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Defenders  作者: 石原健司
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第一章 赤い太陽の下で・5

    5

 

 

「変な味の飲み物だのう」

 そう評しながらも少女は、衛が持ってきたコーラを気に入ったようだった。なにせ訝しがりながらも口をつけるや否や、一缶を一気に飲み干してしまったくらいだったから。

「それは良かった」

 衛がしかめっ面でそれに応える。

 わざわざ校外にある自販機まで行って買ってきたものだ。不本意な労力がそれなりに報われたというわけだ。禅問答じみた議論で頭の中を豆腐のごとくぐちゃぐちゃにされた状態の上に、彼女の麗しき目でもって見つめられれば、唯々諾々と命令に従う他なかった。

 早い話が易々とパシらされてしまった。なんとなく彼女にはひとを使い慣れているという印象がある。これほどの美貌なだけに、周囲を忠犬よりも忠実な愚かしき男性諸氏に取り巻かれていても不思議はない。

 相手が男を使い慣れているのだから仕方がない、と衛は自尊心を慰める。

「名は?」

「え? 太刀川衛だけど」

 なにげなく問われ反射的に衛は答えてしまった。

「お主ではない。この飲み物の名だ」

「あ、そりゃ失礼。コーラだよ」

使塚清流しづか せいりゅうだ」

「は?」

「私の名だ。そちらが名乗ったというのにこちらが名乗らないわけにもいくまい」

「それはどうも」

 思いがけず目の前の美少女のなを知ることとなった。これで一応、自分は絶世の美少女と少なくとも、お知り合いというほどの関係になったわけだ。だからといってどうということもないのだけれど、それでも(外見だけは)麗しき可憐な少女とのつながりがもてたという事実は、衛にはちょっとした幸運に思えた。少なくともコーラ一本分の元くらいはある幸運だ。例え当の少女が自分より、今飲み干したばかりの赤い缶入り飲料の方に大いに関心を寄せているとしてもだ。

「コーラか。ふむ」

 清流は、輝かんばかりの勝利の聖杯のごとく空き缶をかかげ、今しがた喉を潤した記憶にひたりきっているかのようにうっとりと眺めていた。もし、この姿を飲料水メーカーの広報担当者が目にしたら、彼女を広告用ポスターのモデルにするために何百万ドルもの大金を積んでも惜しいとは思わないだろう。実に見事な情景だ。

「このコーラというものはどこが製造しておるのだ?」

「それに書いてあるだろ、コカ・コーラ社だよ」

「ほう……コカ・コーラ社」

 清流が賞賛の念のこもった声で社名を繰り返した。

「まさかコーラを知らなかったとか?」

 衛が冗談半分で問いかける。

「初めて知った」

 真面目にそう答えられ、衛はどうにも微妙な表情しか返せなかった。反応に困った。アフリカのマサイ族が携帯電話を使いこなすという現代において、コカ・コーラを知らない? 飲んだことがないというならまだわかる。”健康万歳教自然食万能派信者”である親に育てられたとかなら、子供の頃から手に触れるのも禁止されて育ったということもありそうだ。衛はどちらかというと、”マクドナルドのハンバーガーにかぶりつくたびに自分の親がそんな狂信者でなくて良かったと神の采配に感謝しよう派”の人間だ。しかしコーラの名前すら知らないとはありえるだろうか? 仮にコンビニすら行かせてもらえないような箱入りお嬢様育ちだとしても、街を歩いていて、あちこちに設置されている自販機の存在すら目に入らなかったということがあるのか。

 あるかも知れない。衛は思い直した。人間は自分に関心のないものが視界に入ってもその存在にすら気づかないものだ。何年も通いなれた通学路でさえ、こんな店があったのかと気づかされるなんてよくあることだ。

