三日目アライズ
得美が出現して三日目、恭二達はさやかに謝る計画を立て、それを実行しようとしていた。
最初さやかと対面するのは、幸人だ。
「柴口さん、昨日はごめん。俺が蝶子ちゃんをからかいすぎたんだ」
「へえそう。話しかけないで貰える。別にあなたに怒っているわけじゃないから」
普段の幸人とは違いまなざしは真剣そのもの、態度も至って真面目だがさやかの反応は冷たい。脇にそれようとするさやかを、幸人は引き止めた。
「できれば、蝶子ちゃんを許してあげて欲しい」
「離して」
肩に置かれた手を振り払うと、さやかは席に座った。
当の蝶子はというと、得美と恭二と一緒に席に座って一部始終を見守っていた。
ひどく怯えた様子で、普段の快活な彼女の姿はどこにもない。
さやかは席に座ったが、生憎そこは幸人の隣であり、彼も自分の席に座ってなおも抵抗を続ける。
「本当に、むしろ俺が君に怒られるべきなんだって」
「もう気にしてないから」
いいながらさやかの目は一層鋭く、眉間に皺まで寄り始める。
「いったいどうしたら君は怒るのをやめるのかな?」
「消えて」
静かな、消え入りそうな声ではあったが、幸人はその中の強い意志を見た。
自分の席でありながら、そこに座ることが居た堪れず恭二の方へ逃げた。
「もう、これ以上俺には何も言えない」
と恭二に泣きつき、蝶子もすっかり怯えきった。
一番困っているのは得美である。
ますます恭二の幸福度は低下の一途を辿り、このままではマイナス一億一千万台にまで下がってしまう。
「では私が……」と得美が言おうとした時だった。
「柴口さん!」
得美の言葉を遮るように、恭二が立ち上がった。
ゆっくりと歩き、さやかの傍で立ち止まる。
「どうしたの?」
「二人のことを許してほしい。確かにとても嫌なことを言ったし、気分を害するのもわかるけど」
「どうしてあなたがそれを頼むの? あなたには関係ないんじゃない?」
「僕は、二人の友達だから。それに一緒に居たから、止めなかった責任もある」
本当は何度か止めたのに、二人が白熱した。恭二に非は一切ない。
さやかは先ほどまでの怒りよりも、上から目線ではあるが、興味深そうに反応した。
「友達だからかばうのね。それで私は、あなたの友達かしら?」
質問は突然に思えるが、友達なら自分の気持ちを察しろ、というさやかの想いを感じることができた。
が、恭二は正直ありのままを話す。
「僕は柴口さんのこと、よく知らないから」
その言葉の後ろにはまだ友達じゃない、と続くのだろ。、正面切ってそう言われると返す言葉もない。
「そもそも、謝るのならあの子が直接言うべきじゃない?」
さやかが睨んだのは得美の背で隠れる小動物のような蝶子の方だ。
短い悲鳴をあげ、恐る恐る蝶子が顔を出す。
他人の怒りに満ちた表情は、普段おちゃらけている蝶子には見慣れない。
「私は、あの子の話が聞きたいわ」
と恭二に目をやると、彼もそれをよしとした。
「う、うん……」
目をきょろきょろさせ、周りを気にしながら歩く姿はふだんの元気な蝶子よりとても小さく見えた。
ようやく正面に立つと、ますます蝶子は目をきょろきょろさせた。
「こっち向いて」
とさやかが言うと蝶子はびっくりして目を合わせた。
「それであなたは何が言いたいのかしら?」
高圧的で、背もさやかの方が高いため威圧感がある。
さやかの前では蝶子はウサギのような食われるだけの小動物である。
「えっと、えっとね」
鋭い目に蝶子は目を閉じ、少しわなわなと震えてから、飛んだ。
「きゃっ!」
「なっ、なにぃ!!」
と幸人が驚いた。
蝶子は背伸びしてさやかに抱きつき、体をひっしと抱き締めている。
「な、何をしているの!?」
耳元で、蝶子は小さな小さな声で。
「ごめんね、ごめんね。本当に……」
それ以降はもう言葉かどうかも判別できないほど声は震え、小さくなった。
間がないほど抱きしめられ、同時に蝶子の体の震えが直接伝わることでさやかは弱い者に対する情が湧いたのかもしれない。
そして同時に、この人に少し馬鹿にされたぐらいで私は何を怒っていたのかと一種の馬鹿らしさすら感じた。
「私もごめん、怖かったよね」
逆にさやかは小さく笑みを浮かべながら、蝶子を抱きしめ返した。
「レズか!」
叫ぶ幸人を、恭二は何も言わず二度叩いた。グーで。
