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子兎とシープドッグ  作者: 篠原 皐月
【本編】
12/26

(12)お局様の指導

 懇親会当日、業務終了後に綾乃が職場にほど近いビルの五階に入っているパブレストランに移動すると、かなり盛況なのが分かって多少怖気づいた。加えて自分の姿を認めた周囲が胡乱げな視線を向けてきたのを見て正直帰りたくなったものの、すかさず香奈が「お疲れ様」と言いながら歩み寄って来てくれたので、笑顔で挨拶を返す。そして少し遅れてお局社員として幅をきかせている笹木が悠然と現れた為、取り敢えず気まずい空気は押し隠された。

 その様子を祐司は少し離れた所から眺めていたが、予め弘樹から「トラブルの元になりかねないから、お前は引っ込んでろ」と釘を刺されていた為、心配しながらも同僚と話をしながらそ知らぬふりを決め込んでいたのだった。

 そして最初は職場ごと、または仲の良い者毎に各自テーブルに着き、全員にグラスが回った所で旗振り役の弘樹が乾杯の音頭を取った。


「それでは今夜は、普段の交流の少なさを払拭する様に、大いに飲んで語り合いましょう。乾杯!」

「乾杯!」

 そしてそのままの位置で皆飲んで食べ始めたが、十五分もすると自分の取り皿とグラス片手に、場所を移動し始めた。店を貸切にしている為、周囲の客の目を気にする事無く、目当ての人物のテーブル席を狙う者、飲み放題の為カウンターに陣取ってあれこれ作って貰って痛飲している者、そんな風に大抵は精力的に動き回っていたが、その片隅でひっそりしているテーブルがあった。


「君島さん、頑張ってるわね」

 ビールが入ったグラス片手に笹木が小さく笑うと、綾乃が顔を上げて聞き返した。

「え? 頑張ってるって何がですか?」

「遠巻きにされても、ちゃんと最後まで居る気なんでしょう?」

「勿論です」

 はっきりとした口調で断言した綾乃に笹木が笑みを深くすると、同じテーブルで黙々と料理を食べていた香奈が横から会話に割り込んできた。


「笹木さんもご苦労様です。ところで秋月先輩が君島さんの参加を渋ってたみたいですが、どうやって納得させたんですか?」

 その心底不思議そうな問いかけに、笹木はビールを一口飲んでから淡々と答えた。

「私が出ると言っただけよ」

「はい? ちょっと意味が分かりませんが」

「今回の参加者条件は独身社員でしょう? 私、子供がいるけど独身ですものね。文句言えないでしょう」

「うわ~、そうきましたか~」

 香奈が引き攣った笑顔で棒読み調子での感想を述べると、綾乃は笹木に驚いた視線を向けた。


「え? 笹木さんが独身なのはお伺いしてましたけど、未亡人だったんですか?」

「違う違う。いわゆる事実婚って形なの」

 笑って香奈が否定すると、笹木が女子社員達が固まっている会場の一角を指差しながら、意地悪く付け加える。

「でもあそこら辺の連中は、普段『事実婚なんて言って要は愛人でしょ?』とか『独身で子持ちって言われてもね~』とか陰口叩いてるから、『いつもあなた達が独身って言ってるのよ? 私が参加する事に何か文句あるの?』って言った上で、『これで総務部独身女性で参加申請を受け付けられて無いのは君島さんだけね。特定人物の排除なんてパワハラに関する社内規定に抵触するけど、そこの所どう思う?』と聞いたらあっさり認めてくれたわ」

「……お手数おかけしてます」

 恐縮しきりの綾乃に向かって笹木は苦笑いしてから、香奈に顔を向けた。


「どうって事無いわよ。それより宮前さん。頼んでおいた仕込みはどう?」

 その問いかけに、香奈が得意気な笑顔で胸を叩く。

「お任せ下さい。食いつくネタはバッチリ確保しておきました!」

「ありがとう。じゃあ頃合いを見て移動するわよ?」

「はい、それまでがっつり食べておきましょう!」

「そうね。ここのお料理、結構美味しいし」

「どうせ酒と男や女狙いで、皆大して食べないでしょうからね。余す位なら何かパック容器を貰って、詰めて帰りたいなぁ」

「私さっき貰ったわよ? 手提げ袋付きで」

「本当ですか? いつの間に……。私も貰ってこようっと!」

 何やら自分には良く分からない会話を交わす先輩二人を、綾乃は首を傾げながら眺めたが、それから二十分程してチャンスがやって来た。女子社員のグループが散って、あるテーブルに幸恵と清実の二人だけになったのを確認して、笹木が香奈を促す。


