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幸福度  作者: 陽田城寺
9/15

昼の一幕

 さやかは非常に居心地の悪い思いをしていた。

 それは朝、恭二に対して妙なアプローチをとったことが気になるわけではない。

 それにクラスメイトの奇異の視線も辛くない。彼女にとって一人は孤独ではないし、嫌悪だろうが憧れだろうが視線は視線として受け止めている。

 問題は、微妙に気になる存在であった恭二と、結局微妙な距離感のまま別れたことである。

 本当は色々とお喋りしたかったし、話を聞いてみたかった。けれどそのチャンスを自分の建て前のために失ってしまった。みすみす握りつぶしてしまったのだ。

 激しく後悔した。悔やみに悔やんだ。こんな取るに足らないミスを大袈裟に感じ取るのは、彼女の自信が欠落しているからであり、他に悩みがないからであるといえる。

 しかし、そんな彼女が動かざるを得なくなる出来事が起こる。

 一時間目終わり、次は体育の授業である。

 授業の内容は関係ない、問題は合間の休み時間である。


「きょっおっじくん!! どひゅーん!!」

 声と同時に蝶子は恭二にくっついた。

「今日二度目だね!」

 今度は最初から恭二はどぎまぎした。周りの目を気にかけ、感触が気になり、心臓の鼓動が跳ね上がるのが蝶子に聞こえないかと気にした。

「それじゃ体育頑張ってね!」

 だけ言うと、蝶子は何事もなかったかのように荷物を持って体育へ赴いた。

「うひゃぁ、蝶子さんは大胆っすね!」

「得美、もしかして海藤にも何かしたのか?」

 少し怒り気味に言うと、やっぱり得美はあっさりと。

「なっ! どうしてそれが!!」

 その様子をさやかは見ていた。そして得美の言葉に驚いた。

(私にだけ頼んだんじゃなかったの!?)

 得美はさやかのように綺麗で賢い人なら恭二が喜ぶといった。ならなぜ蝶子を利用するのか。

 さやかは勝手に、蝶子のように運動が出来て社交的な人間なら恭二が喜ぶからであろう、と納得した。

(優秀そうな人に片っ端から声をかけているのね)

 ならば、自分が動く必要はない。ほうっておいても海藤蝶子あたりが恭二を捕まえ、親密になり、彼女になり、彼氏彼女の関係が行う行為をするような中になり……そこでさやかは考えることを止めた。

 そしてもう恭二との縁を切ろうと考えると、今までにない心の後悔が生まれた。

 取り返しのつかない、人を殺した慙愧にすら近いほどの後悔。あながちその感情は間違っていない。

 いまだ気付かずとも彼女は自分を殺しているのだ。滅茶苦茶に意志を捻じ曲げ、やりたいことを押さえ、奇妙な偏見でその思いをなしにしている。

 愛があろうとなかろうと、恋の存在に気付かずとも、さやかは正直に生きなければこの失神しそうなほどの胸の苦しみを解き放つことはできない。

(ともかく、ともかく得美さんに説明を)

 勝手に結論付けたことなので、まず一から話を聞きなおすことにした。


 十分の休み時間では、得美と二人きりで話す機会はそうそうない。時間が少ないし、誰か他の人に話を聞かれては、昨日得美がわざわざ二人きりになってから恭二の話をした意味がない。