ようやく得美の思惑通りにことが進むと思いきや、そうは問屋がおろさなかい。
何があったかというと、なんと蝶子とさやかが仲良くなってしまったのだ。
昼休みまでの休み時間、二人は仲睦まじく会話し、楽しそうに笑いあい、そして親友独特の空気を纏っていた。
「百合か?」
「幸人、いい加減にしておいた方がいいよ」
恭二は幸せそうな二人をみて幸福度を上昇させるが、やはり微々たるもの。
もし幸人の言うように二人がこのまま結ばれたら、そうはなくとも恭二なんてどうでもいいとなってしまったら、ドキドキハーレムが完成せず得美はもうお終いである。
が昼休み。
「恭二くんにこれを進呈しまーす! じゃーんじゃーじゃじゃーんじゃーん!!」
と蝶子が賞状を渡すように渡したのは、弁当箱である。
「ん、なんだいこれは?」
「いつもいつもチャーハンだから、おかずを作ってあげたんだよ! 私の料理と幸福を一緒に噛み締めることができるなんて、かぁーっ! この幸せ者っ!」
「いいの? 本当に貰っちゃって」
「いいのいいの! 私これからさやかちゃんとご飯だから!」
そのさやかは、突然蝶子がちょっと待ってて、と言ったために自席で待っていた。そしてその様子を肉眼に映していた。
男子二人と得美の昼食、まず口を開いたのは得美である。
「いやホント、非常にいかんですな」
「何がいかんの?」
得美の語調を真似て恭二が訊ねる。彼は蝶子のおかずを見て顔を綻ばせている。
「このままでは、恭二が幸せになれません」
得美の言葉に、幸人も顔をこわばらせた。
「いや、僕今かなり幸せだけど?」
「恭二はもっと欲張ってください。欲しいものはなんでも言ってください。もう何でもあげちゃいますよ?」
「恭二、体を求めるべきだ。今この青春という短い時間の中、こんなことを言っている間に……」
得美が幸人を殴った。
「不用意な発言はよしてください! そういう言葉が彼を傷つけるんです!」
幸人の言葉のために恭二の幸福度が下がったのだが、恭二も幸人もそれを知らない。
何もせず食事を続けながら談笑するだけでは、幸福度は上がるが減った分を取り戻すことができない。
「恭二の悩みを解決しましょう!」
得美は人前で恭二と呼ばないようにしていたが、もうなりふり構っていないらしく平然としている。
「悩みか……恭二、何か悩みはあるのかい?」
「今朝なくなったけど」
「いや、他に。彼女が欲しいとか女が欲しいとか肉……」
「お肉なら今食べてるけど」
肉という言葉の後に様々な可能性があるのだが、こういう時恭二は何かを敏感に感じ取り有無言わせぬ力強さを持って、幸人を閉口させる。
「青春ですね、高校二年生、ロマンティックでダイナミックでダイナティックな生活を送らねばいかんのですよ!」
「おお得美ちゃんは分かってるねぇ!!」
恭二には何の話か分からないので、淡々と食を進める。
「やっぱり恭二にはドキドキエロハプニングが必要なんですよ!!」
「得美、昼休みにそういうことを言わない」
「いや恭二、そんな態度だからダメなんだ。高校生たるものもっと貪欲に煩悩に従って生きていくべきだぞ? ほらこの小説でも、女子寮に侵入したり女風呂に入ったり女子トイレに入ったり女子更衣室に……」
「二人とも怒られたいの?」
周りの視線は既にこの三人に注目している。
得美と幸人は目立っても構わないが、恭二は他人との談笑により幸福を得るというのにそれを非常に嫌っている節がある。
幸人も恭二の幸福のため活動しているが、自ら率先して恭二の話し相手になっているため、他の生徒が恭二に話しかけづらくなっている。恭二を想っての行動が、逆に恭二を不幸にしていることに気付いていない。
それは得美も気付かなかった。彼女は当初の計画しか考えていなかった。
そんな得美が現在考えていることは、やはりハーレム計画、そしてその失敗の因。
さやかが蝶子に恭二を譲ったのは、恭二の魅力が足りないからだと思い込んでいる。
もし恭二がもっと格好良いなり賢いなり優れていたならば、さやかは蝶子に譲らずなんとしてでも自分の物にしたいと思うだろうから。
「恭二、服でも買いに行きますか? それとも整形とか?」
無論、恭二の幸福度は下がりに下がった。
さやかはドキドキしながら食事をしていた。
