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幸福度  作者: 陽田城寺
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海藤蝶子と柴口さやか

 有野得美の目的はただひとつ、防人恭二の幸せである。

 幸せとは、もう生半可なものではない。実現不可能な幸せでないといけない。

 実現不可能なほどの幸せを実現する、まさしく矛盾であるこれを、彼女は可能にしなければいけない。

 得美の数ある能力のうちに、幸福度が見える。その推移も把握できる。かの青年恭二はマイナスに動きやすい性質がある。

 不幸体質、ただでさえ人間というものは不幸を感じやすく幸福を感じにくいのに、彼はその不幸を過剰に感じてしまうのだ。

 更に子供の頃受けたショックが後に残りすぎている。

 得美は彼にどんな幸せを提供しようか悩んだ挙句、思いついたのが恋であった。

 放課後、恭二が帰宅した後、その場からほどよい距離にいる蝶子にも聞こえる程度の声で柴口さやかに「防人くんのことでとってもとっても大切な話があるんですけど」と言って二人を誘った。

 もしこれでさやかが断り、蝶子がとっとと帰ったならば、二人ともそれほど恭二のことを意識していないとして切り捨てることができる。

 だが得美の好感度を見る能力は間違っていなかった。

 人気のなくなった教室で、蝶子が廊下から盗み聞きをしていることを確認しつつ、柴口さやかと二人きりになれた。得美の作戦と人を見る目に狂いはなかった。

 さやかは、確かに魅力的な女性であった。女性である得美から見ても肌も髪も綺麗で、顔は男性も女性も惹き付けるものがある。

 そして胸である。得美は胸の一点において蝶子に親近感を抱くが、さやかには敵意に似たものを持つ。

「それで」

 切り出したのはさやかだった。

「話って、何かしら?」

 黒髪を梳く動作が、いちいち色っぽく、得美をドキッとさせる。

 雰囲気に飲み込まれないように、得美は半端な演技とバレないような嘘を交え、巧妙に二人を罠にはめるため画策する。

「実は……私は、恭二くんの幼馴染なんですよ」

 過去に色々あった幼馴染だった、それだけで朝二人きりになった理由が説明できる。

 その言葉にさやかが動揺したのは、やはり恋しているからだろう、そう得美は思った。

「だから恭二くんの凄惨な、聞くも涙語るも涙というべき過去を知っているんです。それは、今は話せないんですけど、彼は、とても不幸なんです」

「それはいったい?」

「恭二くんには、家族がいません。お父さんやお母さんには先立たれ、おじいちゃんも……。親戚には避けられ、彼には仲の良い人がいないんです。だから、あなたに……恭二くんと仲良くなって欲しいんです」

 恋敵になろうと思った人間が、突如その席を明け渡すことは驚きであり、都合の良いことであろう。

「どうして、私なの? あなたは?」

「ええっと、それは……」

 得美は軽く笑った。

「私、彼のことあまり好きじゃなくて。それにそれに! さやかさんみたいに綺麗で賢い人の方が恭二くんも喜ぶと思うんす!」

 つい予定外の言葉を受け拙い言葉を出してしまったが、さやかの反応はあまり変わっていない。

 好きじゃない人のことをどうしてそこまで想うのか、矛盾を少し孕んでいるが、もしさやかが恭二のことを想っているのなら、ライバルが消え、かつ恭二と少し親しくする大義名分すら出来る。

 さやかは少し笑った。

「まあ、そういうことなら別に良いわ。私が力になるなら」

「ありがとうございます!」

 そして、廊下の蝶子もその内容を把握した。

 こうして二人の女性に恭二を取り合いさせるという、ドキドキハーレムプロジェクト、得美の作戦は華麗に成功したといえる。



 蝶子は部活動で、ただただ走りながら考えていた。

 蝶子は小学生の頃から先に述べたような『社交的な孤独人』としての性質を持っていたが、それは好きな男子にも平然と話しかけるための準備であった。

 普段女同士で喋っていては急に男子に話しかけたら場の空気は変わる。また男子が妙に意識してしまう。だから普段から話し合う仲であればそういった緊張がなくなると、幼心に蝶子は策を練ったのだ。

