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Defenders  作者: 石原健司
10/11

第一章 赤い太陽の下で・10

     10

 

 

 なんてこった。

 衛は内心後悔していた。

 よりによってあの青児との試合に凛の命を賭けるなんて。

 他に選択肢がなかったとはいえ、相手はあの灰原青児だ。

 一年生のときに県大会個人戦でベストエイトに入賞する県下でも屈指の実力者だ。

 片やこちらは自他共に認める部内最弱の剣道部員。公式練習問わず一度として勝利を手にしたことのない太刀川衛。

 彼我の戦力差は、双方充分過ぎるほどに知る間柄だ。

 衛が勝っているのは練習量だけ。

 頭が狂ってはいても、青児の構えにはまるで狂いがない。

 普段通りに、隙のないどっしりとした見事な構え。

 普段なら、構えだけなら衛も青児にだって引けをとらない。なにせ練習だけなら血豆を何度も潰すほどやってきているのだ。

 しかし今の衛の構えは初めて竹刀を持った素人同然だった。絶対に負けられないというプレッシャーが全身の神経を痺れさせていた。

 なんのつもりか知らないが、青児は凛の命を賭けた剣道の試合を申し込んできた。初めから結果の見えた試合をだ。

 もしかしたら自分に対する嫌がらせなのかもしれない、と衛は感じた。例え凛を守りきれなくても雄々しく敵の群に立ちはだかるという行為をではなく、青児ひとりに打ちのめされ惨めにも凛の命が奪われるのを眺めているだけという行為を取らせようとして。

 ふざけやがって。

 衛の胸の怒りが新たな怒りがこもる。

 しかし、それだけで勝てる相手ではない。屈辱感だけで勝てるものなら、衛はとっくの昔に最弱剣道部員の名など返上している。

 負けられないのだ。

 絶対に。

 今勝たずしてこれまでの練習の意味はなんだったというのか。

 お主にとっての意味とはなんだ?

 不意に、使塚清流と名乗った少女の問いかけが心の中に蘇った。

 衛にとっての練習をしてきた意味。

 それは今だ。

 今、この時のため。

 天神凛を守るため。

 そのためにこそあった。

 県大会とか部内のランキングとかなどどうでも良い。

 今、天神凛を守るために勝つ。

 それが衛が練習をしてきた意味。

 衛が豁然とそれを悟り、次の瞬間には、竹刀が青児の面を打っていた。

「な……!」

 一本をとったものの衛は半ば信じられなかった。しかし現実に自分は勝利した。それもこれまでの剣道歴の中で初めての勝利だった。

「な……?」

 打たれた青児も呆然としていた。竹刀によるダメージよりも、心理的な衝撃の方が大きかっただろう。額から新たな血を流しながらもしばし立ち尽くしていた。

「勝った……? 勝ったぞ!」

 初めは信じられない思いから不安だったものの、すぐにその勝利を自分に納得させるかのように衛は叫んでいだ。

 歓喜の念のよりも、達成感にその身が満たされていた。

 守った!

 これで凛を守れた!

 次の瞬間、衛は床に押し潰されていた。声もなく押し寄せてきた生徒らの群れに背後からのしかかられたからだった。

「いやあ、まさかね。驚いた」

 血を流したまま拭いもしない青児が、驚嘆の表情で見下ろしている。

「青児! なんのつもりだ!」

 背中からかけられる十人近い人数の体重に肺まで圧迫され、息もままならない衛が必死に叫ぶ。

「俺なりの友情だったのになあ」

 衛の叫びを無視して青児が続ける。

「お前がなんでか必死に邪魔するからよ、俺としても困ったわけよ。だってそうだろ? 大事な友人を傷つけたりはしたくないわけよ、俺としては」

「青児……!」

「なんつーか引き際? お前にそういうのをくれてやれば、諦めるとか思ってよ。それに俺になら負けてもしょうがないって言い訳も立つしな」

「お前……!」

「そんな俺の友情を踏みにじるようなことしでかしやがって……ホント、お前ってウゼエよなあ?」

 青児の語りの最中にも衛は呼吸を維持するのに必死だった。少しでも気を抜けば肺の中の空気を全部押し出されそうな圧力に、肋骨まで砕けそうだった。

「さて、と」

 青児が衛を見捨てるように背を向けた。その先にはベッドがある。凛が横たわっているベッドが。

「やめろ!」

 全身を圧搾しつつある重みも忘れて衛が叫んだ。

「なにを?」

 悠々と歩を進めながら振り向いた青児が聞き返す。

「殺すな! 約束だ!」

「殺しはしない。約束は守るさ。友達だもんなあ」

 クスクスと青児が笑った。

「じゃ……!」

「ちょっと、やってみようかというだけのことさ」

「……は?」

 足を止めた青児が衛の方に向き直る。

 そして、左手の親指と人差し指で輪を作り、その穴の中に右の人差し指を出し入れするジェスチャーをした。

「ま、この状態でやられた場合、命に関わる可能性もなくはないだろうがな?」

「お前……!」

 衝撃のあまり衛の頭の中が真っ白になる。怒りが全身を駆け巡り、のしかかっている連中すべてを振り落としてしまいそうだった。

 しかし現実にそんなことは起きなかった。

 踏み潰される寸前の虫のごとくもがき、呻くことしかできない。灼熱のごとき怒りのままにひたすら声を発しようとする。

「青児……! 約束を……!」

「ま、初めてだったかどうかはあとで教えてやるからよ」

 ニタニタ笑いながら青児が背を向ける。

 その背に向け、もはや哀願にも等しい響きのこもる言葉を衛が唱える。

「約束を……!」

「破ったな?」

 その小さな一言は部屋中の空気を凍らせるような響きを持っていた。

 青児が足を止めた。

 衛も足掻くのを忘れた。

 保健室を取り巻く群衆も息も忘れたように固まった。

 誰だ?

 衛はこの声に聞き覚えがある。

 よく知っている。

 しかし、違う。

 なにがどう違うのかはわからない。

 違うということしかわからない。

 衛の胸中から湧きでた得体の知れない不安の雲がたちまち全身に広がり皮膚を破り飛び出さんばかりに大きくなる。

「この私の前で交わした約束を、この私の前で破るのか?」

 その声はベッドの上から流れ出てきていた。

 青児は棒立ちのまま。

 衛も身動きひとつできない。

「それは捨て置けぬ、な。この私の名において」

 ベッドで横たわる人間がゆっくりと身を起こすのが衛の位置からでも見えた。その頭部は衛の手によって施された包帯によって覆われている。

「凛……!」

 青児が呻くように名前を呼んだ。その間にも、ベッドの上の人間の両足は床の上に降り立った。

「凛? 違うな」

「じゃあ、誰だよ……」

「そうだな……」

 青児の声が明らかに震えている。必死に恐怖を抑えながら。

 まるで破裂するように少女の全身を覆っていた包帯が飛び散った。その布はどれも木っ端微塵に切断されていたが、もちろんそんなことまでは衛に見て取ることはできなかった。それよりも少女の顔に目を奪われていた。

「お主たちのいうところの敵、かな?」

 少女は傷一つない顔に不敵な笑みを浮かべていた。


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