「そろそろ良いんじゃない?」

「そうですね。一足先に行きます」

「宜しく」

 そして香奈はグラス片手にゆっくりと二人のテーブルに歩み寄り、笑顔で清実に声をかけた。


「秋月先輩、ちょっと宜しいですか?」

「何?」

 怪訝な顔をした清実は勿論、話に割り込まれた幸恵も気分を害した様に見上げてきたが、香奈はにっこり笑って話を続ける。

「ちょ~っとお耳に入れておきたい事が有るんですが」

「だから何?」

「失礼します」

 一応断りを入れてから香奈が清実の耳元に口を寄せて何やら囁くと、清実は弾かれた様に立ち上がって香奈の肩をガシッと掴み、嬉々として叫んだ。

「ちょっと! それ詳しく聞かせてっ!!」

「構いませんよ? 少し人気の無い所でお話ししましょうか」

「そうね。じゃあ幸恵、ちょっと抜けるわね!」

「ええ」

 そして二人が連れ立って会場の隅の方に歩いていくのを見送っていた幸恵の耳に、穏やかな声が届いた。


「ここ、良いかしら?」

 愛想笑いを浮かべた笹木の一歩後ろに綾乃が立っているのを認めた幸恵は、不機嫌そうな表情を隠しもせずに立ち上がった。

「……どうぞ。空きますので」

「あら、わざわざ移って来たんだから、あなたに話が有るって思わないの? そんな無粋な事を言っていると、KY女と陰口を叩かれるわよ?」

 薄笑いを浮かべた笹木にそんな事を言われた幸恵は、舌打ちしながら椅子に座りなおした。そして二人も向かい側の席に腰を下ろしてから、刺々しい口調で尋ねる。


「話ってなんですか? 笹木さん、でしたか? あなたと私の関わり合いなんて、職場では皆無ですよね?」

「あのっ! 笹木さんは私に付いて来て下さっただけなので。私が幸恵さんとお話ししたかったものですから」

「それなら私は話なんてする気はないわ。それじゃあね」

 今度こそ立ち去るつもりで腰を浮かせかけた幸恵に、ここで笹木がのんびりとした口調で声をかけた。

「ちょっと待ってくれる? 実は私もあなたにちょっと話があるのよ」

「何ですか? 手短にお願いします」

 幸恵が本格的に苛つきながらも座り直し、そんな話は聞いていなかった綾乃が驚いて見守る中、笹木は淡々と幸恵に言い聞かせた。


「あなたがさっき言ったけど……、確かに普通だったら関わり合いになる筈が無いんだけどね、一応先輩として忠告してあげようかと思って。あなた、親や先生から『自分がされて嫌な事は、他人にしてはいけません』とか教わらなかった?」

「はぁ? 何を言ってるんです?」

「あなたでしょう? うちの秋月にこの子の身元を吹き込んで、尾びれ背びれを付けて職場内で吹聴させたのは。あなかが個人的にこの子を無視してるだけなら傍観してたんだけど、職場内で軋轢を生じさせる様な言動を意図的にするなら話は別だから、一言意見させて貰おうと思ってね」

 これまでの職場のあれこれが、幸恵が裏で糸を引いていた為などとは予想だにしていなかった綾乃は大きく目を見開いて固まったが、笹木に指摘された事で何やら切れたらしい幸恵が、ゴンッと持っていたグラスをテーブルに叩き付ける様に置きつつ絶叫した。