 最初は功を奏し、好きな男子と仲良くなる事ができたし、うまく家に行ったりバレンタインにチョコを渡すことも出来た。

 けれど告白をすると失敗だった。

『そういう目で見てなかった』『友達でいよう』そんな言葉が返ってきた。

 痛烈な失敗を経験しながら、蝶子はその致命的な性質を変えることが出来ず、気持ちがはっきりと決まらないまま年月が過ぎた。

 それ以来は、本当にどんな男子も女子も、友達ともそう言えない程度の仲で終わり、言い様のない孤独を味わいながら苦しんでいた。

 このようにだれかれ構わず人に話しかけていると、どうしてか蝶子は特に親しい人物を作れなくなってしまったのである。

 一度親や教師に相談したが、『蝶子は仲良くやれてるわよ』、『心配ないんじゃないか』、『お前はみんなと仲良いだろ』と真面目に取り合わない。

 蝶子自身、確かにひどい状況ではないと感じていたし、誰とも全く喋らない孤独よりかはマシだと考えていた。

 それでも、誰にも相談できない、誰にも理解できない孤独を延々と味わい苦しんだ。

 そんな中、高校二年生になった頃、孤独を味わいながら騒いでいる蝶子に声をかけたのが恭二だった。

「海藤ってさ、寂しくない?」

「えっ?」

 全く言われたことがない言葉にしばし茫然とした。

「いや、何だか無理してる風に見えたんだけど……気のせいかな?」

「き、気のせいだよ! こんなに元気だよ! ほーらこーんなに元気!」

 両手をいっぱい広げて作った笑顔を見せると、恭二は微妙な顔をして去った。

 その時の会話はそれだけで終わりだった。

 それから、蝶子の方から何度か、気付かれない程度に話しかけたものの曖昧な返事しか得られず、やきもきする日が続いた。

 次に長く話したのは、恭二が幸人と一緒にいたときだった。

「おっふたっりさんっ! 元気してますかーっ!」

 幸人は蝶子ですら話しかけるのを躊躇うほどであるが、それを厭わないほどに恭二のことが気になっていたのだ。

 それだけ気になっている時点で、もう恋と呼ばれるそれに昇華するまで時間は要さなかった。

「おおっ、蝶子ちゃん、元気だなぁ。恭二はこいつのことどう思う?」

「どう思うって……まあ、頑張り屋さん、かな?」

「頑張り屋さん!? 私頑張ってるかな!?」

「うん、凄く頑張っていると思うよ。僕には真似できないくらい」

 じんわりと、言葉がしみこんだ。

「恭二は本当に何を言うか分からないねぇ。俺はやっぱり、うるさいとか騒々しいとか、頼めばやらせてくれそうとか、そんな感じかな」

「うん、何をやらせてくれるかは聞かないからね?」

 彼は私の孤独を知ってくれた。彼は私の努力を知ってくれた。

 最初は少しキツイ言葉だった。次は優しい言葉だった。

 恭二は理解してくれたのだ。

 思春期の少女の胸中を察することは大人にも同年代の子にも難しい、特に蝶子は普通ではない状況にあった。

 それを初めて理解してくれた恭二に恋焦がれることは、想像に難くない。

 現在、蝶子の問題は、ライバルが柴口さやかになりそうだという事である。

 勉強は一位、運動は最下位、自分と正反対の人間だと蝶子は考える。

 けれど蝶子には自信があった。

 さやかが恭二と喋っているような姿は一切見ないし、接点がない。

 得美に奇妙な役を押し付けられ、それを了承しても、想いがなければ恋は実らないのだ。

 それに恭二は蝶子の事を理解している。

 この苦しみや辛さを理解している恭二なら、きっと蝶子の事を想ってくれているはず。

 強く自分に言い聞かせ、蝶子は走りに走った。



 幸人ならば、柴口さやかの良いところを百でも二百でも挙げることが出来るだろう。

 しかしさやか自身は自分の良いところを十すら挙げることができない。

 彼女は圧倒的に自信が欠けていた。そのルックスも能力も足りないものとしていた。

 その姿を周りの人間が見て言う、『よく言うよ』『俺らのことバカにしてるんだぜ』、けれど彼女の言葉は全て本心である。

 ただ高みを目指すだけ、自分にできないことを頑張るだけ、そんなひたむきに上を目指す姿勢は理解されにくい。

 たとえ理解を得ても、素直にそれを応援できる人間も少ない。

 さやかの記憶にある恭二は、自分よりひたむきだった。

 高校一年生の時、クラスで成績の悪い者が補修を受けることになった。

 さやかはテストの点数ならば補修圏内から外れていたが、間違っていたところや理解し難いところがあったため先生に頼み同じように受けさせてもらうことになった。

 無論、教師が許しても成績の悪い生徒は多少それを疎ましく思う。

 朝、教師が来る前に陰口が叩かれ、補修が始まると鎮まる。

 二日目も同様に陰口が叩かれ、また教師が来ると鎮まる。

 ごく普通の反応であり、ごく普通にさやかは嫌なものだと感じた。

 向上心高く真面目といえど、こういった露骨な人の悪意をさやかは嫌い、二度とこんな補修など出るものか、と後悔し、けれど今回の三日間の補修だけは受けることにした。

 して三日目、嫌な思いをしながらも真面目に受け終わろうという時である。