友達との食事というのは彼女にとって初に近い体験であり、蝶子もさやかとの食事に不思議な昂揚感はあったが、さやかのそれは蝶子の比ではない。
何よりさやかは、蝶子が手作りと思しき弁当を、なんと恭二に渡したのを見た直後である。これにはドキドキせざるをえない。
「ね、ねえ蝶子、さっきのあれって、何かしら?」
「ん、さっきのあれって? なに、なんのこと?」
純心に疑問符を浮かべる蝶子に、なおも緊張しつつさやかは訊ねる。
「なんのことって、あれよ、お弁当、恭二くんに渡したじゃない?」
「ああ、あれ? えへへのえへ、恥ずかしいなあもう。あんまり大きな声では言えないよう」
などと、顔を赤くしふりふりと体を揺らす様子はまさしく新妻。
「へ、へー、恭二くんとはそういう関係なんだぁ」
極力平静を装っているつもりらしいが、誰がどう見ても動揺しているし、声も上ずっている。
「そ、そういう関係? ま、まぁ、それはまだなんだけどね」
パッとさやかの顔が明るくなった。
「あ、そう! まぁ、そうよね。まだ高校二年生だし、そういうのは早いし、そもそもそんな、うん、ねぇ」
すっかり安心したさやかに気が障ったのか、かちんと来たのか、蝶子は対抗した。
「いや確かにまだ早いかもしんないけどさ、高校二年生なんてジェットコースターだよ、F1だよ? もう明日には彼氏彼女の関係なんて……ひゃあ、出産しちゃうよ!」
「それはしないと思うけど」
あまり青少年の健全な成長の上でよろしくない言葉が出たため、少し怒った風にさやかは注意した。
が、確かにこの時期の若者というものは過ちを行う可能性は大いにある。あのような行動にでる蝶子が、いったいいつ何をするか知れたものではない。
とまで考えてようやく、さやかは自分が何を考えているかに気付いて恥ずかしくなった。
恭二は蝶子に任せると得美にも言ったではないか。なぜそんなことを気にする必要があるのか。
別に音速でも光速でも、二人がどれだけそういう関係になることが速くてもさやかには関係がないのだ。精々友達に先に彼氏ができるという程度のことでしかない。
関係ない、と何度思っても、頭から離れることはなかった。
放課後である。
「あ、恭二は先に帰っておいてください」
「そう? なら行くけど……」
ほんの少し幸福度は下がった。だがこれはこれからの幸福のため、幸福のための不幸。
幸人と得美は、家とは反対方向を二人で歩いた。
「雲岡幸人、お前に話すことがある」
「どうしたんだい得美ちゃん、また仰々しい態度で」
学校ではそこら中で部活動をしているために話すことができない。その会話は、誰にも聴かれてはならなかった。
だから、歩きながら話すという形式をとった。
「幸人、実は私は人間ではないのです」
幸人は表情を神妙にすることも、ニタニタ馬鹿にして笑うこともなく、ただ変わらずに言う。
「細かいことはいいからさ、要は恭二を幸せにするための話でしょ?」
「おお、話が早くて助かるっす。それで説明なんですが、小規模なことなら超常的なことも私はできるわけで、何か良い方法はないっすかね?」
以前と会話の内容は近いが、大きく違うのは二人の関係である。
ただ他人、情報を引き出すための敵対にも近い関係から、同じ目的のために努力するとなれば会話の意味も大きく変わる。
「超常的なことか……。本当に彼はエロで動かないからねぇ」
「思ったんすけど、エロで動く人っているんすかね?」
「恋愛に東奔西走する海藤蝶子はその限りだと思うよ。恋愛もエロも欲望においては性欲に順ずる。いわば蝶子ちゃんはエロのために嫉妬したりやきもきしたり怒っているんだよ」
それは極論といわざるを得ないが、得美には筋が通っているように聞こえたのでふんふんと真剣に頷いた。
「そう考えると、人間誰しも性欲は抑えられないから、恋愛やエロは嫌だ嫌だと口で言っても本当はちょっと嬉しいと思うんだ。だから俺はこういうことをしている」
恭二からしてみれば非常に迷惑な話だが、確かに恭二も得美の色仕掛けのような発言で、ほんの少しなれど、幸福度が上昇したことはあった、と思える。
「なるほど……バレない程度のエロハプニングを絡めつつ、ドキドキハーレムプロジェクトを遂行しましょう」
「ドキドキ……なんだって?」
そして得美は今恭二と同居していることなど全ての経緯を話した。