 なので、大きな休み時間、すなわち昼休みまでさやかは待った。

 いつものように恭二と得美と蝶子が食事をしようという時、さやかは席を立ち、得美を名指しした。

「一緒に、屋上にでも行きましょうか」

 比較的穏やかに言ったつもりであるが、さやかはそれが喧嘩で敵を誘う時の常套句であることを知らなかった。

「ひゃあ! 喧嘩だ喧嘩だ! どうしたの? 怒らせたの? 何か言ったの?」

 蝶子はそれだけで興奮してしまっているし、得美もほとほと困った表情をした。

 場が少し落ち着いてから、改めて恭二が得美に聞いた。

「で、一体なにかしたの?」

「ま、まさか、心当たりないっす」

 周りの生徒も明らかにさやかに注目し、やっぱり恥ずかしくなったさやかは強引に得美の手を引いた。

「ま、私の弁当が!」

 聞く耳を持たなかった。


 得美の席には幸人が座り、メンバーが変わるが三人の食事である。

「やだね怖いね柴口さん。ああいう真面目な子が何をするか分からないって本当だったんだね! 怖い怖い恐ろしい! 恭二くんはああいう子どう思う!?」

 酷評の後に意見を求め、悪いイメージを固定してしまうという、天然を振舞う蝶子の腹黒作戦である。

「別になんとも思わないかな。どうせ悪いのは得美だろうし」

 と、彼は気にせずチャーハンを食べ進める。

「ちなみに俺は、本人がいない時にその人の悪口を言う人は嫌いかな」

 と言ったのは幸人であり、蝶子はそれを一度きつく睨んだだけで、何も言わなかった。

「おお、怖い怖い恐ろしい、なんて」

 幸人が言った言葉は誰かの真似のようであり、また蝶子が険しい視線を送った。

「何か言いたいことでもあんの?」

「いや、別に」

 そんな二人の会話を、恭二は興味深そうに聞いていた。


 屋上と行かずとも、誰もいない階段でさやかは得美に真正面から向き合った。

「あなた、あの話を海藤さんにもしたの!?」

「えっ、あの話って……恭二くんの」

 といいかけたところでさやかが唇に手を当て、しーっ、と言った。

「そのことはあまり口にするべきじゃないわ」

 得美から見て、さやかは昨日よりも随分落ち着きがなく、挙動不審ですらある。あのような魅惑の女性をここまで狼狽させるなど、恋は凄いものだと思った。

「あのことは、あなたにしか話していませんけど」

「そうなの? よかった、海藤さんの行為が過激になっているものだから……」

「あ、話を聞かれたのかもしれないですね」

 さやかの表情は凍った。

「まだ放課後の教室、部活中に忘れ物に気付き教室に戻ったところ……なんて、よくある光景ですからね」

 さやかの目には蝶子がおっちょこちょいに映っている為、余計にそう思えた。

「で、でも! どうして私の役目をあの子がわざわざ代わるの!?」

「それは……はっ、もしかして海藤さんは恭二くんのことが好きなんですよ!」

 得美の素振りはいかにも演技であったが、もうさやかはそれに気付くほどの余裕がない。

 電撃が走る、けど数瞬のうちにさやかはなんでもないように言った。

「そ、そう! なら私の役目はお終いのようね!」

 得美も絶句し、さやかの目をありありと見つめた。

「な、なんで?」

「だって、恭二くんの事が好きな海藤さんが彼の相手になったらいいじゃない! 海藤さんは見た目も可愛いし、運動もたくさん出来るし、私の代わりは十分務まるでしょ!」

「でも、あなたはそれで良いんですか?」

「何が?」

 さやかは自身が恭二に恋しているなど毛頭気付いていない。しかし得美はそれを自覚していると思い切っていた。

 なんのことか全く分からないのはさやかだけでなく得美もである。二人の会話が途切れてしばらく経ち、先にさやかが教室に戻った。

「私、お弁当食べるから」

「な、ちょっと柴口さーん!」

 さやかはなぜか怒っているようで、一人で先々進んでいった。

 得美が気付かないその怒りの正体はさやか自身の勘違いによるものだ。

 自分だけが頼まれたと思い込み、蝶子が行動したことにより得美が誰彼構わず頼んだと思い込み、そんな状況にあって恭二に相応しいのは自分だと思いこんだ節がある。

 そんなこと当然ないと悟り、恥ずかしくなり意地を張り、怒りに身を任せている。

 そしてさやかは改めて、自分を馬鹿馬鹿しいと罵った。


 一方教室では、幸人と蝶子は一層険悪な雰囲気になっていた。

「結局のところ、蝶子ちゃんは何が言いたいのかな?」

「そっそれは……うぎぎぎぎ……!」

 蝶子が幸人にいいように言いくるめられ、かなり危ない発言をするところである。

「はっきり言わなきゃ分からないなぁ?」

「私が柴口さやかなんかより優れてるってことよ!」