 たまたま教師は急な用事があるらしく、内容はしっかりこなしたもののいつもある生徒からの質問を受け付けずにさっさと帰ってしまった。

 さやかは当然大体の内容はしっかり理解していたし必要は皆無だが、同席していた恭二は困った。

 だから恭二はさやかにそれを訊ねた。

 恭二の質問はとんちんかんで完全に理解している人にとっては意味不明であるが、その真摯な態度に触れ、綺麗な解答をやってみせると恭二は納得したようだった。

「やっぱりすごいね、柴口さんは」

「そういうの、やめてくれます? あまり嬉しくありません」

「やめるってなにを? どうして?」

「私なんか全然凄くありません。私より凄い人は沢山いますし、これぐらい誰だってできます」

 さやかの本音で、ライフスタイルというに等しい考え方である。

「それは……傷つくなぁ」

「べ、別に傷つけるつもりで言ったわけじゃ……」

「柴口さんの言いたいことも分かるよ。確かに世の中上には上がいる。でも下だってここには沢山いるからさ」

「そんなこと分かっています。あなたに諭されるほどのことではありません!」

「ほら、やっぱり僕より賢いんだ」

「なっ!」

 馬鹿にされている気がしてさやかは閉口し、立ち上がった。

「用がないならもう帰ります!」

「ま、待って! 次が最後だから……」

 さやかの第一印象は、愚図で物覚えが悪い腹立たしい、奇妙な男であった。

 しかし嫌な印象よりも、どこか話していると心に風が吹くような爽やかさがあった。

 恭二の印象が変わるのは一学期の期末テストの時である。

 ちらりと恭二の点数が見えたが、やはりお世辞にも良い点数とは言えなかった。

 誠意は見えたが実力がない、そう考えると同情を多少はするが、さやかには上しか見えない。

 それからも図書室で時折勉強する時に出会ったり、教師に説諭を求めるタイミングが重なったりするものの、実力の差は圧倒的であった。

 そしてさやかは耐え切れず、ついに聞いてしまった。

「防人くんは勉強、どういう風にしてるんですか?」

 参考にもならない、必要のない質問である。

 けれどさやかはそれが気になった。初めて自分の向上に関係のないことを訊ねた。

「勉強……あんまりできてないんだ。学校の授業と先生に聞くぐらいで、家じゃほとんどできなくて……」

「いけませんよ。予習復習が基本です。それだからあなたの成績は……」

 つい口が滑った。

 さやかははっと口を押さえ恭二の顔色を伺ったが、何の反応もない。

「あの……」

「分かってるんだよ? これでも」

 苦しそうに笑っていた。

「柴口さんってたまにわからないな。自分のことを良く思っているのか、悪く思っているのか。今のは自分のことが出来る人だって分かってないと言えない言葉だよね」

 図星だった。浅はかにも自分と他人を比べ、その優越に浸ってしまった。

 それが恥ずかしく、愚かしく、惨めでみっともないことにしか思えなかった。

「ご、ごめんなさい! 私、どうかしていました!」

「謝らなくて良いよ。それは当然のことだから」

 さやかが分からないといった顔をすると、恭二はつらつらと述べる。

「人間は決して平等じゃない。誰かできる人がいて、できない人がいるのは当然なんだ。君はできる人の上の方にいて、僕はできない人の下の方にいる。そしてそれは嘲って普通、むしろずっとずっと上に行くだけの方が難しいよ。一流のマラソン選手だったらさ、後ろから走ってくる人を全く見ずに最後まで走りきるだろうけどさ、僕らそんなに強くないから、沢山下を見て、安心したり、危機を感じながら、ゆっくり上にいくものじゃないかな?」

 その意見に賛同するも反対するもさやかは考えなかった。

 たださやかが思ったことは、なんてこの青年は立派なのだろうかということだ。

 恭二はさやかに卑下された、馬鹿にされた、その尊厳を傷つけられた、なのに恭二はそのさやかを諭し宥め、それが当たり前だと言う。

「そ、そうでしょうか?」

 ここで肩透かしを食らったのは恭二である。てっきり向上心の強いさやかならば、『私はその一流のマラソン選手のようにならなければいけないのです』ぐらい言うかと思った。

「そうだよ、きっと」

 この時点でさやかが好意を持ったわけではない。けれどさやかの中で恭二がクラスで一番特別な存在になった。

 クラスで見る度奇妙な人だった。

 運動も学力も劣っているし、付き合う人間は海藤蝶子と雲岡幸人ぐらい。どうしてその二人との付き合いがあるのか全く謎なほど、二人と比べ凡人である。

 しかしどこか影があった。ふとした拍子に見せる悲しげな雰囲気があった。

 さやかはずっと気にした。学校では注意深く恭二を見て観察し、家に帰っては何があるのかと真剣に考え続けた。

 あくまで研究対象であり好奇心からの行動であるが、それはもう恋とは次元が別な感情だが、思いいれが強いのは間違いない。

 ただ、さやかはそれに気付いていない。

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