幸人はさやかに謝罪した時のような真剣な表情を見せ、じっくり考えた後、前言撤回した。
「君が人間らしく振舞ったら良いと思う。君が、恭二に甘えて、我侭を言って、自由にして、そう、自由にだ! 何も恭二を幸せにしてあげようなんて思わず、無力な少女として恭二に面倒を見てもらえばいいよ!」
思いついたように白熱して幸人は言うが、得美は納得行かない様子である。
「それじゃダメでしょう、欲を満たさせないと……」
「君は分かってないな。人間なら分かることだよ?」
「は? わけわからんっす、教えてください」
「駄目だ。それは自分で気付くべきだ。俺の言われたとおりにすればいずれ気付くよ」
それだけ言うと幸人はもう帰るといって得美から離れた。
得美からすればもう少し話をしたかったのだが、幸人は早く彼女を家に帰した方が恭二のためになると考えたのである。
自信家の得美からしてみれば、自分が行動して恭二が幸せになるのが最良の手段であり方法であると思えてならない。それなのに何もするなと言われては不平を持つのは当然なのだ。
さやかは、陸上部の見学をした。
運動音痴のさやかは勧誘されることもなく入る意志もないが、蝶子が走る姿を見ようと思ったのだ。
蝶子は『は、恥ずかしいよ~、私走ってる時は獣の眼をするとか、笑ってないとか言われて傷ついてるのにぃ』と大層嫌がったが、さやかはそれが見たくて来た。
男子も女子も入り乱れ、大きなトラックのうちほんの一列を並んでいる。
火薬を使わず顧問の声で全員が走り出すと、瞬く間に蝶子の表情は変わった。
ウォームアップとやらを始めた時点でさやかとはほとんど口を聞かず真剣な表情をしていたが、それでも顔を合わせると勇ましい笑顔を見せてくれた。
だが、走り始めた蝶子は確かに獣の眼というに相応しく勇敢で、前以外何も見えていない様子だった。
後ろを走る選手は当然、前に走る選手すら見えていないような、ただゴールを、何周も周った後にあるゴールだけを見ている、そんな具合だった。
ようやく蝶子が走るのを止めた時、顧問はつい大声で叫んだ。
「千五百メートル四分十六秒二三! 蝶子、絶好調だな!!」
歩を止めず、しかし蝶子は顧問に笑顔を見せた後、さやかに笑顔とサムアップを見せた。
続々と他の選手がゴールするうち、蝶子は歩きながらさやかの元に来た。
「それじゃ、柔軟、手伝って」
息を切らしながら、けれどいつも教室で見せるような柔らかい笑顔を見せた。
さやかは安心して、言われるがまま行動をとった。
その他蝶子が部員との会話を交わしたり水分を補給したりスポーツのサプリメントを食べた後、部は解散になった。
この日は前半にタイムを確認するため運動場の八割を占有した為、後は他の部活に明け渡す予定になっていたらしい。
「今日余裕あるからさ、カラオケ行こうぜ!」
勇ましく蝶子が言うと、少し困った顔でさやかは返事した。
「カラオケ? 私、音楽の授業以外人前で歌った事ないのだけれど?」
蝶子は今まで見せたことのないような表情を見せた後、自ら派手にすっころんだ。
「ぎゃふーん!!」
さやかは孤独を全く苦にしないし、人付き合いも良い方である。そんな中途半端な立場にあるためこういったイベントには疎く、誘われることもなかったのだ。
即座に蝶子は起き上がり、笑顔を見せてさやかの手を握る。
「じゃあ二人で行こうよ! 町を歩こう、タウンウォーカーしよう!!」
特にさやかに断る理由はなかったので、そうすることにした。
結果としてさやかの物知らなさに蝶子は驚愕の連続だったが、二人の仲はますます深くなった。
自宅で一人恭二は勉強していて、次のようなことを考えた。
一人で勉強をするにも限界がある、しかし学校に残ると家庭に不安が残り、塾もまた金がかかる。
彼は倹約家であるようだが、あくどい商業で金を騙し取るように稼いだ父の金を極力使いたくないということと、自身の唯一といってもいいほどの拠り所であるそれを長く残しておきたいという願望があった。
そのためテレビも娯楽もなく、同じ教科書やノートを延々とめくり見続けるだけの勉強しかすることがない。
彼にとって孤独は、自身の存在する罪と向き合う時間であり、あらゆる作業が苦行になっている。
いまや、彼にとって得美は唯一の娯楽といってもいいほどであった。