「はっ!! だったらどうだって言うんですか? この子が君島代議士の娘でうちの会社にコネ入社したって事は、れっきとした事実でしょうが!?」

 その内容に会場中が静まり返り、参加者の視線が幸恵と綾乃に集中する中、苛々しながら二人の様子を窺っていた裕司が血相を変えてすっ飛んできた。

「おい、何を揉めてんだ! こんな所で騒ぎを起こすな!」

 しかしそれで怒りが増幅されたらしく、幸恵が勢いよく立ち上がって祐司に怒鳴り返す。


「五月蠅いわね! ナイト気取りで人の話に割り込んで来ないでよ! 権力者にすり寄ろうと小娘に尻尾振って、チャンチャラおかしいわね!!」

「あの……」

「はあ? 誰が尻尾振ったってんだ!? 元はと言えばお前が考え無しに彼女の身元を言いふらしたせいでだな!」

「ちょっ……」

「それは事実でしょう! 周りに言って何が悪いってのよ!」

「その……」

「言って良い事と悪い事があるっつってんだよ!」

「だから……」

「こんなのが良いだなんて目も根性も腐ってるあんたに、そんな事言われる筋合いは無いわっ!!」

「二人とも、お願いですから止めて下さいっ!」

「ってえ!」

「きゃっ!」

 盛大に口論を始めた祐司と幸恵の前に立って、綾乃はおろおろとしていたが、何を思ったか渾身の力で勢い良く二人を突き飛ばした。そして綾乃は不意を衝かれて床に転がった二人の前にしゃがみ込み、涙目で幸恵と祐司の腕を取って訴える。


「私のせいで、喧嘩は止めて下さい。お二人には仲良くして欲しいんです!」

「どうしてそんな事、あんたに指図されなきゃいけないのよ! というか、人を突き飛ばしておいてその言い草は何!?」

「いや、これは……。喧嘩するつもりは無いんだが、幸恵の奴が誤解も甚だしい事を口にしているから、それを正さないと駄目だろう」

 憤慨した幸恵の叫びと困惑した祐司の弁解が済んだところで、さり気なく笹木が会話に割り込んできた。


「そうよねぇ、君島さんが高木さんを口説いたとかって言うのは、明らかに間違いよねぇ? 高木さんが君島さんを口説いたけど、君島さんったら、高木さんより荒川さんの方と仲良くなりたいからって、あっさりキッパリ門前払いで高木さんをお断りしたものねぇ? モテ男が可哀相に、ダメージ大きいわよねぇ……」

 しみじみとした口調で呟かれたそれは、静まり返っていた店内の隅々まで届いた。そして益々微妙な視線が突き刺さってくるのを遅ればせながら感じ始めた綾乃が、恐る恐る口を開く。


「……え? あ、あの笹木さん。お断りって言うか、何と言うか」

「だって、今お付き合いとか考えられませんとか何とか、人目のある所で言ったんでしょう?」

「そっ、それは確かに、そう言われてみれば、そう、ですが……」

 どう言えば良いのか分からず冷や汗を流し始めた綾乃だったが、ここで我に返った祐司が笹木に向かって盛大に抗議の声を上げた。


「笹木さん! 何て事言うんですか!? 確かに保留にはされましたけど、お断りされたわけじゃありませんよ! 何を根拠にそんな事を!?」

 その訴えに、笹木は店の一角を指差しながら、事もなげに告げる。

「ニュースソースは、あそこで腹を抱えて笑ってるけど?」

「……っ! ……はっ、腹がいてぇ……、くっ……、おっ、お断りっ……、っは、はっ……」

 それを受けて、綾乃や幸恵も含めたその場全員が指先の方向に視線を向けると、そこには腹を抱え込むようにしてテーブルに突っ伏し、何やら呻いている弘樹を発見した。

「弘樹!! お前って奴はぁぁぁっ!!」

 反射的に祐司が怒声を張り上げたが、笹木はそれを無視しながら幸恵を見下ろして話を続けた。


「それから、君島代議士のコネでこの子は入社してないし。この子がコネ入社なら、あなたも同類でしょう」

「何ですって!? 幾ら先輩だからって、人を誹謗中傷するにも程がありますよ?」

 淡々と告げられた内容に幸恵は怒りを露わにしたが、笹木は怯まなかった。

「あら、先に根拠の無い言い掛かりを付けたのは、あなたでしょう? それに私は根拠の無い事は口にしないわ」

「はぁ? じゃあ根拠とやらを聞かせて頂きましょうか?」

「あのっ! 笹木さん! 幸恵さんも止めて下さい!」

「最初は傍観してたけど、そうも言ってられなくなってきたのでね。私の根拠はこれよ」

 今にも殴りかかりそうな幸恵の手を引っ張りながら綾乃は宥めようと試みたが、その背後で笹木が自分のハンドバッグから一枚の写真を取り出し、幸恵に向かって翳して見せた。そして気になった綾乃も体を捻って、笹木の手元に目を向けてみる。