「このコーラを知っただけでもここに来た甲斐があった」

 清流は困惑する衛を余所にしきりに頷いていた。

「それは良かった」

 衛は努めてさり気なく相槌をうった。少々声に抑揚が足りなかったが。

「この上に本懐を遂げられれば申し分なし、なんだがな」

「本懐? ここに来た用事のこと?」

「まあ……仕事で、な」

 妙なことに清流は照れるような口調だった。ほんのり頬まで染まっている。

「仕事? 使塚さん、学生じゃないの?」

「学生は副業みたいなものだ」

「へえ……」

 あまり聞かない表現だなと思ったが衛は黙っておいた。

「まあ、今日は、仕事といっても、名目上は単なる調査だがな。実質的にはちょっとした気晴らしの散策といったところか」

「そりゃまたぶっちゃけたことだね」

「ふふ……」

 清流からこらえ切れないというように笑みがこぼれた。どうやら楽しみで仕方のないことがあるようだ。しかもそのことを口にしたいという彼女の思いが、ありありと衛にもわかるくらい伝わってくる。なにせ清流がしきりと目配せしてくるからだ。その目が質問をしろと誘っていた。いや、強要していた。

「ええと……他にも用があったり、するのかな?」

 役者の才能のなさを自覚しながら衛は仕方なく質問してみた。

「これはあくまで私的な秘密なのだが、先ほどのコーラの借りもある。気は進まないがお主にだけは教えてやらなくもない」

 どうやら役者の才能は清流も皆無らしい。

「もしかして恋人に会いに来たとか?」

 衛が適当な思いつきを口にする。

「いや! まだそこまでの関係ではないぞ!」

「……」

「……」

 どうやら的中したらしい。

「あ、そーなんだ……」

 なんだか気まずい。

「知人。知人に、会いに来たのだ、私は。久方ぶりに」

「そ、そっか。うん、そっかそっか」

「誤解をするな。それは思い違いだ。向こうが会いたいだろうと思ってな、私は仕方なくわざわざ訪れてやったというだけのことだからな」

 清流は役者どころか嘘をつく才能すらも皆無だった。

「きっと相手も喜ぶと思うよ」

「そうだろうか?」

 衛の口から出まかせの御愛想に、清流は思いがけず不安げな顔をした。これだけの美少女に想いを寄せられそれに応えない男が存在するとは衛には信じがたかった。この少女は、口さえ閉じていればただ単に突っ立ているだけで生きた美術品といっても過言ではないような美しさだ。街を歩けば誰もが振り返るだろう。今すれ違った女性のあまりの美しさに、自分の目が信じられなくて。衛にしても今こうして会話を交している少女の美しさを、あとになって誰かに説明できる自信などない。千言万語を尽くそうと不可能だ。彼女は、浦島太郎が亀に連れられ訪れた竜宮城と同じだ。絵にも描けない美しさ。

 その美貌と表すのも陳腐な美しき顔に憂いをたたえ、清流はため息をついた。

「男心とはわからんものだからな」

「うーん」

 衛としても唸るしかない。我が身も片恋中ではあるが、それとは全く次元の違う話に思える。一等三億円の当たりくじを目の前にして心動かぬ人間がいるだろうか。

「そのひとはどんなひと?」

「そうだな……」

 衛の純粋な好奇心からの質問に、清流は顎に人差し指を当て考え込んだ。

「歳は? 同級生?」

「それは……」

 悩みながら中空を睨んでいた清流が、何気なく空に目を向けた。

 その顔に驚きが浮かんだ。

「どうした?」

「空を見ろ」

 視線を上に向けたままの清流に促され、衛は空を見上げた。

「な……!」

 空には太陽があった。

 衛はその太陽をまじまじと見つめた。裸眼にもかかわらず、その目が痛むようなこともなかった。

 赤い太陽。

 凝固した血痕のような色の太陽。

 梅雨の合間の青空を、衣類に血が染みこんでいくように、太陽の赤が広がり、侵食していく。

「なんだ、これ……」

 衛が呻く間にも、空はすっかりと赤く染まりきる。と同時に、周囲の風景もまた同じく不吉な赤と変じていた。

「これは拙いぞ」

 清流のつぶやきが、衛の耳に聞こえた。

「なあ、これって……!」

 少女の今の言葉の意味を問いただそうと、衛が振り返る。

 しかしそこには誰の姿もなかった。

 目の前には異様な赤に染まった光景が広がっているだけだった。

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