 本当に幸人の先導は見事で、その言葉だけで恭二はどこか蝶子に不審を抱くだろう。

 その上、さやかはちょうどその発言を聞いてしまった。

 教室の扉が音を立て、生徒が再び、さやかに注目した。

 かんかんにオーバーヒートしていた蝶子は一瞬で絶対零度にまで下がり、そんな顔をしてさやかを見つめた。

「あ、あのお……えへっ♪」

 ぺろっと舌を出した事が、いっそうさやかを怒らしめた。

「海藤蝶子……あなたって人は、本当に……」

 博学なさやかでも、言葉が出なかった。

 何よりタイミングがまずかった。自身が蝶子に席を譲り渡した直後にこのように言われては、冷静であっても負けず嫌いの気質があるさやかにはこたえた。

「ごめんごめんごめんなさい! 違うんだよ、この男がなんか口八丁手八丁のやり口で私の口をつるっと」

「海藤蝶子!」

「ごめんなさい!」

 非常に険悪な雰囲気の中、昼休みの食事は続いた。



 六時間目も掃除時間も暗澹とした雰囲気は残り続け、ついに下校となった。

 蝶子は名残惜しそうにさやかを見つめていたが、さやかはつんと無視して早くに帰宅しようとした。

 さやかが校門を出る直前になって、得美が呼び止めた。

「さやかさん、本当に恭二くんのこと良いんですか?」

「恭二くんなら、あんな女を矯正できるんじゃない?」

 そしてそのつんけんした態度のまま帰ってしまった。

「なんてこったい……私の計画が、私のドキドキハーレムプロジェクトが……」

 愕然と、得美は人目も汚れも気にせずそこで膝をついた。

 このまま放置すれば蝶子は無事恭二といちゃいちゃして、結婚とかするだろう。

 最悪破局による大きな不幸変動が起こるかもしれないが、ともかくは安定して上がると予測できる。

 しかしそれだけではダメなのだ。ますます不幸になり続ける恭二を幸せにするためには、現実にはありえない、ラブコメディー的ハーレムを作り出すしかないのだ。

 得美の思考の貧困さを表す考え方であるが、一部の人間にとっては充分有効な手段でもある。

「どうすれば、柴口さやかを参加させることができるのか……」

 呟き、得美は考え続けた。



 教室では恭二、幸人、蝶子の三人がいた。

「本当にもう! 雲岡くんの所為でひどい目にあったよ! どうやって補償してくれるの!?」

「仕方ないなぁ、俺の体が望みなら最初からそう言って……」

「幸人、少し黙ろうか?」

 いつものように穏やかながら、恭二の言葉には迫力があり、二人とも押し黙った。

「一体どうしたのさ二人ともして。海藤は言いすぎたし、幸人も意地悪が過ぎてるよ?」

「それは……」

 蝶子にとっての恋敵は、得美が直接相談をした柴口さやかただ一人。恭二は誰とも接しようとしないし、友達が雲岡幸人だけなので誰かが積極的に関わることもないからだ。

 なので柴口さやかより蝶子が優れていると恭二が認めたならば、蝶子の望みは叶うのだ。

 が、そんなことを言えるわけもなく押し黙った。

「えっと、そうだねぇ……」

 一方謎の多い幸人は、実は幼き頃に何度か恭二を知っていたのである。

 隣のクラスだったりして実際の関わりはないものの、幸人は恭二がいじめられている現場を何度も見たのだ。

 たまたま引越し先が同じ場所で、恭二と小中高校が一緒である唯一の存在なのだ。

 そのことを幸人は運命的に感じている。ロマンチックな運命ではなく、罪の意識から逃れられないという邪悪な運命だと。

 何度も何度も見過ごしたいじめは、軽いものではなかった。恭二が人間ではないためにいじめられているのかと思ったほどだ。死にかけたこともあったし病院にも何度か行った。ただでさえ心臓が弱いのに、恭二はそのことで一層苦しんでいた。

 幸人はただ見ていただけだった。教師に言っても無駄だからと黙って胸の中にしまった。

 もし彼も同じようにいじめを行っていたならこんな風に悩むことはなかったかもしれない。

 幸人は最悪の人間と思われているが、彼はただ恭二をかばい、守り、幸せにしてあげたいだけなのだ。

 そういうわけで、恭二に嘘を吹き込もうと悪意を持っていた蝶子の化けの皮を剥がす行動がエスカレートした、なんて言えるわけがない。

 二人が沈黙していると、恭二が溜息をついた。

「二人とも根は良い人ってことは知ってるから、明日ちゃんと柴口さんに謝ること、いい?」

「うん! 絶対謝るよ、誠心誠意粉骨砕身全身全力力の限り精一杯めいっぱい謝る!」

「そうだね、謝ることは慣れてるから、任せなよ」

 その言葉を聞き、恭二はにこっと笑って、その場は解散となった。


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