「……何ですか? その写真」

「え? それ? ひょっとして……」

 幸恵は怪訝な顔になったが、綾乃は思い当った様にそれを凝視した。すると笹木が微笑みながら綾乃に問いかける。

「ええ、君島さんのお母さんが大学時代の写真よ。荒川さんはこの頃のお母さんにそっくりでしょう?」

「そうですね~、私よりよほど母娘みたいです。私は父方の祖母系統の顔立ちみたいで」

「何とぼけてるのよ。あんたが持って来たんでしょ!?」

「いえ、私は別に」

 幸恵に噛み付かれて慌てて綾乃が否定すると、笹木が写真を軽く揺らしながら意味有り気に言い出した。


「これは社長のアルバムの中に貼ってある物を、こっそり借りて来たのよ。本当にそっくりよねえ? 社長の初恋の人、旧姓荒川夢乃さんの姪ごさんの荒川幸恵さん?」

「……何が言いたいんですか?」

 幸恵が両目を眇めて笹木を睨みつけたが、相手はびくともせずに話を続ける。

「あら、だって本当の事でしょう? あなたと君島さんが従姉妹同士って事は。君島さんの親子関係が明らかになってるのに、どうしてそっちの関係が広がって無いのか、不思議だったのよね?」

「あの人は叔母でもなんでも無いわ! 死にかけてる実の母親を見捨てる様な女なのよ!?」

 思わずかっとなって幸恵が怒鳴りつけたが、笹木の落ち着き払った態度は微塵も揺るがなかった。


「そんな家庭の事情なんて、他人の私が知るわけないでしょう。第三者の私が知っているのは、社長の初恋の人があなたに酷似したあなたの父方の叔母の君島夢乃さんで、社長と恋敵の君島代議士とは犬猿の仲で、二人の間では今でも交流が無いって事実だけよ。どこか間違ってる? それなら指摘して頂戴。だけど間違った事で無ければ、何を公言しても良いんでしょう? あなたがさっきまで主張していた事よ」

「…………っ!」

 思わず幸恵がぎりっと歯軋りをして黙り込んだが、それとほぼ同時に会場内のあちこちでざわめきが生じた。


「え? 何? それじゃああの子が君島代議士のコネで入社したって違うんじゃない?」

「でも母親のコネなんじゃないの? 社長の初恋の人の娘なんでしょう?」

「だけどそれを言ったら荒川さんってどうなのよ?」

「そうだよね……、ここからじゃ写真が良く見えないけど、その女性と随分似てるみたいだし」

「今、叔母ってちゃんと言ったよな? じゃあやっぱりあの子とは従姉妹同士だって事だろ?」

「それなのにそれを隠してたって事はさぁ……、何か疾しい事でもあるんじゃない?」

「やだ、ひょっとして自分はその初恋の人の姪って事でうちに入れて貰ったのに、それを棚上げしてあの子の事言いふらしてたとか?」

「荒川の奴、結構性格キツイと思ってたが、根性まで曲がってたらしいな」

「うっわ、最低~」

 そんな囁き声が伝わってきて、幸恵は怒りに震えながら笹木に向かって絶叫した。


「五月蠅いわよ! 何様のつもり!? 大体あんたこそ社長の愛人のクセして、他人の事情に口を挟んで偉そうな事言ってるんじゃないわよ!?」

 それを耳にした会場中の人間は殆どが真っ青になって再び静まり返ったが、何故か笹木は面白そうな笑顔になって言い返した。

「あらあら、それこそ誹謗中傷の類だと思うんだけど? 何を根拠にそんな事を言うのかしら?」

「事実婚だなんて言って、未婚の母で社内に居座ってるのが、何よりの証拠でしょう? 皆言ってるわよ。それにその写真よっ! どうして所長のアルバムからこっそり持って来るなんて事ができるのよ!? 愛人だって証拠じゃない!」

「幸恵さん、止めて下さい! 笹木さんは関係ありませんし、愛人呼ばわりなんて駄目ですよ!」

「さっきから五月蠅いわよ! いい加減にその手を離しなさい!」

 焦って幸恵を止めようとした綾乃だったが、激高した幸恵が素直に従う筈もなく、掴まれている手を乱暴に振り払おうとした。するとその場に不自然な、押し殺した笑い声が響く。 

