雲岡幸人
恋というものは全く病に似ている、とは昔から散々にいわれてきたことである。
気付く気付かないを患者は微小に感じつつ、徐々に胸が迫る想いをし、気付いた頃にはもう取り返しがつかなくなっている。
熱く火照った体は自力ではどうにも収まらず、燃える想いは死ぬまで消えない。
病にかかった二人の少女、そのうちの一人は静かさと冷静さを保ちつつ、人あたりの良い暖かさを持ち合わせるよう心がけ、もう一人はますます元気と明朗を持って人と対面するよう心がけた。
して病源である少年は相も変わらずのんびりしていた。
帰ってこない天使を気にしながら、食事の準備をして洗濯物を干し始める。
すっかり作業を終え、スープの味見をしながら単語帳で学習。
恭二にとっては習慣であるがこれで成績が伸びないのは単語帳が悪いのか自分の要領が悪いのかと真剣に考え始めるざまである。
学業にあまり時間が割けないことは確かだが、それにしても恭二の成績は低い。純粋に能力が低いなど言い訳にしかならないと思っているが、どうやら現実を認めなくてはいけない。
単語帳をぱたんと閉じ、おたまも鍋に置き溜息をついた。
彼には金があるがそれを使う度胸はなく、時間も僅かにあるがそれを使う思い切りはない。
少し頑張れば、なんとか塾などで毎日数時間ほど効率の良い学習も出来るが、彼にとって拠り所である遺産と、命に関わる適度な休養が失われることの不安は大きい。
再び一つ溜息をつき、一旦考えるのをやめ、調理を再開した。
一方得美はさやかと別れると、走って帰宅中の幸人に声を掛けた。
徒歩で登下校をしている幸人は得美の声と姿を確認すると笑顔で応える。
「なんだい得美ちゃん?」
幸人の内面は全く褒められたものではないが、下心があってもそれを見せず人当たりの良いように振舞う様は流石である。
だが得美はそれを既に知っているので、しかし能力も高く警戒の必要はなく普通に話し始めた。
「幸人は女性にどんなことをされたら嬉しいですか?」
「おお、呼び捨てかい? そうだな、俺は得美に……」
「敬称をつけろ」
「はは、怖い怖い。じゃあ、得美ちゃんに……」
ぎゅっと抱きしめ、こうしてほしいかな、と言おうとしたが。
突如襲いかかる幸人を得美は右で顔面を殴った。
「変態が」
「ううん、ひどいなぁ……」
幸人は反省文や自宅謹慎に慣れっこなので、殴られる程度はものともしない。
それに彼が警察や教師に泣きつこうものなら、今まで彼がした数々の犯罪的行為が表に出るのでそうするわけにもいかない。法は犯罪者を守らないのだ。
殴られた頬を擦りながら幸人は改めて品定めをするが、どうやら自分の手に負える相手ではないと判断し、居直った。
「で、何のよう?」
「ま、今ので何となく分かりましたよ。とある男性を喜ばせたいのでその参考を下心丸出しのあなたに聞こうと思いまして」
髪を整えながら、親指と人差し指の間に顎を当てた幸人は尋ねる。
「それって、恭二のことかい?」
「そうですけど」
「なら止めた方が良い」
自分の前髪を撫でながら話す態度に得美は軽くむかつく、がそれを気取られず訊ね返す。
「なんでですか? 男性なら、まあ、その、色々されたら嬉しいでしょう?」
「俺はエロいことされたらそりゃ嬉しいね。でも恭二は違う。得美ちゃんが知ってるかどうかは知らないが、あいつは凄く不幸な境遇にあったんだ」
得美は知っていたが、あえて知らないフリをした。その方が話の続きと幸人の真意を知りえると判断したからだ。
「あいつは、孤独だ。俺と一緒にいるのが嬉しいと言う程に。なのに自分を他人に見せようとしない。誰よりも孤独を嫌っているのに、あいつは自分の性分の所為で孤独になってしまっている」
「なら、どうすれば?」
「友達はもう俺がいる。恋人っていうのはあまりオススメしないけれど、まあいても良いと思う。一番の問題は家族だな」
「と、言いますと?」
「みんないなくなったからな。両親はかなりあくどい仕事してたらしくてたくさん恨まれているらしいけど、それはいい。問題はあいつの妹が同じように心臓が弱くてそれで死んだってことだ」
「なんでそれが問題なんですか」
「年下の兄弟って可愛いものなんだよ? それが自分より早く死ぬなんてね……」
と、ここで得美は一番の疑問をぶつけることにした。
「あなたはいったいどうしてそんなことを知っているんですか? それに、どうして私にそんな大切なことを……?」
「得美ちゃんも、恭二を幸せに、せめて平凡な奴にしようと思うならそれぐらい知ってないと駄目だよ。それでドン引きして手を引くなら、それもよし」
同じようななよなよした態度でありながら、得美に幸人は全く別人のように映っていた。ただの悪友でありクラスで最低の男である幸人が何を考えているのかを、得美は全く理解できない。
「幸人は一体何なんですか?」
「僕にも色々あるのさ。良いだろ、別に悪いことをしているわけじゃない」
それはまったくその通り、と得美は軽く挨拶だけして恭二の家へと戻った。
「あっ! 得美ちゃん、連絡先だけでも……」
返事はなかった。




