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Defenders  作者: 石原健司
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第一章 赤い太陽の下で・9

     9

 

 

「くそぉ!」

 すでに何回も繰り返した悪態と共に衛は携帯電話を切った。

 やはり誰も出ない。

 これではなんのための緊急番号かわからないではないか。

 衛は保健室のベッドの上で横たわる凛を思いつめた表情で振り返った。当然だがなんの変化も見られない。あれだけの重傷を負って動けるわけがない。

 またしても不安に襲われ、衛は恐る恐るベッドに近寄り、覗きこんだ。

 凛の顔は、衛によって巻かれた包帯でほとんど覆われていた。僅かに露出した唇も、打撲によって膨れ上がり、いくつかの切り傷が刻まれている。その痛々しい口元に衛は頬を寄せ、もう何度も行なっていた呼吸の確認をする。

「……良し」

 わずかではあるが確かにある彼女の呼吸を認め、衛は身体を起こすと大きくため息をついた。もしかしたら自分が行った応急手当がそれなりに功を奏したのかもしれない。剣道部での練習中に何度も怪我した経験が役に立ったというわけだ。

「……んなわけねーだろ」

 衛は我知らずベッドの足元の方のパイプを握りしめていた。左手が鉄のパイプを握り潰さんばかりに強く掴んでいた。青児を全力でぶんなぐってまともに動かなくなった右手もぶるぶると震えている。

 今、凛が生きているのは彼女自身の生命力のおかげだ。それも奇跡的なほどの。

「僕はなんの役にも立ってねー……」

 守れなかった。

 全然。

 全く。

 少しも。

 カスほども。

 完全なまでに。

「衛、って名前なのにな」

 衛は自分の名を憎しみを込めてつぶやいた。こんな名前をつけた両親を本気で恨んだ。

「まー、くん……」

「凛!」

 永遠に閉ざされたままだと恐れていた凛の口から漏れた呼びかけに、衛は一瞬で我に返り、彼女の顔を覗きこんだ。

「気がついたか?!」

「ん……」

 凛は、包帯で作られたボールのような有様の頭を僅かに動かす。

 そんな彼女の動作に、衛の両目から涙がぼろぼろ溢れだした。

「ごめん。ごめんよぉ……。僕は、僕はお前を……全然、守れ、なかった」

「まー、くん……泣い、てる……の?」

「わ、悪い……辛いのは、痛いのは、凛の方だもんな。僕に泣く資格なんかないもんな。でも……でも、僕は!」

「泣く、なよぉ……」

 凛の紫色に膨れ上がった唇の両端がわずかに持ち上げられた。

「悪い、悪かったよ……」

「や、くそく」

「え?」

「約束、守ろうと、して、くれた」

「けど!」

「私は、わかって……る、よ」

「でもそんだけじゃ意味なんて」

「……最後、かも、だから」

「え?」

「これ、だけは……伝えておこう、って……」

「おい? ちょっと待てよ!」

 そのまま凛の言葉が絶えた。

 衛の全身から、音を立てそうなほど急速に血の気が引いた。

 真っ青になった顔を、今度もまた凛の口元に寄せようとした、その時。

 保健室の引き戸がノックされた。それも、債務者のもとに押しかけた借金取りのごとく荒々しく。

 見つけられた?!

 衛は咄嗟に身を起こした。

 凛を連れて逃げなければ。こんな状態で担ぎ回して凛の身体が保つか怪しいものだが、とにかく逃げなければこの場で今度こそ彼女は殺されてしまう。

 立て続けに打ち鳴らされているノックを背に、外から見られないよう引いてあったカーテンに手をかけた。窓からなら逃げられるかもしれない。

「うわっ!」

 カーテンを開いた衛は思わず悲鳴を上げた。

 顔だ。

 いくつものいくつもの顔が、窓一面にびっしりと張り付き、こちらに虚ろな目を向けていた。それは人間がというより虫がたかっているようだった。どの生徒たちの顔にも生気はなく、ぼんやりと締まりのない表情を浮かべている。

