてやろうか」
にまりと笑いながらウィンクをしたクラルテに、「それは結構です」と沙羅は淡々と返す。「教師的にそれはアウトだろ」とリムが突っ込めば、「冗談だよ」とクラルテが手をひらりと振った。
「とはいえ、何でこんな大人数でけしかけたんだ?」
クラルテの青い瞳は興味で満ちている。
沙羅はそれに「皆さんがわたくしに手を尽くして下さったのですが……」と曖昧に語尾を切った。もちろん、沙羅の話していることはまったくの嘘だ。たしかに、今日の体育の授業ではサッカーをしたけれど、沙羅のリフティングは下手でもうまくもなかった。
「成程、手を尽くしてリフティングをみてくれたは良いが、巧く出来なかったってやつか……」
リフティングはなあ、とクラルテは笑いながら、見慣れた白のジャージ姿で足を何度か動かした。
「口で説明できるもんでもないよな、運動ばっかりは――今から、体育館にでも行くか。練習になら付き合ってやれるぞ」
「是非」
クラルテが体を動かす度にふわりと香るのは、どこかで鼻を掠めた匂いだが――それが煙草ではないことにウィッタは気づく。沙羅もそれに気づいているのか、ちらりとウィッタを横目で見る。
「……あれ? 化粧品の……?」
匂い? と首を傾げたウィッタに、ん? とクラルテが首を傾げる。それにびくりと肩を震わせながら、「化粧品の匂いが、します」とウィッタは恐る恐る口にした。
「あー……、これか。……鼻が良いな、昨日ちょーっと“遊んだ”からさ」
大人のお姉さんと少しお酒を。そん時にうつったのかな。
おどけたように口にしたクラルテに、「最低です先生」とさくらが冷たい目をするふりをした。それを冗談だと知っているから、「やめろ、そんな目で見るな! 先生だって人間なんだぞ!」とクラルテもノリ良く返す。その傍らでは、サウラとペティが少し不思議そうな、納得のいかなさそうな顔をしていた。
それを沙羅は目にうつし、それから「和人くん」と自らの執事の名を呼んだ。
「どうされました、お嬢様?」
「リフティングを先生に見ていただけるなら、フィリさんも呼んだ方が良いかも知れないわ」
練習したがっていましたから、と口にした沙羅に、「探して参ります」と和人は口にして、さっと姿を消してしまう。
「相変わらずあの執事は行動早いなー」
「とても良いひとですよ」
にこりともしなかった沙羅の頭をクラルテはぐしゃぐしゃと撫でて、「じゃあ体育館の鍵持ってくるから」とクラルテは一度職員室に戻る。
その後ろ姿をみた沙羅が、どこか口元を緩めているのをリムは見ていた。余裕あるなァ、と他人事ながらおもう。
今やるべきはリフティングではなくて――ルーセットを探すことだと思うのだが。
***
「――あ、いた」
校舎の外、体育館の裏側にある大きな木。その木は丈夫な枝と、たっぷりした葉を茂らせているのだが、そこに紛れ込むようにして白衣を着た男が枝に座っている。
黒い髪に赤い瞳、眼鏡をかけた鋭い顔つき。探していた理科教諭だ。ポルネが鼻を利かせて薬臭さを追えば、ついたのは日当たりの良い木の枝の上。理科教諭だからと運動は苦手だろうと踏んだのだが――木の上に上っているところをみるとそうでもないらしい。
フィリは大声で「ルーセット先生!」と木の上の存在に話しかける。おや、というような顔をして、ルーセットは木の上から降りてきた。驚くことに、枝の上から飛び降りて、だ。
「――何だ、もう見つかってしまったか」
「ポルネに匂いをたどって貰いました」
「――成る程」
憮然としたように呟くラインに少し笑って、ルーセットは低い声で返す。白衣から漂う薬の匂いと共に、どこか煙臭い匂いが混ざり、煙草臭いなとポルネは呟いた。
「クラルテと先ほどまで話し込んでいたから、煙草の匂いでも移ったんだろうな」
ポルネの呟きに、ルーセットは律儀に――ただ、淡々と返す。
「さて、見つけたのはライン、メイレン、チャイルにフィリ、それからポルネ」
案外少ない、とルーセットは口にしたが、チャイルとラインは目を細めてルーセットを見ている。何だ、と赤い瞳の理科教諭が口にすれば、「顔色が良いな」とラインが静かに紡いだ。
「日溜まりにいるからそう見えるだけだと思うが」
「そうでしょうか? ――先生、」
ラインが口を開こうとしたところで、「失礼いたします」と黒髪の執事が駆け寄ってきた。「和人もか」と口にしたルーセットに「こんにちは」と律儀に返して、「体育館でクラルテ先生がリフティングを教えて下さるそうですよ」とフィリに向かって和人は話しかけた。「リフティング、ねえ……」とフィリは少し呆れた顔をしている。
それににやりと凶悪な笑みを浮かべて、「先生」と再びラインがルーセットに向き直った。
「先生、一緒に体育館にきて下さい」
「それでは他の者の宿題にはならないんじゃないか? フィアールカ先生も怒るだろう」
「そんなことはないね!」
チャイルが堂々とした笑みを見せる。その笑みに気づいて、成る程、とフィリも口を開いた。メイレンは未だに口を開かないが、じっと静かにルーセットを見つめている。ポルネは訝しげにルーセットを見ていた。
ラインがにっこりと微笑む。こんな顔をしている彼を、クラスメイトは一度見たことがある。以前、《校外授業》で彼が犯人を追いつめる前に見せた笑顔だ。綺麗なのに暴力的なそれ。
「ルーセット先生、ここにいる全員はもう気づいています――それにこれは、《洞察力学》の宿題です。そこの執事がバカみたいな言い訳で僕らを呼んだってことは、あの令嬢も気づいてるんだろ?」
いきなり話を振られても、和人は取り乱すこともなく「ええ」と笑顔で答えた。
「じゃあ決まりです。――“ルーセット先生”、僕たちと一緒に来て下さい。《謎解き》を始めますから」