「……っ、くっ、こ、ここまで墓穴掘りだなんてね」

 見ると笹木が口元を押さえて笑いを堪えているのが分かって、綾乃は訳が分からない為当惑したが、幸恵は盛大に噛みついた。

「何がおかしいのよっ!」

「ちょっと待っててくれる?」

 そして何を思ったか、笹木はバッグから携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

「もしもし? 私。…………そうだけど、迎えに来てくれる? ……ええ、空気が悪くてねぇ。ああ、それから……、ちょっと気が変わったから、二十分以内に来てくれたら入籍してあげるわ。それじゃあ、事故らない程度に頑張ってね」

 そして通話を終えてバッグに携帯をしまい込みながら、苦笑いして綾乃を見下ろす。


「社長が君島代議士夫妻の事を『虎と豹』と評してたけど、それは正しかったみたいね。娘は見た目小動物系でも、噛み付く歯は持ってたみたいだし」

「はい?」

「離す気無いでしょう? その手」

「え、ええっと……」

 綾乃が首を傾げたが、笹木が未だに幸恵と祐司の手を掴んでいる綾乃の手を指し示すと、綾乃は幾分気まずそうに俯いた。そして直前のやり取りを呆然と見ていた裕司が、笹木に向かって疑わしげな視線を向ける。


「あなた何者なんですか? 社長の愛人じゃないって言うなら、どうしてそんな内情まで知ってるんですか?」

 その問いかけは、参加者の殆どが疑問に思ったものだったが、笹木は苦笑いして回答をある人物に委ねた。

「……弘樹君、いつまでも笑ってないで。私が言っても信憑性に欠けるから、説明宜しく」

「はいはいっと。せっかく公子さんがその気になってくれたみたいなのに、ここで機嫌を損ねて気が変わったりしたら、親父に怒鳴られるだけじゃすまないものな~」

 そんな事を口にしながら弘樹がテーブルから立ち上がり、まっすぐ綾乃達の方に歩み寄ってきた。そして未だ床に座ったままの幸恵の前に立ち、疲れた様に彼女を見下ろしながら溜め息を吐き出す。


「さっきお前、公子さんが親父の愛人とか何とか言ってたけどさ、あれ誤解だから。思ってても口に出すなよ、そんな事。下手踏みやがるにも程がある。フォローのしようが無いじゃないか」

「あんたにフォローして貰う必要なんか無いわ! 一体何だって言うのよ!?」

 その叫びを無視して床の三人の横を通り過ぎ、弘樹は座っている笹木の椅子の後ろに回り込んで、その両肩に手を置いてから三人に向かって事情を説明した。


「公子さんは俺のじいさん、つまり前社長と事実婚してる、義理のばあさん。そして社長である親父の義理の母親で、俺の十八歳年下の叔母さんの母親。だからじいさんと親父経由で、色々聞いてるんだよね」

「…………は?」

 ピキッと周囲の空気が凍る中、綾乃が一言間抜けな声を上げたが、その顔がおかしくて堪らなかったように失笑しながら、弘樹は笹木の顔を覗き込む様にして同意を求めた。


「ね? 公子おばあちゃん?」

 そんな冷やかす様な口調に、笹木は肩に置かれた弘樹の片方の手をペシッと叩きながら、苦笑いで応じる。

「おねえさんと呼ぶまでは、お小遣いはお預けね」

「そんな殺生な。可愛い孫に愛の手を~」

「……は? え? えぇぇぇぇっ!?」

 そこで一瞬遅れて綾乃の驚愕の叫びが轟き、背後を振り返ったまま目を限界一杯まで見開いたが、それでも幸恵と祐司の手をしっかり握って離さないのを見て、些か感心した様に笹木が言い出す。


「凄いわね、そこまで驚いても離さないなんて」

「そうですね~、肉食獣って言うよりは寧ろスッポン?」

「そうよね。あれは噛みついたら離さないって言うし」

「あ、そうだ公子さん、今度親父たちと一緒にスッポン鍋食べに行かない? 良い店見つけたんだ。勿論良子ちゃんが美味しく食べられる物もあるから」

「そう? じゃあ行きましょうか」

 そんな一見ほのぼの風の家族会話を聞きながら、周囲の者達は未だ衝撃が冷めやらぬまま固まっていたのだった。


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