 背後で大きな破壊音。

 振り向くまでもなく、戸が破られた音だ。

 絶望的な気分で衛が振り返る。

 無残に壊された入り口に立っていたのは

「……青児」

「よお、衛」

 青児は前歯のない口で笑みを浮かべてみせた。歯もほとんどなく、顎の動きも怪しいので実際には「ひょぉ、みゃもぉりゅぅー」としか発音できていなかったが。両手にはそれぞれ竹刀を手にしている。青児の背後では、この部屋に入らないままこちらを見物するかのように、男女を問わない多くの生徒らの姿が立ち並んでいる。その中には教師の姿もあった。

「なにしに来た、青児」

 恐怖を抑えこみ、腹に力を入れ衛は問いかけた。

「わかってるくせに」

 青児が口を動かすたび、口から流れっぱなしだった血と唾液が飛び散った。

 ひゃはってふふせひ。

「凛か?」

「は? 凛?」

 青児は不愉快そうに顔をしかめた。

「凛だって? なあ、衛、お前いつから俺の女を下の名前で呼ぶようになったんだ?」

「え? い、いや、つい昔の癖で」

 衛はこんな状況だというのに気恥ずかしくなった。

「お前、キモい。ウゼェよ」

「は?」

 予想外の青児の言葉に衛は驚いた。これまで彼がそのような単語を使っていたことなど記憶になかったからだ。コイツは本当にあの青児なのか?

「なにびっくりしてんだよ、衛」

「別に」

「びっくりしてんのはこっちだよ、衛」

「なに?」

「なぜ、その女を守ろうとしてるんだ? え? 衛」

「あ、当たり前だろ! こんな、こんな無茶なことをされていて……」

「はあああああああ? 意味わかんねーよ、お前のいってることが」

「なんだと?」

「その女はな、衛」

 青児は心底軽蔑しているような顔で凛の方に顎をしゃくった。

「俺たちの世界の敵、なんだよ、衛。害虫みたいなもんだ。害虫は叩き潰さなきゃな、スリッパの裏とかでよ」

「なにいってんだ。意味わかんねーよ、青児」

 いよいよ狂ってる。衛はますます募る恐怖とともに、怒りが沸き上がってきた。こんな狂った理屈で、凛がこんな目に遭わされてしまっている。

「守るなんてやめとけよ、衛。正義はコッチにあるんだからな」

「知るかよ。守るぞ。僕は守るぞ、絶対に」

「この状況で?」

 青児がわざとらしく周囲を見回した。

 びっしりと並んだ顔顔顔。そのどれもが虚ろな目をこちらへと注いでいる。

「守る!」

 衛は自らを鼓舞するためにも大きな声で断言した。

 出来るか出来ないかではない。やるしかないからやるのだ。

 青児はその答えに、しばし呆気に取られたようだった。

「マジかよ?」

「約束だからな」

 衛は力強く頷いてみせた。

「約束ねえ……」

 青児は呆れた様子で、両目をぐりぐりと回した。これも以前の青児には見られなかった仕草だ。

「なら俺と約束しないか?」

「なに?」

「賭けだよ」

 虚を突かれた衛の前に、青児は持っていた竹刀の片方を投げ出した。

「賭けってなんだよ?」

「試合だよ」

「試合だと?」

「剣道の試合。衛が勝ったら俺らは凛を殺さねえ。俺が勝ったら衛はこの場からいなくなれ」

「凛の命を賭けるってのか」

「そういうことになるかな」

 しょーひゅーこほになふはな。

 衛は改めて周囲を窺った。不意をついて突破しようなど考えるだけ無駄としか思えない。人垣は何重にもある。映画の中のヒーローでもどうにもできそうにない。

「そのセリフ、本当だろうな?」

 衛は竹刀を拾いながら問いかけた。

「約束は、守るさ」

 青児は肩をすくめて答えた。

「約束、だからな?」

 衛は構えをとった。

「衛が勝ったら、の話だけどな」

 青児も持っていた竹刀を構えた。


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